殿下、突撃す。(★)
「ねぇ、知ってる?フォルカー様と従者様、まだ喧嘩してるらしいわよ……」
「殿下ったらまた違うメイドに手を出したって話よ?今度は調理場担当の子だって…!でも近衛隊の皆さんに見つかって、失敗しちゃったらしいわ。…どっちにしろ、女性好きだったってことに変わりないみたいね」
「だったら私たちにもチャンスがあるってことよね……!?」
「執務室の掃除担当、取り合いになってるわよ!次のくじ引きは明後日だから一緒に行きましょっ。私、前回外れちゃって……」
フォルカーにつきまとっていた噂が、ようやく普段通りになってきた。それが彼の意図的なものなのか偶発的なものなのかは誰も知らない。
城内で行われていた催しの回数が減り、城に訪れる淑女達の数も格段に減った。そんな今、女性であれば分け隔て無く手を出すフォルカーは女性使用人達から益々熱い視線を受け、男性使用人達からはこれ以上狩り場を荒らすなという恨みの念が向けられている。
城の男達は「最後の守り」とも言える従者ポルトの復活を切望していたが、当の本人はまだ父の一件から気持ちを切り替えられずにいた。
全てにやる気が起きず、仕事でミスをしないようにするのが精一杯。時折ぼぅっとしてしまうし、宿舎のベッドは身体が痛くて寝付きも悪い。奔放王子がどこで何をしようが…構っている余裕はなかった。
(――――…………)
あの大聖堂で父のことを知ったのは数日前のこと。
棺桶を見ることが出来たらもっと早く割り切ることができたのだろうか?そうも思ったが、実は別人の遺体がはいっているんじゃないか、実は棺桶は空なんじゃないかなんて想像が始まり、自分の馬鹿さ加減にため息が落ちる。
助手の青年に起きたことが、いつ自分にも起こるかもしれない。いつまでも引きずっているわけにはいかないことはわかっているのだが……。
日が沈みかけた空は天上に輝く星を纏わせて、漆黒から濃紺のグラデーションを描いている。まだ色を残す地表近くにはウルム大聖堂の屋根の形が黒いシルエットで浮かんでいた。
ポルトは部屋の中から祈り手を作り、目を閉じる。
こんな形にはなってしまったが…ゆっくりと父の側にいられるのは初めてだ。いつかそこに行く日まで、どうか見守っていて欲しいと祈った。
静寂を歪ませたのはガチャリと鳴る部屋のドアノブ。扉が開かれ、入ってきたのはフォルカーだ。室内には一触即発の緊張感が張りつめた。
「「………………」」
顔を合わせた二人の間には一瞬音すら消える。
すでにベットメイキングは終えている。蝋燭には全て火を灯してあるし暖炉の薪も十分だ。あとは主が休むだけ。ポルトは頭を下げる。
「おかえりなさいませ」
二人の関係は通常通りというにはほど遠く、未だに極寒状態が続いていた。もともと従者を持たなかったフォルカーは不便を感じていないようにも見える。
従者の監視は緩くなり忘れていた人生の春を謳歌。近衛隊が本来の仕事が出来ずに困っているそうだ。彼にとっては今の方が楽しいのかも知れない。
そんな二人の会話はポルトからの挨拶、そして「何かご用は?」に対しての「もういい」というフォルカーの返事のみ。
「何かご用は?」
「もういい」
そして今日もテンプレートな言葉だけを交わして、一日が終わろうとしている。
「では失礼致します」
一礼し、ポルトは部屋から立ち去ろうと向きを変えると、その背中にどこか棘のある言葉がかけられた。
「――――どうやったかは知らんが、お前も上手くやったもんだな」
纏っていたローブを長椅子に無骨に放り投げる。彼の背丈に合わせて作ったそれは少し重い音を立てて落ちた。襟口のボタンを片手で外しながら一息つくと、今までのことなどまるで無かったことのように話を始めるフォルカー。半分からかうような声は「いつも通り」を装っていたが、それが苛立ちの裏返しであることはすぐにわかった。
「?」
「ローガンとの大聖堂デート、楽しかったか?あいつは隊の中でも評価が高い奴だ。身分は勿論、性格にもこれといって問題はない。四男っていうのも面倒が無くて良いだろうな。特にお前みたいなコミュ障な奴には……」
あの場にフォルカーがいたことを知らないポルトは、驚きを隠せないでいる。
色々言いたいことはあるが、何を言ってもきっと機嫌を逆なでしてしまうだろうと口を閉ざす。本当なら出来るだけ静かにしていたい。思いを整理する時間が欲しい。
しかしフォルカーの瞳は獲物を見つけた蛇のように視線を反らさず、歩きを止めようともしない。
「俺の時はあんなに文句言う癖に、お前だって目を盗んでなにやってんだか」
「……何もやましいことなど無いです」
「そりゃどうかな?一人で不幸背負ってますみてぇな顔して、同情されに行ったんだろ?あいつは生真面目で優しいから、さぞ心配してくれるだろうさ。目の前で泣かれたら尚更だ」
「……一体何を仰りたいのですか?」
「ああ、そういえばお前にはアントンもいたな!寝言で名前が出るくらい、あいつとも『いい仲』だったんだろ?ま、所属している団体のトップにすり寄ることは、円滑に生きていくために悪くない方法だ。賢いとは言えないが馬鹿でもそれくらいは思いつく」
「―――っ」
進路を遮るように近づくフォルカー。それをかわすようにポルトは一歩踏み出したが、彼は身体でそれを止める。すぐに方向を変え離れようとするがジリジリと間を詰められ、とうとう小さな背中が壁に当たった。
「私はそんなこと…したことはありません。陛下も殿下の『お遊び』にはお心を痛めていらっしゃいます。政務官の皆さんも、近衛隊の皆さんも困っていらっしゃるではないですか。多少控えられた所で困ることなど無いでしょう?」
「ほう?」
フォルカーの手の平が壁に勢いよく打ち付けられ、ポルトは彼を見上げる。エルゼなら胸をときめかせるような体勢、しかし今ここにあるのはピリピリとした緊張感だ。
「じゃ、俺が変な遊びをしないように……」
フォルカーの顔がぐっと近づき、前髪同士が触れた。
吐息すら感じそうな距離でフォルカーは声音を落とす。
「お前が相手をしてくれるのか?」
「!」
「俺は手のかかる『初物』を相手にすることはあまり無いんだが……、ま、良い。蝶よ花よと育てられた姫君にも、野心と欲情に燃える庶民の女にも飽きてきたところだ。今までお前が経験してきたことが、この身体をどんな味に仕上げてきたのか……試してみるのも悪くはない」
姫君達を相手にしている時とはまるで様子が違う。路地裏で喧嘩でも売られているかのようだ。
「私はファールンの従臣です。……命令ならば従います」
「ほぅ?じゃ、今晩から早速そうして貰おうか」
フォルカーの親指がポルトの唇をゆっくりとなぞる。
「……そうだ、お前のお気に入りのローガンに飲み物でも持ってこさせよう。それまでに服を脱いでベッドで待ってろ」
「――――――っ」
何を言っているのか聞こえているのに、かみ砕くまで時間がかかる。視線の先には彼の首筋、そこから流れるように繋がる鎖骨があって、よくみてみると小さな痣がいくつか付けられていた。首筋にキスを落としていた使用人の姿が脳裏をよぎる。
砂のようなジャリジャリとした空気を喉の奥に押し込んだ。
「……承知致しました」
きっと今、自分は自暴自棄になっている。嫌なことが重なって冷静になれずにいるんだ。頭の中ではわかっていても身体には伝わらない。「どうにでもなれ」、そんな気持ちが暗雲のように黒く厚く広がっていく。
それを知ってか知らずか、フォルカーが嬉しそうに口元を緩ませた。
「お前もこれであのメイドと同じだな。いや、上辺でも甘い言葉なんて言ってやらん分、お前はそれ以下か?」
「――――――………」
「悲鳴でもあげてみてもいいぞ?ローガンが助けに来てくれるかもしれん」
ポルトは黙り込んだまま、その場で一度小さな深呼吸をするとベッドの側へ歩き出す。
手首に巻いていた革ベルトを外し、床に落とす。そして金属がこすれ合う渇いた音を立てながら、腰のベルトに手をかけた。ショートソードごと外したそれを床に置き、ポルトはフォルカーの姿を見据える。
「――――問題ありません。全てご命令通りに」
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