【小話】報酬分の仕事
従者が拘束された。その知らせを受けたフォルカーの激高は周囲の臣下達に剣を抜くほどだったと聞く。
主人の敵を知った黒狼も加わり、辺りは激しい戦場と化した。
何の相談もなく命令を下した父王、そこへ向かうときですら王子は自制などまるできかない様子。
その場にいた近衛隊だけでは収拾がつかず、王の近衛隊である金獅子隊も加わり、なんとか王子を取り押さえたそうだ。
王子の剣技は師団長を凌ぎ、狼は獲物を殺すための訓練を積んでいる。しかも兵は彼らを不用意に傷つけてはならない。結果、戦った半数が休養を余儀なくされが、死者も出ず四肢が欠ける者も出なかったことは幸運だったと言えるだろう。
(何やってるんだか……)
とある屋敷の客間に通されたクラウスは、メイドが部屋を出るとフードを外す。
室内には当主である初老の男が待っていて、クラウスの顔を見ると恭しく頭を下げた。
「や。しばらくだったね」
壁にかけられているのは一族の肖像画の数々。これらを見れば誰もがこの家が古くから続く由緒正しい家柄であるとわかる。
「おや…?顔色が優れませんな、司教。わざわざお越しくださらなくても、一筆いただければすぐにでも馳せ参じましたのに。外は冷えたでしょう。さ、従者の方も暖炉の側で温まって下さい」
クラウスの後ろにいた従者も男に一礼をする。こちらは深くフードを被ったままで、その表情を知ることは出来ない。
「最近は問題ごとが多くてね…ちょっと睡眠不足気味なんだ。ああ、こっちの彼、仕事は出来るんだけど人見知りでね。許してやって」
「えぇ、それは勿論!問題など何もありませんともっ」
男はすでに人生の半分以上を終え、白髪も多い。以前は肥太っていた腹まわりも随分とすっきりしたが、それと比例するように顔色も悪かった。
しかしクラウスを前にした目は生気を得て生き生きとしている。若き王族を前に、かつての栄光を取り戻したかのような気分でいるのかもしれない。
「すでに落ちぶれた身ですが、こうして貴方様に頼って頂けるなんて光栄です。さ、お茶でも一杯。冷めないうちにどうぞ」
黒檀のテーブルに置かれた紙の束は綺麗に整えられている。その数枚を手に取りクラウスは視線を走らせた。
「これが…頼んでいたもの?」
「何かわからない所があれば聞いて下さい。お役に立てる情報があれば良いのですが」
「よく短期間で集めたものだ。隠居したとはいえ、その力はまだまだ衰えていないね」
クラウスの言葉に、男は深い溜め息と共に表情を曇らせた。
「私はこの国の行く末を憂いておるのです……。かつて賢王と称されたウルリヒ王はすでに老い、子息のフォルカー王子はあの性格…。貴族達は大切な息子を従臣として城へ上げても『男だから』という理由で敬遠され、大切な娘は傷物にされる……。訴えることも出きず泣き寝入る親の多いこと」
「そうだね……。それは告解部屋に来る者達の話の中にも出てくる」
「国を思い彼に意見をしても『うるさい、黙れ」』の一言で片付けられてしまう。今まで問題なく公務が回っているのも、臣下達が尻拭いに駆けずり回っているからこそだ」
「ふふっ、確かに殿下の近くにいる者ほど走り回っているように見える」
「司教……、貴方様程の方が何故一介の聖職者の地位に甘んじているのか…。ダーナー卿がお倒れになった今、民が頼れるのは貴方様お一人なのです。将来的に見ても、現状は国益を損ね続けていると言っても良い。一声あげれば、多くの諸侯が駆けつけるというのに」
「まわりの目を気にしないのはあの家の基質なのかな。それでどれだけの人間が巻き込まれて面倒事に付き合わされているのか……ちょっとは分かって欲しいよねぇ」
頬に手を当て、やれやれとばかりにため息をつく。
「皆の気持ちに寄り添うお優しい司教様。私めが出来ることならなんなりとして差し上げましょう…!その笑顔こそ皆の幸せなのですから…!」
「気遣い痛み入る。そこまで言ってくれるってことは……私が笑顔になるような、何かいいことがあるのかな?」
「……その昔、石打ちの死刑になる女に、石を持った民衆が集まりました。尊き人は彼らに『この中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げよ』と仰った話がありましたね」
「結局誰一人石を投げる者は現れず、皆その場を去った……。異国の昔話の一つだね」
「人は罪を犯してしまう生き物なのです。数ある社交場でも、この手の情報に関しては私以上の人間はそうおりますまい。少々骨は折れましたが、私が本気になればどんなに厚い壁の向こう側でも一矢報いることが出来ることを証明いたしましょう。例えそれが…一国の王子でも……」
男は薄く皺の刻まれた口角が上げ、黄ばんだ歯を小さく見せた。クラウスは「ふぅん」と穏やかに返す。
「流石、長きに渡り国の中枢で仕えていただけのことはある。君に声をかけて本当に良かったよ、ロイター」
帰路につく一頭の馬。土を蹴る蹄の音が耳の心地よく響く。
ローブをなびかせた風に深まる冬の匂いを感じる。今年の分のワインの仕込みは大体終わっているが、入りきらない樽が年々増えている。それは葡萄の収穫量が増えているからであり、土や品種の改良が功を奏した結果だ。皆の努力の結晶を適当な所に置いておくのも可哀そうだし、ワインの出来にも関わる。来年こそは新しい貯蔵庫が欲しいところだ。
しばらくして、背を追いかけて来たもう一頭の馬が白い息を吐きながら止まった。馬上にいるのは一緒に来ていた男。
「お疲れ様。ごめんね、最後任せちゃって。重かったでしょ」
「途中で貴方に体力切れでも起こさレたら、そっちの方が厄介です。今回は屋敷だけは広いものの、中にいル人間は殆どいなかった。思っていたよリも楽でしたよ」
「そういえば、お茶を持ってきてくれたメイドが一人いたね」
「ロイターに紹介状を書かせました。露頭に迷うこともないでしょう」
「素晴らしい。無関係な人間を巻き込むのは良心が痛むというものさ」
手綱を軽く打つ。並走する馬の鬣が冷たい風に揺れた。
「ひとしきり落ち着いたら、彼の書庫へ遊びに行こうかな。きっと先祖代々溜め込んできた記録が色々あると思うんだ。早ければ今週末にももう一度あの家に行くことになるだろうし、そこで見繕うのも良いかも」
「――……。いっそ彼に案内をさせても良かったのでは?」
「人間て、何かしら隠したいものがあるものじゃない?一緒に行っても全部は見せて貰えなかっただろう。そういう点でも今回は丁度いい機会だったのかもね」
「ロイターは…貴方と一緒にいル私を同士とでも思ったのでしょう。貴方が帰った後も得意げに話してくレましたよ。まぁその殆どが王や王子に対する愚痴、それに王子とダーナー卿の従者への恨み節でしたがね」
「君は彼の鬱憤晴らしに付き合わされたわけだ」
「ええ、でも面白い話も聞けました。役職者連中の裏話や、最後には改革派の構成メンバーの話まで嬉しそうに……。貴方はよほど信頼されていたらしい」
「……その中にモリトール家の人間はいる?」
「モリトール……?ああ、あのレックス坊やですか……。一度馬を止めましょうか?」
思案するエメラルドの瞳が空を見上げる。事は早い方が良いが、城まで戻るのにも時間がかかる。陽の傾きを見てクラウスは首を振った。
「ま、いいか。詳しいことは後で書簡で送ってくれ」
「わかリました」
「ロイターの好意はありがたく受け取るよ。人間誰しも嫌われるより好かれていたいものだからね。まぁ、見えすぎる野心が昔から気になってはいたけど……。そんな風に育ってしまう環境にいたって思えば、仕方のないことなのかな」
「――……。長らく内政に携わっていた男です。その経験と素質は疑いようもない。機を狙えばあル程度の成果は出してしまうでしょうな」
「だから君に手伝って貰おうと思ってさ。彼が持っているような知識や情報は、タイミング次第で面倒臭いことになったりするからね。こちらも欲しいものは手に入ったし、彼に変に元気になられても困るし……」
クラウスはいつもの優しい微笑みを男に向けた。
「もう、いらないでしょ」
数日後、ロイター卿が屋敷の庭で首を吊ったという知らせが城へ届いた。
あの事件以来、家族は彼の元を離れ屋敷に訪れる客人もいない。
残っていたのはたった一人のメイド。それにも暇を出した直後の出来事だった。
すでに地位も財産も、そして家族も離散した後という状況から『未来を悲観しての自殺』と処理された。
侯爵という地位があればこその交友関係しか築けなかった彼の為に泣く者おらず、むしろ理不尽な扱いを受け続けていた者達の中には『天罰だ』と喜ぶ者すらいた。
そんな中、ウルム大聖堂から司教クラウスが誰よりも早く弔いのために駆けつけたのだという。
人々は慈悲深き司教を口々に褒め讃えた。実家に戻っていた元妻は「司教様のお役にたてるのなら」と屋敷にあった蔵書や記録書類を全て寄贈したそうだ。
侯爵の葬式を終えた司教は、病床の父の元へ通う傍らその整理に追われているのだという。




