現れた影
「へー。そんでお前が持ってきたの、この手紙」
「……確かにお渡ししましたよ。あとは殿下のご自由に」
「お前がねぇ~。ふぅ~ん、そうかそうか。お前がなぁ~~~」
「なんですか、一体……」
「ヒヨコみてぇな頭してるけど、実は伝書鳩だったんだなぁって。鳥頭には違いねぇけど」
「大きなお世話です」
万が一のことがあってはいけないので、封筒は開封したあとベランダで軽く叩いてきた。変な粉も小さな刃物も入っていない。文面は読めないがやはり真っ当なものなのだろう。
ウルリヒ王と夕飯をとる為、着替えに戻ったフォルカーにあの手紙を渡し、いきさつを話す。
着替える傍らで、フォルカーは一枚だけ入っていた便箋に目を通し、胸に抱くと「はぁ~~~~……♥」と熱のあるため息を落とした。
「嬉しそうですね」
襟元を整えながら、主のだらけた表情を見上げる。
「何が書いてあるか気になる?教えて欲しい??」
「いえ、その反応だけで十分わかりますから……」
「いやぁ~勝手にお膳立てされるお見合いと違ってこういう手紙って何度貰っても嬉しいよなぁ……。今頃きっと彼女の頭の中は俺と手紙のことで一杯なんだぜ。生まれてきてよかったぁ~~~……♥」
「……」
手紙って…そんなに嬉しいものなのだろうか、貰ったことも出したこともないポルトにはよくわからない。
ローブを留め金にかけながらなんとなく複雑な気持ちでいると、がしがしと髪をかき回された。
「何むくれてるんだよ。大丈夫だって。前にも言っただろ?お前が一番可愛いって」
「すみません、どうしてそこに話が繋がるのか理解に苦しみます……」
「だって死んでも付いてくるって……」
「従者として、です」
「……前言撤回。可愛くねぇ」
「専門外です。あしからず」
ポルトのおかげですっかり身支度が調ったフォルカーは、いつもより少し凛々しく見える。
「あれ?この衣装を着られるってことは…今夜はお客様がいらっしゃるのですか?」
「そうそう。ダーナー公がいらっしゃるそうだ。最近は体調も落ち着いてきたし、俺の風邪も治ったし、久しぶりに飯でも喰うかって感じだろな。怪我人相手ならともかく、病人への見舞いには来られない方だから」
「そうですね…絶対病気貰って帰られますもんね……」
「まぁ、あとは……」
困った顔で口角を上げる。
「彼は面倒見が良いというか時々お節介を焼くというか……」
「?」
「お前は知らなくていいや。そうだ、ポチ。今日はお前もついてこい」
「???」
普通の従者なら、主の行くところなら何処へ行くにもとりあえずついていく。しかし、ポルトは従者以外の仕事があるので晩餐など時は給仕係が世話をすることになっていた。
「今日はダーナー公の新しい従者が来るらしい。お前も面通ししておけ」
「あ、なるほど。わかりました」
「さぁて、行くとしますか」
手でささっと髪を直したポルトが部屋の扉を開く。
手紙を引き出しにしまったフォルカーがローブの裾を軽く翻した。
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晩餐の行われる広間では食事を給仕する使用人達が何人も出入りしていた。
ウルリヒ王、息子の王太子フォルカー、そして宮廷財務大臣のダーナー公が広いテーブルに着席している。
彼らの従者は隣の控え室に待機し、必要な時には給仕が呼びに来ることになっていた。
王太子の従者であるポルトは、なんとなく落ち着かない様子で壁際に立っている。その原因はウルリヒ王の従者ヘルマン=ディート=フォンラントだ。王が幼少の頃からずっと側で使えているそうだ。そんな彼が若いポルトを物珍しそうに見つめている。
「フォンラント殿、そんなに見つめては彼に穴があいてしまいますよ」
「あ…すまない。この少年が放たれた矢の前に飛び出し、ネドナの毒から生き延びた兵士なんだと思ってな。小柄なのは知っていたが…近くで見てみると印象が随分と違って……」
思わず声をかけたのはダーナー公の従者の一人イダン。
一方、すでに多くの白髪に覆われているフォンラントは足を組み直した。王は自ら近づかない限りポルトの側に来ることはない。王と共に行動をとる彼もそれは同じだった。
フォルカーの部屋に見舞いに来た時も王に付き添ってきたが、入り口の方に控え視線すら交わすこともなかった。
これは良い機会とばかりにポルトの観察をしていたらしい。
「殿下の具合はもう良さそうだな」
「はい。日頃お元気な分、少し心配しておりましたが…。もうすっかりお元気になられました」
「それは誠に結構。最近は陛下がお出でになられない会議まで任されることも多かった。疲れが溜まっていたのかもしれないですな」
(溜まっていたのは疲れじゃなくて、遊べないストレスだと思うんだけどな…)
フォルカーの性格をよく知るポルトはこっそりそんなことを思った。
「従者の君が献身的な看病をしていたと聞いている。猪を捕ってきたんだって?」
「ほう、猪を…。一人でかい?」
「いいえ、お世話をさせて頂いている狼達を使いました。それほど大物というわけでもありませんでしたが、それでもあの二匹がいなければ無理だったかもしれません。彼らにとっても殿下は大切な主ですから、役に立ててきっと喜んでいると思います」
シーザーとカロンの殿下好きは、自分でも嫉妬するほどだ。
「勇ましいものだ。ダーナー様は狩りに参加されることは滅多にないから、そういった話は聞いているだけでも胸が躍る」
イダンも若い頃はよく狩りに出かけていたらしいが、ダーナー公に使えることになって以来、その機会はめっきり減っているのだという。
一方、ウルリヒ王の従者であるフォンラントは今でも馬に乗る。
「君には申し訳ないのだが…最初に殿下が君を従者にしたと聞いた時、私は反対していたんだ。わかっているとは思うが、元々君のような立場の人間が就く職ではないからな。でも君が来てからというもの、殿下の夜遊びは減り、逃げてもすぐに見つけられるようになった。それに身を挺して陛下の盾になったことも、ファールンの民として誉れ高きこと。……半分とはいえ、殿下はあの王妃の血を引いているのだ。最初は不安以外何もなかったが、殿下の人を見る目もあながち間違ってはいなかった…ということなのかもしれないな」
務めが長いからこそ出てしまう言葉の棘。…というか、ここにも王妃様の爪痕が……。最初は会わなくて良かったと思っていたが、ここまでくると逆に少し会いたくなってくるから不思議に思う。
「そういえば、ダーナー公も新しい従者を迎えたと聞いたな」
「ああ、カールトンのことですね。所用で少し遅れておりますが、もうすぐ到着するはずです」
「かーるとん…様?」
きっとそれがフォルカーが言っていたダーナー公の新しい従者なのだろう。同世代の人間だと話があって良いかもしれない。優しい人だといいな、と少し胸がドキドキした。
「主人には従者が三人いてね、一人は私イダン。そして体調管理を担当している医者のマルクス。もう一人は身の回りのお世話の他に警護を任せることにした……、と、ああ、来たようだ」
会話を遮るノック音。「入りなさい」、フォンラントの言葉に応えるように扉が開かれる。
「失礼します」
奥から姿を現したのは黒髪の青年。同じ従者でもチェーンメイルの上からサーコートを着ているポルトとは違い、発色の良いコバルトブルーの上着に黒いローブを羽織っている。表情を出すことなく黙ったまま頭を一度下げた。
「愛想のない男ですが、剣の腕はなかなかのものですよ。さ、カールトン、皆様にご挨拶を」
「ダーナー様の従者としてお仕えすることになりました、マティアス=カールトンと申します。お見知りおきを」
「ダーナー様のご友人の元で長く使えてきたらしいが、二ヶ月ほど前に不幸があってね……。話を聞いたダーナー殿が彼を引き取ったのだ。私もそろそろ身体に自由がきかなくなってきているし、若者が一人いてくれると随分と助かる」
「おいおい、私より若いくせに何を……。それにしても、彼は…南方系の民族の出か?」
褐色混じりの色をした肌。一目で彼が遠い異国の血を引いていることがわかる。
「……詳しいことは存じません。ただ母方の家系に南方の出の者がいるとだけ聞いたことがあります」
艶やかな前髪越しに見える瞳は切れ長でどこか冷たい。細い鼻筋、薄い唇がさらに人を近づけさせない雰囲気を醸し出している。少なくとも庶民の寄せ集めから始まったアントン隊にはいないタイプだ。
他の従者と同じように、きっと彼もどこか名のある一族の出身なのだろうが、今まで見てきた貴族連中とは違う印象を受けた。
(メイドさん達に人気出そうだなぁ…)
ふとそんなことを考えてた時だった。
カールトンの持つ独特な空気、そしてどこか感情のない瞳が胸の中で引っかかった。
「――――!」
貴族のような服を着ているから最初はわからなかったが、豊穣祭の日、森の中で戦ったあの不審者にうり二つ。ウルリヒ王に毒矢を放った張本人だ。
思わず声をあげそうになって口元を押さえた。
「どうした、ポルト?」
「いえ…なんでもありません…」
他民族の人相なんてどれも同じに見えるというし、よく似た別人の可能性もある。こんな場所で下手に騒ぎ立て万が一人違いだったら…ダーナー公を侮辱する行為にもなるだろう。それは自分だけの不祥事に終わらず、主であるフォルカーにも咎がいくかもしれない。
不用意な真似はできない。どうにかして確かめる方法はないものか、脳内をフル回転させて考えているとき転機が訪れた。イダンとフォンラントが主に呼ばれたのだ。
彼らが立ち上がり扉を閉めるその瞬間まで、ポルトはカールトンの動きに意識を向ける。
二人が残された部屋には重い沈黙が訪れた。
耳の奥でバクバクと強打する鼓動。蝋燭の芯がジジッと燃える音が部屋の中でやけに響いて聞こえた。
……いっそここで問うべきか。いや、しかし正直に答えるかどうかはわからない。普通なら「人違いでは?」と微笑まれてお終いだ。
「――――そんな顔をしなくとも今は何もしない。心配するな、『ポルト=ツイックラー』」
「!」
心を覗いたような声にポルトは息を飲んだ。
男の蒼い瞳が剣を構えるかのようにこちらを見据えている。
一歩、また一歩と近づいてくる。決して友好的な雰囲気ではない。空気に押されるように、ポルトは一歩足を引いた。
「声を上げるな。最初に駆けつけた使用人の首を刎ねるぞ」
「!」
「……ファールン北西、辺境の地ウィンスターの生まれ。マテック公領にて十四歳で志願兵となる。歩兵団に配属され、戦時中はマテック騎士団に従属。バンホーク作戦で初出兵。ルビン、クラインモール、ミルハ、ツィホークに出兵し、フェーゼン砦奪還作戦遂行中に終戦を迎える。その後もアントン=バガーを隊長とする第五城兵隊に配属。現在はファールン国フォルカー=カーティス=セイン=ファールン王子の従者、そして彼の飼っている狼二匹の飼育・訓練係……」
「……っ……」
何故彼はそんなことを?
近衛隊は王達の部屋にいる。カロンもシーザーもいない。低く落ち着きのある声がかえって恐怖をかき立てた。
「よく生きていたな。戦時中だけじゃない。あの時つけたネドナの毒、普通なら数分ももたずにあの世に行く。俺と戦った傷も浅くはなかったはずだが……。まあ、おかげでひとつ確信が持てた」
「お前……!やはりあの時のっ!」
腰に帯びていたショートソードに手をかけた。カールトンもすぐに反応し、引き抜こうとする腕を押さえ込む。
男の高身がポルトに黒い影を作った。
「俺はお前を知っている」
「なっ、あ・当たり前だろっ。あの日のことを忘れたなど……っ!」
「いや、違う。お前……覚えていないのか?」
「な・なんの話だ?」
「その様子だと、まだお前のことを知る者はいないようだな」
「一体何を言って……っ」
薄い唇が近づき、そっと耳打ちをする。
「――――っ……!」
低い声が胸の内を裂く。血の気が引く感覚に一瞬めまいがした。
身体がこわばって、その場から動けなくなってしまう。
「あ…貴方はファールン王家に何か恨みでもあるとでも言うのですか…!?何故こんなことを……!」
「『ポルト=ツィックラー』…。ひねりのない名だな。どこで見つけてきたのかは知らんが、それでも必要なものなんだろう?その仮面をかぶり続けていたいのなら、あの日のことも俺のことも…他言無用だ」
「っ!」
「そうすれば、誰も傷つけずにいてやる。まぁ、しばらくは……、な」
奥歯をギリッと噛みしめ、ポルトは視線を落とす。それを返事と受け取ったカールトンはそれ以上言葉を発することはなかった。
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