【後】悪い虫
お昼寝中だったカロンとシーザーを連れ、使われていた会議室を中心にフォルカーの捜索を始める。
発見後、すぐ護衛出来るようにと近衛隊から一人、付き添うことになった。彼の名前はローガン=ネイシ=エーヘル。騎士らしく姿勢が良い。柔らかな雰囲気は、騎士として戦場にいるというよりも貴族として舞踏会にいるほうが似合いそうだ。アップルグリーンの髪に青みがかった灰色の瞳を持つ伯爵家の四男らしい。
近衛隊の中で一番身分が低かったのが今回選ばれた理由なのだろうとポルトは推測する。
「これがフォルカー殿下ご自慢の狼か……。遠くから見たことはあったがこうして見ると随分とでかいな。」
「はい。白い方は牝のカロン、黒い方が雄のシーザーと申します。あ、後ろからお手を触れないで下さい。特にカロンは人見知りで……。大人の男性が苦手なんです。本気で噛みつかれたら指の何本かはすぐに持って行かれてしまいます。慣らす時間を作らないと……。」
「そんな恐ろしい獣を君が一人で扱っているのか?」
「慣れればとても良い子達です。フワフワで甘えん坊で…目はクリクリとしてて鳴き声は遠くまで響くし、耳がぺたんとしているときに頭頂部を毛がつるつるになるまで撫でると、彼らも満足そうに目を細めて……。とても可愛らしいです!」
「凄いな。君たちはとても仲が良いということだな。ああ、君のことも聞いているよ、ポルト=ツィックラー。陛下の一件ではよくやったな。私の隊でも話題になっていたよ。突然警護をくぐり抜けて陛下に飛びついた令嬢がいたかと思ったら…まさかこんな小さな少年だったとは。もう怪我の方は大丈夫なのか?」
「はい。すこし傷跡が残っていますが、それ以外は何も問題な………」
「ワンッ!」
二人の会話を遮るようにカロンが声を上げる。
城内を歩き回ること数十分。狼が反応を示したのは滅多に使用されない来賓用の扉の前だった。
「ここにいらっしゃると……?」
「来賓用……。狼達は入れない方がいいかもしれません。」
毛が抜けたりどこかをひっかくなどして、恐らく部屋を汚してしまうだろう。狼達は入り口で待たせる。
「ローガン様、参りましょう。殿下は走るのがとてもお早いので、どうぞお気を付けて」
「わ・わかった」
扉に鍵はかかっておらず、すぐに開いた。
広い部屋は白い石壁に囲まれていて、刺繍の細かいタペストリーが飾られている。凝った装飾が施されたベッドには厚手の布とレース、二種類のカーテンがついている。
部屋は静まりかえっていて一見誰もいない。ベッドも綺麗だ。ポルトはローガンを入り口に待たせ、ゆっくり窓へと向かう。カーテンを開くと柔らかな光が差し込み、床にひかれた絨毯に木枠の影を作る。
この部屋は豊穣祭の時ですら使われていなかった場所だ。貴族用の部屋は隙間風も入りにくい。
ポルトは差し込む光…正確には光の中に舞う埃の量を見て、極近い間に誰かがこの部屋にいたことを確信する。
(軽くダンスでも踊ったような量だな、あの馬鹿王子……。)
周囲を改めて見回す。もう一つの窓についているカーテン、白いレースのクロスがかけられたテーブル、そして四方に置かれた椅子。そして……。
ポルトが目を留めたのは部屋の片隅に置かれたチェストだ。側によると蓋に手をかけ持ち上げてみる。
「………。」
目の前に現れたのは貴族様用の衣装。男性物の上着が何枚も重ねられている。
「……流石にここにはいらっしゃらないようだな。」
後ろから顔を出したローガンが落胆の声を落とす。
「そうですね。もしかしたらこの部屋は立ち寄っただけで、ご本人達は別の部屋に移動したかもしれません」
「念のため、机の下も見てみたけれどいらっしゃらなかったし…次へ行ってみようか」
「はい」
ポルトは手についた埃をパンパンと払う。そして数枚の上着に手をかけ、はがすように一気に持ち上げる。
「なんちゃって。」
「「!」」
積まれた上着の下から二人の人間が現れた。一人は肩まで服がはだけた使用人、そしてもう一人は今朝に比べて随分と薄着になったフォルカー。二人は狭い箱の中で絡み合うように収まっていた。
「きゃっ……!!」
「う・わぁっ!」
使用人は慌てて身体をかくし、ローガンは後ろを向いて天井を見上げた。みだりに女性の裸を見ることは騎士の精神に背く。
一方騎士でも裸でもない残りの二人は、互いに表情を変えることもなく顔をつきあわせていた。
「……ほぉ?流石我が従者だな。」
丸めていたローブを女性にかけ身体を隠す。その行為はまるで粗野な男からか弱い自分を守ってくれているかのようで、女は頬を染めつつも嬉しそうに身を寄せた。
「会議を途中で抜け出して何してるんですか。仕事が進まなくてハイツ様達がとても困っておいでですよ。近衛隊の皆さんだって、殿下を探して余計なランニングをしていらっしゃいます。」
「困ってって…大体のことは終わらせたぞ。あとはあいつ等だけでもなんとかなるだろう。それに俺だってあれだけの人数をかわすのはとーっても大変だったんだ。少しは褒めろよ」
「…本気で仰ってます?」
「嘘だと思ってんの?」
腕の中にいる使用人、その額に「騒がしくてすまない」と軽くキスをした。やや茶色がかったブロンドの髪が美しい女性だ。彼女のような長いブロンドは、『高い身長』『大きな胸』と同じような感覚で、一般的に良いものとされている。髪色だけでいえばポルトも中々のものだが、長さや艶やかさの点で言えばやはり女性として日々手入れを怠らなかった彼女には到底かなわない。
「フォルカー殿下……行ってしまわれるのですか?」
彼女の細い腕がフォルカーの胸元にまで伸び、白い指先が名残惜しそうにシャツを握っている。
「可愛いこと言うじゃないか。まさか私がそんなことするなんて思っているのか?」
「嗚呼、殿下……っ」
「何故今まで君のような女性を放っておいてしまったのか……。もし時間を戻せるのなら、君がこの城に一歩踏み入れた瞬間にこの腕で捕まえるよ」
時間が戻せるのなら、幼少期の教育からやり直しをしたほうが良いかもしれない……、ポルトはそんなことを考えていた。
ローガンはどうして良いかわからず狼狽しているが、ポルトにとってはここ最近お目にかかっていなかっただけのいつもの光景だ。
話を聞いた時から予想はついてたが、実際に目の当たりにするとやはり釈然としない。
「あのー、殿下?」
「帰れポチ。会議は終わり。後は任せると伝えてくれ。あとローガン、もし心配なら部屋の外で待ってろ。まさかそこでずっと聞いてるつもりか?悪趣味だぞ」
「いえ!まさかそんなことは……!しょ・承知いたしました」
ポルトは何かを考えているのか、その場を動かない。
それに苛立ちを感じた女は、セピア色の瞳をつり上がらせてポルトを睨んだ。
「さあ、早く帰ったらどうなの?私と殿下との時間を邪魔しないでっ」
「………」
ローガンがチェストの中を見ないように顔を背けながら、ポルトの背に手を置く。
「……さ、ポルト、出よう」
「貴女は……」
「?」
ポルトが女の顔を見つめ、身を乗り出しそうになりながら声を上げた。
「貴女は……これで良いのですか?」
突然の何を言っているのかと表情を歪める女。
「……ああ、そういえば貴方、殿下と噂になってた従者ね?自分以外が殿下の寵愛を受けているのが気に入らないのかしら?『お気に入り』は貴方だけじゃないってこと。納得出来ない?男のヤキモチなんてみっともないわよ、坊や」
「へぇ……?ヤキモチ?お前ヤキモチ焼いているのか?」
「殿下は男になんてまるで興味がないんですって。貴方の片思いみたいよ。残念ね。」
にやにやと笑いながらフォルカーはポルトを見る。
「怪我をした時は随分と世話をやいてやったからな。思ってたより懐いてたって事か?まぁ、男に懐かれたところで俺は嬉しくともなんともないがな」
「まぁ、殿下ったら意地悪。うふふっ」
「――――――……」
「安心しろ、お前の主人はちょっと留守にしているだけだ。夜にはちゃーんと戻るから良い子で待ってろ。」
茶化すようなフォルカーの言葉には聞く耳を持たず、ポルトは女から視線を反らさない。
「レディ、貴女は本当に…こんな形で満足なのですか……?」
「やだ、お説教?本当に殿下が仰っていた通りね」
「っ?」
「小言がうるさくて猟犬みたいについてくる、面倒くさい奴だって。ねぇ、殿下?」
「仕事熱心なのは認めるがな」
「殿下は貴方の看病でお疲れなのよ。わからない?従者のクセに主人に世話をかけるなんて最低ね。だから見放されちゃうの」
「……殿下、そういうことで理解してよろしいのですか?」
「俺はお前を看ている間ずっと大人しくしてやってたんだ。良い主だろうが。それに気に入らない女性とこんな格好になったりはしない。お前もよくわかっているだろ?女性の扱いだってお前よりもずーっと慣れてる。今更何か聞くことなんてあるか?」
女の唇が見せつけるようにフォルカーの首筋をなぞるように上がっていく。その度に水音のようなリップ音が静かな部屋に響き、フォルカーがくすぐったそうに目を細めた。
「私は……」
これは酒場で見た時と同じような光景。いつもと同じ。慣れているはずなのに、なんだか今日は胸焼けしているみたいに気持ちが悪い。
「一体いつまで眺めてるの?どんなにそうしていたって、殿下の心は私のものなの!もう、出て行っ――――――……」
「私は大切に思う方との初めてを、仕事の合間に…それもこんな場所で迎えようとは思いません……!」
「「っ!?」」
今まで感じたことのない何かが感情を勢いよく押し上げた。
「大切な人の身体をこんな所に荷物みたいに押し込めて、息を殺さないといけないような状態で抱いたりはしない……!こんな扱い方に『慣れてる』ような男に、わざわざ貴女が身体を委ねてやる必要はありません……!」
驚いた二人は一瞬言葉を無くす。ローガンは相変わらず前を向けないままだったが、この小さな少年の苛烈さに息を飲んだ。
「それでも良いというなら…それが貴女の選択なら仕方がないです。でももし私が友人なら引き留めています……!それに貴女の運命の人が、これから出会う未来の夫がこの姿を見たら……きっと……きっと悲しむと思います……!」
「あ・貴方何を……っ」
「それは愛する人が寝取られているからじゃない。その場しのぎで使われる甘いだけの言葉と上辺だけの扱いを、貴女が受けているからだ……!」
フォルカーは苛立ちを隠さずに前髪をかき上げた。
「随分な物言いだな…。何処かの宣教師にでもなったつもりか?恩を仇で返す真似はお前の中じゃ肯定されているわけか」
「恩を感じなかった日なんてありません…っ。出来るだけお側にいたいと…お仕えしたいと思っておりました……!それに値する方だと思ったから……っ 」
――――――「それなのに」。
その言葉は言えなかった。
「……レディは貴方の愛は自分のものだと仰ってます。その気持ちが本物だというのなら、陛下にご報告なさいませ。待ちに待ったご子息の報告に、さぞ陛下もお慶びになるでしょう。貴方が鬱陶しいと思っている私の見張りも無くなるかも知れません……!全て良き方向へ向かいます……!」
「…………っ」
「殿下…?」
「そ・そんな直線的な考えしか出来ない奴に、偉そうなことを言われる筋合いは無い……!だからお前はいつまでたってもお子様なんだよっ」
言葉を濁したかのような返事。使用人は何かを察し一瞬表情が歪む。しかしすぐ顔を上げ、ポルトを睨み付けた。
「殿下がそれをお望みなら私は全然かまわないわ……!さぁ!早く出て行って……!」
「!」
「出て行って!!」
「お前には関係ない!早く出て行け、命令だ…!」
「―――――っ………」
今すぐにでもこの男に分厚い本を角からぶつけてやりたい気分だった。声を上げようとした瞬間、その勢いを止めるように後ろから肩を掴まれる。
「ポルト!……少し落ち着け…!」
「っ!」
ローガンの声に促されポルトは息をぐっと飲む。そして一度大きく息を吸って、吐き出した。
「……そうだ、それでいい」
「……殿下はもうすぐお夕食の時間ですが、今宵は陛下とご一緒のはずですよね?どうされるんですか?お召し変えをしていたら確実に遅刻しますが?」
フォルカーは「しまった」という顔で眉をひそめた。このドタバタで思いの外時間が潰れてしまったらしい。
「大切な方との大切なお時間、手早く済まされますか?それとも陛下とのお食事をキャンセルされますか?」
「………」
女性がちらりとフォルカーを見る。その表情を見てフォルカーは一瞬悩んだが……
「少し遅れると……、い・いや、今夜は出席できないとお伝えしろ。適当にそれっぽい理由をつけてな」
「……承知しました。では本日のスケジュールはこれで終了ということですね。では、どうぞごゆっくり」
フォルカーの腕は彼女を離さず、そして彼女もぴたりとくっついて離れようとはしない。
ポルトはチェストの蓋を開けたまま立ち上がった。
「では、行こうか」
「はい」
ローガンに促され部屋を出ると、扉の外では二匹が命じられたまま「お座り」の状態で待っていた。
「隊と役職者の皆様には私からご連絡しておきます。ローガン様はこのまま護衛を続けて下さい」
「ああ、そうさせて貰う。……しかしあのメイド、鬼気迫る感じがして凄かったな。殿下相手じゃ必死にもなるか……。って、それより…!君は殿下にあんな事を言ってしまって大丈夫なのか……っ?明日には故郷に帰されるかもしれないぞ」
「かまいません。城で雇うかどうかは殿下がお決めになることです。私はそれに従うまで」
「……………」
「殿下の側付きということは大変なものなのだな。いつもこんな感じなのか?」
「……いえ」
シーザーの頭を撫でながらポルトはフォルカーと出会ってからの時間を思い返した。彼を迎えに行く時はいつもゲームのようだった。子供の追いかけっこみたいで、フォルカーはそれを楽しんでいる風にも見えた。
「女性を帰さず殿下に従ったのは…今回が初めてです」
でも今日は…まるで様子が違った。ローガンがいなければ押さえきれない感情に一回くらい殴られていたかもしれない。
澱みがかった胸の重さは今も収まらない。変わったのはきっと彼ではなく自分の方だろう。
あのメイドは本当にフォルカーに想いを寄せていたのかもしれない。たとえ仮初めの関係で終わったとしても許せるほどに。そうでなくても、身分の高い男に抱かれ子供を授かれば、生活面の補助が受けられるようになるかもしれないし、運が良ければ妻として貴族の仲間入りをすることだって出来る。それを目的に貴族に身体を許す女性は決して少なくはないし、それをわかって利用する男もいる。
あの二人の間にも、子供の自分なんかじゃわからないような大人の事情があったり無かったりするのだろう。でも……。
「城内では私と殿下の仲を疑う噂もあるようですが……、もし私が女だったとしてもあんな男の相手などお断りです。」
自分とはまるで考えが違う。考えだけじゃない、似てる要素なんて犬が好きくらいのものではないか。
『家族』だなんて浮かれてた自分をぶん殴りたい。