忠犬ポチ(★)
「ふぇーーーーっくしょん!!」
「ふぅむ……、困ったものだ……。」
「陛下、少しお下がり下さい。殿下の風邪がうつってしまうかもしれませんので……」
布団を被り、ベッドで芋虫のようにもぞもぞと動いているのはフォルカーだ。真夜中の寒中水泳を敢行し、風邪を引いてしまったらしい。
ベッド脇には宮廷医師長に仮着任中のパウル=アルブレヒト、そして愛息子の見舞いに訪れた父王ウルリヒがいる。
ポルトはその様子を少し離れた所から見ていた。
「二三日は熱が上がると思いますが、まぁ大人しくしておけば来週には仕事にも復帰できるかと。どうぞご安心下さい」
「ここ最近、手のかかる仕事はお前に任せきりだったからな……。ゆっくりと心休まる時間も無かったろうに。悪いことした」
ウルリヒ王は水浴びの一件は知らない。きっと彼の頭の中には昼夜問わず仕事に勤しむ息子の姿が浮かんでいるのだろう。熱を持った額に手を添えて「すまなかった」とこぼした。陛下、それ自業自得のやつですよ。
「体調管理も…仕事の内です。陛下…、お手を煩わせてしまい、申し訳ありません……。」
「何を言う。こちらのことは気にせずとも良い。ゆっくり休め。」
「これも良い機会と思って、しばらくは安静にしていて下さいませ。薬は食後にお出しするものをできるだけ全てお飲み頂いて、お身体を冷やされないようにして下さい」
パウルは腰をさすりながら「よいしょ」と立ち上がる。その椅子を引く手伝いをしながら、ポルトは深く頭を下げた。
「ポルト君は、部屋が乾燥しないようにするんだぞ?」
「はい!承知しました!」
任される喜びというものがある。大切な任務であればあるほど、信頼され期待されているようで嬉しい。大切な主、フォルカーに関することなら尚更だ。
覇気ある声に反応したのは隣で見ていたウルリヒ王だった。どこか見覚えのある少年の面影に「…おや?」と顎のラインをさする
「そなたは……、もしやウルム大聖堂で私を助けた者か?たしかフォルカーの従者だったと聞いていたが……」
「っ!」
ウルリヒ王に声を掛けられ思わず鼓動が跳ね上がる。彼の足下に跪き、「ポルト=ツィックラーと申します」と頭を下げる。
「矢に毒を塗られて、大変な怪我を負っていたとか…。もう大丈夫なのか?痛みはないか?」
間近で見るウルリヒ王はどことなく父の面影に重なる。フォルカーも年齢を重ねたら似たような雰囲気を持つようになるのだろうか。頭上からかけられる声は小姓に向けられているとは思えないほど、低く、そして優しくて、心地よい風のようだった。
「勿体なきお言葉……。殿下のお心遣いもありまして、大事には至らずに済みました。陛下もご無事で何よりでした」
「あの時は随分と勇ましい娘だと思っていたが、後から男だと聞いた時は驚いたぞ。こうしてみると…随分と穏やかな雰囲気をしている。まるで少女のようだな。フォルカーが側に置くわけだ」
ウルリヒは笑ったがポルトは正体がバレないかと内心冷や冷やだ。
パウルがコホンを咳払いをする。
「陛下?ご心配されるのもわかりますが……、そろそろご退出を。あまり長くこの部屋にいては、今度は陛下が寝込んでしまいますぞ?」
「うむ。ではポルト、フォルカーを宜しく頼む」
「お任せ下さい!」
ぴっと背筋を伸ばす。ウルリヒ王は一度頷いた。
「フォルカー、ゆっくり休め。大事にな」
「ありがとうございます、陛下」
彼らを見送りながら二人は安堵のため息をついた。
暖炉の火床に吊されている鍋を覗く。中には湯がたっぷりと沸かされていて、鍋底からはふつふつと気泡が浮かんでは消えている。ミトンをはめ、台座に置くと白い蒸気がもわっと上がった。
(そういえば植物を置くと、乾燥しないんだっけ)
今朝、調理場にいたおばさんに聞いた。冬の庭は春を待つ細い枝ばかりが目立って、部屋に置いても味気ない。森に行けば観賞用にもなる草木が見つかるかもしれない。シーザー達の散歩のついでに採りに行こう。
ベッドに目をやると、フォルカーの赤い髪が頭頂部だけ見えていた。
「………」
自然と足は彼の側へ向かう。隣から覗きこむといつもとは違う主の姿。少し赤い顔にじわりと汗が滲んでいる。いつもは周りが息切れするくらい元気な人なのに…、そう思うと胸がきゅっと苦しくなる。
「殿下…、陛下は戻られましたよ。お見舞いに来ていただけて良かったですね…!何か欲しいものはありますか?お水飲みますか?」
その声に布団がもぞりと動く。鼻から上を出したフォルカーが不機嫌そうな声を出した。
「……ばーか……」
「まだ余裕がありますね」
でも彼の瞳はトロンと朧気で、いつもの覇気は感じられない。
「どおして水浴びをはじめちゃったんですか。あれほど言ったのに……。こうなったのも自業自得なんですからね」
「……ばーかばーかばーか……」
「………」
「ひんにゅー……」
「大 き な お 世 話 で す」
布団を掴むと彼の顔を埋めるようにばふっと押しつけた。
――――――――――――――――――
喉の奥が熱を持っている。頭は朦朧として視点が定まらない。
上手く鼻で息が出来なくて半口を開けているせいだろう、乾燥した喉にヒリヒリとした痛みが広がる。毛布の枚数を増やしたベッドで大人しくしているというのに、背筋を走る悪寒で身体が震えた。
(こりゃ…まだ熱上がるな……)
あれから少し眠っていたようだ。従者は何処かへ出かけたらしく、部屋には自分一人だけ。暖炉で薪が燃える音がよく聞こえるのは、他に物音がしないせいだろう。
久しぶりに風邪を引いた。前に寝込んだのはいつのことだったか。多少のことなら気づかないフリをしてやり過ごしてきたのであまり覚えていない。
瞼を閉じて昔の記憶を探った。
……そうだ、子供の頃…。まだ母が生きていた時は、時々こうして病に伏せったことがあった。すぐ側には彼女がいてくれた。「病がうつるから」と止める家臣達の言葉など一切聞くことは無く、ベッドの近くで編み物や刺繍をして過ごしていたっけ。絵本もよく読んでくれた。その声の後ろでパチパチと薪が燃える音……。確かあの時も鳴っていた。
手先が器用な人で、リンゴを白鳥や薔薇に飾り切り得意げに見せてくれた。「お前にだけだぞ?」、なんて言葉に好奇心をくすぐられ、食欲が無かったのも忘れてかぶりついたことを思い出す。
周囲からはろくなあだ名を付けられてはいたが、子守歌を歌う声は世界中の誰よりも優しかった。彼女の温もりは今も記憶の深いところで淡い光を放つ。子供にとっての安心を形にすると、きっとこんな感じになるんだろう。
もう十年以上昔の話だ。
――――今更こんなことを思い出すなんて……。
風邪で気弱にでもなっているんだろうか。何気なく寝返りを打った、その時……。
「?」
寝る前には無かった違和感。指先が右耳に触れる。
イヤリング…それも自分のものではないものがついていた。小さなエメラルドついた簡素なデザインは……おや?何処かで見たものだ。
(…これ……)
ポルトの女装用の衣装と一緒に買ったアクセサリーだ。そういえば彼女の小さな耳元で光っていた。
もう片方の耳には何もついていない。…ということは、早々に無くしたのかもしれない。帰りが慌ただしかったせいだろう。それにしても、何故彼女はこんなことを……。
抵抗出来ないこの瞬間を狙って「殿下も女装♪ぷぷぷ、だっさー」なんて言いながら日頃の仕返しをしてきたのだろうか?
目の前でぶら下げると、左右に揺れるイヤリング。 自分の瞳と同じ色をしたそれは優しい光を反射している。
見つめているうちになんだか身体がくすぐったくなって、思わず口元が緩んだ。
風邪のせいで大声では笑えない。無駄に空気が漏れ出す不気味さ満点の笑い声を「ふぇっふぇっふぇっ」と出す。イヤリングを握った右手を、熱を持った唇に寄せた。
「……阿呆従者……」
深い森の奥、静寂を裂くように2匹の大狼が力強く大地を蹴り、風になる。
咆吼に追い立てられ、恐怖に煽られた猪が茂みの中から飛び出し駈けていく。同時に飛び出した一頭の馬がそれを追いかける。
息継ぎすら忘れたような狼達の声。馬の背にまたがったまま、少女は弓を大きくつがえる。
獲物を捉える金色の瞳。
彼女の片耳には小さなイヤリングが光っていた。
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