【後】謁見
繋いだ手は温かくて大きい。試すように力を緩めるとその分強く握り返される。
きっとこの人は私を離したりしない。
同情でも無く、打算でも無く、ただ純粋に必要としてくれている。
こんな考えは自惚れだろうか?それでも…嬉しくて唇を噛んだ。
主礼拝堂を出る。
また静かな空間が広がっているかと思いきや、衛兵が申し訳なさそうに立ちすくんでいた。
フォルカーが首をかしげる。
「あれ?」
「っっうわぁああぁあああっっ!!!!」
「ぐっっ!?」
誰かがいるとは思わず、繋いでいた手を払いポルトは錯乱したままフォルカーを押しのけてしまった。
毎日の鍛錬を怠らない一撃をまともに受けたフォルカーは盛大な音をたてて石床に倒れ込む。
「なんでもないです!!本当になんでもないんです!!今見たのは幻ですッッ!!」
まぼろしです!まぼロしデス!マボロシデス…!デス…ッ……、聖堂の高い天井の隅々に響く叫び。火が出そうなほど熱くなった顔で衛兵に向かって必死に訴えるが、信じて貰えているかどうかは全く自信がない。
「お取り込み中の所、大変恐縮なのですが…シュミット侯爵様のご令嬢がこちらにお見えになっておりまして……」
「取り込んでないですっ!本当ですっ!もう帰って寝るだけ!」
「そうだ!俺達あとは寝るだけだ!な?ポチ!」
「貴方が言うと変な意味合いになるから止めて下さいっ」
「で、エルゼがどうしたって?」
むくりと身体を起こし、フォルカーの声がわかりやすく曇る。
「はい。殿下をお探しになっていると……」
「エルゼ様が??城へいらっしゃっているのですか?」
「ああ、晩餐の来客の一人だった。俺が逃げるかもしれないから、俺達には漏らさないように陛下から指示があったんだ」
「え?」
そういえば今朝、王からの使いが来て伝言を残した。自分がフォルカーに伝えた用件だ。従者にまで秘密にするとは…。
「……こんなお時間に、二人で何をしていらっしゃいましたの?」
衛兵の後ろからコツコツとヒールの音がする。窓から差し込む月明かりの下に出てきたのは手にランタンを持ち不機嫌そうなエルゼだった。
「や…やぁ、エルゼ」
「ご機嫌よう、フォルカー様」
明かりが下から照らしているせいだろうか、いつにも増して顔が怖く見える……。
「こ・こんな時間に何をしているんだ?夜更かしは身体に障るよ」
「それはこちらの台詞ですわ。今、奥のお部屋で何をされていましたの?あそこは王族以外入れない禁域……指輪の間のはず。どうしてその狸みたいな従者をお連れに?」
フォルカーは口角を上げると、ポルトの手を引いたまま回廊を歩く。
「何でもないさ。晩餐の後、秋風が吹いたかのように胸がざわめいてね。祈りに来ただけだよ。さ、行くぞ、ポチ」
「お待ちになって、フォルカー様!悩み事があるのなら、わたくしにご相談してくださればよいのですわ…!指輪の間に行かれる程深く思い悩まれているのに何故その者を…!?まさか指輪をお見せになられたの……?」
「ああ、そうだ」
「!?」
「この者はその権利を有しているからな。エルゼ、夜道は危ない。兵に部屋まで送らせよう」
「フォルカー…様……?」
王子の様子はポルトから見てもいつもとは違う。エルゼ相手とはいえ、こんなに女性に素っ気ない彼は初めてだ。
ピリピリとした空気に何度も手を放そうとしたが、フォルカーがそれを許さなかった。
「こんな勝手なこと……フォルカー様、陛下に逆らうおつもりですか?お許しになるわけありませんわ!!」
「ああ、話だけは聞いたけどね。私は同意をした覚えはないし、それもあの場で言ったはず」
一欠片も感情も乱さない彼に苛立ちを隠せないエルゼは、金刺繍を施されたヒールで詰め寄った。
「その者にどんな資格があるというのですか!」
「――――……。君の気持ちもわかる」
急に腕を引っ張られて、ポルトはフォルカーの胸に飛び込むように躓く。
見上げると間近になった彼が笑っていて、吐息に交じるように囁いた。
「さて、お前の覚悟見せてもらうぞ?」
「!?」
驚きで止まった少女の身体、その隙を狙ったかのように王子は太い腕を側へ強く引き寄せた。
自分の口唇で少女の口唇を塞ぐと華奢な身体が弓なりに反る。
まだ何も知らない少女になんと酷な行為だろう、そう思う半面、どこかで押し殺してきた何かが更に力を入れさせた。
深いそれを二三度繰り返し、満足そうに唇を離した。
視線のすぐ先にいる少女の瞳はどこか怯え、淡く濡れている。浅く息を吐く桜唇は小さく震えていた。
背筋に走る痺れるような刺激を飲み込んで、フォルカーは顔を上げる。
「うむ、キスの相性もすこぶる良い。何の心配もナ……ッ」
彼の意図はわからないままだったが、された行為は殴るに値すると判断したので、ポルトはそこそこ強めの拳を彼の顎に入れた。
「何すんだ、テメェッ」
「アンタが言うなっっ」
「フォ…フォルカー様!?男同士で何をしているのですか!?お戯れもいい加減になさって!!そんなおふざけに聖神具を使うだなんて……罰が下りますわよ!!」
「いや、もう終わった」
「っ!?」
「『終わった』んだよ、エルゼ」
フォルカーは念を押すように語気を詰める。ぎりっと奥歯を噛みしめたエルゼは苦しそうに息を吸った。
「だから言っただろう。この者はその資格を有している、と」
「……そんなに…わたくしがお嫌いですか……?どこの出かもわからないような下賤な者に逃げるほど…わたくしがお嫌いなのですか……!?」
濃紺の瞳からぽろぽろと思いの丈がこぼれ落ちる。
「殿下…!エルゼ様の元へ……!」
「―――――……」
目の前で愛する人が自分以外の女性とキスをした。想いは露骨に拒まれ顔を背けられる。今エルゼの胸中では、怒りと悲しみが嵐のように渦巻いるのだろう。
頭がぐちゃぐちゃになりそうな状況を理性で必死に抑えているのだ。こんなもの……悪夢でしか無い。
拒まれる悲しみと痛みはポルトもよく知っている。見ている方も胸が苦しくて息が詰まりそうだ。そんな姿の女性を目の前にフォルカーは何故か何の反応も示さない。それどころか背を向け、エルゼにかまうこと無く出口に向かうと聖堂を出たところでやっとその足を止めた。
ポルを背後に隠すように引き入れ、エルゼと向かい合う。
「エルゼ……。本当はもっと後で知らせようと思っていた。まさかこんな形で知られることになろうとは……。すまない。でも君が嫌いで…当てつけのように決めたわけじゃない。ひとりの女性として、君は申し分のない人だ。しかし…私の心は何か別のものを求めていた。仮に他の姫君と同じことになっても……私はこの者を選んだだろう」
「そ……そん……な……」
腰が抜けたのか、エルゼは力なくその場に座り込む。
ポルトが駆け寄ろうとしたがフォルカーが止めた。何故?そう問うような瞳に、ただ軽く横に首を振るだけだった。
「――一体そこで何をしている……!」
空気を飛ばすような声に衛兵が振り返る。
息を切らして立っていたのはダーナー卿の従者であるイダン、そしてカールトンだ。後ろから必死の表情で飛び出してきたのはエルゼの侍女。床に座り込んでいる主人の姿に「なんてこと……っ」と寄り添った。
「殿下……?何故このような場所に?」
「イダンか。今日は色々あった。嫌な胸騒ぎがしてな……祈りに来ただけだ。そっちはどうした?エルゼを探しに来たのか?」
「……はい。侍女がいなくなったと騒いでおりましたので……」
「では問題解決だ。おい、カールトン。お前が一番力がありそうだ。エルゼを部屋までお送りしろ」
「………」
相変わらず感情の無いカールトンの瞳。仕方なさそうにエルゼの側に座り、手を差し出したが彼女はふいっと顔を背けた。
「イダン、後は任せる」
「は…っ、承知いたしました」
「そこのお前、今夜見たことは全て忘れろ。強引に黙らせるなんて手段、私もできればとりたくない」
「は・はい!!承知いたしました……!」
唖然としたままの兵にそう告げると、ポルトの細腕を掴んだままフォルカーはその場を立ち去った。
残された面々は気まずそうにエルゼに目をやる。
「エルゼ様……、ここは冷えます。どうぞお戻りを……」
「――……っ」
未だ立ち上がれず床に伏せるように座り込んでいて、何を話しかけても反応しない。
夜の冷気は身体の芯まで冷やす。エルゼの性格を知っているイダンは長期戦を覚悟した。
「エルゼ様、ここには何もありません。殿下も部屋に戻られましたし…また明日お話を伺います。風邪をひかれては陛下もお父上もご心配になられますぞ?」
一緒に侍女も声をかけるがエルゼは頑なに心を閉ざしている。そんな彼女の上に突然濃紺のローブが被せられた。
「!!」
「失礼を」
短く断り、まるで荷物をくるむように包むと肩に担ぎ上げたのはカールトンだ。
突然視界を閉ざされ宙に浮いたエルゼは当然のように悲鳴をあげ暴れた。しかしカールトンにはまるで効いていない。
「お…おい!カールトン!エルゼ殿に何を!!」
「殿下のご命令ですので」
「おっ下ろしなさい…!!くぅおのっっ無礼者ぉっっ!!」
「……貴女の声は鹿のように良く通る。哀れな様をこれ以上皆に見られたくないのなら、どうぞお静かに」
肩の上で袋状になったローブがいびつに変形を続けている。包んでいなければ何処かにぶつけて怪我をしていただろう。無表情なカールトンの後ろから疲れを隠せない侍女達が続き、聖堂は再び静けさを取り戻した。
乾いた枝が揺れてこの時期特有の音を鳴らす。残された衛兵のひとりが仲間にこぼした。
「あ・明日は…何もないといいな……」
「そうだな……」
城の軒先から顔を出した鳥の影が黒々とした森の闇の奥へと消えていく。冷気に震える衛兵の鎧がカチャカチャと鳴った。
彼らのささやかな平和への願いは冬の風で氷り冷やされ飛ばされることになるのだが、彼らはまだ知るよしもなかった。




