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elpis 【2】

 古今東西、時代を問わず人々の心を掴み続ける特別な色、それが金。一瞬性別すら感じさせなくなる彼が、髪と瞳にその色を宿したのは神の悪戯とでもいうべきなのか……。


 ガタガタと揺れる馬車の中。周りに座っているのは悪臭漂う粗野でみすぼらしい男達だ。これからこんな連中と過ごさなければならないと思うと、やっぱり悔しくて悲しくて……。いっそこの場で舌を噛み切ってやろうかとも思ってしまう。

 刑期を終えて帰ってきたところで、罪人だった息子を両親は家に招き入れたりはしないだろう。

 ただただ酷使されるだけの奴隷のような時間を八年も……。きっと耐えられない。


 ……例えばこの中で一番恰幅の良い奴に喧嘩を売ってみるとか?到着した先で一本のロープを見つけて首をくくってみるとか、渡された土木用具を首に当ててみようとか……。気がつけばどうやってこの苦痛にまみれた人生を終わらせるか……そんなことを考えていた。


 馬車の壁に身体を預け死んだような視線でずっと宙を見ていた。

 小石を踏んだのか、一度馬車が大きく揺れる。その拍子に手から聖典が落ちた。


「…………」


 こういった場所では囚人同士による物の奪い合いがあったりするものだが、信心とは遠く離れた連中しかいないのか、誰もこの聖典には興味を示さない。


『これは貴方だけの特別な…特別な一冊です。これからの行く先々できっと道を照らす光に――――――……』


 馬鹿馬鹿しくて笑えてくる。犯した罪以上に多くの命を救ってきたつもりだ。この期に及んで神だなんて、恨みこそすれ救いなど求めるものか。

 あいつは怪我をしても宮廷医師に診て貰えるような坊ちゃんで、王子の従者に就けるほど身分も高い奴……、そうに決まってる。

 裕福な親と王子の庇護の元でのうのうと生きているあいつに、一体何がわかる。

 どうせこの本だって、王子の前で点数を稼ぎたいだけのものに違いない。上辺だけの薄っぺらい教えなんて破り捨ててやろう。


 聖典を開いた……青年の動きが止まる。



 しばらく呆然としたまま、小さく震える手で本を持ち替えながら、書かれている文字を何度も何度も確かめた。


 彼の目の前に現れたもの、それは人々を天上世界へと導く神の言葉……ではなく、人々のかかりやすい病気とその症状、そしてそれに合わせた薬の調合の仕方だった。筆跡は間違いなく師であるガジンのもの。


「…!?……!?」


 表紙を見直すも、表にはやはり『聖典』と書かれている。

 それは良くできた改造本だった。この地を離れる愛弟子のために、自宅謹慎中だったガジンがこれまでの経験を元に知識をまとめ、一番上の革の装丁だけ聖典からはがし、製本し直したらしい。


(先…生……!?)


 他のページには怪我をした時の治療の仕方、包帯の作り方、万が一手術をすることになった時、身の回りで使える道具とその殺菌の仕方も書かれていた。

 師だけでは手が足りなかったらしく、中には別人が書いたと思われる筆跡もあった。とにかく字が汚い。恐らく文字を認識できない人物が、文字の形を「絵」として書き写したものだろう。

 どのページをめくっても彼らの思いが溢れていた。無機質な本のはずなのに、何故か人肌のような温もりを感じる。最後のページにはメッセージが走り書きされていた。


――――『迷った時は、より大勢の益になることを考えなさい。君の力は身分の壁を越えて人々を救うことだろう。今まで学んだことをしっかり役立てて来なさい。そして自由になった暁には必ず戻ってくるように。医療道具は鉄が多くて、年寄りの私には重いからね。待っているよ。――――ガジン』


 そしてその隣にはいびつな文字を書いた本人からの言葉が添えられていた。


――――『けガをしたトキ たスけてくレて アりガとう。みんな あなたヲ まってる 。――――――ポると』


 つたないペン筋が綴るのは、過去の自分にも重なる医者への感謝の気持ち。

 思い出した。あの従者、確か名をポルト=ツィックラーと言った。


(――――………)


 幼き日、母を助けてくれたガジンの背中はとても格好良かった。それは外見でという意味ではない。

 見るからに高そうな服を着た小綺麗な男、そう、普通なら貴族でも上流階級の者達しか相手にしないような医者が…なんのためらいもなく道に転がっていた母の診察を始めた。薬を与え、金も受け取らなかった……。

 感謝の言葉を受けながら遠く見えなくなっていく背中。自分もそんな風になりたいと心から願った。

 それは夢の始まり。自分を変えた運命の瞬間。


 青年の瞳に、消えかけていた光が宿る。

 熱くなった目元をぐっとぬぐい、聖典の一ページ目を開いた。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


「……何?そんなことやってたのか?」

「すみません。私に出来ることなんて、たかが知れてるんですが……。でもこのまま見ていることしか出来ないのは胸が苦しくて。何かできないかとガジン様に相談したんです」


 やけに熱心に布教しているポルトに疑問を持ったフォルカーは、自室に戻り問いただした。すぐにバレると思ったのか、ポルトもサクッと白状する。


「そんな楽しそうなことは俺にも言えよ。知り合いに頼んで官能小説の一本くらい……」

「他の囚人にバレたらトラブルになるんで止めて下さい……。それに、ずっと殿下とは喧嘩してましたし、声をかける機会なんてありませんでしたよ」


 フォルカーが側に置かなくなりポルトの自由時間が増える。その間にガジンの元へ通いこの作業を行っていたそうだ。

 ガジンは本当は医療道具を彼に持たせたかったらしい。しかし「ああいう場所は物取りが多い。刃物関係は一番危ない。そもそも手荷物は没収されてしまうことが殆ど」というポルトの助言で、辛うじて持ち込みが許されている聖典に目を付けたそうだ。


「で?毛布は何処のを持って行ったんだ?」

「狼小屋のです。でもほつれてるところは直したし、石鹸でちゃんと洗いましたよ?…狼用でしたけど……」

「狼用かよ」

「人間用とか洗濯用は持ってないので。で・でも、無いよりはマシだと思うんですよ!」

「っつか、お前…そういうのが自分の首締めるってわかってる?」

「え?」

 ぽかんとした阿呆面にため息をつくフォルカー。


「懲罰を受けている男の部屋に通い、囚人に差し入れまでするなんざ、『私を疑って下さい』って言ってるようなもんだろ……」

「でもお医者様とその助手の方ですよ?お世話になっていた方も多いと思いますし、あと警護の方が知り合いの時を狙って行ってました!毛布もちゃんと広げてチェックして貰いましたし、その辺もぬかりは……」

「あるわっ!ド阿呆!その「知り合い」が誰にも話さねぇっつー保証はねぇんだぞ!この脳内お花畑がッ。それに、あの男が刑期終わった後、本当にお前のこと襲いに来たらどうすんだよっ。あいつが帰ってくる頃なんて、お前絶対忘れてるからな!」


 振り上げられた拳に思わずポルトが身を強ばらせて目を閉じる。


「………」

「……あれ?っっ、ぃて」


 お約束のデコ弾きを一発貰い、ポルトは小さくスミマセン…とこぼした。

 従者の考えることはわかっている。収容所であの男が「全て」を諦めてしまわないように、怒りと恨みを自分に向けさせ、彼の生きる理由にした。決して褒められたやり方ではないが、結果的に彼が間違いを起こさせなければそれでいい…といった所だろう。

 ……女のくせにやることが荒っぽいのは軍人のせいだろうか。フォルカーはため息をつく。


「まぁ、このまま愛弟子と別れるっつーのもガジンは心残りだったろうし、俺が法を破って直接手助けすることも出来ん。かといって何もしないのも歯がゆい。……まぁ良くやったといえばそうなるかもしれんが……。とにかく、もう二度とこんな真似するんじゃねぇぞ。わかったな?」

「は…はい……」


 フォルカーは一度部屋を出るとまた戻る。しばらくすると近衛隊の一人が何かを届けに顔を出した。


「……??」

「はい、これは何でしょう?」


 フォルカーは手のひらサイズの布に包まれたものから何かひとつをつまみ上げる。茶色い焼き菓子のようだ。興味津々の様子で見ていたポルトの鼻先に近づけると、甘い匂いが鼻孔をくすぐり、カッと目が見開いた。


「これは美味しい物です!!」

「正解。これは蜂蜜にも似た木の樹液を混ぜて焼いたクッキーに木イチゴのジャムを乗せた、北国スキュラドの名物焼き菓子「シール・トカカ」です。じゃ、口開けて」

「!」


 突然訪れた幸運に胸をときめかせるポルト。ふわわっと大きく口を開ける。

 フォルカーは「うむっ」と頷き、それをぽいっと自分の口に放り込んだ。


「!?」


 衝撃の行動に口を開けたまま、ポルトの眉間にはみるみるうちに深いシワが寄っていく。その様を材料の一つにでもするようにフォルカーはもっしゃもっしゃと焼き菓子を食べる。


「うん、美味い」

「………」

「そんな顔するなよ、まさかお前、主人より先に食べる気だったのか?」


 その言葉にポルトは「はっ!」と驚いた顔をして畏まった。


「い…いえ!そんなまさか…!」

「だろぉ?ホラ、口あけろ」

「……!」


 今度こそ…!自分でもわかるほどピンク色のオーラを纏いながらふわわっと口を開ける。

 フォルカーが菓子をまたひとつつまみ上げ、ポルトの口元に菓子を放り込んだ。……素振りだけして、また自分の口に放り込む。


「!?!?」

「うん、美味い。 何故か今日のトカカは一段と美味い」


 食べ続けるフォルカー。布の中から焼き菓子はどんどん消えていった。一方ポルトはもう何も言葉を発しようとはせず、ワナワナと震えながら壁を睨み付けた。


「なんだ?お前、主人が満足する前に従者が食べられるとでも思っていたのか?」

「一瞬でも口に出来ると思った自分の馬鹿さ加減に呆れていただけです……」

「何だよ、俺がまるで意地悪しているみたいじゃないか」

「…………」

「ホラ見ろよ。これ、最後のひとつ。これお前にあげるから」

「…………」

「本当だって。信じろよ。ホラ、口開けて」



 ポルトは心から嫌そうにしながらも、仕方なくその言葉に従う。

 フォルカーがゆっくりとその口元に菓子を持っていくと、我慢しきれないのかポルトがゴクンと生唾を飲んだ。


「俺は悪魔じゃねぇからな」


 にっこり笑う。

 しかしお菓子はポルトのすぐ前を素通りし、今回もフォルカーの口元へ……。


(やっぱりそうじゃん!)


 眉間に今日一番のシワが生まれた時……。焼き菓子は彼の口に入ることはなく、その唇の上で軽い音を鳴らされ、ポルトの口の中へポイッと放り込まれた。


「!!??!!??」


 反射的にゴクンと喉を通りすぎ、味わう余裕もなく胃袋へ消えていく焼き菓子。


「あ、喰った♥」

「!!!!!!!」


 ポルトがフォルカーに飛びかかるまで十秒。今日一番のフォルカーの高笑いが出るまで二十一秒。以前の光景から何かを学んだ近衛隊達が「終わりましたか?」と覗きに来るまで十分かかった。


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