表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
86/167

一人の夜

 ――いつかこんな日が来るとわかっていた。


 両腕には重い鉄の錠がかけられ、動かすと鈍い音が静寂に溶けた。冷たい石造りの小部屋、床には無造作に古い藁が敷かれている。

 頭より少し高い位置に窓はあるが、錆びた鉄格子がはめられていて冬を纏った風が入り込んでいる。もちろんそれを防ぐための雨戸はない。深く息をすると白く凍った。


 国章の入ったサーコートは取り上げられ、いつも着ていたチェーンメイルも革ベルトももう無い。生成りのシャツ一枚で防げる寒さであるはずも無く、ポルトはカビ臭い毛布をケープのように羽織った。


 牢に入れられ最初に見つけたこれは、以前捕まったガジンの助手の為にポルトが差し入れたものだ。

 新品を買う懐の余裕はなかったので、狼小屋にあったものを丁寧に洗い繕った。差し入れてそのままこの牢に入っていたらしい。まさか自分自身が使うことになるなんて思いもよらなかった。

 

 土埃ですっかり汚れた毛布は触り心地もすっかり悪くなっている。こんなものでもガジンの助手は使ってくれていただろうか?少しは役に立ったのだろうか?


(先も見えず…心細かったろうに……)


 一人で暗い牢にいるとそれだけで命を闇に吸い取られそうになる。きっと彼も寒さと孤独に震えながら同じような思いをしていたに違いない。 


(他人のことなんて考えてる場合じゃないんだろうけどさ……)


 石壁に身を預け宙を見つめる。

 身分を偽り宮廷医師長の助手になった彼は、第二位の王位継承権を持つダーナー公の診療に携わった罪で八年の強制労働に従事することになった。

 一番重い刑罰は勿論処刑だ。中には長く長く苦痛が続き壮絶な死を迎えるものや、民衆の不満鬱憤を晴らすためエンターテインメントのように行われるものもある。広場の中央で行われる火刑なんてその最たるものだろう。

 それらに比べたら助手が受けた刑はずっと軽いものだ。もしかしたらウルリヒ王がガジンを思いその命を助けたのかもしれない。


 助手の男が送られた地は西との国境間際だと聞く。

 あのあたりは最後まで戦が続いていた場所で、荒れ果て壊れたまま放置されている道や施設も多い。国からは殆ど手が回っていないというのが実情だ。そこの修復作業をさせるつもりなのだろう。


 人手がないなら近くの村民を集めてくるという手もある。しかし都市以外の民はその殆が自給自足の生活。いくら収穫の時期が終わったとは言え、世話をしなくてはいけない家畜もいるし寒さを凌ぐための薪も大量に必要だ。自分たちの服を作るための糸だって紡がなくてはいけない。どれも膨大な時間が割かれる作業である。


 安易な考えの命令で人手を奪い、彼らが冬が越せなかったら……。国の人口は減り、ひいては来年の税収も減るということになる。

 囚人を使うというのは戦後の国を憂うウルリヒ王の判断なのだろう。


(罪人は都合が良いものね。誰も傷つかないもの……)


 罪人が罪を償うのは当然のこと。異論を唱える者などいない。 


(私は…どれくらいになるんだろう……)


 第一位の王位継承権を持つ王太子フォルカーの従者になった。医療行為こそしたことはないが、咎められても仕方のないこともたくさんした。

 モリトール卿の話によると明日から本格的な尋問に入るそうだ。言えること、言いたいこと、言えないこと……胸中にはたくさん思うことがある。

 明日聞かれることは城や国を巻き込むことで、自分の発言一つで誰かの命を脅かすことにもなるかもしれない。言葉は最大限慎重に選ばなくてはならない。

 凍えた指先がぎゅっと毛布を掴む。


(どうやったら皆が幸せになれる……?)


 暗い牢の中を月の光が淡く照らし、ポルトは小さな窓から空を見上げた。綺麗な月が黒と濃紺の混じり合った空に浮かんでいる。


(――――……)


 その柔らかい白い光を見ながら、いつもそばにいた彼を想った。






 月を見つめていたのは丸い金瞳だけではない。同じように窓の外を見つめる男が一人、手の届かぬ場所で輝くそれを見つめていた。


「……久しいな」


 どこからともなく聞こえてくる虫のような音にエメラルドの瞳を細める。筋張った大きな手が胸元を押さえた。小さな固まりひとつで家が買えてしまうほどの価値を持つ装飾、そんな調度品に囲まれた部屋の主はこの国の最高権力者ウルリヒだ。


 先祖代々使用されてきた大きなデスクの上には、王印の押された資料の束が所狭しと置かれている。

 指輪の件に集中したいところだが、通常業務が減ることは無い。最近の騒動のせいで息子に任せる業務も増えたし、彼にはかなりの負担をかけていたはずだ。


(……負担になっているのはそれだけではないだろうがな)


 何の相談も無く彼の従者を捉えるように指示した。そのせいで息子はずいぶん荒れたと聞く。この父を恨んでいるだろうし、彼自身しばらく使い物にならないだろう。やはり自分が怠ける訳にはいかない。


(本当に困ったものだ。クラウスの冷静さを少しは見習って欲しいものだな。いや、あれの激昂ぶりは母親の血のせいか……)


 父として、年上の男として、隣りに座って肩の一つでも叩いてやるべきなのかもしれない。しかし今姿を見せたら……逆に火に油を注ぎかねない。

 年頃の子供を持つ親の悩みに身分の差はない。こめかみを押さえ、深いため息を付いた。


 国を取り巻く環境は刻一刻と変わっている。今も自分の双肩にこの国の未来がかかっているのは変わりなく、愛息子の為にも良い国を残してやらねばならないと思っている。


(ヨハンにも…そういったばかりだしな……)


 ヨハン=アッペル=ダーナー。病床に臥せっている幼馴染であり親友ともいえる男。同じ一人息子を持つ同士、顔をあわせればだいたい最後は息子の話題にたどり着く。

 最後に会った日、彼の姿から間近に迫る()()()を肌に感じた。随分とやせ細ってしまった手をとって「クラウスのことは任せろ」と告げると、涙を流して「すまない…すまない…」と悔しそうに奥歯を噛んでいた。

 きっと誰より悔しいのはヨハンだ。


 フォルカーに酷なことをしたことはわかっている。しかし王の息子として生まれたからには、これも宿命と思ってもらうしか無い。全ては力を預けてくれた白き神のため、そして国のため、そこに住まう民のためなのだ。


(いつまでも感傷に浸っている場合ではないか……)


 明日の会議のために用意された書類束のひとつを手にして…止まる。虫が羽根を震わせるような音が聞こえたのだ。

 それは清らかな水の上で小さな鈴が揺れたような音。鼓動にあわせるように響き、淡く呼吸を乱した。


「シュテフ……」


 今は壁に飾られている肖像画の中にだけ、その姿を残している王妃シュテファーニア。生きていたらなんと声をかけてくれるだろうか。そして、母親として、一人の女として、息子にどんな言葉をかけるのだろう……。


 苦しくも愛おしい彼女の存在を思い出し、ただ黙ってその身を椅子の背にもたれかけた。

誤字脱字がありましたらご報告くださいませ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ