ポチ、反撃す。(★)
薄暗い部屋の中で蝋燭の光がゆらゆらと揺れている。ポルトの声に応じるように、フォルカーが隣に立った。
「へぇ?問題ない、ねぇ」、そう言ってフォルカーは鼻で笑うがポルトは気にする様子もない。腰のベルトを外し始め……、フォルカーはそんな彼女に片手を差しだした。
「この大嘘つきがッッ!」
パチン!と乾いた音と共に、ポルトの額に小さな雷が落ちて思わず目を閉じる。
いつものように指で弾かれたらしい。
「心にもねぇこと言いやがって!」
「っ!?」
「俺はそんな顔してる女を無理矢理抱くようなことはしねぇよ!一年以上も側にいて、んなこともわからねぇのか!つか、それ以前に一回くらい拒否しろ!」
そう言うとくるりと向きを変える。
何かが吹っ切れたように、ポルトは外したばかりのベルトを床に叩きつけた。
「あ…貴方には…関係のないことです……!」
「……あんっ?」
「貴方のことが私に関係ないように、私のことも貴方には関係のないことです……!殿下こそ、なんでそんなことにこだわるんですか……!」
ぐつぐつと煮える鍋のように苛立ちが止まらない。拳をぎゅっと握りしめる。
「何を何処でどう見聞きしたかは知りませんが、私が隊長に何かするなんてことはありえません!ローガン様もそうです!頼まれ事をした礼に、クラウス様と共に大聖堂を案内して頂いただけです!もし嘘だとお思いなら、ご本人や従者方に直接お確かめ下さい……!! 」
こんなこと言わなくても本当はわかっているんじゃないのだろうか?知らないことだったとしても、それが彼にとってのなんだというのだ。
彼の中で引っかかっているのは使用人の一件だけなのか?もしかして他にもあるんじゃないかと疑ってしまう。
「貴方のお気持ちは先日お聞きしました。確かに最近甘えてしまっていた部分があったと思います。看病のことも配慮不足で申し訳ありませんでした……。『お遊び』のつきまとい、これは任務のひとつでして、変更は難しいかと思います。しかしそれ以外につきましては出来る限り殿下のご希望に添えるよう、近衛隊の皆様とも掛け合ってみます」
ただ、いつまでもこんなことを続けているわけにはいかない。それは自分でもわかる。陛下の事件が未解決なのだからフォルカーも余計なことで時間をとられている場合ではない。
ポルトはフォルカーの元まで歩くと膝をつき、深々と頭を下げた。
「度重なる非礼、お詫び致します。フォルカー殿下。」
「………」
頭を下げたままのポルト。深くため息をついたのはその上で苦い顔をしているフォルカーだ。面倒臭そうに舌打ちをして、ベッドサイドに腰を下ろす。
「おい。お前、ちょっとこっち来て隣に座れ。服は着たままで良いから」
「?」
「脱いでも良いけど」
「……」
ポルトはベルトを拾い、しっかり締める。そしてフォルカーの言葉に従った。
「ファールンにいるのなら俺に従うのは当然だ。…が、この期に及んでお前に礼儀と忠義の塊みてぇなことを強いるつもりはねぇよ。近衛隊がいるだけでも息苦しいっていうのに……」
「……」
「今回に限って…なんでそこまでふてくされてんの?今までこんなに引きずることあったか?何か特別変なことをしたわけじゃ……」
そう言いながらあの日起きたことを反芻し……少し視線が泳いだ。流石にあの状況では大多数の人間がこの従者を支持することだろう。
「……まぁ、彼女も俺も仕事を抜け出したのは確かだし、言葉が少々強かったのもわかる。俺も止めなかったのは悪かったが……。でもあれくらい、お前にはどうってことはねぇだろ?エルゼの時の方がもっと凄かったじゃねぇかっ」
「もう、私には関係のないことですし……」
ふいっとそっぽを向いたポルトにフォルカーの眉根が寄った。
「意固地!」
「な……っ」
「意固地!意固地!意固地!ヒステリー女っ! 貧 乳 !」
「っ!」
ポルトは側にあった枕を鷲掴みにすると、フォルカーに向かって思い切りぶつけた。
「貧・乳・は・関・係・ないッ!!」
「ぶわっ!! 」
ばふんっばふんっと音を立てながら、ポルトは何度も何度も枕をぶつける。
彼女が最近気にしているようだったので、軽い気持ちでネタにしてみたのだが……これは思っていたより深刻な悩みだったらしい。攻撃を受けつつフォルカーは少しだけ反省した。
「っっぷはっ!お前…いい加減にしろ……っっ!」
「……ぃっ!」
「?」
「殿下は……ずるい…!私の方が…ずっと良い子なのに……! 」
フォルカーを遠ざけるように枕を押しつけたまま、ポルトは今にも泣きそうな顔で唇を噛んでいた。
「悪いことばっかりして……!陛下のことも困らせて、仕事だってさぼってばっかり!女の人のこと、大事にしてるって…口だけじゃん!それなのにいつも誰かが側にいる!あのメイドさんだって、こんな男にわざわざ身体売るようなことしなくたって良いのに…!長くて綺麗な髪だったし、真っ白で綺麗な肌してた…!胸だって私みたいにぺったんじゃなかった!それなのに…なんでこんな人とあんなことになってるの!?」
「人間、持ってるモンは使いたくなるもんだろ。それにお前、俺が王子ってこと忘れてねぇ?その気がありゃ父親が喜んで愛娘を差しだしてくるくらいで……」
「近くに立派な騎士様もいるもん!ローガン様だっているもん!こんな欲情まき散らしのセクハラ変態王子じゃなくてもいい!あの人にはもっと素敵な人が絶対にいる!」
「主をもうちょっと敬え、阿呆っ」
「アントン隊長のことだって……酷いこと言いすぎです!前からずっと勘違いをされているようですが…っ、アントン隊長は……っ」
ポルトは腹に蓄えた息を叩きつけるように声を発した。
「私に…『うちの子になるか?』って言ってくれた方です!」
「!」
終戦後、家族との再会で賑わう広場の中、独りで宿舎へ戻ろうとしていたポルトにアントンはそう言って笑っていた。
十八で結婚した彼には娘が四人いて、下の子はポルトと同世代なのだという。
「…よ・良かったじゃねぇか。念願の家族ってことだ」
「気を遣われるのわかってますし。それに隊長はきっと男の子が欲しかったんだと思います。第一…今更じゃないですか……」
しばらくしてアントンはポルトを家に招いた。すでに彼から話を聞いていたらしく、妻も娘達も温かく迎えてくれた。嬉しくも思ったが…こういう場所にくると嫌でも異物感を感じてしまう。
里子に出された子供が里親元で上手くいかず施設に戻ってくるというのも珍しい話ではない。散々準備を整えてもそうなるのだ。もし養子になったとしても、何かの拍子にこの家族の何処かにヒビを入れてしまうこともあるかもしれない。隊長は優しい人だ。だから何か問題が起きても口には出さず、家族に我慢させてしまうだろう。
出兵中に長女が女児を産み、「俺もお爺ちゃんになっちまったよ」とでれれと表情を緩ませていたアントン。四十前の体格はみるからに頑丈そうなのに、幼い孫をあやす手は戦場では見たことがないほど優しかった。その姿を見守る家族を見て、ポルトは決断した。
「隊長には『もうすぐ自分は成人する。自分で自分の家族を作るから大丈夫だ。心配しないで』と、伝えました。食べていくのにも大変なあの時期に、わざわざ食い扶持を増やそうだなんて、孤児院だってしませんよ。隊長は、本当に…本当に優しい人なんです……。変なことばかり言わないで下さい…っ」
何かを思い出したかのように、ポルトはまた枕攻撃を始める。
「ぶはっ!お・おい!!やめねぇかっ!」
「嫌い…!殿下なんて大っ嫌い!」
「あん!?」
「これで私たち両思いですね!殿下も私のことうるさくて面倒な奴って思ってたんでしょ!?怪我してる間も辟易としてたんでしょ!?懐かれても迷惑だし、もう見放していらっしゃったんですよね!?なんで黙ってるんですか……っ?私が怒るとでも思ったんですか…っ?むしろ他人から聞く方が腹が立ちますよっ。そんなに嫌なら、なんでもっと早く言ってくれなかったんですか……!」
「――――…」
「私も…もう殿下のこと大っ嫌いです……!今まで懐いたような真似して…すみませんでしたっっ」
ぶつけていた枕が取り上げられた。フォルカーは空いていた方の手でポルトの手首を掴むと厳しい視線を向けた。
「……ある程度予想はしていたがな……っ」
「っ!?」
「確かにお前は単細胞で、途方もない阿呆な上に面倒臭い奴だが、ほっぽり出そうと思ったことはねぇよ…!それに俺は『男に懐かれても』って言ったんだぞ…っ!お前男じゃねぇだろッ!それにな、俺は僧侶でもねぇのにお前が来てからずーっと禁欲生活強いられてるんだ!ちょっとぐらい余所で手ェ出したからってキンキン怒ってんじゃねぇよ!それ、普通にヤキモチだからな!?」
「なぁにが禁欲生活ですか!私が知らない間にも遊んでるじゃないですか!ちょっと少なくなっただけでしょ!ってか、ここ最近の男好きの噂が中和されるくらい手ェ出してるじゃないですか!この前だって…そのキスマークつけた彼女とも想い合ってるんですよね!?良かったじゃないですか!両思い、おめでとうございますーっ!」
「残念でしたー!まだ禁欲生活続行中ですーっ!」
「!?」
思いも寄らない返事にポルトが止まる。
ワナワナと震えるフォルカーは、それまで秘密にしていた後日談を告白した。
「あんな……、あんな大惨事な空気の後で最後まで出来るわけねぇだろうがっ!ああいうのはな、『秘密の逢瀬』とか、『禁断の関係』みてーなノリが盛り上がる要素だったりするんだよ!それを、お前が青春ド真ん中みてーな綺麗事並べたせいで、どんなに繕っても女は冷めていく一方だ!」
フォルカーがどんなに彼女を賛美したところで、それは目的を達成するための下手な台詞に聞こえてしまう。彼女もそんな言葉をかけられればかけられるほど『その気』が薄れてしまった。頭の中がどんどん冷静になっていった結果、逆に自分を思ってくれた飾りのないポルトの言葉が熱を持ってしまったそうだ。
「しかも扉のすぐ後ろに野郎が立ってんだぞ……っ?何か起こったらすぐ飛び込めるようにこっちの様子を常に伺ってるんだ。俺は誰かに様子みられながらヤる性癖は持ち合わせちゃいねぇッ!しかもあれ以来、警護の人数が増やされて、茶を入れに来るのも男になりやがった!くっそ!」
そういえば、あの日、思っていたよりも早く彼は部屋へ戻ってきた。それはここ最近ずっとご無沙汰だったから……とも思っていたが違っていたらしい。これが最近城中を歩き回るようになった理由なのか。
「あとな……っ…俺にも、もう一言言わせろっ」
「ま・まだあるんですか…!?そんなに不満があったなら、なんでもっと早―――……っ」
「悪 か っ た !」
ポルトの言葉尻を喰うように、フォルカーが声を張り上げた。
「お前もお前だが、俺もっ…まぁ、ちょっと色々言い過ぎたっ。悪かったよ……っ!アントンのことは特に…。知らんかったとはいえ、茶化してすまなかった」
「………!」
「療養中、お前がうなされながらアントンのこと呼んでたから…お前等の間に何があったんだって…。しょうがねぇじゃねーか!知らなかったんだから!!」
「あるわけ…ないじゃないですか……っ。誰も彼も貴方みたいな生活送ってるわけじゃないんですよ……!?本当に…もぉ……、なんでそんなことばっかり……」
ポルトの身体から力が抜けて、がっくりと肩を落とした。今にも食らいつきそうだった気配はすっかり無くなり、しおれた葉野菜のようになっている。
「……なぁ」
「?」
「なんで…大聖堂で泣いてたんだ?」
「!」
「出兵中でも泣かなかったんだろ?そんなお前が、なんであんな場所で泣く?」
その問いに思わず身体が硬直するポルト。
この人は何を何処まで知っているのか。耐えきれず視線が泳いでしまう。
「……あれは…その…とても大きくて綺麗で立派な場所で……。だから……」
「お前にそっち感性は無いだろ」
「!?」
「だから俺は信じない」
「……ぅ……」
彼にバレるのはある程度仕方ないとして、その理由がこれだとは……。
エルゼには二度と口にしないように言われているが、彼なら何か話が聞けるかも知れない。意を決して顔を上げた。……が、やはり駄目だった。言えばきっと怒られてしまう。馬鹿にされてしまう。あまつさえ嘘つきだなんて言われたら……また泣いてしまうかもしれない。
「ま、言いたくなければいい。でも、そのうちお前の気が向くことを期待している」
その意味を問うようにフォルカーの顔を見る。仕事中でもないのに真面目な瞳がじっとこちらを見つめていた。
「俺の胸はな、泣いてる女は誰でも飛び込んで良いことになってんの。お前がそんなことになってるのに何も出来ねぇのは、男としても飼い主としても悔しいからな」
「またそんなことばっかり言って……」
喜んだ方が良いのだろうか?それともただセクハラめいた話だと怒った方が良いのだろうか?
「なぁ、さっき『今まで懐いたような真似してすみませんでした』って言ってたよな?お前、俺に懐いてたの?」
「ぇ?」
なんで今その話ですか、とばかりにポルトはふいっと横を向く。
「……おい!俺だって最後までヤってないこと言ったんだからお前だって言えよっ。フェアじゃねーぞ!はい、こっち向いて!」
「い・嫌です……っ。だいたいっ、それこそもう関係ないことで……っ」
「相変わらずしつこい奴だなぁ!わかったわかった!あれ、もう取り消すから!関係していいから!どんどん関与してこい!」
「はぃ!?」
無理矢理正面を向かされる。目の前には身を乗り出し、いかにも興味津々のフォルカーが凝視している。話の内容的にもにらめっこな状況的にも恥ずか死にそうだ。
「で?どうなんだ?」
「そ…そりゃ…これだけ一緒にいれば……。怪我の時看病していただきましたし……。コミュ障でも多少は…な・慣れますよ……!」
「じゃ、俺、ちょっとは自惚れていいってこと?」
「なんで自惚れるとか、そ…そ・そんな話に……っ」
「だってさ、人見知りのお前が誰かにヤキモチ焼くほど懐くなんて滅多にないだろ?」
「ヤキモチなんて焼いてませんっ」
「遠慮すんなよ!水くせぇっ!」
「いっそその水で流れてしまえっ」
フォルカーはポルトの手首を強く引っ張る。突然のことに驚いて、倒れるようにフォルカーの胸元へと飛び込んだ。鼻を強く打ち付け、ツンとした痛みでクシャミが出た。
その様子にフォルカーは笑いながら、小さな身体をきしみそうなほど抱きしめた。
「そうかそうか。よーしよしよし。そう考えれば、今回の一件は辛かったな。悪かったよ、俺は悪い飼い主だったな」
骨張った手が金色の髪をがっしがっしとかき混ぜる。包み込むような大きな身体は明らかに自分のものとは違う感触。全身から無理矢理伝えられる強さと温もり。速くなる呼吸は自分のものではない人間の匂いを吸い込み、肺を深く満たす。自分だけに向けられた優しい言葉が降るたびに、目の奥が熱くなった。
それは絶賛傷心中のポルトには思いの外威力が強くて……。
「――――――っ……!」
思わずまた泣きそうになって、唇を噛んだ。これ以上からかわれたくない。
「これからも多分女遊びは止めないが……、ま、お前が頑張って止めに来い」
「……っっ!?止めるおつもりはないってことですか…!?」
「でも、安心していいぞ。 お前が一番可愛い♥」
にっこりと笑うフォルカーにポルトは硬直する。こんな言葉を言われたのは生まれて初めてだが、こんなにありがたみのない褒め言葉も初めてだ。
フォルカーは何故かポルトの首元に指を置き、ハイネックの部分を押し下げると吸血鬼のように口元を寄せる。
「っ!?」
押しつけられた唇から聞き慣れない音が響くたびに、首筋からくすぐったい痺れが走る。思わず身体が強ばった。
「……な…っ!?え……っ!?」
「にっへっへっへっへ。チェストから見たお前があまりにも寂しそうだったからな」
ゆっくりと身体を離したフォルカーはあるいたずらが成功した喜びを隠しきれずにいるようだ。
ポルトは慌てて鏡を探しに隣の物置部屋へ走る。壁に掛けてあった姿見を見つけると、シャツの襟をぐいっとめくった。
「!?」
先ほど刺激が走った首筋には赤く小さな痣が三つ残されている。それは俗に言うキスマークというもので、人生初の意図的内出血だった。
「おやおや、ポルト君。お前もとうとう俺と同じアクセサリーを付けるようになったのか」
わざとらしい声に振り返ると、入り口から顔を出したフォルカーがニヤニヤしながら親指を立てる。
「つまらんヤキモチは終いにして、これからもしっかり尽くせよ?俺様に♥」
「!?!?!?!?」
∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
廊下では近衛隊のメンバーが数人、警護の為に立っている。時折扉の奥から聞こえる叫び声に何度か突入しかけたが、その度にローガンが「あれは従者の声だから…」と止めていた。しかし……
「ぃゃぁあぁあぁぁああ~~~~ッッッ!!」
突然部屋の中から聞こえた布を引き裂くような悲鳴。流石にこれは尋常ではないと騎士達は部屋の中に飛び込んだ。
中で見たものは……、赤面しながら泣きそうになっている従者のポルト。「変態!節操なし!尻軽男ッ!誰がヤキモチなんて焼くかぁあーーーー!!」などと叫びながら王子の上に馬乗りになっていた。両手に枕を掴み、親の敵かと思うほどめった打ちにしている。
一方、フォルカーは顔面にばふばふと攻撃を受けながら「乙女が憧れる王子様の愛の証じゃねーか!これでお前の不幸自慢もお終いだな!ザマァみろ!大人の階段、駆け上がりやがれ!あーっはっはっはっは!!」と高笑っていた。
「……これは……」
見るからに王子が従者にちょっかいを出してキレられている状態。騎士として主と弱者、どちらを助けるべきか……。ローガン達はしばらくその場で考え込んでしまった。
当然、この日の従者にお咎めはなく、「あまり年下を苛めるな」と後日陛下が息子をたしなめた。
雨降ってなんとやらでした。
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