【前】魅惑の酒場デビュー(★)
その昔、この地で白き神と黒い神が互いの力を誇示しあっていた。長きに渡る戦いは白き神の勝利で幕を閉じたが、戦いで深い傷を負った白き神は自分の命がもう幾分にも残っていないことを知り、力を蓄えるため永い眠りにつくことにした。
その間、黒き神の力が大地を荒らさないよう、白き神は自分の力を分けた聖神具を人間に与えることにした。
北のスキュラド国には栄光を与える冠を。
東のファールン国には英知を与える指輪を。
西のロクフール国には義勇を与える首飾りを。
南のマンティミリア国には豊穣を与える腕輪を。
受け取った四人の人間は王となり、その秘宝の力で国を治め、繁栄させていった。
その時間の全てを白き神は夢の中で見通しているらしい。噂では全ての秘宝を手にれた者が新たな神の一員として天上世界に迎えられ、この世を手中に収めることが出来るのだとか……。
と、そんな話を信じているのかどうかはわからないが、国境付近では今でも争いが絶えない。
特に二年前に終わった戦は、どの国にも甚大な被害が出た。
ここファールンも例外ではない。最近になってやっと小麦の収穫量が開戦前に戻ったほどだ。『豊穣の腕輪』の力無しにここまで復旧させたのは異例とも言えるだろう。
現ファールン王ウルリヒは国の守りをより盤石にするため、軍事以外の方法でも努力を惜しむことはしない。
例えば、今夜諸侯達を招いて開かれる晩餐会。王家のため兵を招集した彼らをねぎらい、これからもその忠誠を変わらないものとするために開かれる。
勿論王太子であるフォルカーも参加しなくてはならないのだが、何故かポルトと一緒に夜の城下町の散策に繰り出していた。
「こんなことして大丈夫なんでしょうか……?」
心細げな声をだす従者にフォルカーは表情を歪めた。
「俺はね、堅苦しいのは嫌いなの。苦手なの。相性悪いの。人間誰でも、得手不得手ってもんがあんだろ?着飾ったオッサンと話すより、着飾った若いオネーサンの方が好きなの!大好きなの!お前だってそうだろっ?」
「いや、でもそれ公務じゃ……。わ・私はともかく、フォルト様は立場上そうも言っていられないでしょうに」
『フォルト』というのは、彼がお忍びで遊んでいる間の偽名だ。この近辺の町を縄張りにする行商人の息子で、自分はそのお供…という設定である。
「いや~、今回の来賓リスト見たけど見事にオッサンばっかりでさ。何処に活力を見出せばいいのか俺にはさっぱりわからん。」
(女で国務を選り好み……。)
姫君と良い交友関係を結ぶ、それはそれで両国の絆を強めることになるかもしれないが、内容によっては大きな傷にもなりかねない。それは外交未経験の自分にもわかる。
「口説き上手も振られ上手もモテる男のたしなみ」だと彼は言うが、願わくばその交渉術を一国の王子として違う場面で発揮して欲しいものだ。
煉瓦造りの大通りは、多くの出店で賑わっている。親子で商売をしている店も珍しくなく、ポルトの半分ほどの背丈の子が父親の真似をして果物を売っている姿は、微笑ましい。
ポルトは親子の姿をじっと見つめていた。
「うん?なにかいいものでも見つけたのか?」
「あ……、いえ。そういえば、あそこにある果物はなんでしょうか?」
「あの子供のいる店に売ってる黄色いやつ?あれは南の方で取れるマキナっていう果物で、皮ごと食べられるんだ。よし、お前にもひとつ買ってやろう。俺は優しいからな……って、なんで眉間にシワを寄せる?」
「明日どこかの国境警備に飛ばされるんだろうかと心配になりまして……」
「俺だって、たまには良いことするんだぞ。よぉく覚えておけ。」
フォルカーは慣れた様子で先ほどの父親と言葉を交わし始めた。
「皆が畏まる城内にいると息が詰まる」と言って、時々町に出ては気分転換をするのが彼の趣味のひとつ。最初は隠れるように遊びに行っていた彼だが、ある日突然、「お前も来い」と言われた。
マスコットキャラのような存在を側に置く。
→「カワイー」と女性が近づいてくる。
→その隣から自分が女性をかっさらう。
……という疑似餌作戦を思いついたらしい。その作戦が初回で成功したことに味を占め、それ以来こうして連れて行かれることになった。
相変わらずゲスい人だ……とは思うが、こうやってちょこちょこと食べ物を貰えるので断ったことはない。
「ほら、特別に主からの施しだ。ありがたく食え」
返ってきた主の手から熟したマキナが放られた。急に飛んできたそれを、ポルトはバランスを崩しながらキャッチする。
慌てて受け取るその姿が面白かったのか、通りすがりの老人に笑われてしまった。
恥ずかしくてフードをかぶり直すと、視界の端に若い女性が数人、フォルカーに注がれていることに気がついた。口元に手を当て、お互いがお互いを突っつくような仕草。
「あなたがいきなさいよ」「えっ?無理よ、あなたが行ってきて」、といった所だろうか。
(疑似餌いらないじゃん……)
金色の視線を移す先にはスラリとした長身の主。ルビーレッドの髪は『ファールンの赤』とも呼ばれる王家特有のものだそうだ。帽子をかぶってある程度隠してはいるものの、肩で風を切れば襟足がサラリとなびく。
どこか遠方から取り寄せたという薔薇の香水がお気に入りで、近くに寄ればふわりと甘い香りが鼻孔をくすぐる。
父譲りの柔らかいエメラルドの瞳、亡き王妃譲りの繊細な面立ちは女性だけではなく時には同性すら惹きつけるが、腕っ節もそこそこあるので遠慮無く叩き伏せていた。
平民と同じような服装をしていても、その姿はやはり人目を引くらしい。
女性達の視線に気がついたフォルカーは、自分の指先に軽くキスをすると、女性達に向かって飛ばす仕草をした。黄色い声が上がり、ポルトは乾いたため息をつく。
「俺はもうちょい先で見つけた店で肉買ってくるから、お前はそれ喰って待ってろ」
「肉ですか?なんの肉ですか?メスですか?人間のメスですか?」
「つまみ食いも悪くはねえが、折角外に出てきたんだから今回はパスしておく。っつーことだから、お前はここで待ってろよ」
「あっ!待って下さい、護衛もつけずに……!!」
制止するが聞かず、フォルカーは瞬く間に人混みに紛れていく。
(まぁ、殿下は衛兵以上にお強いから大丈夫かもしれないけど……。)
秋の終わりに行われる剣闘会では、余興で騎士達とフォルカーが剣を交えることもある。
上司でもある隊長のアントンによると、まだ彼は負けた姿を見せたことがないのだという。勿論相手が手加減をしているという可能性もあるだろうが、以前彼の鍛錬に付き合った時に見た剣技は、他に類を見ないほど優れたものだった。少なくとも今の自分よりは数段上の実力者だろう。
人の流れの邪魔にならないように壁際に身を寄せ、袖で軽くマキナを拭いた。鼻先でくんくんと甘い匂いをかぎ、生唾で喉を鳴らす。
好きなものを食べる、それは最上の喜びでもあるが、初めて目にする『美味しそうな物』を食べることは、負けず劣らず胸を高揚させる。
口をひらき、その果肉にかぶりつ……こうとしたとき、隣の細い通路の中に動く影を見つけた。
(………?)
建物に挟まれた薄暗い路地には大きな瓶が間隔を開けておいてある。商店から出たゴミを一時保管しておくものなのだが、その瓶を二人の幼い兄妹が覗き込んでいた。
それが一体何を意味しているのか……、ポルトにはすぐにわかった。
手の中にあるマキナを見つめ、意を決したかのように顔を上げると腰をかがめながら兄妹に近づく。
「いててててっっ」
大通りから急に現れた少年に兄妹は驚いて身を隠す。しかし瓶の大きさは子供二人が隠れられるほどではなく、姉が弟を奥へと押し込み、自分は半分はみ出している状態だ。
ポルトは「大丈夫だって、何もしやしないさ」と言ったが、姉は幼い弟を守ろうとポルトを睨み付ける。
「君達に頼みがあるんだけど…きいてくれるかい?」
「……?」
てっきり怒られると思っていた子供達が不思議そうな表情を見せる。
「実は…ご主人様にこれを食べろと言われたんだけど、俺は腹を壊していて食べられないんだ。でも食べなきゃご主人様に怒られるし、捨てるのは勿体ない。良かったらお前達が食べてくれないか?」
その言葉にさらに不思議そうな顔をするが、ポルトは彼らが逃げないうちに更に続けた。
「いててててっっ!こりゃヤバい。早く戻らなきゃ!ホラ!後はお前達が煮るなり焼くなり好きにしろ!」
そう言って手に持っていたマキナを放り投げると、中腰のままその場を立ち去った。
前がよく見えず、人混みにぶつかりながらポルトは元いた場所へと戻る。
(食べてくれると良いけど……。)
「何やってんだ、お前は」
「え?……痛っっ」
一息ついたところに、焼いた鶏肉を片手に持ったフォルカーが苛立ちを微塵も隠すことなく仁王立ちしていた。そして気分の赴くまま、ポルトの頭にゴツンと拳を落下させる。
「あのなぁ、マキナっつーのはこの時期じゃそこそこ値の張る高級な果物なんだぞ!それを簡単にくれちまいやがって!」
「もっ申し訳ありません……っ」
「お前はああいうのを見つけるたびに施しをするつもりか?キリがねぇだろうが。共倒れになってお終いだ!孤児や貧しい民への配給は聖堂や役所の人間が行っているから心配すんな!多少腹が減ることはあっても、死ぬこたぁねぇ!」
「で・でも、お腹すいたら力も出ないし身体も冷えるし……っ」
「いつでもタダ飯が貰える、そんなこと覚えた人間が自立できると思うか?一人じゃ何も出来ない大人に育ったら、お前の責任だぞ!」
「も…申し訳ありません……」
うつむくポルトに「俺様の従者だろうが。上を向け!」ともう一度軽く拳を落としたフォルカーは、先ほどポルトが顔を覗かせた路地へと向かった……かと思えば、何か言葉をかけた後、すぐに戻ってきた。
路地に目をやると、子供達が建物の影から顔を覗かせている。その手にはマキナと肉が握られていて、目が合うとはにかみながら頭を下げる。
「あれ?お肉……」
「あん?とっくの昔に喰った!ついでにセーデ森の湖で最近魚がよく釣れるようになったって話も独り言で呟いてきた」
「!」
「くそ…っ、手が汚れちまったぜ」
「あっ、では今拭くものを……!」
言葉を聞き終える前に肉汁で汚れた指先を従者のローブで極自然に拭う。
(途中まですごくいい人に見えてたのに……)
その落胆ぶりを理解しながらも、フォルカーは全く臆することはない。
「よし、酒場にでも顔出して行くか。魚も食いたいし」
「あの……、そろそろ戻りませんか?お酒も魚も城にもあるじゃないですか。庶民では手が出せないほど立派なものが。」
王宮に納品される魚は鱗一枚欠けていない上質なものだし、わざわざ質の落ちるものを薄汚れた場所で食べる必用もないと思うのだが……。
「城で出てくるのは干してあったり塩漬けされてるのが多いから、新鮮な肉類って言うのは俺にしちゃ珍しいモンなの!それに知っているか?酒場で飲む酒には、簡単に作ることのできるものだってある。例えば果物の絞り汁にベースになる蒸留酒を混ぜたもんだ。材料を自分で調達すれば酒場で飲むより随分と安上がりに、且つ自分好みの濃さで飲むことが出来る。麦酒だってそうさ。市場に行けば売ってるんだから、わざわざ高い金払って同じものを飲む必要はない。しかし皆、酒場に集まってカウンターに向かって叫ぶんだよ。『マスター!もう一杯!』ってな。なんでだと思う?」
「さぁ……。私にはわかりかねます。」
フォルカーはにぃっと笑った。
「雰囲気代ってこと。お前みたいな子供にはまだ早いか?」
「雰囲気代…ですか?」
「そういえばお前、酒場って行ったことあるの?っていうか、酒飲めんの?」
「いえ、私はまだ……。一度先輩が飲んでいるものを一口頂いたことがありますが、苦み走ってあまり美味しいとは思えませんでした」
この国では十六歳で成人を迎える。
十七歳のポルトはすでに立派な成人であり、法的には飲酒どころか結婚すら許されている身だ。
酒といえば、隊の皆が夜飲んでいるのを見た。ただメンバーの中でも若手だったので、飲むよりも料理を運んだり後片づけをする方が多かった。
「じゃ、丁度良い。俺がお前の酒場デビューに付き合ってやろう。祝いに一杯ご馳走するぜ?」
「え!?…っていうか、そもそもそのお金、税……」
色々戸惑うポルトの肩にぐいっと腕を回す。
「楽しいぞ~?愛想の良い女も多いしな!お前みたいな貧相な男でも、多少は楽しませてくれる娘もいるって!」
「ちょ…っ、それってフォルト様がただ行きたいだけじゃ……!!??」
「俺が行くところなら、黙ってついてこいって!このお子さま従者め!」