伯爵様の初ナンパ
人気のない酒場の裏口で、硬直しているローガン。お忍びで子犬を愛でに来たのはいいが、なぜここにフォルカー王子の従者が…それも女装姿でいるのか……。
何度も瞬きをするが少女は消えない。これは夢でも幻でもないらしい。
「ポ…ポルト…!?あ、それとも彼のご親族の方か……!?」
少女は明らかに驚いた顔をしたが……直後に豹変。
「はいぃぃぃいい!?!?『彼』ですってぇえっ!?わ・私が男に見えるとでも仰るのおぉおっ!?」
露骨に機嫌が悪くなる。眉間のシワもあの狼従者にそっくりだ。
しかし……ふと視線を下げて確認したのは彼女の胸のサイズ。ちゃんとあるし小さくもない。本当に女性なのか?いや、それとも中に何か詰めている可能性も……。
「あらあらあら!?一体何処を見ていらっしゃるんですか……!?お城にお仕えの騎士様だからって、女であるわたくしを見下していらっしゃるのね!きぃいっ!無礼にも程があります!もう一度お母様のお腹の中からやり直されたら如何かしら!?ふんっ!
子犬を戻し、乱暴にスカートの裾を払う。
「あ…!!待ってくれ!すまなかった!!知り合いにそっくりだったものだから…!」
「ナンパ目的だとしても、せめて女性の名前を出すべきでは…!?なんて酷い!何故よりにもよって男なんですか…っ!その顔に付いてる二つのものは目でなくただの節穴だったようですわねっ!」
仰ることはごもっとも。いや、ナンパ目的ではないのだが。
少女は近づくと、睨みながら子犬を抱いていない彼の手を掴む。そして何を思ったのか自分の胸に強く押しつけた
「!!!」
効果音をつけるとしたら『むにゅん♥』だろう。布や小麦粉を詰めて出せる感触ではない。慣れない柔らかさに驚いたローガンは血相を変えて手を引いた。
「い・一体何を…!君は痴女か!?」
「これで私が男ではないということがおわかり頂けたでしょっ!?」
男と間違われたことが余程ショックだったらしい。「失礼!」と言い残し、少女は屋内へ戻る。ローガンも犬を小屋に戻し、慌てて後を追いかける。
「待ってくれ、本当にすまなかった!彼は男性だが一見女性にも見える人物で……っ」
「ついてこないで下さる!?人を呼びますよ!?マスターっ!奥様ーっ!!痴漢ですー!痴漢ですわー!!」
古びた木製の床板を鳴らしながら少女は早足で進む。ご婦人にしてはなかなかの瞬足だ。引き留めようと思わず掴んだ彼女の手首。
「お嬢さん!待ってくれ!!」
「お放しになって!」
「少しだけ時間をくれるなら放す!君に謝りたい……!」
「………っ。」
「お願いだ……!」
ローガンの真剣な眼差しが効いたのか、それともこれ以上追いかけられることを危惧したのか……。少女はしぶしぶ頷いた。
「では……。」
ローガンはローブの裾を軽く払い、少女の前に跪いた。
「レディ、度重なる非礼を心からお詫びします。私はローガン=ネイシ=エーヘルと言います。今日はお忍びで訪れたので従者達は置いてきましたが…身分の証明はこれをご覧頂きたい。」
腰に帯びていた剣を鞘ごと外して彼女に渡す。装飾の部分にはエーヘル一族の紋章が施されていた。
「……エーヘル伯爵のご親族の方……。」
「ライナーの孫、当主イマヌエルの第四子になります。」
少女は「わかりました」とぶっきらぼうに剣を返す。
「それで…失礼ですが貴女は……。」
「痴漢貴族にお教えする名などありませんっ!第一、お教えしても、庶民の名などすぐお忘れになるでしょう!?謝罪を受け入れますから、これ以上私についてくるのは止めて下さい。では、失礼!」
フードをかぶり直した少女。急に遠ざかる背中を見て、ローガンは思わずまた彼女を引き留める。
「お待ちを……!」
「きぃいッ!!これ以上何を……!」
驚いた表情をしていたのは少女だけではない。
「……っ……っ…!」
白い手首を掴んだまま言葉に詰まったのはローガン自身。何か言葉をひねり出そうと必死だ。
「あ……、その……、そ・そうだ!お詫びを…!何かお詫びをします!贈り物をさせて下さい…!花かドレスか……。そうだ、アクセサリーとか……!」
「必要ありません、結構です…っ!」
「では日を改めて、我が邸宅へ食事に……」
「結局ナンパじゃないですかっ。」
――――――ナンパなのか?
少女に指摘され思わず思考が止まる。ナンパと言えば見ず知らずの異性に突然声をかけ、食事やお茶に誘うというのが最もベタなものだろう。
睨まれながら少し考えて、まさにその通りだと確信した。
「わかりました。これはナンパです、レディ。」
「は!?」
どこか吹っ切れた様子で顔を上げ、彼女の手の甲に優しくキスをすると両手で包み込んだ。金色の瞳に真剣な眼差しを注ぐ。
「こういったことは初めてなので…どう言えばいいのか……。とにかく、貴女の怒りを解きたいのです。時間に任せるのではなく私自身の手で解決したい。」
ナンパとはこんなに精神力を消費するものなのか。心臓が…己の打つ鼓動の強さで壊れてしまいそうだ。顔だけでなく耳まで熱いということは、きっとリンゴのように赤面しているだろう。
騎士とは人々の模範となるように、いつも凛々しくあらねばならない。できればこんな…しかもナンパしている姿なんて見せたくはなかったが、今この手を放したらもう二度と会えない気がして引き下がれなかった。
「もう怒っていませんから大丈夫です…!ご心配いりません!」
「で・では…貴女を茶会にお誘いしてもよろしいかっ?自慢の庭は冬支度でお茶を飲むには寂しいが、サロンで音楽を聴きながら飲むお茶も良いものだ!」
「本当にナンパされるんですね!」
「ナンパと言えばお茶でしょう…!是非!」
「変なとこが生真面目ですのね。でも結構です!私、そんなに軽い女じゃありませんので…!」
「素晴らしい…!身持ちの堅い女性は信用出来る!」
「ご自身が今なさってること、わかってます!?」
少女のツッコミに思わず背筋が伸びる。
「レディ、わ・私はとても…とても真面目にナンパしています。」
「……っ!?」
冗談の欠片すらない声音に彼女も少し驚いている様子だ。
ローガンの手に力が入る。
「今夜が無理でも……もう一度…ちゃんとお会い……」
「連れがいます……!」
「!」
彼の眼差しを避けるように顔を背ける。
「連れがいます…。大切な方です……。だから…無理です……。」
「―――そ・そう…ですか……。これは失礼を……。」
力を徐々に失っていくローガンの手を振り払い、少女は乱れたローブを整える。
「お心遣いには感謝いたします。貴方も今夜のことは忘れると良いでしょう。では……!」
早足でその場を後にする少女。
残されたローガンはしばらくその場にとどまり…力なくその背中を壁に預けていた。
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――――――どれくらい時間がたっただろうか、ローガンが店に戻ると店主が明るい口調で「おかえりなさいませ」と声をかけた。
周囲を軽く見渡すが、もうあの少女の姿は無い。やはりもう帰ってしまったのだろう。
「エーヘル様?どうされたんですか?顔色がよろしくない。寒い場所にいたせいで身体が冷えたんじゃ……。ホットワインなど如何ですか?温まりますよ?」
重い足を引きずりながら椅子に腰掛けるローガン。店主を見上げた。
「なぁ……、子犬の所にいた少女は何処のお嬢さんだ?」
店主なら何か知っているかも知れない。あんなことの後だが、せめて名前だけでも知りたかった。
「ああ、あの子ね、今日初めて来店したって言ってましたよ?名前は聞きませんでしたねぇ……。」
「そうか…。誰か連れはいたか?」
「ええ。眼鏡をかけた随分と立派な紳士と一緒に。他人を装ってましたけど、俺にはすぐわかりましたよ。」
「眼鏡?」
眼鏡は庶民が易々と手に入れられるものではない。彼女は「ただの庶民」だと言っていたが、実は爵位が無い豪商や大地主の娘だろうか?
「でもねぇ……」
「どうした?」
苦笑いを混じらせた店主曰く、男は彼女を置いて他の女達と仲良く騒いでいたらしい。終いにはそのうちの一人と二階の個室に籠もっていたそうだ。
ずっと一人きりでいた彼女の不憫さは店主の妻が声をかける程。店主も思わずおつまみをおごってしまったのだという。
「まぁ、帰る時は二人一緒だったから、仲は悪くないんでしょうけどね。彼女、きっと男の浮気に振り回されて苦労するタイプですよ、可哀想に。あの様子じゃ隠し子なんかもいるかもしれません。…ありゃ長くは持ちませんな。うちはこういった場所だし、大なり小なり男と女の愛憎劇はつきものですけどねぇ。まぁ彼女もここで新しい出会いを探していたのかもしれませんけど…。」
「そうか……。」
出されたホットワインを飲み干し、ローガンは店を出た。
空に浮かぶ月を見上げて白い息を吐く。まだ熱を持つ胸は酒のせいか、それとも……。
馬を迎えに行くと店主の父親である老人が来た時と同じ笑顔で迎えてくれた。
主の迎えを喜ぶ馬の手綱を受け取り、ローガンは持っていたカバンの中からチップ…ではなく、少し大きめの巾着袋を取り出して渡す。
「エーヘル様、これはなんですか?」
「渡しそびれていた……。ちょっと奮発した……。風邪をひかないように気をつけろ……。」
老人の目から見てもローガンの様子は少しおかしかった。
「おやおや、少し飲み過ぎですかね?馬から落ちないようにどうぞ気をつけて。」
「あぁ、そうだな……。」
それでも慣れた様子で馬にまたがると、腹を一蹴りし夜の町を駈けていく。
そんなローガンの姿が見えなくなった所で、老人はニヤニヤと皺の寄る口元を緩ませた。
(さぁて、伯爵様はどんなお宝をくれたんだろうねぇ?)
枯れた手で開いた巾着。
その中には、庶民は滅多に手に入られない豪華な宝宝飾品の数々……ではなく、庶民は滅多に手を出さない子犬用のボール玩具と、色違いの革製首輪、そして毛織りの犬用ベストが親子分入っていた。
―――――『風邪を引かないように気をつけろ。(犬が。)』
「……………。」
あの台詞の主語を悟り、期待に胸膨らませていた老人に冷たい夜風が吹く。
見目麗しい伯爵様が未だに独身でいる理由が少しわかった気がした。




