静寂の中の貴方
ウルム大聖堂は四大国の中でも最大クラスの建築物である。ファールン城に比べればやや劣るものの、その規模は国民の半分を収容できると言われるほどだ。正面の壁には丸い大きな窓があり、複雑な枠の形は大輪の花を連想させる。もしもの時は要塞を兼ねる城とは違い、大聖堂の外壁はどこも細かい装飾で飾られている。建築時には町から彫刻師と石屋が消えていたに違いない。
大扉の前を走り抜け、ポルトは木々が茂る裏側へと回った。指定されたその場所は聖堂の関係者が使う出入り口で、修道士達が日常的に使用している場所のひとつだ。蔦の絡みついた門の前で待っていると、ポルトを呼び出した本人が姿を現した。
「やぁ、ポルト。待たせたね」
「ご機嫌麗しゅうございます、ローガン様」
ポルトは恭しく頭を下げる。彼の側には身なりの良い二人の従者。二人ともまだポルトよりは幼く見える。十二~十三歳といった所だろう。
「この二人には初めて会うんだよね?荷物を持っている方がブルーム伯の次男でアイバン、こっちはヨアヒム伯の三男でカールという。二人とも、こちらがフォルカー殿下の従者であるポルト=ツィックラーだ」
勿論この二人も貴族の一員ではあるが、フォルカーの名前を聞くとにわかに顔色が変わり、深々と頭を下げた。本来ならばポルトの方が傅かねばならない立場ではあるが、従者の間では主の地位でその順位が変わるらしい。
ポルトはなんだか気恥ずかしいやら申し訳ないやらで、彼らに負けないくらい深々と頭を下げた。
「仕事の方は大丈夫だったかい?」
「はい、許可を頂いております。お心遣い、感謝いたします」
「午後に少し時間抜けても良いですか?」、と聞いたところ、二つ返事で「どぉぞ」と言われた。そのうちこのノリでクビ宣告がされるんじゃないかと思っている。
「もう司教に話はしてあるから、早速中へ入ろうか。カール、お前は馬を頼む」
すれ違う修道士達とにこやかに挨拶を交わしながら建物の奥へと進んでいく。石造りという点では城と差ほど変わりはなかったが、飾られている絵画や彫刻は全て神話に関係のあるもので、独特の雰囲気があった。
高い高い天井を見上げると、そこにも細かな宗教画が描かれていて、どうやって造ったのか、描いたのか、ポルトにはまるで想像がつかない。
人は大勢いる。しかし甲冑や剣の触れあう金属音はまるでしない。すれ違う修道士達は歩き方も静かで役人達のようにガハハと笑ったりもしない。高い天井に足音が響いて、話すことすら躊躇してしまう。
「俺の二番目の兄がここで世話になっていたんだ。そのつてを使って話をしてみたら、君が来るなら…って、とっておきの方が案内役を買って出てくれたよ」
「私…ですか?」
宗教関係者に知り合いなどいないはずだが……。
ローガンが足を止めたのは古びた扉の前。二三度ノックをすると、中から一人の少年が顔を出した。服装からして、見習いの類か何かだろう。ローガンの姿を見ると「お待ち下さい」と扉を閉める。しばらくすると再び扉を開け、「どうぞお入り下さい」と頭を下げた。
室内は大きな本棚に囲まれていた。
アーチ型の窓の前には黒檀のデスクが置かれていて、その上にはポルトが見たことがないようなサイズと厚さの書籍が何冊見える。
部屋の主を見つけたローガンとアイバンは片膝を付き、慌ててポルトも同じように片膝を付いた。
「ご機嫌よう、ダーナー司教。この度は突然の申し出にもかかわらず快諾して頂いたこと、心から感謝いたします」
「ご機嫌よう、ローガン。そんなに畏まらなくても大丈夫だよ、立ってくれ。そして後ろの君が…ポルトだね」
「は…はい!ポルト=ツィックラーと申します……!お初にお目にかかります…!」
「殿下と一緒にいるところを何度か見かけたことはあるけど、こうして会うのは初めてだね。改めて挨拶をしておこうか。私はクラウス=エフラ=ヨハン=ダーナー。ここで司教としてお勤めをさせて頂いている。君はこう言った方が良いかな……。ダーナー宮廷財務大臣の息子で、君の主、フォルカー殿下の従兄弟だ。少し離れてはいるけどね」
終戦後、ファールンへ帰還した時に見たことがある。最近だと豊穣祭……矢を射られた日に聖堂の中で見た。
赤銅色の髪にフォルカーとよく似たエメラルドの瞳をしていたが、目尻は父親のように優しく下がっている。袖口がゆったりとした丈の長いチュニックに黒のスカプラリオを腰ひもで縛るという、いかにも修道士という格好だ。
自身はその意志を否定しているものの、王位継承権を持つ身。司教とはいえローガン達が深々と礼をするのは忠義を尽くすべき主君の血筋を目の前にしているからだろう。
「いつも身内の者が世話になっている。今日はそのお礼ができればと思ってね。案内役をさせて貰うことにした」
品の良い笑顔はフォルカーのそれとはまるで違う。後光に当てられたかのように恐縮してしまう。
「はははっ、そんなに緊張しなくても大丈夫だよ。今のはわかりやすく説明しただけで、実際はただの司教なんだからさ」
「は…はい……っ。しかし…その……っ」
隣を見るとローガンの従者アイバンも、ガッチガチに強ばっている。
「雑巾を持って掃除もするし、もうちょっと若い時は中庭の草むしりだってしていたよ。一度夏の暑さで気を失って、医務室に担がれたことがあったな。父よりはマシだけど、そこまで私も頑丈にはできていないらしい。ああ、そうだ。一昨日は大司教様方の使いっ走りで町に降りたよ。ああ、そうだ。あと私は虫が苦手でね。調理当番中に黒いアレが出た時は悲鳴を上げて逃げたことだってある。いつまでも慣れないなぁ、アレには……」
(黒いアレ……って、やっぱアレかな?)
調理場やゴミ出し場に出てくる黒いアレ、それはきっと二本の触覚を持ち時々羽根をばたつかせて飛んだりするあいつのことだろう。
以前働いていた家ではアレを退治したあと、滅多に出ないクッキーのご褒美を貰った。おかげで苦手意識はつかずに育った。
「冬は水で指先が荒れてね……。これからの時期はちょっと憂鬱だよね。かといって大事なおつとめをサボるわけにもいかないし」
君もそうだろ?と笑いかけられ、思わず頷いた。
「ね?どうってことはない、私も普通の人間だ」
「………」
自分のことを『俺様』と呼ぶ#フォルカー__あいつ__#とは随分と違った方のようだ。町に出れば気さくな性格だと感じる時もあるが、司教は高貴な立ち振る舞いそのままにそれをこなしてみせる。凄い人だ。
「司教、こちらは今朝収穫してきた葡萄です。どうぞお納め下さい」
ローガンが目配せをするとアイバンが持っていた荷物を差し出す。クラウスの側にいた少年が受け取った。彼はクラウスの従者のような仕事をしているらしい。
「これは大きな葡萄だ…!今朝届いたワインも君からだそうだね。聖堂の皆に代わって礼をいうよ。本当にありがたい」
「勿体ないお言葉です」
「このまま立ち話も楽しいけれど、後ろの子はそろそろ目的の場所が気になるかな? 」
「!」
クラウスがポルトを見た。
「では行こうか。君が会いたがっていた方の元へ」
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葡萄を置きにアイバンと少年は部屋を出て行った。残ったポルトとローガンはクラウスに連れられて、聖堂の更に奥へと移動する。
「その場所」にはローガンも一度そこへ行ったことがあるのだという。
はち切れそうな激しい鼓動がポルトの胸を打つ。
何度も何度も思い描いた逢瀬。渇いた喉に、ごくりと生唾を流した。
とある広間の入り口でクラウスが立ち止まっる。装飾の限りを尽くされた重厚な扉は開かれていたが、ここから覗くこと以外は許されないらしい。中は薄暗く、辛うじて数体の石像がぼんやりとした輪郭を浮かべている。
「ここ…ですか?」
「もう少し奥に進むとファールン王家が代々眠っている場所になる。…霊廟と言った方がいいかな?つまりお墓さ」
「お…墓……」
「ここから先は大司教様と直系の王族だけが入ることを許されているんだ。十ニ代程前から埋葬されていて、殿下の曾祖父レフリガルト王や祖父のラントリク王、それに王妃達もここにいらっしゃるよ。ウルリヒ陛下やフォルカー殿下も、亡くなった後はここで先祖達と一緒に眠ることになる」
「――――――……」
暗い室内を金色の目が静かに見つめる。石造のひとつに父の姿を見つけて、気がつくと手が震えていた。
レフリガルト王は遠征先で病死した、そうローガンが教えてくれた。
この場所は貴族の子なら一度は訪れる見学場所になっているのだという。騎士を目指しているカールやアイバンも先日ここを訪れたばかり。そんな場所にフォルカーの従者が来たことがないことを知ったクラウスは、快くポルトを招き入れそうだ。
王族に仕える従者として……、そんなクラウスの思いをポルトは真っ直ぐに受け取ることはできなかった。
(そうか……。父様は……やっぱり……)
……ある程度覚悟はしていた。
暗闇と静寂の中にある現実を目の前に、まだ半分夢の中にいるような気分だ。
家が燃えてしまったあの日、父は家にいなかった。どこか別の地でいるかもしれないと淡い期待を抱いていた。
年齢的に難しいことだってわかっていた。でも自分だってネドナの毒から生還出来たのだ。死んだという証拠が無い以上、生きている可能性を完全に捨て去ることは出来ない。行方をくらました人を想う他の家族と同じように、いつか訪れるだろう父との再開を信じていた。
……いや、「信じていた」というよりは「願っていた」と言った方が良いだろう。
いつか町で見た青果店の親子がまぶたに浮かぶ。多くの人々で賑わっていた中で気がつかないうちに二人の姿に目を奪われていた。
万が一父が生きていたとしても、これだけ離れていた時間が長かったのだ。自分の知らない別の家族を作っているかも知れない。
それでも…一目会えるなら。
「――――――……っ…」
例え最後でもたった一目会えるなら、それでよかった。
あの家で兄妹身を寄せ合って待ち続けていた。
町ですれ違う親子の姿に、何度自分たちを重ねて慰めたことだろう。
でもずっと帰ってこなかった。
だから、ずっとずっと待っていた。生きていればいつか会える、そんなことを考えながら。
でもやっぱり奇跡は起きなくて、いつも望んだものは手に入らない。
「―――……っ……?」
視界の滲みに気がついたのはそのすぐ後。
熱を持った喉で息を吸った瞬間、視界が滲んだ。突然のことに慌てて拭ったら、それは川の水よりもずっと温かかくて……。濡れた手を見ながら驚いた。
「ポルト?どうした?」
「な・なんでもありません」
自分でもわかるくらい声が震えていた。動揺を隠すように二三度咳をする。
「ローガン様……!あまりに荘厳な場所で、思わず感動をしてしまいました……!お見苦しい姿を見せてしまって申し訳ありません……っ」
「あ、ああ…。そんなに喜んでくれたのなら嬉しいよ」
「こちらも案内したかいがあったというものだね」
レフリガルト王の妻は王妃しかおらず、側室、もしくは愛人のような存在は今となっては確認のしようがないらしい。
……ここが『終わり』なのだろう。
今まで自分が歩いてきた道を見返すように、ポルトは廟の奥を見つめる。
「ご満足頂けたかな?」
クラウスが父とよく似た色の瞳で微笑んだ。
「……あの……」
「なんだい?」
「……ここにいる方々は…皆安らかに眠られましたか……?」
「?」
「穏やかに…心許した者達に囲まれて、幸せに旅立っていかれたのでしょうか?」
「…中には暗殺を噂されている王もいるが、ここ数代は皆、そうだったと思うよ。立派な国葬で神の御元へ送られた方ばかりだし、中には聖人として奉られている方もいる」
「そうですか……」
動かない身体で、誰にも看取られずに逝くのは寂しすぎる。何故もっと早く駆け付けなかったのかと自分を呪ってしまった所だろう。
でも……、父は皆に愛され神の御許へ旅立ったらしい。きっと今頃、天国で兄妹達と一緒に幸せでいるだろう。
彼らの幸せな姿を想像すると少しだが胸が安らいだ。
「それなら…良かった……」
「……こうして見ると、やっぱり君はあの時のお嬢さんだね。豊穣祭の時、私の目の前で矢に討たれた。ウルリヒ陛下を守り、『黒き神の滴』…ネドナの毒に打ち勝った奇跡の女装兵士だ」
女装の一言で奇跡の凄みがガタ落ちになっている気がする……。
「あれは……奇跡でもなんでもなく、すべてフォルカー殿下とお医者様方のおかげです。彼らがいなければ今頃私は軍の合同墓地に埋葬されていたでしょう」
傷の痛みと幻覚うなされ、フォルカーの部屋で行われた自分の愚行を思い出すと頭痛がしてくる。
身体を見られたことをカウントしても、彼への借りは返しきれない。いや、むしろ貧相なものを見せた詫びをしなければいけないのだろうか。考えれば考えるほどマイナス方向にしか進まない。
「容疑者を捜すついでに城にいた不審者も捕まってるみたいだし、この調子でいけば事件の収束もそう遠くないかも知れないね」
「え!?そうだったんですか……!?」
隣で聞いていたローガンも不思議そうな顔をしている。
「殿下から聞いていないのか?」
「は…はい…」
喧嘩をしたのは数日前。それまではフォルカーとも普通に会話をしていたはずだったが……。
「宮廷医師長のガジン殿は知っているだろう?」
「はい。背中の治療中に大変お世話になりました」
ポルトを女だと知るフォルカー以外の唯一の人物。
ウルリヒ王が若い時も今回のように人に言えないようなことを頼んでいたらしく、フォルカーの申し出に「いやぁ…親子ですなあ…」と面白そうにこぼしていた。
「昨年から助手を雇ってね、跡取りと荷物持ちが同時にできたって、とても喜んでた。その青年には俺も一度会ったことがあるが、礼儀正しい好青年って感じだったかな。ただ彼に問題があってね」
「問題?」
「医療学校を出た商人の息子だと言っていたのに、実はなんの学歴もない小作人の子だったらしい。身分を偽るだけでなく、要人の……それも王位継承権を持つ者の医療行為に携わってたって問題になっている」
「うちの父が世話になったんだ」
「ダーナー様が……」
「取り調べの結果としては…まぁ、特に何かを企んでってことではなかったみたいだ。今は北棟に投獄されてる。この後どこかで強制労働にでもなるんだろうな。数ヶ月…長くて十数年って所か。ガジンも、不審人物を城内へ招き入れ要人に近づけたってことで、自宅で軟禁状態になってる。まぁ、彼は先王の時代からこの城でずっと王族方の健康に従事していた方だし、ウルリヒ陛下ならきっと彼を見捨てたりはしないと思うけれど……」
療養中、彼らの元で世話になったことがある。白髪のおじいさん医者である宮廷医師のガジン、そして若い見習いが二、三人いたが、皆ガジンの言うことを良く聞き、そしてよく働く青年達だった。
「純粋にお医者様になりたいだけの気持ちで…勉強がしたいという気持ちだけで助手になっていたのなら、その処罰は重すぎるのではないでしょうか? 」
「 医者になりたいなら、どこかの町医者の助手でも問題ないだろ。権力者に近づきたい、どこか良からぬことを企む者の手先だったらどうする?ダーナー卿なんて、ただでさえ咳ひとつでアバラにひびが入る程の方なのに…」
「直接手を下した者と、矢の射程圏内にそれを招き入れた者がいる。助手が疑われていたのは後者の方だ。可哀想だとは思うけれど、陛下に何かが起きてからじゃ遅いしね」
「はい………。仰るとおりです」
フォルカーが何も言わなかった理由がわかった気がする。
その助手は嫌でも自分と重なった。
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