表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/167

寒空の下の出会い

 赤いレンガが敷き詰められている街道を一頭の馬が軽やかに走っていく。白い息を弾ませる姿は、背に信頼する主を乗せることを心から喜んでいるようでもあった。


 細い月、暗い夜道でも恐れはない。手綱に導かれるまま向かったのは一件の店の前だった。


 風に揺れるのは店の名前が書かれた古い木製の看板。入り口の少し上の方に吊されていて、来客を歓迎するかのようにキィキィと金具を鳴らしている。周囲の店に比べると比較的大きなその店は、入り口を少し外した所に庭を持っていた。


「誰かいるか!」


 その声に慌てて奥から顔を出したのは初老の男。質素な上着を着ていたが、白い顎髭は綺麗に整えられていて服装も清潔。客人を迎えるには悪くはない風貌だ。少し曲がった腰を更に曲げて、男に歓迎の挨拶をする。


「これはこれはエーヘル様。ご無沙汰しておりました」

「ああ、そうだな。お前も元気にしていたか?」

「ええ。もう店の方はすっかり息子に任せておりまして、老いぼれはゆっくりさせて貰っております」


 皺の入った手に愛馬の手綱を任せたローガン=ネイシ=エーヘルは艶のある藍色のローブをなびかせる。

 灰色がかった青い瞳が少し揺れ、言葉を濁らせた。


「お・おい…例のあれは……?まだ残っているか?その…無理にとは言わんが……」

「ああ、はい!あとで息子に案内させましょう。まずは中に入って一杯如何ですかな?それに…そう、馬にも何かおやつをくれてやっては?」


 そう言うと老人は中指と親指をこすり合わせながら手を差しだした。


「よかった。聞いた時はもう間に合わないと思っていたからな…。ああ、馬にも人参か何かやっておいてくれ。今回は特別だから少し色をつけておく」


 持っていた革のバックから銀貨を一枚取り出し男に握らせる。人参が大カゴで何杯も買える金額だ。きらりと輝く硬貨に男は嬉しそうに頭を下げた。


「では、頼んだぞ……!」


 ローガンの歩は自然と早くなる。逸る気持ちを押さえながら店の扉を開いた。

 ――――――『その話』を聞いたのは久しぶりの休日を目前にした昨日のこと。王太子フォルカーの警護の任からしばし解放された休憩時間に起きた。

 少し寂しくなった中庭を散策しながら、ゆっくりと身体を伸ばしつつ新鮮な空気を楽しんでいると、世間話をしながら歩く衛兵二人を見かけた。

 その時自分は一人で、話し相手は誰もいない。彼らの会話をなんとなく聞いていたら、その中に聞き捨てならないワードが現れたのだ。それは地震でも起きたのかと思うほどの衝撃。一瞬目眩すらした。何故気がつかなかったのか……。真偽を確かめずにはいられず……こうして今、夜の街にいる。


「こちらのテーブルにどうぞ!マスターはもうすぐ来ますからね!」


 兵士達の会話の中にも出てきた噂の看板娘がテーブルまで案内してくれた。ハキハキと話すし、笑顔も少女らしくて愛らしい。看板になるのもうなずける。だが今回の目的は彼女ではない。頼んだワインにも口は付けなかった。

 夜も深いせいだろうか酒に飲まれた客も多い。しかし周囲を巻き込むような騒ぎは無く、皆自分達の席で楽しんでいる。町にある酒場の中でも、ここは小金持ちの市民から下級貴族がメインの客層になる。品の悪い輩が来ないのは良いことだ。


 しばらくして店主が頭を下げながらローガンの元を訪れた。庭で見た老人によく似ている。こちらは背筋も真っ直ぐだし、もっと立派な顎髭を生やしている。


「遅くなりましてすみません…!」

「いや、この賑わいじゃ仕方がない。こちらこそ急に無理を言って済まなかったな」

「いえ、とんでもないです。急ぎの手紙を頂いた時は驚きましたけどね。…おや?お酒はもうよろしいので?」

「事前にこんなもの飲めないよ。嫌われてしまったらどうする」

「あっはっは、そうですね。では早速ご案内しましょう」


 店主に導かれるまま、ローガンはカウンターへと入り、奥にある扉から更に先へと進んでいく。古い廊下には所々ランプがぶら下がっていたが、店内に比べると薄暗くて寒い。思わずローブを着直した。


「おい、まさかこんな寒い場所にいるんじゃ無いだろうな?」

「大丈夫ですよ。風避けは作ってあるし、もともと外で暮らしてる連中です。それに過保護にして使えなくなっても困りますしね」


 店主はニヤニヤと笑いながら最後の扉を開いた。ローガンが案内された場所、そこは裏路地に通じる勝手口だった。酒樽が三つ四つ置ける程の狭い庭のようなスペースがあって、小さな小屋のようなものも造られていた。

 しかしローガンの目に止まったのは目的のものでも小屋でもない。その前にいた小柄な人物だ。スカートを履いているから恐らく女性だろう。小屋の前でしゃがみこんでいたが、突然扉が開いたことに驚いたのかローブを深くかぶる。


「お嬢ちゃん、すまないね。こちらの旦那と交代だ」

「…!」


 店主の声に何度も頷いて少女は立ち上がる。


「いや、私は構わない。そのままでいてくれ」


 ローガンはそう言って店主に銅貨を握らせた。


「おや、そうですか?良かったな、お嬢ちゃん。それじゃ、俺は店があるんで先に中に入ってますね。お二人とも風邪引かないように、キリの良いところで戻ってきて下さいよ!」


 一仕事終えたように店主はその場を後にし、彼に続くように少女も扉から出ようとした。


「まちたまえ!……無理にどかなくても大丈夫だよ。私は城で王に仕えているローガンという者だ。どうぞよろしく。それで…君の名は?」


 一応近衛隊の皆には内緒で来ているので、フルネームを名乗るのは止めた。

 少女は怯えているのか声も出さず肩をすくめている。


「私はここの店の顔なじみだ。怪しいものじゃない。それに私が悪い奴だったら、店主がこんな場所で君のように若い女性と二人きりにすることはないだろう?」


 少女はローブで顔を隠しながら頷く。しかし自己紹介どころか言葉一つ発しようとはしない。ローガンもどう接して良いのかわからず、ぎこちない空気が流れ始めた……そんな時。

 割り込むように聞こえたのは細く高い声。小屋の中からだ。

 ローガンの瞳が小屋の入り口を刺すように見つめる。気がつけば隣にいた少女も同じように凝視していた。熱視線に誘われるように現れたのは…小さな黒いもの。


「クゥンッ」

「「――――――ッッッ!!!」」


 カーテン代わりの布がかけられている入り口をくぐり、固まる二人を見上げたのは……生後1ヶ月にも満たない子犬。人の声に誘われたのか、短い足を動かしながら出てきた。足下がおぼつかずよろよろとしているが、サヤエンドウのような尻尾はハタキのようにパタパタ揺れている。そのサイズはまるでぬいぐるみ。だぼだぼとした肉厚の毛並み、爪の先ほどしかない耳はまだ垂れている。黒い瞳は宝石のように澄んでいて、初めて見る二人の姿に興味津々の様子で近づいてきた。


「ッッッッッ!!!!!」


 まだ満足に足音すら立てることができない軽量型の天使。ローガンは思わず両手で顔を覆ってのけぞり、壁に寄りかかった。


( くぅ……!!!触れる前だというのに、まさかここまでの攻撃力があるとは…!!)


 バクバクと高鳴る鼓動の上から拳を押しつけ、なんとか体勢を整える。


(しまった!隣にはご婦人が…!!)


 騎士たるもの、女性の前で無様な姿など見せてはいけない。慌てて隣を見ると…少女も両手で顔を覆ったままのけぞっていた。まだこの天使の精神攻撃にあっているらしい。顔を見なくても、彼女が悦に浸っていることがわかる。仲間を見つけたようで、ローガンは胸をなで下ろした。

 手を伸ばし、外に出てきた一匹を抱き上げる。フワフワとした細い毛はいかにも子犬らしく、我慢出来ずに思わずほおずりした。


「くぅうぅう~~~~……っっっ!!」


 やばい、腰が砕けそうだ。あと数歩理性が飛んだら多分かじりついている。顔を近づけると鼻先を舐められ、顔面の筋肉は崩壊寸前だ。


「あ、あの……っ」


 隣で見ていた少女が初めて声を出す。少女らしい、可愛らしい声だ。


「わ…私も触ってよろしいでしょうか……っ?」


 ただでさえフードで隠れた顔、恥ずかしそうに長い袖を口元に当てているので表情は全くわからない。しかしその気持ちはよくわかる。


「ああ、勿論だとも!彼らの愛らしさは人類共通の財産だからね!…でもこの子は後かな」

「?」

「ホラ、後ろ」


 少女が振り向くと、入り口から同じような大きさの子犬たちが二匹出てきた。外にいる兄妹の声を聞いて好奇心を刺激されたのだろう。


「!!??」

「ここの店主は猟犬を育てていてね、私の家もここで何匹か買ったことがある。この子達も今はこんなに小さく愛らしいが、そのうち立派に獲物を追うようになるよ」

「そう…なんですか。母犬は……」


 視線を移すと入り口に頭だけ出して伏せている母犬の姿があった。警戒する様子はない。


「普通ならちょっと神経質になるんですけど…優しい性格なんですね」


 片手を伸ばし、「偉いね。よく頑張ったね、お母さん」と母犬の頭を撫でると嬉しそうに目を細める。そして足下で鼻を鳴らす子犬の一匹を膝に乗せ、もう一匹を抱き上げた。


「なんて小さいんでしょう。肉球もこんなに柔らかくて…フレッシュですね…っ!」


 少女は世界で一番大切なものを扱うように子犬を優しく抱きしめた。


「犬、好きかい?」

「はい…!あ…っ、こら…!」


 少女の揺れるイヤリングを玩具と勘違いしたのか子犬が胸元をよじ登ってきた。その拍子にフードが脱げ、長いブロンドの髪がふわりと落ちる。


「!」

「……あれ?」


 露わになった少女の顔。それを見たローガンの目が大きく見開く。


「……ポ…ルト?」


 驚いた拍子に少女のローブがずれる。薄紫色のブラウスにスカート姿。男のものとは到底思えない形の良い胸。何より印象的なのは蜂蜜色の髪、そしてそれと同じ色をした瞳を持つ彼女は、ローガンの知るあの狼従者と何故かよく似ていた。


誤字、脱字等ありましたらお気軽にご報告下さいませ!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ