【前】悪い虫
秋は深まり、陽の光は淡くなり地上を暖める力をなくしている。葉を落とした木々は風が吹くと寒そうに枝を震わせ、動物たちはねぐらに籠もりそのうち春まで出てこなくなるだろう。
狼達の毛はより一層厚みを増し、ブラッシングをするポルトの作業時間を延ばしている。
怪我の間療養していたが、やっと今まで通り仕事が出来るようになった。
久しぶりの再会にシーザーもカロンも大喜びすると、尻尾を激しく振りながら小さな主の口元を舐めて甘える。そんな二匹をポルトは代わる代わる思いっきり抱きしめた。
世話役の代理だった兵士は愛情を注ぐ以前に襲われて、まともな手入れも出来ていなかったらしい。ポルトが復帰した日に見たものは、半分野生に戻った風貌の狼達だった。
「あーあ……、お前達すっかり獣臭くなって………」
『家』にも近い規模を持つ狼小屋を丹念に掃除した後、二つの大鍋で交互にお湯を沸かしながら大狼を洗った。身体を拭いた後、火を焚いた暖炉の前に座らせてふいごで乾かす。すると柔らかさを取り戻した毛皮がふんわりとボリュームを帯びてきた。
「おお~……、さすがにあれだけ汚れていると綺麗になった後のギャップが凄い」
城に来る客人の中には獣特有の臭いを嫌う者もいる。ポルトは可愛い二匹を少しでも好きになって貰えるように、時々町に出かけては犬用に作られた石鹸や毛艶がでるトリートメント効果のある香油を買っていた。こんなもの買う人間は金持ち連中だけなので、お値段の方もそれにあわせて少々立派なものになっている。ポルトからしても決して安いものではないが、自分の為に使ったら全て食べ物に消えてしまうしだろうし、どうせ同じ消耗品なら…ということで、子供を可愛がるかのように狼達に愛情を注いでいた。
狼はマッサージの気持ち良さで眠ってしまうので香油を舐めとられる心配はない。彼らをウットリさせるこのフィンガーテクにはポルトもちょっとした自信を持っている。
あらかた作業が終わると、今度は自分がうっとりする番だと言わんがばかりに、ほのかにハーブの香る柔らかな毛並みにモフモフモフモフッと思いっきり顔を押しつけた。
「ふーーー………♥」
やや恍惚感に浸りつつ顔を上げる。これだ。これだよ、欲しかったのは……!今夜は良い夢が見られそうだ。
大鍋にはまだお湯が残っている。ポルトは自分も洗うことにした。
やっと身体が収まる位の木桶に湯を入れ、久しぶりの沐浴をする。たっぷりとお湯を使うのはなんとも贅沢で、少しだけ貴族様になったような気分。こんなことが出来るのは狼の世話役としてこの家が自由に使えるからこそ。役得である。
ぽちゃりと水滴が落ちる音を聞きながら、ポルトは部屋で見た父親の肖像画を思い出した。
(父様……。父様が殿下の曾お爺様ってどういうことなんだ……)
確かに昔、姉の一人が言っていた。「父様はとっても偉い人なの。だから忙しくて家に戻ってこないんだよ」と……。偉いは偉いでも、まさか国で一番偉いとは考えもしていなかった。ということは、実はフォルカーとも血縁関係…というということになる。
(新しい家族……?)
フォルカーの側付きになってつくづく思い知ったのが、貴族という生き物は無駄に恋多き連中だということ。一晩で終わるものもあれば、数日続くもの、何年も続くものだってある。
最高権力者である王族ならば止める者も少なく、しかも相手は向こうから勝手に現れる。もし本当に父が王族の人間だとしたら、腹違いの兄妹がどこにどれだけいたっておかしくはない。
年齢だって、自分じゃ想像出来ないような滋養の良いご飯と最高権力者だけが受けられるような特別な介護や、庶民じゃ到底手の届かない高価な薬でも処方されてたら……。
もしかしてもしかしたらということもある…かもしれない。
(え…と、父様の子供が殿下のお祖父様だから、私とお祖父様が兄妹で……。陛下が甥……!?殿下は甥っ子の息子!?)
つまり自分はフォルカーの大叔母にあたるということだ。
普通とは少々毛色の違う家系図だが、もの凄く距離が縮まった気がして胸がきゅうっと締め付けられた。
鼓動が歓喜に踊る。熱くなった頬を思わず両手で隠した。
もしそれが本当だとしたら凄く嬉しい。凄く、凄く嬉しい。
(そうだ!)
フォルカーは以前、城で出てくる肉料理は保存食を調理したものが多いと言っていた。今度陛下と彼の為に立派な鹿を獲ってこよう。この季節の鹿は冬に備えて肥えている。脂が乗って一年のうちで一番美味だ。なんだったら外で調理してあげたっていい。「美味しいよ」、そういって頬張る二人の笑顔が見たい。 獲物は大きいが今はちゃんと整備された武器が調達出来るし、カロンとシーザーもいる。きっとなんとかなる。
(美味しい物…獲ってきてあげたい……!だって家族だもん……!)
思っていた家族とはちょっと形は違うが、もうそれでもかまわない。とっても素敵なプレゼントを目の前にした子供みたいに、胸が高鳴って止まらないのだ。
彼の従者になったことは、運命にも似た何かがあったのだろう。もしかしたら父の居場所も知っているかも知れない。様子を見て今度話しをしてみよう。
(…変なこと言うなって怒られちゃうかもしれないけど)
今朝廊下に出ると、フォルカーの部屋の前に近衛隊の騎士達が数人集まっていた。その瞬間まで知らなかったが、事件の犯人が見つかるまで王族や重臣達には衛兵が付くようになったらしい。
王子であるフォルカーにも当然のことながら護衛が付くことになり、心から嫌そうな顔をしていた。
彼らは重装備こそしてはいないが、細やかな装飾のされている上着の上から革製の防具をしっかり装備していて、国から支給されている物とはまるで違う優美な剣を腰に帯びている。揃いのローブは白。何も知らない子供でも、一目で彼らがただの兵でないことがわかる。
近衛騎士といえば騎士の中でもエリート中のエリート。家柄だけではなく技量、教養の面に置いても全ての騎士達の見本となるような者達だけが選出される。
何も知らず、寝癖をそのままで外に出てしまったポルトは、思ってもいなかった彼らとの遭遇に激しく後悔をすることになってしまった。
いつものサーコートに着替えて身だしなみを整える。髪の毛もなるべく跳ねないように丁寧に乾かした。
城には使用人達専用の小さな入り口がある。
息を切らしながら帰ってくると、そこにいた衛兵の一人に声を掛けられた。
「おい、アンタ……!フォルカー殿下の従者だろ!」
「はい、そうですが…何かありましたか?」
「さっき役人連中がアンタのこと探してたぞ」
「私を??」
「近衛隊も慌ただしくなってる。殿下に……何かあったんじゃないか?」
「っ!?」
大聖堂で見た矢の光を思い出した。あの時の犯人が、まさか今度はフォルカーを襲ったとでも言うのだろうか。
まだ事件は解決していないというのに何を浮かれていたのだろう。近衛隊が居るから気が緩んでいたのかも知れない。力は無くとも一番側にいられるのは自分だというのに……!
自分の愚かさを叱咤しながらフォルカーの執務室へと駆けだした。
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執務室へ続く廊下の前では、ポルトを探していた役人達が慌てふためいている姿。
彼らはポルトを見つけると一斉に駆け寄り、「殿下は今どこに!?」と、同じような質問を代わる代わる聞いていく。
近衛隊に任せた後は知らないことを告げると肩を落とした。
「一体いつごろお姿が無くなったのですか?」
「途中まではいらっしゃったのだっ」
「午後の会合にも顔を出していらっしゃった」
「今日中にまとめなくては来月末の国境警備に大きな影響が出てしまうのです……!」
「そうえいば、少し休憩を取りたいと仰って…………」
「茶を入れに来ていた使用人もいなくなりました」
「「「「「…………………………」」」」」
そっちの心配事も復活したか……………。
ポチの復帰祝いとでもいうかのように、フォルカーの悪い虫がまた騒ぎ始めたらしい。
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