【小話】いつか、その時が来ても。
夜明けを待つ空がゆっくりと白く染まっていく。
ポルトは腕を強く絡ませたまま寝息を立てていた。
勤務予定が詰まっている日は、槍をつっかえ棒にして立ったまま寝る…と聞いたことはあったが、恐らくこんな感じなのだろう。
「取り柄も無くて」と悩む彼女に、今度「特技:何処でも寝られる」を勧めてみようと思う。
細い首元に顔を寄せたまま、しっとりとした柔肌の感触に瞳を閉じる。砂糖菓子にもミルクにも似た香りはいつも甘く、胸を心地よくも切なく締め付けた。
夢か現か…そんな時間の水面がゆっくりと波打つ。
流石にこのまま朝を迎えるのも身体に悪そうなので、耳元で小さく名前を呼ぶ。しかし起きる気配はない。
二三度話しかけ、やっと反応を示したかのように腕に力が入る。
しかし、小さく吐息混じりの口篭もった声は、こちらの動悸を激しくさせただけだった。
仕方がないのでチェーンメイルでかさ増しされた身体を持ち上げ、自分のベッドへ寝かせた。
身体が痛みそうなベルトや剣も外し、無造作に床へと落とす。後で拾え。
「―――――……」
彼女の隣に身体を横たえ、その寝顔をみつめる。
安らかな寝顔…というよりは苦悶のシワを寄せ悪夢にうなされているような顔をしている……。
最近は忙しなくしていることが多かったし、今日みたいにゆっくり見られるのは久しぶりだ。
まだ筋の残る涙の跡を指で拭い、眉間に入った筋もならした。
近衛隊は交代で見張りをするが、従者はポルト一人だけ。
通常の業務に加え、ここ最近は深夜も満足に横たわることもなく看病を続けていた。食事だってちゃんととっていたのかどうかわからない。最近変に小綺麗になっているところを見ると、頻繁に身体も洗っているようだ。一体何処で何をしているのやら……。
昨夜の様子を見ると体力的なものだけじゃない疲れも、随分と溜まっていたのだろう。
……だから「深夜に身体を冷やして腹を減らしていると、ロクな考えを起こさない」と教えてやったのに。
絶対に忘れてる。阿呆な女だ。
(モリトールめ…余計なことを……)
今日の会話で少しは大人しくなるといいのだが……。
何度か撫でている内にポルトの表情は和らいできた。静かで穏やかな寝息が規則正しく聞こえる。
生まれたばかりの淡い陽の中の彼女をみつめていると、聖堂の祈り場にいるような気分になる。
炎のような熱と薄氷のような儚さが彼女の中で不思議なバランスを保っている。知らず知らずのうちに目を奪われた者もいたに違いない。
《――――――死んでも追いかける》
それは後先を考えない彼女の言葉。でも、素直に嬉しかった。
腕の中で泣いたことも、自分が求められているのだと感じた。
彼女の中にいる自分の存在は決して小さいものではないのだろう。
涙を拭った指先が、一度だけ桜唇をなぞった。
もう少しだ。
硬い殻にこもったままだった少女が、外の世界に目を向け始めている。
頑なだが素直で強い娘だ。背中を押せば歩き出し、押し込めていた自分を取り戻す。
そして、これから出会うだろう感情に戸惑い、驚き、今までにない喜びを知るだろう。
軽い足取りに息を弾ませながら報告に来る彼女は、きっと見たこともないような笑顔を浮かべている。
義務でも忠誠でもない想いがこの唇を震わせ、主ではない誰かの名を告げるのだ。
これは悲しい事じゃない。
少し…寂しくなるだけだ。
何かを感じ取ったかのように、床で休んでいたカロンが小さく鼻を鳴らす。
「しーっ、静かに。もうちょっと寝かせてやれ。」
新しい幸せを見つけた彼女を、笑顔で送り出してやらなければならない。
彼女が望むものを与えてやれない自分には、それを止める資格など無いのだから。
精一杯応援し祝福してやること、それが課された最後の仕事だろう。
……でも、今はまだこのままで良い。
急ぐことはない、ゆっくり大人になればいいのだ。
蕾が花開くその時が少しでも遅くなるように……、気がつけばそんなことを考えていた。




