【前】彼女に必要なもの
厚い布で作られたカーテンを開く。朝の鐘がまだ湿り気のある空気を揺らした。
白い光に照らされ目を細め主の眠るベッドへ視線を移す。隣にはすでに顔を洗う水桶やタオルが用意してある。
片腕の袖をまくった。
「殿下、おはようございます。朝ですよ」
今まで休むことなく毎朝彼を起こしてきたが、最初の一声で目を開いたことはない。二三度声をかけ、やっと布団の山がもぞもぞと動いた。しかし起き上がる気配がないので今度は布団をずらしながら声をかける。
「殿下?朝ですってば。早く起きて下さい。朝食が冷めてしまいますよ?」
「…………」
名前を呼ばれ、まどろんだエメラルドの瞳が丸い頭を見つけた。
いつもの困り顔が覗き込んでいる。
片手で布団を抱えたまま、もう片方を「こっち来て」とでも言うように彼女へ伸ばした。
「一人で起きて下さいよ……」
それは彼が思っていたよりも冷たい反応。
「……あれ?だって昨日……」
「朝はままごと出来るほど暇じゃないってわかってるでしょう?」
「……ままごと……」
「しかもそれ、要介護のおじーちゃんの役ですか?」
「……。お前に期待した俺がバカだったよ」
「先ほど陛下の使いの方が来られて伝言を頂きましたよ?ディナーは陛下とご一緒に…とのことです。時間もいつもより少し早くなるそうなので、夕方以降の予定は入れないようにとのことでした」
「へぇ?どうしたんだろうな?最近頑張ってる愛息子に、労いの言葉のひとつでもかけたくなったのかもしれねぇな」
嫌がる主を起こし支度を調えさせる。今日は全ての仕事を早めに終わらせる必要があるようなので、フォルカーも用意された朝食を急いでかき込んだ。
冬の始まりに相応しい厚手のローブをまとうフォルカーは少し大人びて見える。ポルトはその広い背で視線が止まったままだった。
その気配を察したのか扉の前で立ち止まるフォルカー。
うーん、と小さく聞こえたかと思うとくるりとこちらを向いた。極々自然な口調で提案したのは……
「いってらっしゃいのキスでもする?」
「柱、そこに立ってますんで。お好きなだけドーゾ」
「……可ッ愛くねぇ」
「存じております。はい、いってらっしゃい」
立てたフラグは今朝も憐れに粉砕され眉間に皺が寄るフォルカー。
本人が納得しているかどうかはともかくとして、そういう感じでこれからお互い接していくことを約束した(させた)はずだったが……。
やはり彼女にはまだこういうことは早いのだろうか?
(『ままごと』かよ……)
昨日の台詞、こちらがどんな思いで言ったのかはまるでわかっていないらしい。恐らく馬鹿みたいにストレートな伝え方じゃないと、歪曲理解をしてしまうタイプなのだろう。「今夜は君を帰したくない」という台詞に「あ、丁度カードゲーム持ってきてますよ!」とか返してくるパターンのやつだ。
もしこちらが意図したとおりに伝わっているとしても返ってきたのが『ままごと』だなんて……。結局残念な結果で終わっている。
廊下で待っていた近衛隊は相変わらずの顔ぶれ。せめて侍女の一人でもいたら少しは気分が晴れるのに……。肩を落としつつ廊下を中程まで進んだ時だった。
「うわぁあ――ん!!バカ―――――!!へんた――――い!!」
先ほどまでいた部屋から聞き覚えのある声が泣き叫ぶ。悲しみと苦悩を混ぜ合わせたような声は廊下中に響き渡り、ローガンは目を丸くしモリトール卿は眉間に皺を寄せ舌打ちをした。
小粒とはいえさすが軍人上がり。素晴らしい肺活量と声量である。
(なんだ、効いてんじゃん)
わかりやすく復活した自尊心。聞こえてきた声とは真逆な鼻歌を思わず口ずさんだ。




