跳ねろ、ヒール(★)
「髪は女の命」というのは、それほど髪が大切…ということではなく、所謂「美人」を計る基準の一つに髪が入っているから…ということだと思う。
美人には良い縁談が舞い込みやすい。運良く玉の輿になれば一生安泰だ。そういう意味での「髪は女の命」なんだとポルトは常々考えていた。
(だって私…短髪でもピンピン生きてるし。)
特に必要とも感じていないのでポルトは櫛を持っていない。フォルカーは猪毛の高級なヘアブラシを持っていて、毎日自分でブラッシングをしている。前髪の向きとか横髪の流れ方とか、彼独特のこだわりがあるらしい。
今朝も鏡台の前で身だしなみを整える主の背中を見ていると「面白いか?」と鏡越しに見つめ返された。
「…とても楽しそうに見えます。だから使用人ではなくご自身でなされるのですか?」
うちの隊には身だしなみにここまで時間をかける男はいない。彼は格好つけないと死んじゃう病気なんだろうか?
「服装の乱れは心の乱れって言うしな。仮にも国を代表する人間なんだから、人前でみっともない格好なんてできねぇだろ。」
「いつ可憐なお嬢さんにお会い出来るかわかりませんもんね」
「そーだな。お前は最近物わかりが早くて助かるよ」
だって私生活乱れてるもん…という言葉は今更なのでもう言わない。
緋髪をシュッシュッとすべるブラシ。心なしか、とかされた部分は艶が出ている気がする。
ポルトは自分の前髪を指先で触ってみた。
「どうした?お前も櫛が欲しくなったか?」
「最近伸びてきたんで、そろそろ切ってもいいかなと……」
「切んの?」
「長いと作業しにくいし……。あと、跳ねも目立ってくるので短い方が楽なんです」
「跳ねはお前の無精の結果だと思うけどな。いつも誰に切って貰ってるんだ?」
「いえ、自分で適当に。こう、長そうな所を軽く握って、指で長さを測りながらナイフでピッと」
「は?」
「どうせフード被ったり兜被ったりするんで、最終的にはペターっと収まります」
「いや、収まってねーじゃん。今めっちゃ跳ねてんじゃん」
「兜、被りましょうか?」
「寝癖直しに軍の備品使うのやめてくれる!?」
少し考えてフォルカーは「そうだ!」と立ち上がる。
「ポチ!町に櫛買いにいくか!」
「ダメです」
「早ぇな、おい」
突拍子もない主の提案をジト目で返す。
「あの……、昼夜問わず近衛隊の皆さんが頑張っている中、貴方は何を仰ってるんですか……」
アントン隊だって休みが削られて皆ぼやいてたし、隊長も家に帰れなくて寂しそうだった。
「最近城内で大人しくしている俺って偉いだろ?」
「散々わんぱくしておいて……」
昨日だけでも二回、フォルカー捜索に狼達を出動させている。もしこの城が敵に囲まれても、この人だけは無傷で脱出するに違いない。
「ちょっと昼寝してただけじゃねぇか。そう固いこと言うなよ。父上の一件以来、城に籠もってて俺も飽き飽きしてたんだ。晩餐会もずっとお預けだし、新し出会いもからっきしだし。たまにはさ、こう…ぱーっと遊んだら明日からまた頑張れる気がするんだよ!ってことだから、今日の仕事、夕方までに終わらせておけよ。わかったな?」
(嫌な予感しかしないなー……。)
ポルトの視点がどんどん遠ざかる。
この男、どうせ止めても聞きやしない。
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レンガを敷き詰めた街道にヒール特有の足音がコツコツと鳴る。また自分の足下でこの音を聞くことになるとは思わなかった。
ベルベッドにも似た厚手のローブ、そのフードを深く被ると隣を歩いていた連れ添いに無理矢理脱がされる。
以前お忍びで使った服を用意していたが、いざ町に出ると露天に並ぶ商品にフォルカーが目移りを始めた。まるでウィンドウショッピングを楽しむ若い娘のように足取りが軽くなり、蝶のごとくあちらこちらへと立ち寄ると、一時間もしないうちにポルトの服装が替わったのだ。
着てきた服は麻リュックの中。満腹そうに膨らんでいる。
「なんだよ、折角可愛くしてやったのに。フード禁止!」
「またこんな無駄遣いして……。殿下って着せ替え人形遊びがお好きなのですか?」
「お前だってこんな時期に町を彷徨いてたなんて噂が立ったら困るだろ?性別から変えちまえば簡単にはバレねぇ。俺だって一番の目印になりそうな髪を変えたんだから!どうだ?なかなか似合うだろ?」
空は美しい茜色。それと似た髪色のフォルカーの様相はいつもと少し違う。「ファールンの赤」と呼ばれた髪を、ガジン考案の髪染め液で一時的に黒く染めたのだ。地の色のせいか、光の下に立つと鴉の羽にも似た鉄紺色にも見える。
庶民の中に違和感なく紛れ込むために服装は質素にまとめているが、周囲を歩いている男達と比べると異質さを隠せない。
(歩き方かなぁ……?それとも姿勢?)
例えば顔の向きを変える動きひとつとっても、柔らかくそれでいてどこか優美に見える……のは、もしかしてあの眼鏡のせいだろうか??かけているだけで頭がよく見えるミラクルアイテムである。あの黒髪も相まって、今日の彼はまさに『落ち着いた大人の男』。本性は浮つきまくっているのに。
ポルトはよく知る主の見慣れない姿に興味津々。怒られそうなのであまり見ないようにはしているが、本音を言うなら穴が開くほど凝視したい。
「あん?どうした?さっきからチラチラこっち見やがって。不平不満なら聞かねぇぞ?」
「っ!…い・いえ……」
凝視しないように気をつけたら、気がつかないうちにチラ見していたらしい。今なら変態おじさんの気持ちがわかるような気がする。
そんな自分も、主にとってはよく知る見慣れない姿である。いつものサーコートは封印。柔らかい薄紫を基調にしたブラウスに濃い色のスカート姿。シンプルではあるが一応アクセサリーも付けている。彼の瞳と同じエメラルドのそれを、指先で軽く撫でた。
「うん、よく似合ってる」
「……っ」
恥ずかしそうにうつむく。その先には刺繍の入ったブーツが見えた。新品でピカピカだ。
「……ありがとうございます」
「??」
「なんですか?」
「やけに素直だなと思って。いつもなら苦々しい顔して『早く脱ぎたい』とか言いそうなのにさ」
「あー……」
そう言われれば確かに。今日は視界の中に入る金色の長い垂髪にも、ひらひらとしたスカートも最初ほどの嫌悪感はない。
「二回目だから慣れたのかもしれませんね。それに…この格好なら婚活もしやすいかも」
「よぉしっ、今日は二人でどこか買い物にでも…って、 は?何?婚活?」
「はい」
ポルトの突然の言葉にフォルカーは目を丸くした。
「何?え?何?婚活?急にどうした?借金でもできたのか?」
「貴方がどんな目で私を見ているのかわかった気がします」
「いや、だって。お前は食い物に欲情しても、人間の男に欲情するとは考えられん。食い逃げでもしてきたのか?だからあれほど食い意地は張るなと……」
「……」
何故だろう、さっきまで大好きだったエメラルドのネックレスにストレスを感じてきた。この色、新緑色とかじゃなくてヘドロ色なんじゃないだろうか。この調子なら婚活も必要無いかも知れない。しっぶい表情を浮かべるポルト。
「おい、お前ほどそっちに縁遠いような女が婚活しなきゃいけねぇ理由って何だ?」
「な・ないですよっ!ただそういう人がいたら……」
「?」
「い・いたら……、も・もっと毎日が楽しくなるかな…とか……。お祭りも楽しそうだし……」
両手の指先をちょんちょんと重ねながら恥ずかしそうに目線をそらす。
そう、例えば毎日…俗に言う「愛する人」とやらが側にいたら、温かい感じになるのかな、とか。もっと見える世界が変わったりするのかな、とか。何よりこの人にちょっかい出されたり、頭の中をかき回されずに済むのかな、とか。
「そ…そういう人が一人くらいいたって良い年齢ですから!」
「でもよ、慌てて探すほどのもんじゃねぇだろ」
「殿下だって陛下からせっつかれてるくせに……っ」
「馬鹿…っ!でかい声だすな…っ!」
「殿下」と呼ばれて慌てたフォルカーが慌てて口元をふさぐ。
「んで……、ほ・ほんとに婚活すんの?」
こくこく。
その言葉に少女は極めて真面目に頷いた。
「ほんとのほんとに??」
こくこくこく!
「……あれ?まさか俺と?」
少女は「それはナイ」とばかりに顔の前で手を左右に揺った。
「本気のやつじゃん」
こくこくこくっ!!
いつになく神妙な面持ちのフォルカー。その表情をポルトは不思議そうな顔で見つめた。彼は何かにつけてすぐ人を茶化したりするタイプだ。今回もちょっとしたトラウマになるようなことを言ってくる…そう思っていたのに。それが逆に、ポルトの心を不安げに揺らした。
「そ…そんな表情になってしまうほど私には難しいでしょうか……?」
幸い五肢は揃っているし、万が一、男と女の最終局面に陥ったとしても肌の傷は灯りを全部消して貰えば乗り切れる…!と思っている……。もしかしてそれ以外の問題があるとか?
「せ・せめて胸に小麦粉とか詰めてちょっと大きくみせましょうか…!?」
「あのな、胸のデカさだけで女を選んでいるような野郎は、最初から捨てておけっ」
(あ、今良いこと言った!)
でも褒め言葉だから言ってやらない。
「では、このまま歩いていて声をかけてきた方についていこうと思います……!」
「いや、すっげー軽い女だからね、ソレ。軽い男と軽い女がたどり着くゴールなんて、ホントのゴールじゃないからね!?ゴールと勘違いしているただの御休憩所だからね!?」
「でも声をかけてきたと言うことは、少なくとも守備範囲内に収まっているってことですよね!?」
「お前の場合は特殊な場所を守備している奴だとは思うけどな!」
「わぁっ、それって運命っ!?」
「目先の餌に飛びつくな!」
「遠くの餌には手が届かないんだもの!」
「………」
「そこは否定されないんですね」
うぅぅ、と頭を抱えるポルト。フォルカーは黒髪をがしがしとかき回した。
前から思っていたが、剣を持たない彼女は時々小動物のような行動を取る。きっと本人はその意識はまるで無いのだろうが、フォルカーには時々リスにも見えた。小動物なら小動物らしく隅っこで大人しくしていればいいものを……。
「もともと羽伸ばすつもりで外に出てきたワケだし……」
「?」
「広い意味でとれば、お前も俺と一緒ってことだろ?」
「はぃ?」
「何か前もって誰かと約束があるわけでもないし、町でイベント事があるわけでもない。こんな時間から手っ取り早く出会いを求めるなんて、方法は限られるだろーが」
こんなはずじゃなかったんだけどなぁ……、誰にも聞こえない声でフォルカーはひとりごちた。
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