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お嬢様と従者の受難【4】

「ポルト…!?」


 寒空の下、犬小屋の前の二人。お互いの顔を見合って固まっている。


「いや…でもまさか…。あ、それともご兄妹の方とか?」

「っ!」


 一瞬止まっていたポルトの思考が動き出す。

 酒場に来た時、王子に習った意中でない男から逃げる方法があったじゃないか。女が特に得意だという技…それは『ヒステリックに吠えまくる』だ…!

 例え相手が九割出来ていても、出来ていない一割を徹底的に攻めたてる。一の罪を十にも百にも見せ、悲鳴にも似た甲高い声で「悪いのはお前だ!」と騒ぐのだ。


(そう、それはつまり、一種のエルゼ様!!)


 以前狼の森で頬を叩かれた時の彼女を思い出し、金切り声を上げる。


「はいぃぃぃいい!?!?わ・私が男に見えるとでも仰るのおぉおっ!?」


 そうだ、今日はおっぱいも入ってるんだぞ!……という念が通じたのかどうかわからないが、ローガンの目が一瞬胸元へ下がる。


「あらあらあら!?一体何処を見ていらっしゃるんですか!?お城にお仕えの騎士様だからって、女であるわたくしを見下していらっしゃるのね!きぃいっ!無礼にも程があります!もう一度お母様のお腹の中からやり直されたら如何かしら!?ふんっ!」


 見られたら見られたでなんだか腹立たしい。女心とは複雑なものだとしみじみ思いながら子犬を戻す。でもあの感触を一人で体験して終えるのも勿体ないので……


「――――!!??」


 犬を抱いていない方の彼の手を掴み、自分の胸…の上をまるで梱包材のように包み込む胸パットに押しつけた。真面目な騎士様の反応は、頬の紅潮として瞬時に現れる。


「い・一体何を…!君は痴女か!?」

「これで私が男ではないということがおわかり頂けたでしょっ!?(訳:今日は大盛りなんです!本物っぽいでしょっ!?すごいでしょっ!?)」


 真面目で性欲よりも犬欲の方が強い彼は、これでついてくることはないだろう。ポルトは逃げるように室内へ戻ったが……


「待ってくれ、本当にすまなかった!彼は男性だが一見女性にも見える人物で……っ」


 諦めるどころか、子犬を置いてついてきてしまった。


「ついてこないで下さる!?人を呼びますよ!?マスターっ!奥様ーっ!!痴漢ですー!痴漢ですわー!!」


 必死で応戦しようと金切り声をあげたが、流石近衛隊のメンバーと言ったところだろうか、ちょっとやそっとでは諦めそうにない。ついには手首を捕まれ、歩みまで止められてしまった。


(ああ、殿下!今わかりました!!根性のある軍人って面倒…っっ!!)


どうしても謝りたいという彼の目は真剣そのもの。いっそ聞き入れた方が早く終わるんじゃないかと渋々頷くと、一瞬安堵の笑顔を見せたローガンが跪いた。


「レディ、度重なる非礼を心からお詫びします。私はローガン=ネイシ=エーヘルと申します。今日はお忍びで訪れたので従者達は置いてきましたが…身分の証明はこれをご覧頂きたい。」


 腰に帯びていた剣を鞘ごと外して彼女に渡す。装飾の部分にはエーヘル一族の紋章が施されていた。彼の甲冑にも施されている模様なので、ポルトも見たことがあった。


「ライナーの孫、当主イマヌエルの第四子になります。失礼ですが貴女は…?」

「(今回は偽名(ポレット)すら答えになりかねないので)貴方に教える名などありません!謝罪を受け入れますから、これ以上私についてくるのは止めて下さい。では、失礼!」


 よし、逃げるぞ!!とばかりに全速力でその場を離れた。が、何故かまた手首を捕まれる。


「お待ちを……!」

「これ以上何を……!(訳:ひぃいぃい~~~っっっ!!ローガン様、一体どうしちゃったんですかぁあっっ!?)」


 混乱っぷりが顔に出ないように必死に表情筋を引き締める。しかしローガンの方も状況がおかしい。何か言葉をひねり出そうとしている。


「あ、その……、そ・そうだ!お詫びを…!何かお詫びをします!贈り物をさせて下さい!花かドレスか…そうだ、アクセサリーとか……!」

「必要ありません、結構です…っ!(訳:でもそれって狼用ですよね!?人間用じゃないですよね!?)」

「では日を改めて我が邸宅へ食事に……」

「結局ナンパじゃないですかっ(訳:塩抜きビーフジャーキーしか浮かびません!)」


 その言葉にローガンが一瞬動きを止める。何かに気がついたかのように目を見開くと…頷いた。


「……わかりました。これはナンパです、レディ」

「は?(訳:覚醒!?)」


 彼の様子にポルトはゴクリと生唾を飲む。これは…もしかして予想を超える何かが起きようとしているんじゃないだろうか……?伯爵様にナンパされた喜びよりも、いつもとは違うローガンの行動に驚きと不安しか感じない。


 とにかく今のままでは危険だ。何度も手を振り払おうとするがローガンは食い下がる。幸い彼は一分一秒が必死なようで、こちらの正体には気がついていない。

 彼はどこか吹っ切れた様子で顔を上げ、少女の手の甲に優しくキスをすると両手で包み込むと金色の瞳に真剣な眼差しを注いだ。


「レディ、わ・私はとても…とても真面目にナンパしています」

「…………(訳:そ・それはナンパと言って良いのかどうか……)」


 王子もナンパをする時はとても真面目だが、多分これとは真面目の方向が違う。

 万が一彼が本気だったとしてもそれはそれで問題だ。気持ちは嬉しいが、如何せん彼は立場が近すぎる。婚活をするにしても、身分を偽っている『ポルト』を知ってる人間にはついて行けない。

意を決して声を上げた。


「連れがいます!」

「!」

「連れがいます……(誰かは言えないけれど)!大切な方です……(職務的に)。だから……無理です……」


 彼の眼差しを避けるように顔を背ける。これで駄目なら…借金まみれで複数の男と付き合う子持ちの設定を足すしかない。


「―――そ…そう…ですか……。これは失礼を……」


 その言葉にポルトは思わず小さなガッツポーズを取りそうになり、慌てて拳を握るだけのものに押さえた。


「お心遣いには感謝いたします。では……!」


 振り返ることもせず逃げるように酒場へと向かった。フォルカーに…あの馬鹿王子に知らせなければ…!


 カウンターにいた店主に彼のいる部屋の場所を聞く。一番高い部屋を取っていたらしい。くそ、なんて野郎だ。足にまとわりつくスカートをたくし上げ、ポルトは階段を駆け上がった。

 静かな廊下に響く荒々しい自分のヒールの音。該当の部屋は突き当たりの一番奥で、たどり着くとココココココココンッと扉をノックした。さながらキツツキのようである。


「フォードさん…!!お取り込み中申し訳ありませんが緊急です……!出てきて下さい……!」


 休む間もなくもう一度ココココココココンッとノックすると、奥から「お嬢様、五月蠅い」と不機嫌そうな声。

 扉が開くまでの間は極わずかなものだったが、ポルトには鬱陶しいほど長く感じられた。しばらくして顔を見せたフォルカー…今は設定だけ『従者』を装っているフォードが、とりあえず羽織っただけというシャツ姿で乱れた前髪を手で軽く整える。


「相変わらず空気の読めない方ですね。そんなことだから二時間もナッツを凝視することになるんですよ」


 そんな彼の胸ぐらをぐいっと引き寄せ、耳元で声を殺す。


「ローガン様がいらっしゃってます……!!」

「なぬ?」

「詳しいことは追々。とにかくご準備を……!」


 ナッツの件、見ていたんだったらちょっと位助けてくれても良かったのに…という文句はさておいて、今はここから離れることが先決。フォルカーも同じことを考えたらしく、「すぐ出る」と一度部屋に戻る。


 開いたままの扉からは室内が見えた。簡素ではあるがインテリアもきちんと整えられていて、掃除も行き届いているようだ。流石一番高い部屋。乱れているものがあるとすれば…わかりやすく脱ぎ散らかされた衣類だろう。ナイフまで転がっている。何をして遊んでいたんだ。


「あ、穴一個間違えた」


 腰のベルトを締め直すフォードの姿に思わず目が淀む。


「待って……!」

「!」


 そんな男の背中に抱きついたのは毛布一枚を身体に巻きつけた女。酒場で彼と一緒に消えたあのオネーさんだ。手に小さな布袋を持っている。


「待って…!これ…これを返すわ……!」

「これは正当な報酬です。受け取って下さい」

「いいの……!いらないわ、こんなもの……!そのかわり……」


 「また会ってくれる?」そう言って、女はフォードの胸元に顔を埋めた。柔らかい髪をくしゃりと揉むように抱きしめたフォードは困った顔で笑う。

 お金を受け取ってしまったら、二人の関係は本当に商売上のものになってしまう。女はそれを拒んだのだ。


「…………………」

「お嬢様、ちょっとお待ち下さいね!?」


 感情を一切無くしたような顔をして扉を閉めようとしたお嬢様を従者が焦って制止する。


「お嬢ちゃん…!貴女この人の雇い主なんでしょう!?私に彼を譲って…!お願い!」

「ドーゾドーゾ」

「だからちょっとお待ち下さいって!」

「ねぇ、約束して!また会ってくれるって!……そうよっ、もしお屋敷を辞めて行く場所に困るなら、いっそ私の家に来ればいいわ!」

「行けばいいのに」

「何怒ってんの」


 二人の様子を女が不安げな瞳で見つめている。フォードはその両頬を手で包み込み自分の顔へ向けさせた。


「ではこれは『報酬』ではなく、貴女への『投資』…と言うことにしましょう」

「……?」

「次にお会いした時に、貴女がこの仕事を辞めて他の道を…憲兵を恐れないようなそんな生活を送っていたら……。その時は貴女の望むだけお相手を致しましょう。一緒に食事をして、沈む夕陽を共に見送って…夢と現を行き交うような夜を過ごしましょう。まどろみに囚われながら、夜明けを告げる教会の鐘の音を聞けばいい。何度でも、何度でも。貴女が私に飽きるまで」


 すっかり身支度を調えたフォードは、床に落ちていたローブを拾うと軽く払い、女へと差しだした。


「ドレス……、申し訳ありません。帰りはこちらをお使い下さい」

「……ありがとう」


 扉の方向に目をやると、すでに『お嬢様』は廊下の方に行ってしまったようだ。フォードが「やれやれ…」とこぼしす。


「―――そういえば先ほど申しました『この手の勝負』の件ですが……」

「…負けなしってやつ?今日また記録ができたわね」

「実はお一人だけ、勝負を挑むことすら憚られる…そんな方がいます。貴女が思っているよりも、存外わたくしは情けない男なのかもしれません」

「…?」


 フォードは深々と頭を下げる。


「では、レディ。またいつかお会いする日まで。……ご機嫌よう」

「……またね、従者さん」


 エメラルドグリーンの瞳が優しく緩み、女もつられるように笑った。


 彼らの背中を見送る。不覚にも強く波打ってしまった鼓動を隠すようにローブを羽織ると、まだかすかに残る薔薇の香りが鼻孔をくすぐった。


「『勝負を挑むことすら憚られる』か……」


 酒場にいた時から、彼がずっとあの少女を気にしていたことはわかっていた。誘えばついてきたし、気にしていたのも彼女が知り合いだったから…そう思っていた。

 でも先ほどの会話からは、それだけじゃない『何か』を感じる。


「……どうせ、その胸パッド女なんでしょ?」


 酒場で見た時とは明らかにサイズが違う。自分も女だしその気持ちはわからないが、あんな小娘に負けるのはいささか癪ではある。


 ずっと一人で座っていたことを考えると、彼女の努力は彼以外の男の為だろう。

 離れたテーブルから少女を見つめていた彼は、その胸にどんな感情を抱いていたのだろうか……。


 扉を閉め暗くなった部屋は、やけに寒々としたように感じる。

 もう二度と会うことはないだろう面影を想い、ぎゅっと腕を抱きしめた。


ローガンはきっと事故にあったんだと思う…。保険降りても良いと思う…(何保険)(笑)


誤字・脱字のご報告、お待ちしております!

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