【後】お月さまは見ていた。
(何やってんだあいつら……)
傍らに緊張の面持ちでたたずむ少女を置きつつ、フォルカーは少し離れた茂みを見た。あそこは確かポチとローガンが待機している場所。時々カロンの白い耳がぴょこんとはみ出るし、風のせいではない小枝の揺れる音がする。
フォルカーの気を滅入らせているのはそれだけではない。周囲から感じる複数人の視線だ。だから警護は最小限の人数でって言ったのに……。
少女がおもむろに口を開く。
「で…殿下、今夜はお招きいただ……」
「おい…!殿下がお話しになられるまで口を開くな!無礼だぞ!」
「黙れ、アレクシス。終わるまで静かにしてろ」
フォルカーの一喝に、隣で控えていたモリトール卿はくっと奥歯を噛んで一礼する。
「さ、おいで」
淡い灰白色の上着の裾が揺れて、フォルカーが右手を差し出した。少女は茶色い瞳を上げる。
「どうした?」
「……っ」
優しく気遣う声。
いつもはずっと遠い所からでしか見つめることが出来なかった広い胸板。鮮明に映るあのエメラルドの瞳。思わず見入ってしまっていたことに気がついて、慌てて顔を伏せた。視線の先にある床板は鏡のように綺麗な面をしている。いつも自分がいる場所にはないものだ。
……これは夢かもしれない。
異常なほど打ち鳴らす鼓動を手で押さえながら身を強ばらせる。
視界の中に差し出された手に気がついて、恐る恐る自分の手を乗せた。大きくて温かい、男らしい骨ばった手。使用人のそれとは違って荒れてもいない。
「少し話しをするだけだから…大丈夫。何も恐くない」
微笑む王子にエスコートされれば、まるで宙を歩くように軽くなる足先。庭の中央にある噴水の側に腰を下ろした。
「周りに警護の者がいるが、話し声は聞こえない程度に距離はとるように言っておいた。だからちょっと込み入った話になっても心配ない」
「は…はい…っ」
「そうだな…、まず最初にこれは言わないと。手紙は確かに受け取ったよ。リーザ、ありがとう」
「!」
突然呼ばれた自分の名前に思わず赤面して肩をすくませた。
部屋に通された時に自己紹介はしたが、呼ばれる日が来るとは思っていなかった。
「今日は王子と使用人という関係は無しだ。一人の男と女として少しの間付き合ってくれないか?」
「っ?」
「君が王子である私に興味があったなら話は別だけど?」
「い・いいえ!決してそんなことは…っ」
「ん、それは良かった。今夜は面接とかそういったもんじゃないから、緊張しなくてもいい」
「は…はい…っ」
自分にだけ向けられている彼の微笑みを、まだ正面で見ることが出来ない。
手紙を受け取ってくれた、それだけで目標は100%…いや、120%達成している。それなのに、夜の…こんな綺麗な庭で彼と二人で話せることになるなんて、完全に予想外だ。
貴族への話し方は?身だしなみは大丈夫だろうか?よそ行きのワンピースは持っていなくて、同僚のを借りてきたが、これで大丈夫だったんだろうか?
「リーザ、君の好きなものは何?」
「?」
「知りたいな、君の好きなもの。なんでもいいよ、趣味とか花とか…単純に食べ物とか?」
「あ……そうですね、甘いものが好きです。調理場の友人が時々クッキーを焼いてくれるんですけど、それがとても美味しくて…、今度教えて貰うんです」
「へぇ?いいね、クッキー。私も一度食べてみたいな」
「そんな…殿下のお口にあうようなものでは……っ」
「城へ続くメインストリートにさ、月の後半、奇数の日に出る焼き菓子の屋台があるのを知ってるかい?あそこの店主が作る粉砂糖のドーナツがものすごく美味いんだ。食べたことある?」
「っ?」
「時々端がコゲてるんだけど、それもまた良いって言うか…アクセントになっているっていうか」
「それはきっとバルテンさんの屋台です。メイド達の間でも人気のあるお店で…って、殿下はそんなものを口にされたりするのですか?」
「するさ。誰が作ったって美味しい物は美味しいだろ?あんまり食べ過ぎると夕飯がはいらなくなって困るんだけど……」
「バルテンさんのドーナツ、とっても大きいですものね!」
少女が思わず笑う。花が開いたような姿にフォルカーは目を細めた。
「す・すみません…!私ったら思わずはしゃいでしまって……」
「何故謝る?」
「で…でも……」
「緊張して肩が小さくなっているのも可愛らしいけど、やっぱり女の子は笑ってる顔が一番良い。私の周りは……ほら、あそこを見てごらん?恐いおにーさんがしかめっ面してるだろ?」
王子の指がモリトール卿がいるあたりを指してくるくる回る。
「息抜きと逃げ出せば狼まで放たれ探される。毎日息が詰まりそうだ。君みたいな子がそうやって笑ってくれれば、それだけでも私の心はとても癒される」
「あ……っ……その……っ……」
「うん?」
「ありがとう…ございます……っ」
「ははっ、礼を言われるようなことは何も。本当のことを言っただけだよ」
彼の屈託のない表情に誘われて、傾いていた月が頭上に来る頃にはすっかり肩の力も抜けていた。世間話は尽きることもなく、夜風は火照った身体に心地よく感じられるようになっていた。
年末に催される晩餐会でのダンスを二人でしている途中、ふいに少女のつま先が床石のつなぎ目に取られる。
一瞬にも満たない間に風ではない空気の音がぶわっと聞こえ、スカートの裾が翻った。大きく崩れる体勢。が、次の瞬間、強い力に引っ張られて地面がずんと遠くなった。
転ばないようにと腕を引っ張ったフォルカーが、その勢いのまま彼女を抱き上げたのだ。
「っ!?」
「いつもなら庭師に苦言を言うところがけど、今日は褒美を与えないといけないかな?」
「………っ」
思いがけず間近になった彼の笑顔。
いつもエプロンの下で踊っていた鼓動が、今日は若草色のワンピースのすぐ下で同じ高鳴りを知らせる。
「軽いね。もう少し、食べた方が良い」
「軽いわけ無いです…っ。殿下、降ろして下さいませっ」
「ファールンの男はそんなに軟弱じゃないさ」
いつも遠くからしか見られなかった笑顔が、視界いっぱいに映る。
一瞬理性が躊躇させた細い腕。繋がれていた鎖が断たれるように力一杯想い人を抱きしめた。
太い首筋から伝わる温かい鼓動、鼻先から香るバラの香水に泣きそうになる。
やっぱりここは夢の中ではないだろうか。
「こんなこと…いけないんだってわかっていたのですが……、どうしても気持ちが抑えられなくて……」
嬉しさ、驚き、戸惑い、感激、不安……。
色んな感情が交じり合い、今にも崩れてしまいそうで。思わず顔を伏せた。
伝えたいことがいっぱいあったのだ。
陽の下で見る髪が透けてとても綺麗に見えること。
会議室に向かう背中が大きくて男らしかったこと。
こっそり抜け出して昼寝をしている時の寝顔は、時々子供みたいに可愛らしいこと。
袖をまくった時に見える腕がたくましくて、剣を振るうと蝶のように華麗に見えたこと。
指揮官として戦場に向かうと聞いた時、胸が張り裂けそうになったこと。
不安で不安で、幾晩もベッドで泣いていたこと。
帰ってきたとき、嬉しくて近くにいた仲間たち全員に抱きついてまわったこと。
……でも本当に抱きしめたかったのは、貴方本人だったということ。
星の数ほどの美姫達と浮名を流してきた彼のことだ。こんな何の取柄もない…つまらない小娘を構うわけがない。
自分の胸の中にしまっておくつもりだった。
空に浮かぶ月のように手の届くはずのない貴方が、今ここにいる。
「―――――好きです……っ……」
エメラルドの瞳に映る自分は泣いている。
目が充血して鼻緒赤い。こんな醜い姿を見せてしまったことにまた申し訳なさを感じてしまう。
「好きです……!大好きです……!ずっとずっと…貴方のことが好きでした……!」
押さえられない想いが言葉になって溢れた。
こんなことをして、こんな事を言って、きっと後ですごいお咎めが来るに違いない。
それでも。……それでも。
「ずっとずっと好きでした……!」
今生の別れのように、もう一度彼の首元を抱きしめた。
そんな少女を、拒むことなく受け入れるように王子は抱きしめると、なだめるように背中をポンポンと叩く。
「……ありがとう」
顔をあげると、エメラルドの瞳が優しく覗き込んでいた。間近で見ると本当に綺麗な色だった。
「本当にありがとう。……こんなに心乱れるほど想っていてくれたんだね。私は幸せな男だ」
「……っ……っ……」
「実はね、今日君に会うことを考えていて、一日中そわそわしてた」
「……!」
「君のことばかり…考えていたよ」
「あ……」
手紙を託した時には、一瞬でも自分の存在に気付いてらえたらそれだけで良いと思っていた。
びっくりして嬉しくて、どんな顔をして良いのかわからない。
「君の真っ直ぐな気持ち、確かに受け取った。とても嬉しかったよ。ありがとう」
「……っ……っ……」
「――――……でもね、……やっぱり、応えてやれない」
「っ……」
それはわかっていた答えだ。
ナイフで裂かれたように胸が痛むのは…もしかして何千万分の一の「まさか」を何処かで夢見ていたせいなのかもしれない。
刃先がこれ以上暴れないように自分の胸元をぐっと掴む。
「……はい……っ、わかっています……!もう…十分です……っ」
泣きじゃくるその耳元で、フォルカーは何度も「すまない」と謝りながら落ち着くまで抱きしめ続けた。
彼は今まで何度同じ言葉を繰り返し、何度同じように女性を抱きしめたのだろう。
世界にひとつだけの体温を感じるこの瞬間を幸福に思いながらも、同じ運命を辿っていった恋心達の亡霊に引きずり込まれそうだった。
月は今も明るく夜を照らしているというのに…。
「……失礼致します。殿下、あまり遅くなっては……」
衛兵の声に思わず身を引くと乱れた髪を手櫛で慌てて直した。
一方、フォルカーは首に巻いていたスカーフを取り、彼女の頬を流れる雫を拭う。
「……無粋な連中ですまない。君が望むなら、夜が明けるまで胸を貸すが……」
「いえっそんなこと……っ。もう…もう十分すぎるほどお相手をして頂きました…!お時間を取らせてしまって、本当に申し訳ありませんでした…っ」
「いや……、こちらこそ。こんな時間まで付き合わせて悪かった」
きっとこんな時間は二度と来ないだろう。
少女の瞳が想い人を見上げる。
夜風になびく長い前髪、ご両親の良いところが受け継がれた顔立ち、しっかりとした肩、落ち着いた…男性らしい声。
きっと今日が終わったとしても、この気持ちが消えるまでにはまだまだ時間がかかるだろう。
枕を涙で濡らす夜が幾度も来るかも知れない。
「今日はありがとうございました。私…今夜のことは一生忘れません」
「きっと私より良い相手が見つかるよ。……君の幸せを心から祈っている」
でも、勇気を出して良かった。
この人を好きになって……本当に良かった。
どこか晴れやかな顔になった少女に、フォルカーはゆっくりと頷く。
「では、失礼致します。フォルカー殿下」
「ああ、気をつけて戻りなさい」
衛兵に先導され、少女は歩き出す。
その歩幅は小さくゆっくりしとしたものだったが、決して後ろを振り返ることは無かった。
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翌日、少女に会ったポルトは遠くて聞けなかった話の始終を聞いた。
何度も感謝の言葉を繰り返す少女は陽の下で笑顔を見せる。
きっとこれから新しい出会いが待っていることだろう。
彼女を見送り城内へと戻る途中、ポルトの足がふと止まった。
今まで見てきた女性達はどこか際だって違うものがあった。それは身分であったり、自分をアピールする性格だったり、色気的なものであったり…。
でも今回は何処にでもいるような普通の素朴な少女。自分にも重なる部分がある。
例えば…何かの偶然がいくつも重なったとして、自分が彼女のように告白をする時が来たとしたら……
(多分…あんな感じになるんだろうな……)
昨晩、泣いていた少女と彼女を慰めるように抱きしめていたフォルカーの姿が脳裏に浮かぶ。
立場上、近すぎるような関係になることはあるかもしれないが、男女の“それ"になろうと思ったことはない。なのに、変に現実味のある想像に少し胸が苦しくなる。
理由はわからないままだった。
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やはり…というべきだろうか、今夜の一件は城内で噂されることとなった。恐らく衛兵の誰かが口を滑らしたのだろう。
少女は誰に手紙を渡したかは言わなかったそうだが、王子の近衛隊(特にモリトール卿)には近づけないので、自然とポルトに手紙を渡すメイドが増えていった。
カゴ一杯に詰まった想いの丈を傍らに、フォルカーは部屋で熱いため息をつく。
「これは由々しき事態だ……」
「ニヤけながら何言ってるんですか」
ポルトには手紙の内容はわからない。ただこのままにしておくわけにもいかないので、とりあえず整理の為に向きを揃える。
時々見かける真っ黒な封筒は、男達からの呪いの手紙だろう。
「これ全部に目を通すんですか?断るおつもりなら、いっそ受け取らなければいいのに」
「王は国民全員に平等の愛を与えねばならん。俺への想いに身を焦がす娘達なら尚更だ。等しく逢瀬が出来るように何か手を打たねば……」
窓際に腕を置き、さも過酷な運命に翻弄されている体を装う。……年末の宴会芸の練習か何かだろうか?
突然「はっ」と目を見開いたフォルカーが顔を向けた。
「いいことを思いついた」
「はい?」
「整理券配ろう……!」
「いつか痛い目みますよ」
役職者への手紙の譲渡は即日禁止となり、手紙は全て没収。
その後、想い(もしくは呪い)を弔うかのように焼却処分された。
フォルカーは己の身の辛さをポルトに訴え、ベッドでさめざめと泣く。
勿論、従者からの同情は一切無く、ただただ冷たい視線と共に聞き流されるだけだった。
誤字脱字等ありましたらご連絡下さいませ。




