同じ道 違う場所
「殿下!あれではエルゼ様がお可哀想です…!せめてお部屋までお連れしてさしあげたら……っ」
「エルゼのプライドがそれを許さんだろう。恋敵であるお前に情けをかけられてると知れば尚更だ。ここは放っておいてやる方が親切ってもんさ」
「っ……」
来た道を戻り城内へと入る。暖炉の火はまだ燃えていたが、静寂に包まれた部屋の空気は何故か冷たく感じられた。
二人の帰宅を喜んだ狼二匹が尻尾を揺らして身を寄せる。ふわふわの毛に覆われた額を撫でながら、ポルトはその重い口を開いた。
「……ご婚約されたんですか?」
フォルカーは黙ったまま上着を脱ぎ長椅子にかける。何度か呼吸をおき…床石を見つめた。
「……今朝陛下の使いが来ただろ?晩餐の目的がその話だったのさ。話自体は数ヶ月前からあったらしい。その後も父上とダーナー公で話し合って、先週エルゼとご両親にその旨を伝えたって知らされた。俺に一言も断りもなく…ったく、よくやるぜ」
婚約の話は何度か聞いていたし、ローガンや他の家臣達も知るところだ。今に始まったことではない。
浮き名ばかり流し、いつまでも相手を決めない息子にしびれを切らした父王がいよいよ腰をあげたようだ。
エルゼの生家シュミット一族はファールンでも長く続く名家のひとつであり、エルゼ自身どんな場所へ出しても恥ずかしくない美貌と教養を持っている。
エルゼはこの話を聞いて勿論喜んで賛成した。国王や有力者の後ろ盾を得て、想い人と婚約することが出来るのだ。これは生まれながらに与えられた身分だけではない彼女自身の努力の賜物と言っても良い。報われる日が来たのだ。
いつも優しい王子が何故か納得しないのは「突然の話で驚いたから」であり、今は反対していても、「そのうち納得して一緒になってくれる」…とでも思っていたのだろう。
「今はまだ口約束程度のものだが、近いうちに公式に発表すると言われた。俺以外は満場一致だ。酷いもんさ」
「…………」
「ダーナー公の体調のことは知っているだろう?」
「あまり思わしくないと……」
「城へ来たのは名代の従者イダンとカールトンだけで本人は晩餐にもいらっしゃらなかった。イダンの話じゃ、今はもうベッドに寝たきりになっているそうだ。陛下とは歳も近い。陛下……父上は、その姿を自分に重ねて変に焦っているんだ。確かに人間はいつどうなるかわからない。父上も命を狙われたばかりだしな。ダーナー公の意識がしっかりあるうちにという思いもあるんだろう」
「……ッ」
「ん?」
「まったくもおっ!!おかしいと思ったんですよ…!晩餐の後、様子変だったし!立入禁止の部屋とか入っちゃうし!突然私なんかにあんなこと……っ」
「――……」
「あんなこと……」
今まで殆どと言っていいほど女扱いされなかった自分にキスをした。しかも挨拶じゃないやつを二回も三回も。乱心にも程がある。
「……嫌だったか?」
「!」
返事を待つフォルカーの顔を見る。少し開いた唇に突然頬が熱を持ち、胸が早鐘を鳴らす。
良いとか悪いとかいう判断を下す心の準備はまるで出来ていない。
「ぅ……うぅ……っ」
良いわけない。ただ、思ったほど……嫌でもない。それはそれでどうなんだと自問自答する。詰まる言葉のかわりに指がもしゃもしゃと動いた。
「エルゼには悪いが、そろそろ俺のことは諦めてもらわんとな。お前を無理やり巻き込んじまって悪かったよ」
「で・でしたら、早く他の姫君とお付き合いをされてみては?」
「あん?」
「ですから私ではなく、本命の姫君を、と。指輪の間で私に仰っていたことも、エルゼ様の前でキスをしたのも、全部婚約を破棄する為のものだったのでしょう?」
流石にあれだけされたら大抵の女性は彼を諦めざるを得ない。
とんだ当て馬役だったが、それは今に始まったことでもない。相手はあのエルゼと王家親戚一同。流石の王子だって死に物狂いで逃げ回る。
陛下に逆らい、エルゼに恨まれ呪われ、そこそこ普通に立ち回れる人間は稀だ。だからこそ自分が選ばれたのだ。だからこそ王子だってあんなことをした…そうに違いない。
「大聖堂でお前に言ったこと、全部嘘だったって思っているのか?」
「え?」
思い出してみれば堂内で驚く皆の姿を見た時の彼はとても楽しそうだったじゃないか。自分がやられた分、皆に一泡吹かせて満足したからだろう。きっと…きっとそういうことなのだ。そう思うと少し胸が痛くて、でも少し落ち着いた。
一方、フォルカーの表情はイマイチすぐれない。
「前にさ、俺がメイドとチェストに隠れていた時、お前が探しに来たことあっただろ?」
それは随分と前の話だ。
ローガンと二人で仕事中に消えた王子を探しに行った。無事発見はできたものの、メイドとのイチャイチャシーンを見せられながら「邪魔だから出て行け」と言われた。その後しばらく、彼との仲は真冬の風のように冷え切った。
「あ…はい……。それがどうかしましたか?」
「あの時、お前が偉そうに説教たれたじゃん?『私は大切に思う方との初めてを、こんな場所で迎えようとは思いません』とか言ってな」
「べ・別に偉そうになんてしてないですけど……」
「……俺、ちゃんと覚えてたぞ。偉いだろ」
「は?」
「お前のために、これ以上無いくらい特別な場所を用意してやったんだ。ちょっとくらいウレシー!ってなったり、勘違い起こしたりしない?」
「ま・またそうやって私のことをからかって……!」
「そりゃ…エルゼの前でキスとかはちょっとやりすぎたかもしれねぇけど。相手は誰でもってわけじゃなかったし、お前だって――……」
「これ以上状況を複雑にするような真似は良くないですっ私をイジるにも限度というものがあります…!こういうのは…もう止めて下さい…!」
「遊ぶってお前…、今までの俺の言葉を――」
「しっかりしてください!私は貴方の僕です!」
「!」
今、自分が何かの分岐点にいる…そんな感覚がした。ブレてはいけない。腹に力を入れて声を張る。
「私はエルゼ様のようにはなれませんっ!冗談を上手く流せるようなイェニー様のようにもなれません……!遊びだろうが本気だろうが、私がそういう相手になれないことくらい、殿下もよくおわかりでしょう…!?」
フォルカーの口元が固くなる。
それでも彼に、自分自身に言い聞かせるようにもう一度繰り返した。
「だから…勘違いなんて間違っても起きませんよ。今日も…明日も明後日も、これからの未来でも。……貴方も、私も」
「――――……そう思った方が楽か?」
「っ!」
その言葉は何故か針のように胸を刺す。ぎゅっと拳を握った。
「気にするな、俺だってお前の性格を多少なりともわかってるつもりだ。その気のない相手をどうこうするつもりなんて、俺にはない」
「はい……」
……架けられていた橋を外された気がして胸が痛い。でもこれで良いのだ。今、この関係が二人にとって最良のものなのだから。
動かしてはいけない。壊してはいけない。守らなくてはいけない。
そしたら――
「私はこれからも…お側でお仕えできれば、それで満足です」
まだ、一緒にいられる。
喉の奥が熱い。ヒリヒリとした感覚が身体全部を覆って、なんだか泣いてしまいそうだ。
うつむく頭に、大きな手が乗りくしゃりと髪を混ぜる。
「じゃあ、それでいい。言っただろ?あんまり深く考えるなって。このままでいいから、俺の見える…手が届くところにいてくれって。どうだ?それは出来そうか?」
「…!は・はい……っ!」
「今はそれで十分さ。お前は特に自分のことには不器用だしな」
そしてため息と一緒にこぼれ落ちたのは「ごめんな」という小さな声。思わず彼の顔を見た。
「焦ってたのは父上だけじゃない…、俺もだ」
「殿下……?」
「俺だって……」
「?」
「俺だって結婚するなら惚れた女の方が良い。親が勝手に決めた相手なんてヤダ」
落胆と絶望が溢れる言葉が苦々しく吐き出される。
「……まぁ、そこは大体の人が納得するところじゃないでしょうか?ただ殿下はお立場上……」
「そう!!そうなんだよ!!父上の言うこともわかるけど、結婚するのは俺なんだからさっ俺が選んだって良いじゃん!?」
「じゃ、どんな方がお好みなんですか?」
「ぬ?」
「殿下がご結婚されたいっていう女性ってどんな方ですか?それを陛下にお話しすれば良いのです。性格とか髪色だとか…何かあるでしょ?」
「…………」
その問いになんとも言えない表情をする王子。
「無いの?」
ポルトの表情も渋くなった。
「俺をただの節操無しにするんじゃないっ!っつか、お前こそ、どんな男なら即OK出すんだよ!」
フォルカーが突然ポルトの右手を取る。高く上げ、弧を描くように動かすと、ダンスのステップを踏むようにポルトの身体もくるりと回った。
見目麗しい王子様で、背も高く、賢く、強く、女に優しい……そんな自負があるフォルカーを散々袖にしてきた娘がポルトだ。今もまた、全てを冗談だと流してこんな質問をしてくる程に。
「優しい人か?真面目な人か?お前がぐちゃぐちゃ言って足踏みしてなきゃ、俺なんかに遊ばれる前にすぐ見つかると思うんですけど?」
そう、彼女が望めばすぐにでも手が届くのに。……でもそこが一番難しい。
正面を向いたところで目が合う。ポルトがちょっと頬を赤らめた。
「ひ…ひんにゅーが好きな人……?」
王子はそっと顔を伏せる。
「コラ」
「そこをピンポイントで言われると……。好きな奴もそりゃいるんだろうけどさ……」
「もう国家予算でスリムサイズ好きが集まる専用の社交場を作って下さい!カップル成立したら国民数も増えて国家繁栄に繋がりますよ!税収増えますよ!」
「お前、そここだわりすぎじゃない?」
「周囲がそれを望んでるんです」
「じゃあ逆に聞くけど、お前は惚れた相手のナニが控えめサイズだったら別れるの?」
「は・はぃっ!?」
「違うっつーんだったら、お前ももう気にしなくて良いんじゃね?」
ポルトは不満げに口をへの字に曲げる。酒場で二時間放置されていた経験が物語るように、このあたりの価値観はそう安々と変わるものではないらしい。
「私…一般的な女子に比べたらかなりの『がっかりボディ』なので……。結構切実に悩むんですよ?だって自分の身体で失望して欲しくないじゃないですか……」
「失望ねぇ……」
フォルカーがポルトの手を高く上げる。自然と近くなる二人の距離。
「……調子に乗りそうだからあんまり言いたくねぇんだけど……」
「?」
「お前の良い所、教えてやろうか?」
金髪の丸い頭を金髪を両手でかき回した後、頬の柔肉をむにゅっと挟んだ。
「ちっちゃい。そして丸い」
「ふぇっ?しょれはひひふぉとなのれすか?」
少女は訝しげな顔。フォルカーは小さな身体をぎゅうと抱きしめるが、細腕は驚きながらも腕を伸ばして遠ざけようとする。しかし思ったほど力は入ってはいない。
ただ、少女の眉根には深くシワが入っていた。
「!!ちょ…殿下…!今日はホントにおかしいですってっ」
「小さいと、こうして抱きしめた時に身体が腕の中に全部収まる感じがして、俺は好きなんだよ」
「わわわわわわわかりましたからっ!そういう方もいるのですね……!べ・勉強になりました…っ。だからもう、離れてくださぃっ」
「それにお前は肩が薄くて細くて…。多分関節もよく動くんだろうな、全体的に柔らかい。それに、あったかい」
「そ…それは…別に生きてるなら普通のことだし…っ身体が柔らかいのは体質なんじゃないですか?別に特別なことなんて……っ」
丸い後頭部を包み込むように添えられた右手。腕がより強く少女を締め、フォルカーの鼻先が金髪に埋め白い首筋へと流れる。すうっと息を吸った。その空気の動きにポルトの身体が緊張で固まる。
「あと、良い匂い」
「っ!」
「基本的に女って皆良い匂いがするもんだが……。お前、髪は日向っぽい時もあるけど、肌はミルクっぽい匂いがする」
「ま・毎日身体をきれいにしています…!二日に一度は水浴びをして、毎日朝と夜に身体を拭いています。汗をたくさんかきそうな日は、ローガン様から頂いたラベンダーの石鹸で洗ったあとに香油を少し垂らしたお水で布を絞って身体を拭いているので、きっとそれはミルクではなく石鹸とか香油のものかと…っ」
「待って。ローガンに貰った香油って何」
それがロイター卿に襲われた時のお見舞いに貰ったものだと説明するポルト。
フォルカーはしかめっ面のまま口元を何やらモゴモゴと動かす。見舞いの品と言われたら下手に文句も言えない。
花の香かそうでないかなんてすぐにわかる。 そういえばロイター事件の後、いつもとは違う花のような香りを不思議に思ったことがあったが……
(コイツのことだから、どこか森ん中でも走ってきたんだろうと思っていたがな…とんでもねぇ)
そもそも香油なんて、男から男へ送るプレゼントではない。貴族相手に同じことをしたら恐らくそっちの気があるのだと誤解される行為だ。
そう言えばあの男、狼を見る目が時々おかしい。本人は隠しているつもりだろうが、その様はポルトですら心配そうにチラ見するほどだ。
女装(?)したポルトに声をかけた時も「真面目にナンパしています」だなんて言ったらしいし……。
思い返してみれば普通とは違う不可思議な所があの男にもあるのだろう。有害ではないがちょっとズレてる感じはポルトにも似通っている。
今までポルトとの間に何の問題が無かったとすれば、きっと互いの天然の気が作用していたからに違いない。
「最近身支度にも気をつけているせいか、メイドさん達にも好評だしモリトール様にも怒られることが減りました」
「言っておくけど、俺が言ったのはそういう匂いじゃないからな。つか、そんなもん無くてもお前は大丈夫」
半信半疑のポルトを見つめる。
出会った頃に比べると、この少女の表情は随分と柔らかくなった。
「小さくって丸くって、あったかくて柔らかくて良い匂い。それがお前の良いところ」
「ぬ……?」
それはポルト自身にとって初めてかもしれない主からのストレートな褒め言葉。……というかストレートすぎてなんか生々しい。素直に喜べない。嫌ではないがとてつもなく気恥ずかしい。
でももし彼の言ったことが全部本当だとして、小さくて丸くてあったかくて柔らかくて良い匂いのする動物がいたら……。触ってみたくなる気はする。
頻発している彼のセクハラの理由はこれなんだろうか?
ポルトは「ぬぬ…」と首をひねった。
「そのへんの連中じゃ比べ物にならんくらい女を相手にしてきた俺が言うんだ、間違いないさ。だからもう身体がどうこうとか気にするな。自信持てよ」
「じ・自信…!?」
「そーそー。お前に足りないのは自信なんだからさ。ただ誰彼構わず言い回ることでもないから、他所では黙っとけよ。体臭嗅がせるただの変態になるぞ」
「あ・当たり前ですっ。そもそも、なんでこんな話になってるんですかっ!殿下のご婚約のお話だったのにっ殿下こそ好みの女性像を言えないくせに、エルゼ様がダメだなんて贅沢しすぎですよっ。エルゼ様は本当に殿下がお好きなんですよ?地位も名誉も関係なく、しかも女好きだってわかっていてもそう言ってくださるんです」
「……随分と肩を持つね。お前たち、そんな深い恋バナするほど仲良いの?」
「エルゼ様とは何度もお会いしました。殿下のことも沢山お話しました。でも一度も「王妃になりたい」って仰ったことは無いんです。一生懸命綺麗になさっているのも、沢山のお勉強をしていらっしゃるのも、苦手なことも嫌いなことも乗り越えていらっしゃるのも…全部その想いの強さだと思います。貴方のこと、心から大好きなんですよ」
フォルカーにとって口が重くなってしまう話題だ。
「それは…わかってるさ。じゃ、お前は俺とエルゼがひっつきゃ良いと思ってるわけね?」
「貴方を心から慕ってくれているからですよ。エルゼ様程の方なら殿下が何か困った時でもお力になって頂けるかと!それに、時々私にも…ちょっとお優しい…ので!」
「一方通行の恋愛なんて長くは続かないもんさ。他の貴族連中を見てもわかるだろ」
「それは…そうなんですけど……。でも……」
愛のない結婚が極普通に行われている世界。その結末は想像するまでもない。
フォルカーがエルゼに少しでも恋愛感情を持ってくれたら……、そう思うと同時に、何故人生は上手くいかないんだろうとため息が出てしまう。
「ポチ?」
浮かない顔で床を見つめる少女を気遣うような声。
「すみません、今日は色々あって……頭の中がまだ整理出来ていなくて……」
「お前は馬鹿で阿呆で鈍感でド天然の超世間知らずだから、一度に消化できねぇだろ。……だから婚約の事とか諸々含めて、もっとゆっくり話をするつもりだったんだ。……悪かった」
王子も今回ばかりは素直に謝る。
ウルリヒ王からの話もエルゼの登場も予想できなかったことだ。ポルトもそれはわかっていた。
「貴方の側はいつ何があってもおかしくない場所ですものね。もういいですよ。今後私を巻き込む時は事前に相談してくださるとありがたいですけどっ」
そしたらあんな行き当たりばったりなタイミングでキスとかしなくても良かったんじゃないだろうか?多分アレで得してるのは彼だけだと思う。
「色々やらなきゃならんことはあるが、まずは今回の婚約をどうにかすることだな。今後はエルゼの反応を見て出方を決めるとしよう。エルゼを推してるお前には悪いが、協力してもらうぞ?」
どこか肩の荷が降りたように、フォルカーは眉尻を下げて笑った。
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