【後】選択の結果
会議室ではすでに役人達が顔を揃えていた。クラウスの顔をみると全員が立ち上がり恭しく頭を下げる。一人ゆっくりと立ち上がったのは父であるダーナー公だ。「ご機嫌よう、ダーナー大臣」、クラウスが挨拶をすると同じ色の瞳が嬉しそうに垂れた。
少し遅れて王太子フォルカー、そして最後に国王であるウルリヒが現れ、会議の開始となる。
例のごとく隣の部屋で待機するのは各諸侯の従者達。事務作業の出来ないポルトは「荷物運んだら部屋に戻っていいぞ」と言われている。いつもならその言葉に甘えているところだが、今日は違う。
部屋の隅、そこには椅子に座りティーカップを口に運ぶカールトンがいるのだ。
(この前助けて貰ったこと、お礼言うべきかな……?)
話すきっかけにはなる。会話が弾めば、何か雇い主に関する情報も聞けるかもしれない。
見つめる先では早速誰かの付き人の一人が声をかけていた。新しい従者、それも公爵であるダーナー家付きの。縁を作っておいて損はない…と、考える者も少なくない。
にこやかに話し掛けるが、カールトンは視線すら向けることなく短い一言交わし、「見るな・触るな」オーラを全開にして相手をシャットアウトする。
その後も勇気ある数名が彼のご機嫌伺いに向かい、すごすごと、或いは軽い舌打ちをしながらその場を離れていった。
ちなみに王太子の従者であるポルトは、先日のロイター卿事件のせいで「下手に触れると財産を根こそぎ持っていかれるキャラ」として認知され、形式的な挨拶以外に声をかける者はいなかった。
フォルカーの張るバリアーは知人を作る切っ掛けをも許さない鉄壁のものだったようだ。
(いや…これは…邪魔が入らない良いチャンスだと思おう……)
凹むだけだし。
気合いを入れ直して両頬をペチペチと叩く。
少なからず彼の素性を知っている自分なら、もう少し違う反応が返ってくるのではないだろうか?なんて淡い期待を持ってみる。
(よ…よし。私……頑張る……っ!)
『女は度胸と愛嬌だ』と、昔何処かで聞いたことがある。
戦いに行くのではない。これはクラウス司教に教えて貰った《争いを避ける為の行動》なのだ。カールトンがこの任務を受けた経緯を、そして王達を狙う理由がわかれば、平和的な解決を迎えられるかもしれない。もしかしたら彼が心を開いてくれることだって……。
手に汗を握りつつ、「なんとなくこっちの方に来ただけですよ~」なんて雰囲気を頑張って装いながら、壁づたいに少しずつ近づいていく。その姿を部屋にいる他の従者達の目が追いかける。
(狙ってる……)
(狙ってる……)
(あれは狙っている……)
まるで猛獣の前に命を晒しに行くような子犬。様子を見守る大人達もどこか緊張した面持ちだ。
「ア、コレハコレハ、ダーナーサマノ 従者 カールトン様 デハ アリマセンカ! 」
「…………」
(あれ?)
他の人達には簡単な挨拶くらいはしていたのに、完全無視だ。
(ま・負けないんだから!)
緊張はほぐれないままだったが、ぐっと腹に力を入れて次の言葉を繰り出す。
「セ・先日ハ オ助ケ頂キマシテ 本当ニ アリ…… 」
台詞を聞き終える前にカールトンは本を閉じて席を立った。
「あ・あの……っ」
「――……」
反対側の壁にある本棚に向かい、本を戻すカールトン。ポルトは悔しそうに唇を噛んで後を追いかける。戻したばかりの本に指をさした。
「コ・コノ本は、面白かっタですカ? 」
カールトンは黙って違う本を持ち、元いた席に戻る。ポルトもその後ろを追いかけた。 まるで母を追いかける子犬そのものである。
(頑張れ…!)
(頑張れ坊や……!)
(まだやれる……!頑張れ……!!)
大人達が固唾を飲む。
「今日ハ、その……っ、お茶ノ時間に珍しいお茶菓子が出るそうデ……っ 」
「――――――……っ」
「!」
カールトンの口元がかすかに動いた。返事が来た喜びに思わず頬が紅潮するポルト。小さなその言葉をもう一度聞き返すべく、顔を近づけた。
「――消えろ」
「!!」
ポルトの耳元で不愉快さに満ちすぎた声音が地鳴りのように響く。
硬直する身体をギギギギと動かし、なんとか壁際まで逃げると額を押しつけ感情を殺す。
(フラれた)
(フラれたな)
(あれはフラれたな)
敗北した子犬の背中を悲しげに見つめる大人達。
午後はあの憐れな子犬が異人の従者にリベンジ出来るかどうか賭けようではないか、男達がそんな話に小さな花を咲かせた。
その時、空気を一変させるような悲鳴があがる。
突然のことに部屋にいた者たちは唖然とし、互いに顔を見合わせた。
騒がしいのは隣の部屋。
床を慌ただしく踏みならす靴音がここまで聞こえてくる。バンという音と共に扉が開かれ、
「マルクス様!!ダーナー様が……!!」
息を切らした衛兵が飛び込んできた。その血の気の引いた表情からもわかるただならぬ雰囲気。ダーナー公付きの医者マルクスが慌てて隣の部屋へ向かい、カールトンもそれに続いた。
人並みを押しのけながらポルトも部屋へ入る。窓際の少し広いスペース、そこに人の輪ができていた。
「ヨハン!!しっかりしろ、ヨハン……!!」
ウルリヒ王が幼少の頃から呼ぶダーナー公の名を繰り返す。
人々の輪の中心に倒れているのがダーナー公だろう。隣には血の気を無くしたクラウスが父の手を握っている。こぼれた紅茶の飛沫が窓から入る光を反射している。
その場にいた一人の男が隣にいた仲間の側に寄ると声を殺した。
「……ダーナー公が説明の途中むせられてな。慌てられたのか、間違えて陛下の紅茶を飲まれたら急に……」
「余計にむせられたのか?」
「いや…そんな様子では……。もしかして、どちらかの紅茶に何かあったのでは……?」
頭上で聞こえた話に思わずカールトンの方向を見るポルト。脈を計りながら診察をするマルクス、その隣にいるカールトンと一瞬目があった。
彼は視線を反らす。
刹那、ポルトの胸に熱い何かが込み上げ、思わず腰に帯びていた剣を掴んだ。
「ポチ」
「っ!」
肩をぐいっと引かれ、顔を上げると険しい顔をしたフォルカーがいた。
「何を殺気立っている。今は部屋に戻ってろ。俺が戻るまで絶対に扉を開けるな」
「え?何故ですか?」
「こっちのことは近衛隊に任せる。命令だ、さっさと行け……!」
「でもっ私は貴方の……っ」
「従え!!」
強い語気。抗えるわけもない。
喉元まで出かかった言葉を殺し、逃げるように部屋を出る。
長い長い廊下では慌ただしく走り回る衛兵達と何人もすれ違った。
戦場を背にした足はどんどんと早くなり、拳には行き場のない怒りが強く握られる。
狩りに出た日、彼を討たなかった。その選択の結果がこれだというのか…?
怒りに身を任せた声が廊下中に響き渡った。




