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【中】謁見

 空気すら止まっているかのような静けさの中、唇を離す音が柔らかく響いた。


「……っ?……っ?」


 まつげも触れあいそうな距離に喉の奥が詰まる。激しく鼓動する心臓が痛いほどだ。エメラルドの瞳の前で言葉を振り絞った。


「な…な…な・何…す……っ!!」

「いやぁ、神様を信じて必死に飯のこと祈ってる姿が阿呆カワイイなーと思って」

「っっっっっ!!からかったんですか!?」


 思わず彼の腹をめがけて拳をバスバスと打ち込む。恥ずかしさと動揺のせいかまるで力は入っておらず、フォルカーも「いたいいたい」と言いながら笑っていた。

 最後に一発、強めのパンチを入れて、うつむく。


「……そんなに……」

「?」

「そんなに切羽詰まってるのでしたら、プロのオネーさん呼んできましょうか…?」


 ポルトの顔はまるで重病人を見るようだ。


「何故そうなる」

「だ・だって……」


 よく思い出してほしい。以前「お前のことも最後までちゃんと面倒みてやる」とは言われたが、頭に「シーザー達同様」とついていた。「今更お前の貧弱ボディに興味なんぞわくかっ。女が見たけりゃ、酒場で集めてベッドに並べるわッ! 自惚れんなッ!!」とも言われたし、実際彼が手を出して来たのは自分とはまるでタイプの違う女性達だ。彼の趣味で女装をした時ですら、ナンパをしてくれたローガンを「趣味悪ィ」と言い捨てた。

 困惑気味なポルトをフォルカーが軽く睨む。


「……そういうの、わざと言ってる?」

「何がですか?」


 意図がわからずしばし続く沈黙。それを終わらせたのはフォルカーはため息だった。 


「………お前が俺をイマイチ信用出来ない気持ちはわからんでもない」

「??」

「ここは本来、王族直系や限られた神官しか入れない場所だ。俺ですら普段は入室を禁じられているくらいだしな」

「え…!?なんでそんな所に私を?」

「嘘でも気休めでもない、俺なりの誠実さを知って欲しかったからさ」


 目を閉じ指輪に何かを囁く。すると今までの様が嘘だったかのようにデザインは戻り光も失われた。

 一息つき、元の場所に戻すと天蓋のカーテンを閉める。

 まるで手品でも見ているかのようだった。彼は…一体何をしたのだろうか?


「お前のこと、ちゃんと『特別』に思ってるってこと。今は…あんまり深く考えなくていい。そうだな……」

「とくべつ……」


 いつになく真剣な眼差しをしたフォルカーがポルトと向かい合う。


「背伸びして何か特別なことをしようとなんて思わなくていい。今のままでいいから、俺の見える…手が届くところにいてくれ」


 物音ひとつしない静寂に低く響く声音は明らかにいつもの彼と違う。 


「一体…どうしちゃったんですか?何か心配事でも??何かしてきたんですか…?」

「は?」

「またどこかでバカな問題起こしてきたんじゃ…まさか陛下に直接謝らなくちゃいけないような問題が……?」


 大抵のことはなんとでもしてくる男だ。そんな彼をここまで困らせられる相手は限られているし、だいたいそんな相手はポルトの手にも余る。

 目があった瞬間、彼の視線がつつーと横に滑った。


「…………何を……しでかしたんですか………」

「悪いのは俺じゃない……はず」

「!!??」


 頭も肩も落ちる。


(………………忙しいの。今すごく忙しいの……。これ以上問題を増やさないで……)


 まさか本当にウルリヒ王相手に何かしてきてしまったのだろうか?

 フォルカーは理由を話そうとしない。ただ表情はわかりやすく曇っている。


「殿下ってば…人形を抱いて部屋の隅にうずくまってる子供みたいな顔してますよ」

「ははっ、俺がか?」


 笑ってはいるが……。

 何が彼の心をそんなに苦しめているのだろう?うちけてもらえない自分の存在が切なくも悔しくもなる。

 自分も彼の前で同じように口を閉ざした事があった。その時、彼はこんな歯がゆいような感情を抱いていたのだろうか?

 気の利いた言葉なんて出てこない。


「………殿下、ん!」


 両手を広げた。


「?」

「どうぞっ、いつもしてくれるやつ!」


 少し驚いた様子でポルトを見たフォルカーが訝しげに目元を細める。


「……いいの?セクハラとか言わない?変態とか言わない?」

「貸しにしておきます」


 自覚するくらい生意気な口調。きっと今は…追いかけちゃいけないんだ。

 精一杯の強がりがバレないように唇を噛んだ。

 手を伸ばし、赤い髪の上に手を置くと優しく撫でた。いつも彼がしてくれる、大好きな仕草。

 サラサラとした流れを指に絡め曲線をなぞる。途中、親指で耳のライン、そして頬を撫でた。

 大きな手から「行くぞ」という合図のように伝わってくる温もり。あれを彼にも与えることができたら……。


 首の後に触れた指先にゆっくりと力が入る。

 思っていたよりもずっと小さな力で彼の身体は動いた。

 促されるまま引き寄せられ、傾くと、細肩に額が乗る。素直に従ってくれたことに安堵し、首元に両腕を絡めぎゅうっと抱きしめた。 


「……今は言えないんですよね」

「――――………」

「殿下は私のことを待っててくれるって言ってくれました。だから私も待ってます」

「――……今度……」

「?」

「説明がややこしいというか…まだ頭の中でまとまってねえから……。また今度、な」

「話にくいことでしたら…無理される必要は……」

「もし…さ、例えばの話だけど……。全部どっかに放り出して…王子も辞めて金目のモン一切持たずに城を飛び出したとしたら…お前どうする?」

「はい?」

「家も無くて食うもんも無くて金もなくて…。もしかしたら兵に追っかけられるかもしれねぇな。城だけじゃねぇ、国まで捨てることになったら?それでもついてきてくれる?」


 それを聞いたポルトは、彼の襟元をぎゅっと掴むと少し怒ったように頬を膨らませた。


「そんなの…っ、当たり前…っ!」

「……そうか」


 フォルカーの眉が下がる。柔らかくなった表情に少しポルトの胸騒ぎも落ち着いた。


「なんだったら今夜…一緒にいましょうか?」

「っ?」

「私も……っ、その、夜中に時々目が覚めたりする時があって。昔の怖かった思い出がよぎったり、何もないのに変に胸がドキドキして、不安になって……。酷い時は体中に汗かいていたり……!頭じゃなくて身体が思い出しているような感じになって……。全部から逃げ出したくなるような時があるんです。そういう時は、誰かの側に行くんです。誰かの寝息を聞いたり何処かに触れていると、怖がっているのは自分だけなんだって……、ここは大丈夫なんだって言い聞かせられるんです」

「……お前、それ宿舎でもやってたの?」

「はいっ。でも皆には内緒ですよ!小さな子供みたいだって馬鹿にされますからっ。それに最近はそういうのもなくなりましたしねっ」

「アントン隊は明日から辺境の地へ遠征させるとするか……」

「え!?ちょ…っ、なんでですかっ?」


 フォルカーは嫌そうに舌打ちをする。


「と…とにかく、今夜、もし不安が収まらないようでしたら、ずっとお側におります。うなされてたらすぐ起こしますし、手が震えてたらずっと握ってあげます……!」

「――……」

「殿下は…私がちゃんとお守りします……!」

「…………」

「そりゃ殿下の方が年上だし、頭良いし、剣の腕も上ですけど……。文字はこれから練習します!剣だって、もっと鍛錬します!なんだったらまじないの勉強だって……」

「は?」

「例えばクラウス様の厄除けのおまじない、私にも出来たら良いと思いません?いちいち司教様をお呼びするのも大変でしょ?」

「絶 対 駄 目 。これ以上厄介な奴を絡ませてくんなっ」

「????」


 フォルカーはガシガシと金髪をかき混ぜる。その時、ふと動いたような空気を感じて天蓋を見た。勿論そこには誰もいない。ここは神の世界に近い場所とされている。自分たち以外の何かが彼女をそっと様子を見に来ているのかもしれない。


「さて…と、身体も冷えてきたし続きはベッドに入ってからにするかな」

「続き?」

「いつでも手の届くところにいてくれるんだろ?そりゃ勿論、寝るときもそうだよな?」


 にんまりと笑うフォルカーに一瞬咳き込みそうになった。


「へ・変なことするワケじゃないんですからね?横で座って見張ってるだけですからねっ!?私はあくまでも殿下の安眠をお守りするべくですね……っ!?」

「わかってる、わかってるって!」

(言うんじゃなかった……)


 悪夢を見たとしても、しばらくうなされてしまえばいいのに……。

 彼の中で何かひとつ荷が降りたのだろうか、口調は随分と軽くなったように思える。

 一緒に居られると思うとなんだか嬉しい。でも恥ずかしくて顔が熱い。皆が寝静まっている時間で良かった。


 今夜はなんだか特別で、もし魔法が使えたならガラスの瓶の中に閉じ込めておきたい気分だった。

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