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類は友を呼ぶ

 ああいう現場に出くわして、初めて彼を最期まで引き留めなかった。エルゼに申し訳ない気持ちを持ちつつも、それ以上に釈然としない自分がなんとも居心地悪い。

 ローガンの元を離れる時、「君は城の暮らしには向いていないかも知れない」と言われた。自分でもそう思う。


 あの後、フォルカーの部屋で就寝の準備を整えていたら、思っていたよりも早く主が帰ってきた。扉が開いた瞬間の場の氷結具合といったら半端無かったが、お互いに打開を試みた言葉が出ることもなく、今朝の空気も絶好調すぎるほど氷っていた。 

 職場復帰もしたし、今日から宿舎へ戻ることに決めた。フォルカーにそれを告げたが返ってきたのは「そうか」という言葉だけ。そんな彼の目の下にもうっすらクマがあったような気もしたが、顔をじっくり見る気分でもなく……。逃げるように森へ来た。


 ひんやりとした空気が辺りを包んでいる。

 姿を見せない鳥たちが、葉よりも枝が目立つようになった木々に隠れて鳴いている。彼らと言葉を交わせるようになれば、この気持ちの正体を教えてくれるかも知れない。

 狼達は森に放たれ、陽の光と戯れながら駆け回る。その間、ポルトは腕まくりをし、せっせと床掃除をしていた。

 冷たくなった川の水は冬の訪れを告げている。そろそろ毛布の追加が必要だろう。


 部屋の隅に置かれている狼達の寝床には、藁に混じってくしゃくしゃになっている古いシャツが数枚ある。『飼い主の匂いのする物を寝床に置くと安心する』という話を聞いて、フォルカーにお願いして貰ってきた古着と、自分が数日間頑張って着続けたシャツをプレゼントしてみた。


 フォルカーの古着は一枚ずつ貰ってきたはずなのに、何故かカロンの寝床にだけ置いてある。シーザーの寝床にはポルトの服だけでなく、どこから拾ってきたかわからない女性もののハンカチや靴下が混じっていた。

 「そこは飼い主に似なくても良いんだぞ?」、何度もシーザーには話してみたのだが、やっぱり通じてはいなかったようだ。


「ポルト=ツィックラーはいるか!」

「!」


 ふいに外からしたのは男の声。手に持っていたブラシを投げ捨て、慌てて声の主の元へ走る。

 入り口から少し離れたところに立っていたのは見るからに凛々しい一人の騎士。

 風に舞うローブがなんとも様になっている。…とか言っている場合ではない。周囲を見渡すが、幸運にも狼達の姿はまだ無い。


「ロ…ローガン様……、どうされたんですか!?」


 麻袋を片手に「やぁ」と微笑む彼は、今日も優美で品が良い。


「今丁度交代の時間で、これから休憩に入るんだが……」

「従者もつけずお一人でいらっしゃったんですかっ?なんて危ないことを……!」

「っ?」

「ここは通常貴族の皆様ですら立ち入り禁止の森です。今狼達を森へ放しています。見知らぬ男性が寝床に近づいてきたら襲われてしまいますよ……!」


 昼寝に来るフォルカー以外に滅多に人は訪れない。だからポルトも油断していた。


「あ…そういうことか。いや、これはすまなかった。君が城にいなかったようだから、アントン隊の宿舎に行ってみたんだ。そしたらここにいるだろうって聞いて……。あ、俺は一度離れた方が良い?」

「私が側にいれば大丈夫ですが……一体どんなご用件でしょうか?」


 貴族が従者も付けずに、わざわざ足を運ぶなんて…通常の用事では考えられない。何か余程困ったことでもあったのだろうか?


「その…じつは折り入って君に頼みがあって……」


 少し言いにくそうに視線を外す。ポルトは小首をかしげた。


「以前から気になっていたことがあって。あ~…その……、ちょっと皆には言いにくいことなんだが……。できれば内緒にしていて欲しい。できれば殿下にも」

「???は・はい…。あまり変な内容でなければ……。」


 ローガンは姿勢を正し、真っ直ぐポルトを見つめる。

 よしっと気合いを入れると、強ばった顔つきで口を開いた。


「無理を承知でお願いしたい! お… 狼を……触らせてくれ……!」

「……はっ?」

「軟弱だと言われそうで皆には話していなかったのだが……私は……」

 

 口元を隠すように手を置き、頬を紅潮させる。


「犬が…大好きなんだ……♥」

「…………」

「ち…ちっちゃいのも大きいのも好きだ…!尻尾は無いよりある方がいいが、そんなことはどうでもいい!犬は神が与えた地上で最も愛すべき生き物、人間の友だ……!!」

「狼です……」

「つまり大きなワンコだ!」

(呼び方がワンコに……っ!?)


 ローガンの頬はさらに赤みを増していき、語気に強みが出てきた。


「いいぞ、大きなワンコは!殿下の狩猟のお供をした時に初めて彼らをみたのだが、もう……っ、もうっ、私は胸の高鳴りが押さえられず、思わず乗っていた馬を餌として差し出そうと思ったくらいだ!」

(騎士が馬を差し出す!?)

「特に最近は更に色気が出てきたというか……力強さだけでなく容姿も際だって美しくなってきた。なんというかな……、飼い主の愛情を感じる毛並みというか……」


 その言葉にポルトの目の色が変わり、ローガンはますます語気を強めた。


「おわかり頂けますか!?」

「ああ、わかるとも!!あの艶やかさは日々のブラッシングだけでは無理だ。ストレスを最小限に抑え、バランスの良い食事を与え、何より飼い主への絶対的な信頼感が合わさって成せる技……!」

「ローガン様!!なんて素敵なお方!!」

「うちの本家には大小あわせ八匹のワンコがいるのだが、今住んでいる私邸は世話になってるメイド長がアレルギー持ちで……」

「飼えないと……?」

「いや、無理を言って一匹だけ飼っていたんだ。しかし去年老衰で……」

「!」


 胸に熱いものが込み上げ、二人同時に顔を覆う。


「それは…さぞお辛かったでしょう……」

「目の前に犬科の動物が現れるたび、この魂が泣いて乞うのだ。あの毛をモフらせてくれ、と……!!とくに生え替わりの時期は、ブラッシングで抜けた毛の山を見て『今日の収穫はこれくらいか』なんて充実感に包まれて……」

「わかります!嗚呼……!そんなに犬を愛していながら見ているだけしかできないなんて…なんてお可愛そうなローガン様……!!お話を聞いているだけなのに私の胸は張り裂けそうです!」


 陛下!どうか彼の給料は犬で払ってあげて下さい!


「殿下には恐れ多くて言えなかったんだ。しかし…あの毛並みを見て私は思った。君ならきっと…この気持ちをわかってくれると……!殿下には許可を取ってはいない。君に負担をかけることは重々承知だ。勿論、タダでというわけではない。これを…受け取ってくれ!」


 ローガンは持っていた麻袋をさしだした。

 ポルトはそれを恐る恐る受け取り、中を確認する。


「…………オモチャですね?」

「そうだ!犬のオモチャだ!彼らのサイズに合わせてちょっと大きめのものを選んできた!オヤツのジャーキーも入っている!彼ら用に塩を使わずに作らせた特注品だ!」


 買収する相手を一人忘れている気もするが、これはきっと彼の中での優先順位が人間よりも犬の方が上であるということなのだろう。


「貴方様の情熱、この身に痛いほど感じました。……わかりました!微力ではございますが、このポルト=ツィックラー、お役にたってみせます……! 」

「おぉ……!!」


 ローガンの瞳がキラキラと輝く。ポルトは「任せとけ!」とばかりに胸を一度ドンと叩くと森に向かって指笛を吹いた。何回か繰り返すと、待ちに待ったあの二匹が美しい毛並みをなびかせながら現れ、ローガンは「ぬおぉおぉおお!!」と謎の雄叫びを上げた。


 最初は警戒していた二匹だったが、ポルトによる「恐くないよ大丈夫だよ」アピール、そしてローガンによる「身体の上におやつを置いて食べて貰う作戦」が功を奏し、一時間もしないうちに唸らなくはなった。

 「さぁ、嗅げ!俺の匂いを存分に嗅いでくれ!どこでもいいぞ!いっそ軽く噛んでくれ!」と言い出した時は一瞬性癖を疑ったが、彼はいい人そうなので胸にしまっておくことにした。


 そんなポルトを余所に、ローガンはまだ緊張の解けないカロンの顔を両手で包み込み、ややもみくちゃ気味に撫でては「ここはユートピアか……」と熱いため息をこぼす。


「ワンコ成分、いっぱい吸収していって下さいね」

「ああ。本当に助かるよ!それにしてもこの子達は何か良い匂いがする。石鹸で洗っているのかな?ふむ……、ハーブのような香りもするが、その奥には隠しきれない犬臭さが……。はぁ…落ち着く…… 」


 彼が帰る時に使えるよう、服についた毛を取るブラシを用意する。その様子をローガンが何気なく見つめていた。


「君は……不思議な子だな。」

「?」

「その気になれば殿下の従者という地位を使ってもっと好き勝手できるだろ?他の権力者に媚びへつらうも良し、必要経費だと言って身の回りの物を取りそろえるも良し……。それなのに君はいつまでも下級兵から抜け出そうともせず、何かを欲しようともしない。そのサーコートだって、いつから着ているんだ?狼の方が身なりが良いぞ?」


 「いえ、ご飯には五月蠅いですよ?」と思ったが、阿呆さを露呈しそうで言えなかった。ちなみにこのサーコートは戦時中も着ていたもので所々縫って補修してある。愛着もあるので今後も変えるつもりはない。お金では買えない満足さというものだろう。


「綺麗な服を着てもすぐ汚してしまうと思うので……。私にはこれくらいで丁度良いんです。殿下からお借りしたドレスもボロボロにしてしまいましたし」

「ああ、あの女装の時のアレか。確かに淑女方では滅多にしない使い方だったな」


 確かに大股で歩くエルゼですらあんな着方はしないだろう。なんだか恥ずかしくなって顔を伏せた。


「今はそんなに穏やかな瞳をしているのにな……。昨日フォルカー殿下に食い付いていたときは今にも飛びかかりそうで冷や冷やしたぞ。……それで、仲直りはすんだのか?」

「それは……」


 返事の歯切れは悪い。


「……そうか。確かに主君に使える者として、昨日の君の態度は決して褒められたものではないしな」

「……はい。言い過ぎてしまったと…反省しています。でも今朝は言えませんでした。このままではいけないとは思っているんですけど……」

「殿下も、今朝から随分大人しいよ。大人しいというか…ぼうっとしている時間が多かったような感じだったかな。もし謝るなら早い方がいい。暇を出されてしまうにしても、もし胸に引っかかるものがあるなら伝えられる内に伝えておいた方がいいぞ」

「はい……」

「こんなことを言うと殿下に怒られてしまうかもしれないが……」

「?」

「俺は君の言っていたことは正しいと思っている。貴族社会の中では綺麗事ってだけで終わってしまうだろうけれどな。話だけ聞いていたら、殿下よりも君の方が彼女を幸せにできそうだ」

「!」

「もしかして狙ってた?」

「初対面でしたよ……」


 渋い顔をするポルトにローガンは笑う。


「君も男だから多少はわかると思うが、頭じゃわかってても『それはそれ、これはこれ』として女性を求めてしまう時はある。ほら、欲情を引き出しに入れて鍵をかけてしまえたら……、とかよく聞くだろ?フォルカー殿下のような方なら尚更だ。まだ特定のお相手がいらっしゃらないだけマシさ」

「はい……。あれ、もしかしてローガン様も……?」

「付き合いでお相手をしなくてはいけない時はあるが、俺は自由にのんびりとしている方が性に合っていてね。ただでさえ仕事中は気が抜けない。自由な時間はなるべく気を遣うような所にはいたくはないな。……あ、この話は隊の連中には内緒だ。最近先輩の誘いをずっと断っているんだ」

「は・はい!」

「約束だぞ?」


 フォルカーの場合は引き出しがいくつあっても足りないか、鍵を掛けても壊して出てきてしまいそうな気がする。

 フォルカーだけの話ではない。隊の連中にもナンパ目的で酒場に行く奴は大勢いる。例え妻がいる身でもそれは内緒だ。

 そもそも男が女を買う場所はあっても、女が男を買う場所は見たことがない。それほど一般的なことなんだろう。


「君も色々と納得出来ないことはあると思うが……割り切るしかない。特にこの社会で生きていくのならな。」

「……」


 あの時の光景を思い出すとちょっと泣きそうになる。自分には無い「素敵なもの」を持った二人が、何故ただただ消耗するだけのような行為に身を落とすのか。まだ食べられる部分が沢山残っている料理を、目の前で捨てられてしまっているような気分だ。

 小さく丸くなった背中を見て、ローガンは笑った。


「何故君みたいな子が、よりにもよってフォルカー殿下の従者になってしまったんだか。……いや、お目付役としてはむしろ運命的な巡り合わせか?君が来てからというもの、城で泣く姫君達の数が減って助かっているのは確かだし」


 騎士、それも近衛隊ともなれば社交場で貴族の相手をすることも大切な仕事のひとつになる。フォルカーに会えない寂しさを愚痴る姫君もいたが、「皆平等に会えていない」ことを知るとある程度は納得をしてくれたし、こちらも慰めの言葉が探しやすい。

 もしかしたらポルトは、知らないうちに姫君達の恨みを買っているかもしれないが、それを言われたところで気にする性格ではないだろうとローガンは推測する。

 


 時を知らせる大聖堂の鐘が鳴り、森の奥まで澄んだ音が響いてきた。

 「ああ、もうそんな時間か」と、狼を触りすぎて恍惚の薄紅色に染まった頬を軽く叩き、ローガンはその表情を引き締めた。


「お時間ですか?」

「ああ。……そうだ、君にも何か礼をしなくてはな。何か欲しいものはあるかい? 」

「そんな…!私はこの子達を可愛がって頂けただけで十分で……。お話も聞かせて頂きましたし……」

「主人の機嫌が良いとワンコ達も幸せになるものさ。まぁ、殿下ほど豪勢なものはあげられないが……そうだな、新しいリードとか水鳥の胸毛だけ詰まってる顎の乗せやすそうなフカフカのクッションとか……。あ、いや、これはもしかして獲物と間違えて爪でひっかいてしまうか……??」

(やっぱ犬アイテムか……。) 

 

 そこでふとポルトにあるひらめきが訪れた。


「あの……ローガン様はフォルカー殿下の曾お祖父様の居場所をご存じですか? 」

「曾お祖父様……というとレフリガルト王のことか?一体彼に何の用が?」

「あ……っ、そのぉ………。」


 ふよふよと視線が泳ぐ。


「えー……っと、先日殿下に歴史の本をお貸し頂きまして、ちょっとこの国の歴史に興味が湧いたというか……。もっと殿下や王家の歴史について学びたいと思った次第です!」

「ふむ、なるほど。自国の成り立ちを知るのはとても良いことだ。今の仕事にも役に立つ日が来るかも知れないしな」


 渡されたブラシで服に付いた毛をあらかた払い、一息つくと、彼はにっこりと微笑む。


「わかった。なるべくお近くに行けるように手配をしよう」


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