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決闘(★)

 丸いドームは跳ねる水音をよく響かせている。

 広間にも近い浴場は月の光だけでは到底照らしきれない。石造りの壁には照明用の松明が刺さっていて、時々跳ねる皮で小さな火の粉が舞っている。

 中央には十数人が一度に入れる浴槽があり、縁に腕をかけている男が一人。少し大きめな窓から入る風は、火照る身体に心地が良いさそうだ。

 男は長い前髪を軽くかきあげた。水面に反射した月明かりが青い瞳に映る。


 城内の混乱を危惧したウルリヒ王はダーナー公の一件を「強く咳こんだせいで、発作が起きた」ということにしたようだ。ダーナー公はまだ意識が朦朧としている。馬車の揺れには耐えられないと診断され屋敷に戻ることなく今晩は城で過ごすことになった。


 主人の護衛を衛兵に任せたカールトンは誰も利用しないこの時間に沐浴に来ていた。

 二三度肩に湯を掛け、そこでゆらめく気配に気がつき顔を上げる。


「ご機嫌よう、カールトン様」

「――…… 」


 つがえた弓、向けられている矢の先が鈍く光っている。


「貴方が社交的じゃなくて良かった。そうじゃなければこんな方法では来られませんでした」


挿絵(By みてみん)


 影で息をひそめていたのだろう。見覚えのある金色の瞳が獲物を睨み付ける。ポルトだ。サーコートはまとわず、チェーンメイルがむき出しになっている。


「いつものサーコートはどうした」

「これからすることは私の一存です。国章は置いてきました」


 昼間とは明らかに様子が違う。口調こそ静かだが押さえきれない怒りを矢に込めているようも見えた。隠す必要のなくなった殺気をビリビリと感じる。


「ダーナー様がお倒れになった時、マルクス様がミダルの葉を揉んでいるのが見えました。あれは解毒に効果のあるもので発作の為のものじゃない。……単刀直入にお聞きします。何故約束を破られたのですか?」

「何のことだ」

「私が黙っていれば誰も傷つけないと…貴方は確かに仰った」

「……しばらくの間は、と言ったはずだ。そもそもダーナーは俺の獲物ではない。知ったことか」

「それを素直に信じろと?」

「だから生きているだろう 」

「他に賊がいる…そういうことですか?」

「さぁな」

「ならば話を戻しましょう。あくまで貴方の狙いは陛下だと?」

「今までお前達は馬鹿みたいに人数を投入して事を調べていたんじゃないのか?無能さを俺で埋めようとするな」

「戯言を…。貴方こそ何故弓を向けられているのかわかっているですか?」

「放つがいい」


 それ以上カールトンは何も答えない。ポルトの苛立ちは更にかき立てられる。


「なんにせよ、紅茶を飲むはずだった陛下を狙っていたということは明白。ダーナー様の件が予期しないものだったとしても、貴方を討つ理由としては十分です 」

「……」

「でも後ろに誰がいるのか、それを今話して頂けるなら命までは奪いません。教えて下さい。誰が貴方にこんなことを依頼したのですか?」

「――――…… 」

「私が…この手を放せないとでも思っているのですか? 」

「狩りの日は出来なかっただろう」

「ご存じでしたか」


 特に身構えることもなく、湯に浸かり続けてるカールトン。こちらを恐れる様子はない。

 矢をつがえている右手が揺れる。それはたいまつの光に生み出されたポルトの影にも伝わる。風が木々を揺らす音が、頭の奥で『彼ら』の出現を知らせた。


 揺らめく影の住民達がひとつ、またひとつと形を成していく。コウモリのように群れる影、影、影。彼らは新しい獲物を見つけると嬉しそうに赤い口を開き、フナのようにパクパクと動かしては音に似た呻き声を出す。それは門がゆっくりと開くように数を増していった。

 アァァ… アァアァァ……

 全てを望む小さな手が何十何百と湧いてはもがくように宙を掻く。その様は海の揺らぎにも似ていた。隙間からは魚のような目がチラチラと周囲を伺っている。


「――……っ 」


 広がり続ける影はポルトのブーツを次々に掴むと、蔦のごとくじわりじわりと上がってきた。

 しかしポルトの瞳は標的から外れない。躊躇無く矢を放った。

 風を切る矢はカールトンのすぐ側を走り、石壁に当たると乾いた音を立てて落ちる。

 黒肌の頬に赤い筋が一筋浮き上がり、ゆっくりと蒼い瞳がこちらを向いた。


「――……」

「我が主君に害が及ぶ前に決着をつけます。この身が共に罰せられようとも覚悟の上」


 矢を構え直しカールトンへと近づく。


「教えて下さい。貴方の他に誰がこの計画に関わっているのですか?」

「ここでお前が俺を殺したとして、犯人だとどう証明する?」

「不要です。私はあの日、直接犯人と戦っている。それは殿下をはじめ皆が知っていること。私が貴方を犯人だと言えば貴方を調べないわけにはいかないでしょう。万が一、ダーナー様の従者に手を下したとして罰せられることがあっても、私はそれを受け入れます。貴方がいなくなる、今はそれだけで十分」

「……そうか。ならば好きにしろ」


 跳ねる水滴に波打つ水面。カールトンは体勢を少し動かしただけで、背を向けて沐浴を続けている。


「――……」


 よく研がれた矢尻が狙うのは頭。固い頭蓋骨もこの距離ならば問題なく射抜ける。


「あの日…ロイター様に襲われた日、森まで助けに来て頂いて……嬉しかったです。ありがとうございました」


 せめて苦しむ事無く逝けるようにしてやろう。

 標的を定めた目。

 ピリッとした空気が身体を走り、影達が奇声にも似た歓声を上げる。これから贄が与えられると察したからだ。

 すでに黒い手に覆われているポルトの下半身。腹に、胸に、肩につたい矢尻の先で凝縮し始めた。


 早く飛び立ちたくて仕方がない、矢がそんな意志を持つ。

 『シネバイイ シネバイイ』、頭の中は彼らの声で一杯だ。

 矢をつがえる右手に影達が寄り添い、矢羽根から指をはがそうとする。

 その目の前で立ち上がったカールトンが『的にしろ』とでもいうように大きな背を向けた。


「!」


 その時、金瞳が捕らえたのは幾筋もの傷跡。黒い肌に文字通り『刻まれた』心と力の戦いの記憶。それらは彼が送ってきた過酷な運命を物語っている。

 ポルトは自分の古傷が痛むようで思わず奥歯を噛んだ。

 ただ彼とは唯一性質が違うものがある。ウルム大聖堂で受けた矢傷、初めてフォルカーに手当をされた傷跡だ。


(……っ)


 ――――「終わらせる方法はいくつかあると思う。例えばどちらか片方に染めてしまう…とかね」


 司教はそう言っていた。


 ――――「立場が違うから争うことになる。ならば同じ色に染まってしまえばいい。話し合いで平和的に行うのか、それとも力ずくで従わせるのか…問題はその方法かな。黒き神様はかなり極端な方でね、いっそ自分の相手も全ていなくなってしまえば良いって考えておられる」


 それは今の自分と同じだ。

 目的のために彼消し…自身すら消えてもかまわないと思っている。


(――……っ…… )


 肉体のものでない胸の痛みに顔がゆがむ。

 まだ…まだだ…。まだ引き返せる。

 王子や皆が教えてくれたことが今自分を生かしてくれているじゃないか。

 全てを終わらせる方法じゃない。新しく始める方法を探すんだ。


 熱っぽい身体ですっと息を吸った瞬間、影達は音の消えた爆発でも起こしたかのように一瞬で消失した。


「貴方が#そこ__・__#に身を置き続ける理由が何かあるのですか? 」

「……?」


 ポルトは今まで見てきた世界を思い出した。とりわけ光の届かない暗闇に生きる住民達を。


「生活に困っていたとか…借金でもあるんですか…?大切な誰かを人質に取られているのですか…?だからこんな仕事を引き受けているのですか…!?」

「?」

「……どうしてこんなことを…… 」


 カールトンは何も言わない。


「悪い人もいっぱいいます。酷い人も…理不尽な人だっていっぱいいます。でも、ちょっとやそっとでどうにかなってしまう貴方ではないでしょう?陛下もダーナー様もまだ生きている。まだ間に合います。今からでも止めることはできないんですか…?」


 何を言った所できっと彼の心は変わらない。そうわかっていてもここで黙っていることはできなかった。


「た・例えば別の場所で普通に暮らすとか…そういうのって出来ないんでしょうか…!?カールトン様は日中本を読んでいらっしゃいました。文字が読めるのですよね…?もっと普通のお仕事も見つけられると思います…!」

「………」

「幸い、私には上流階級の中にも顔見知りの方がいます。もし交渉が難しいとか…誰かと話すのが苦手だっていうなら私がお供致しますから…!貴方ならきっと、私よりもしっかりとした生活を築いていける…!」


 水音と共にカールトンが湯から上がる。よく発達した筋肉が松明の明かりの下で陰影を作り、まだ湯気の上がる水滴が幾筋も流れていった。


「よくそれでここまで生きて来られたな」

「……っ……」


 その言葉に一瞬視線を落とした時だった。瞬くと、目の前に固く握られた拳が目の前にあった。


「っっ!? 」


 片腕で防ぐのが精一杯。

 思わず放たれた矢は誰もいない宙へ飛び、踏ん張りが効かなかった身体は振り抜かれた拳と同じ方向へ飛ばされる。

 身体は壁に激しく打ち付けられ跳ね返るが、暢気に転がっているわけにはいかない。彼の手には見たこともないナイフが握られていた。


(隠してた……!!)


 眉間に向けて真っ直ぐ振り下ろされた切っ先。両手首をクロスさせるように構え顔を守る。手首に巻かれた革ベルトは新たな傷をその身に刻みながらもしっかりと刃を食い止めた。


「誰もがお前と同じ生き方を望んでると思うのか? 」

「!」

「愚かで傲慢な考えだ」


 力負けをすれば、縦一線に身体を裂かれてしまう。

 彼の軸足を踵で思い切り押し込むように蹴った。彼は素足、こちらは固い靴底のある軍人用ブーツ。強度なら負けない。


 走る痛みに思わず表情を歪めるカールトン。力が緩んだ隙にポルトは刃先を押し戻すが、襟首を掴まれ湯船の中へ投げ込まれた。

 激しい水音とともにあがるしぶき。

 すぐに起き上がろうとしたポルトをもうひとつの水しぶきが邪魔をする。

 飛び込んできたカールトン、その腕がポルトの首を抱えるように締めあげ、浴槽の中央まで運んだ。


 腰掛になるような段差がひとつもないその場所は、座らなくとも胸下部分まで湯につかれる深さがある。そんな場所で押さえつけられ、もがくポルト。呼吸の術を失った苦しみでさらにパニックを引き起こす。


 激しく身体をばたつかせるがカールトンの腕は大蛇のように締め上げたまま微塵も動かない。


 黒肌に爪を立てる手から徐々に力が無くなっていく。


 ゴボッ


 しばらくして、空気の塊が一つ水面を揺らし静かになった。


「―――…… 」


 

 小さな身体が動かなくなったのを確認し、そっと腕を離す。

 チェーンメイルが重りになり水面に浮かんでくることは無かった。


「……無様だな 」


 カールトンは小さくそう言うと浴槽から上がり、何事も無かったかのように脱衣所で身体を拭く。

 死体は明日には誰かに発見されるだろう。あの従者の口ぶりを考えるとここに来ることは誰にも言ってはいない。ならば、こちらも知らぬ存ぜぬで通し、ダーナーを狙った「正体不明の誰か」のせいにすればいい。


 髪を拭き、身支度を調えるとベルトに手を伸ばす。


「ッッ!?」


 突然何かが背後から飛びついてきた。

 首に巻き付いたものが喉の骨を折らんばかりに締め上げる。

 振り払おうと身体を大きく動かす。

 敵の身体を激しく壁にぶつけるが、調度品や細い柱が壊れるだけで#それ__・__#は少しも緩むことない。


 濡れた床石で滑り一緒に倒れこんだ。


「っ!!」

「貴様……ッッッ! 」


 ポルトだ。浴槽で意識を失っていたのはほんの一瞬だったらしい。浮いてこないのを見て油断していた。

 何より疑問なのはついさっきまでの相手とは思えないほどの身のこなし。その理由は背に当たる感触でわかった。チェーンメイルを着ていない。音が反響しない水の中で脱いできたのだ。

 そして10kg以上の負荷から解放された身体は、カールトンの知らない早さで襲撃。その腕を首に蛇のように巻きつけたのだ。


「貴方の腕…長弓を扱うだけあって筋肉がよく発達していました…!でも私の首元に入れるには少し太すぎる。入りが浅くて技としては不十分です…!モリトール様に怒られますよ…!」


 起きあがろうとするカールトン。ポルトは右腕が外れないように左上腕を掴みながら、左手でカールトンの後頭部をきつく押さえこんだ。男とは違う細腕は難なく顎の下へ深く入りこんでいる。


 腕を外そうと暴れる爪が腕の肉に容赦なく食い込むが、それでもポルトは両足でも胴体を挟み自身を固定。決して離そうとはしなかった。


「私は軍属の人間…っ!自分の身体の使い方くらいわかっています…!」

「……っ…っ…!!」

「教えて下さい…貴方のことを…!何故止められないのか、何故無理なのかを知りたい……!」


 足掻くカールトンは倒れた拍子に落ちてしまった自分のナイフを見つけた。しかし手を伸ばしても届く距離ではない。

 ならば、と、拷問のように締め付ける腕に思い切り顎を引く。逃れられないなら破壊してしまえばいいのだ。固い顎骨が刺の丸い杭のように食い込み、腕の骨をミシミシと鳴らす。思わずポルトは奥歯を食いしばった。


「貴方が言うとおり、今の私は愚かで傲慢で…自分の理想を押しつけることしかできない…!貴方のことをまだよく知らないから…どうすればいいのか、わからないのです…!だから、落ち着いて話をする時間を下さい……!お願いです……!」

「貴様に…話すことなど……っ! 」

「私だからわかることもあるはずです……!だから……っ、だから……っ」


 生き残ろうとする力と力が互いを飲み込もうと暴れ狂う。

 数時間にも思えるほんの数分が過ぎようとしたとき、口を閉ざした男の手から力が抜けた。

 かすかな変化に気がつき、慌ててポルトも力をゆるめる。


 さっきまで殺気立っていたカールトンの目が焦点を失う。

 力が消えた腕がゆっくりと床石に落ちた。


「……カールトン様!」


 名を呼びながらポルトは脈に手を当てた。……意識はないようだが、止まっていた血流は戻り強く波打っている。

 先程まで命を狙われていた手を握った。フォルカーとは違う、それでも大きくてゴツゴツとした男らしい手。……もう無力だ。


(とりあえず…何処かに運ばないと……)


 肩で大きく息をしながら立ち上がると、頭に受けた衝撃が鐘を突いているかのように響く。ふらついて手をつくと、カールトンの顎骨にきしまされた腕が悲鳴を上げた。

 一息ついて気が抜けたのだろう、今まで感じなかった身体の痛みが次から次へと顔を出して来た。


誤字脱字がありましたらご連絡下さいませ!

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