【前】謁見(★)
身体が冷えないように毛織りのショールを被せられ、手を引かれるまま秘密の通路を進んでいく。燭台の明かりに照らされる石壁は見るからに古そうだったが、こういった場所にありがちな蜘蛛の巣などはあまりない。不思議だ。
「あ、こんな所にも巣作りやがって…」
フォルカーは蝋燭の火を近づける。
以前、部屋に閉じ込めていても王子が脱走することがあったが……。この通路を使い、途中で気になった蜘蛛の巣をこうして燃やしていたのだろう。なるほど、全てが繋がった。
そうこうしているうちに二人は城の外へとたどり着く。夜の冷たい空気に思わず身震いをした。
「あの、どこへ……?」
「あそこ」
フォルカーはウルム大聖堂を指さす。こんな時間に一体何の用があるのか皆目見当がつかない。不思議そうな顔をしているポルトにはお構い無しで、フォルカーは大聖堂へと急いだ。
見慣れた大扉の前、その入り口にいた衛兵を下がらせ誰もいない回廊を進む。
暗闇に浮かぶ主礼拝堂を前にポルトは思わず足を止めた。
「誰もいないから大丈夫だよ。おいで」
本来なら回廊すら歩くことを許されない身。ポルトはショールをぎゅっと掴んで首を横に振る。「じゃあ、しょうがない」、そういってフォルカーはポルトを担ぎ上げた。
「ちょ…っ殿下……っ!」
「静かにしろ。衛兵が来る」
彼の足が止まったのは主礼拝堂の奥にある部屋の前。
ポルトを下ろし細かい彫刻の入った石扉に両手を置くと、ある言葉を織り交ぜながら指で文様をなぞる。これも王族専用の言葉だったりするのだろう。さながら祭壇の前にいる司祭のようだ。
しばらくすると最初から鍵などかかっていなかったかのように扉が開いた。
「すごい……。これ、鍵がかかっていたんですよね?」
「ふふん、見直したか?」
中から流れてくる独特の匂い。きっと誰かが香を焚いたのだろう。
フォルカーは何の迷いも無く入っていったが、ポルトはそうはいかない。
「ほら。来いよ、ポチ」
手を差し伸べられ息を飲む。
身体が固まって動けない。こんな所、一般人が入っていいわけがない。
「戦場の最前線よりは安心して来られるだろ?」
「それとこれとは違うと思います」
まだ戦場の方が足が動く。
「寒いんだから煩わせるな。いいから、来いって!」
「~~~~……っっ!!」
仕方なくフォルカーの手を取った。招かれるように室内に入ると柱が何本も立っているのが見えた。奥には深紅の天蓋だけがひとつ置いてある。
ちょっとした広間並みの広さはある。この大聖堂はあれだけ優美な絵画や彫刻で彩られているのに、何故この部屋だけ殺風景なのだろう。
キョロキョロとあたりを見回すポルトを放っておいて、天蓋の前でフォルカーが目を閉じて何かを唱えている。
「ほら、見てごらん」
天蓋のカーテンを開くと中には同じ深紅の布で出来たクッション、その上には小さな指輪がひとつ置かれていた。
「………?」
宝石ひとつついていないシンプルなデザイン。フォルカーが手に取る。
「―――その昔、まだ神々がこの地を治めていた頃の話だ。一角獣達の住む聖域が黒き神の呪いに犯された。青々とした木々は根ごと腐り果て、地は森の民達の亡骸で埋められた。汚れは一角獣達の浄化の力を持ってしても敵わない。勇敢な彼らは呪いの根源である神の使徒に挑み、命を次々に散らしていった。そこに白き神リュトレーギンが剣を携えて現れた。七つの太陽、七つの月を迎え、白き神は見事に使徒を討伐。聖域は再び清らかさを取り戻した。一角獣達は感謝と尊敬の意を込めて、力を結晶化し作った指輪を渡した。全てを見透かし、災いを浄化する力を持った指輪は後に『リガルティン』と呼ばれ、ファールンの地で建国の礎となった……、と」
「ふぁーるん……って、これがあの『ファールンの指輪』ですかっ?」
「ご名答」
ポルトですら知る伝説の聖神具。女装をして警護をした日、この国の始祖の像が指輪を掲げているのを見た。本当に存在していたらしい。
「……あれ?なんだか…思ってたより地味……」
紋様ひとつついていない。ロイター卿を殴った時につけてた指輪の方がギラギラしてて威力も値段も強そうだ。
「失礼な。後で腰抜かしても知らねぇぞ」
「??」
「そもそもお前、この国の歴史なんて知らなかっただろ」
「は・はいっ!その、曖昧なことしか…。お借りしていた本で読んだ時、海で誰かが剣を構えていたのは漁のためだと思ってたくらいで…っ」
「神様が剣で海作った話ね。つか、普通の剣なら錆びるだろって俺はずっと思ってた。まあ実際、それが本当にあったかことなのかどうかは俺にはよくわからんけどな。歴史なんぞ、後世でいくらでも書き換えられるし」
「え?そんなことあるんですか…!?私はてっきり全て事実のことだと……」
「うんうん、国民はそれくらい妄信的な方が扱いやすくて助かるよ」
その言葉に眉根をしかめえ見上げるポルト。フォルカーは髪を大きな右手でくしゃりと混ぜた。
「……聖神具は、それひとつで世界のバランスを変えるほどの力を持っていると言われている。だから神は人間が暴走しないように制約を科した。聖神具を扱うことが出来る人間は、己の選んだ人間……聖神具を託した王家一族、それも正統な王位継承者達のみ。学者に聞いた話じゃ第三位の者まではなんとか使えるらしいが、あまり下位の者だとまともに動かん上に精神を食われて死よりも辛い苦しみを与えられるそうだ」
「……先の戦争で陛下は指輪の力をお使いになったのでしょうか?」
全てを見通す力があるのなら、敵の動きも戦法もわかるということだろう。それでファールンは戦争に勝ったのだろうか?ポルトの問いにフォルカーが笑う。
「そう上手くは出来てねぇんだなぁ、これが」
「?」
「使ってない。一度願うと、代償として一時的に身体の一部が無くなっちまうからな」
「えっ!?」
「記録によれば腕が代償だった王もいたし、目玉が代償だった王もいた。願う者によってその場所も変わる。腕や足ならまだ良いが、心蔵や頭なんか持って行かれてみろ。即死だぜ。易々と使うわけにもいかねえだろ」
ポルトの白いのど元がごくりと動く。
「自分の命がかかっているとなったら、阿呆でくだらん願いに力を使う奴もいない。自分が可愛い王ほどな。それに捨て駒のような継承者が量産されないように、俺達には定められた条件下でなければ子ができない制約がある」
「せいやく……?」
「〈呪い〉と言う者もいる。子が足りず王族の血が絶えれば聖神具を扱える者はいなくなる。でもそれはそれで神は一向にかまわないってことだ」
「……あ!まさか殿下、それを知ってて今まで夜遊びを!?」
子供が出来る心配がないので安心して女遊びができる、その策略に気がついたポルトが従者に戻った。
「さ・最低です…っ!悪いことさせない為につけた制約のはずなのに…っ、神様だって怒ってますよ!」
「変な跡取り争いも無くて丁度良いだろ!お前が毎回毎回邪魔するから、もうやってねーし!!つーか!主に向かって最低とか言うな、阿呆ポチ!!」
「あれだけ女漁りしてるくせに隠し子問題が出てこないと思ったら…!そういうことだったんですね!何度だって言いますよ!最低です!最低です!!さい…っ」
半ば絶叫しかけていたポルトの口元は覆われ、鼻息を荒くしたまま「ふががっ」ともがく。
「はいはいはい…っ、わかったわかったっ。俺が悪かったって。悪ぅございました。衛兵が寄ってくるからデカイ声だすな」
ポルトが静かになったところを見計らって手を放す。彼女はまだ何か言いたげだが、なんとなく内容はわかるのでもう聞くのは止めた。
「見てろよ?」
フォルカーは指輪を見つめ、聞き取れないほどの小さい名声で何かを呟くとキスをすると、指輪は淡く輝き出す。種が芽吹くように細い蔓が数本生え、指にからみついた。
「っ!?キモい!!」
「へぇ、クラウスに聞いたとおりだな」
「い・痛い…っ?ねぇ殿下っ、それ痛い!?」
「いや、全然?ちょっと見た目のサイズが変わった程度だな」
今度はそれをポルトへ向ける。
「ほれ。挨拶」
「え?あ・挨拶って……。コレに…ですか?」
「ついでに何か願い事でもしてみるか?『素敵な旦那様が欲しい』とか。もしかしたら良いことあるかもしれねえぞ?」
「そ・そのへんは自分で頑張りますっ。でもお祈りした瞬間、バクッと食べられちゃったりしませんか…?なんだか恐いんですけど……」
「この指輪は美食家だぞ?」
「そう言われるとなんだか腹立たしいような気もしますが……。そうですね、せっかく神様に直接お願いするんでしたらもっと根本的なところを……」
「根本的?」
ポルトは目を閉じて祈り手を作った。
「みんなが美味しいご飯を食べられますように……」
「やっぱ飯かよ」
「美味しいご飯は大切です!」
「食い意地が張ってるだけじゃねぇかっ」
「人間、食欲が無くなったらおしまいです。それに、美味しいご飯を食べるには必要なものがたくさんあるんですよ?」
何時になくポルトの目が本気である。
「ご飯を食べる…食事には色々種類があります。美味しいものを美味しく食べられる、それはとても幸せなことなのです。途中で料理が失敗することだってあるし、お皿をひっくり返してしまうかもしれない。そもそも、お皿に乗っていないご飯だってあるわけで……」
「?」
「……食事って色々です。家族でテーブルを囲うもの、高級な食材が並ぶテーブルに一人きりでつくもの。皆が捨てたようなものを盗んでは食道を通すだけのものや、身体が不自由になって液体でしかとれないものも。身体は元気なのに、何を食べても砂の味しかしない時だって……」
「――――……」
「一人でもたくさん動いた後のご飯は美味しいです。身体が震えるほど寒い日に飲む蜂蜜ミルクも美味しいです。ただの木の実でも、気の知れた皆でわいわいとしながら食べるのも美味しいです。《美味しいご飯》には必要なものはたくさんあります。人によってその条件も変わりますし、毎日は難しいかもしれません。これが正しい!というものは決められませんけれど……」
「………」
「《美味しいご飯》を食べられる人が幸せなのは間違いありません」
「……お前、時々ジジ臭くなる時あるよなぁ。まあいい。じゃ、お祈りしなさい」
ポルトは頷き目を閉じた。その祈り手にフォルカーの手が重なると、薄紅色の唇に優しく指輪が押しつけられる。その感触に顔を上げると目の前にはより明るく輝く指輪があった。
「殿下、指輪が……」
フォルカーはその様子に驚くどころか満足そうに頷いた。
「お前のこと、気に入ったってよ」
「殿下、指輪の言葉がわかるのですかっ?っていうよりも、この指輪には人間のような心が……」
言葉を遮るように重ねられた唇。
指先ひとつ動かすことができなかった。




