秘め事
日当りのいい応接の間には若い男女が二人、仲睦まじそうに身を寄せ合っている。テーブルのティーカップからは湯気が細く上がっていて、皿に並べられているクッキーはどれも形がよく、乗せられた色とりどりのジャムが宝石のように輝いていた。
遠方から取り寄せたという珍しい茶葉も美しいお茶菓子も少女が愛しい青年の為に持参したものだったが、そのどれにも手を付けたあとはない。
細い顎に白い手が物憂げに置かれる。
「我慢しないで誰かに頼るように言ったのに……。主人にこんな顔をさせるなんて困った犬ですこと」
「あれは主人思いでね、私を困らすまいと必死なんだよ」
困ったような笑顔を浮かべるフォルカーの胸元に近づき、その背に腕を回すエルゼ。やっと捕まえた想い人。近くて遠かった温もりにゆっくりと瞼が下がる。近づけばいつも彼は逃げてしまう。忘れそうになっていた胸板の厚みも腕の太さも手の大きさも、そしていつもの香水の香りもひとつひとつ脳に記憶していく。
いくら従者だとはいえ、あの平民がいつも彼のそばでこれを見ているのかと思うと少し嫉妬してしまう。
「……思っていらっしゃるより懐かれていないんじゃなくて?」
「そうだとしたらちょっと寂しいな。私にしては珍しく目をかけていたから……」
ポルトがロイターに連れられ森へ入った…その話を聞いてすぐに悪い予感がした。いつもの仕事ならすぐにでも抜け出しただろう。しかしこんな時に限って国王も出席する大臣クラスの会議だったりする。従者一人の為に動けるわけもない。
結局悪い予感は現実になった。幸い最悪の結果にはならずに済んだようだが、何もないままというわけにはいかなかった。
ポルトは上手く隠していたつもりだったかもしれないが、側に近づいただけで拒まれている空気はわかったし、髪に触れた時なんて完全に目が死んでいた。慰めようとすればするほどそれは逆効果になってしまう。
その事実は思っていたよりも大きなショックであり、男である身を恨めしいと思ったのは初めてだろう。
そういえばあの日、途中で腹が痛いとどこかに消えたローガンもかなり気落ちした様子で帰ってきた。タイミングが良すぎる。あの二人は仲が良いみたいだし恐らく自分と似たような目にあったに違いない。ちょっと同情する。っていうか、どうせ行くならもっと早く行け馬鹿。
表面上いつもと変わらないように接してはいるが、ポルトにはなるべく触れないように、でも離れすぎないような距離を保っている。
(……『女でいろ』と言ったばかりだっつーのに……)
時間と手をかけ、やっと開きかけた蕾はまた固く閉じてしまった。
この怒りをどうロイターにぶつけてやろうかと思ったが…まず必要なのは少女のケア。
メイド達が時々現れてはポルトの話し相手になり、自分のいない間を埋めてくれている。思い返せば仕事で顔を合わせるだけでなく、時々彼女達の手伝い(主に力仕事)をしていたようだし、きっと本人が思っている以上に可愛がられていたのだろう。
彼女の部屋にあるサイドテーブルには少しずつ贈り物が増えてきた。時々それらをじぃっと眺めたり、指先でそっと撫でたりしている。
顔にこそ出さないが、その背中は戸惑いながらもどことなく嬉しそうだった。心の栄養…そんなものになっているのだろう。
「あの従者はフォルカー様でさえ拒んでる感じですけど、わたくしは骨の髄までフォルカー様を信用しておりましてよっ!?」
「あ…うん…、それはう・嬉しいね……」
少し悔しそうに奥歯を噛みつつ、ぎゅむっとしがみつくエルゼ。
「本人はそんなつもりないんでしょうけれど、…あの子、どこか疑り深くて結局誰も信じられずに独りでいるのね。まるで人慣れ出来ない捨て犬みたい。フォルカー様は昔から動物を拾ってくるのがお好きでしたもの。あんな子だから放っておけないのでしょう?」
「……」
「フォルカー様、さあ、ご遠慮なさらないで?」
「……あ、うん…」
小さく睨まれ、艶やかな髪の下にある華奢な背に辿々しく手を置く。
「ふふふっ、わたくしがお相手だからって緊張されなくてもよろしくてよ?」
「いやぁ…女性は壊れ物だからねぇ……、はは……。な・なにはともあれ、今回は原因が原因だし男の私では手に余ってしまったから、協力してくれて本当に助かったよ。彼は以前から君を気に入っていたみたいだからな」
「フォルカー様直々のお願いですもの、きかないわけないですわ。顔も知ってる子ですし、女として見過ごせる話でもなかったですもの。それにしてもロイター様ったら、陛下から給わった立場を利用して弱い者を食い物にするなんて…紳士の風上にも置けない方ですわね。同じ爵位を持つわたくしも流石に賛同できなくてよ。…まあ、あの子も少しは吠えたみたいですけど」
「あいつが?」
「ロイター様の愚痴を聞いた家臣の話だと『あの小僧め、下賤な異人に謝れだなんて…なんて口を利く!』って。助けに行かせたっていうダーナー様の従者のことじゃないかしら?」
「あれがロイターにそんな事を言ったのか?」
軍人のせいだろうかポルトは馬鹿がつくほど上下関係を気にする真面目な奴だ。上司に命じられれば泥水すら黙って飲むだろう。あんな状態になったのだから、てっきり防戦一方の展開になっていたのかと思っていたのに……。ふむ、と考えこむ。
「吠えることが出来るなら、最初からそうしておけば良かったものを…。何を躊躇していたのかしら?そんなことより……」
「?」
「こんなに思ってもらえるなんて羨ましい。フォルカー様は女性皆にお優しいですわ。ふとすれ違った相手にも長年尽くしてきた相手にも……意地悪なくらい平等に、ね。天使みたいに微笑まれるくせに、懐深くまで入ってはくれない」
「―――……。私は責任ある身だからね。君もわかっているものかと思ったが……そんなことを言うなんて珍しいじゃないか。どうしたんだ?誰かから悪い噂でも?」
少しトゲのある言葉にエルゼの眉根が淡く寄る。「もうっ、意地悪ですわっ」と胸板を小さな拳で軽く叩いた。
「噂なんて聞くまでもないですわっ。今眼の前で起きていることですものっ。折角わたくしの為に貴方が時間を作って下さったというのに、まだあの子の話しか出てきていませんのよ?…んもぅっ、もうちょっとわたくしにご興味を持たれてもよろしくなくてっ?」
「きょ・興味かい?」
「わたくし、北方の刺繍を覚えましたの。花嫁衣装にも使えそうなレースだって編めますわ!あと、最近侍女に犬を飼わせました!もともと動物は苦手でしたけど…フォルカー様は狼がお好きなのでしょっ?徐々に慣らしていけば、来年の今頃はきっと熊だって平気になりますわ!」
「熊に慣れる必要はないと思うが……」
「だからこれからのことも安心なさってくださいね!」
「???」
「どんな動物を拾っていらっしゃっても、貴方が気に入られたものだったら……わたくし、ちゃんと飼い慣らしてみせますから!」
決心を伝えるように、エルゼは捕まる腕に力を入れた。
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