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父の肖像

 カーテンが開かれた大きな窓、そこから入る日差しは柔らかく身体を包んでいた。

 柔らかいのは日差しだけではない。上半身を起こして枕に目を向ける。


(何度触っても凄い……)


 藁を敷き詰め、そこに布を一枚敷いてベッドを作る家もよく見かける。中には布すら掛けない者もいる。ポルトは春の新芽に敷き詰められた芝生の上、それも広葉樹の木陰でゴロリと転がるのが好きなのだが、このベッドはまるで雲の上に寝ころんでいるような気分にさせた。


(貴族様と同じベッドに眠っているんだから、ちょっとは頭が良くなってるかも……)


 枕元のテーブルにはフォルカーが神学校から借りてきた本が数冊置いてある。

 立派な革表紙に包まれた一冊を手に取って開いてみるものの、やはり頭はもとのまま、文字は読めない。時々現れる挿絵を見て何が書かれているのかを予想するのが精一杯だ。

 海を背景に屈強な男が剣を構えている絵を見ながら、小首をかしげる。


(誰だ?)


 魚でも捕っているんだろうか?ということは、ここに載っているのは漁師?


(つまりこれは漁業の本っていうこと………?)


 しかしページを薦めると、今度は森の中で弓を構えていた。


(……漁師が猟師になった。……あ!)


  頭の上でひらめきの星が輝く。もしかしてこれは職業訓練の本?もしバレて除隊処分になったら、新しい仕事をこの中から探せという意味なのかもしれない。


(そっか……。この前、「罰せられるなら処刑を」なんて言っちゃったせいだ)


 さすがマメさに定評のある我が主。きっとこうした心遣いで数多の美姫を落として来たのだろう。

 女癖さえ無ければある程度は文句なしなのに。きっとそう思っているのは自分だけではないだろう。


 転職先探しのために改めて本を開こうとしたとき、扉の向こうで衛兵と誰かが言い争っているような声が聞こえてきた。


 「殿下?」


 いや、フォルカーなら門番達が騒いだりはしない。

 仲間には隊長からすでに面会謝絶の連絡は入っているはず。

 しばらくすると言い争いは消え、静かになった。来訪者は帰ったのだろうか?ベッドに座り直し改めて本に指先をかけ……


「ここねッッッ!!」

「っっっっ!?!?!?」


 突然ドンッという音が太鼓のように鳴り響き、フォルカーの部屋側にあった扉が勢いよく開いた。

 驚き飛び上がった拍子にポルトは持っていた本を床に落とす。

 バクバクと激しく鼓動する胸を押さえて振り向けば、そこには怒りを露わにする侯爵令嬢エルゼが立っていた。


「エ・エルゼ様…!?豊穣祭の後、お帰りになったのでは!?」

「お黙りなさい!あんな噂を聞いて、大人しく屋敷に籠もっていられるものですか!」

「う・噂!?」


 まとめた髪が今にも崩れそうになるほど大股で近づくと、テーブルの上に力一杯手のひらを打ち付けた。大きな音は部屋中に響き、ポルトは思わず「ひっ」と毛布を引き上げ身構える。


「あ…貴方が……貴方がフォルカー様の恋人だって…!」

「はぁっ!?」


 なんていうことだ。とうとう彼女にまであの噂が届いてしまったらしい。

 そう思われても仕方がないような経験が無いわけでも無い為、罪悪感にもにた感情が一気に心拍数を押し上げる。

 それを見透かしたかのようにエルゼの攻撃ならぬ口撃が続いた。


「わたくしの目をごまかそうとしたって無駄無駄無駄 無駄ですわ!今までフォルカー様が二日以上同じ方とご一緒にいたことなんてありませんもの!最近、どんな女性達が声をかけても興味を示されなかったのは、全部貴方が原因だったね!?」

「えぇえぇえっっ!?」


 二日と一緒にいない……のは、連れ込んだ女性と『事』をおっぱじめる前に追い返しているからだろう。それ理由なら、犯人は自分であることはほぼ間違いない。

 しかし後者の方には全く心当たりはない。

 というか、誰が彼女の耳にそんな噂を入れてしまったのだろう。殺されてしまうではないか……!!


「姫、少し落ち着いて下さいっ」


 色々と気落ちするのは後にしよう。

 さらしを巻いていない胸元を上手く隠しながらエルゼの前に跪いた。


「この前お庭でフォルカー様の話をしていた時、さぞわたくしのことを滑稽に思われたでしょうね……!すでに我がものにしているお方のことを想うこの身を…腹の底ではお笑いになっていたのでしょう!?」


 可愛らしい顔をくしゃりと歪ませながら睨むエルゼ。今にも泣きそうな瞳を見ると何故か罪悪感を感じてしまう。


「そんなこと、あるはずありません!姫、まず私の話をお聞き下さい。誓って真実のみをお話ししますっ」

「えぇ、望むところよ。包み隠さず全て言いなさい!どう言い逃れなさる気!?」


 で・では…、とポルトはコホンと咳払いをする。


「殿下が二日以上同じ女性と一緒にいらっしゃらないというのは、その…殿下ご自身の趣味趣向も原因のひとつにあると思いますので詳しくは存じません。ただ私が従者として任命されて以降、そういった女性との関係は控えて頂くようにお願いしてございますし、陛下からもしっかり見張るようにと仰せつかっております。以降、私が殿下の元へ出向き、姫君達にはお帰り頂いておりました。」

「え?貴方、追い返していたの?」

「はい」

「それは良くやったわ」

(褒められた……)


 彼女にとって、他の姫君達はライバル以外の何者でもないということだろう。


「殿下が女性に興味が無くなったということは(天地がひっくり返っても)ありません。彼は今も変わらず女性には(過剰に)お優しいですよ」

「……つまり貴方が端から邪魔をしているということね。それなら何故フォルカー様は貴方を側に置いておくの?いっそ城から一番遠くに預けてしまえば自由になれるのでしょう?陛下が襲われて大変な時期だとわかってはおりますけど、それでもおかしいわ。だって今の貴方じゃフォルカー様をお守りすることも出来ないでしょう?」


 白い指先がシャツの首もとから覗く包帯指す。


「殿下は私に『拾った犬は最後まで面倒を見る』と仰っておりましたので、カロンやシーザーと同じ扱いなのだと思います」


 メス犬ポジション…とでも言うのだろうか?自分で言ってても誤解されそうなネーミングだ。


「あの大きなワンちゃん達?」

「そ・そうです。ワンちゃんや護衛にも使えない男と恋仲になるような殿下ではありませんよ。というよりも、殿下が男性とそういう関係になることは従者の私にすら想像できかねます。エルゼ様、どうかご安心を」


 何か考え込むようにエルゼは静かになった。

 反論してこないということは、ある程度納得できたということ……だろうか?安堵のため息をついた。


「あなた、これは何?」

(まだ何かあるのか!?…って、あれ?)


 顔をあげると、エルゼはテーブルに置いてあった本を手に持っている。すでに興味は他に移っていたらしい。


「これは神学の教科書ね。神官にでもおなるつもり?」

「神学の?いえ、殿下がおいて行かれたものです。このまま傷も癒えきれず、万が一除隊処分にでもなれば、私は生きる糧を失いますので、転職の指南書のようなものを選んで頂けたみたいです」


 その言葉に怪訝な顔をするエルゼ。


「な…なんてお馬鹿さん」

「………………………………は?」


 先ほどポルトが落とした本を拾い上げる。


「これもだわ。ここにある本は全て神学や歴史に関連するものよ。貴方、一体何を見てそう思ったの?」

「え?絵が…。魚を捕っていたり山で猟をしている男性が載っておりまして……」

「それは、神が天地を創造する時のものです!剣の先をつけて命を生み出したというお話!子供でもわかる初歩中の初歩!!」

「えぇ!?そうだったんですか!?私はてっきり夏は海で漁をし、冬は山で猟をするのかと……!お…おかしいと思ったんですよ。冬に山に入ってもそんなに獲物いないのになぁって…!」

「貴方、どうやって今までフォルカー様の従者を………」

「何せ最初が狼の世話係だったので……」


 「王位継承者の従者である者の言葉とは思えない。」、エルゼの瞳がそう言っている。正直、自分でもそう思う。


「それで…貴方はどこまで読めるの?」

「数字は…少しわかります。あと軍事命令に関係するものはあまり難しいものでなければなんとか……」

「…………」


 エルゼは急に立ち上がると紙に何かを書き始めた。

 ポルトの目の前に「これはどう!?」と広げてみせる。

――――――『密集隊型を組み、十歩前進せよ』


「え…えと、『密集隊型を組み、十歩前進せよ』です」


次に「こっちはどうなの?」と、持っていたもう一枚の紙を広げた。

――――――『かわいい ことり もふもふ』


「ぅうぅ……っ!」

「貴方…不器用なのか器用なのか、よくわからないわ……。フォルカー様は一体何をお考えなのかしら。とにかく、基礎の基礎から学ぶ必要がありそうね」


 部屋を見回す。もしかしたら何か教材になりそうなものがあるかもしれないと、エルゼは高価な調度品の山を吟味しはじめた。

 長テーブルの上にあった絵画の布もはずし丁寧にチェックしていると、一枚の絵に目を留める。


「あら、王妃様だわ。ほら、ご覧になって?少しお若い頃みたいだけど…おいくつぐらいの時かしら?

もしかしたら私がお城へ来るようになった時より前のものかもしれないわ」


 目の前に現れた一人の女性に、ポルトは息を飲んだ。

 月のような銀糸の髪を持つ、ファールンの王妃。顎や首はすらりとしているが、決して華奢ではない。森を駆ける鹿のようにしなやかだ。特に印象的なのは輪郭がはっきりとしている蒼い瞳。深い海のように美しい。王妃というよりもまるで一国の王のように強い意志を感じる。


 これといって豪華な装飾が施されているドレスではないが、かえって彼女自身を際だたせている。


「お父様に聞いた話だと、結婚当初は喧嘩すらしない絶対氷結のような関係だったらしいわ。やっと喧嘩が出来るようになった頃には随分と城内も荒れて……。見かねて仲裁に入ったダーナー様も三日に一度は怒鳴られて、随分と大変だったらしくて……」

「…そうだったんですか……」


 すぐげんこつを落とすフォルカーの性格は母親から来ているのかもしれない・・・・・・。と思った瞬間気が付いた。


(あれ?最近ゲンコツ貰ってない……)


 代わりに指をはじかれるようになったおでこをさする。


「馬車を燃やされた時は、『末代まで呪われろ!』と笑い叫ぶ王妃の姿に、ダーナー様は腰が抜けて半月寝込んだとか……。ま、半月ならいつもの体調不良の範囲だけどね!」

(あの方の体質は今も昔も変わらずか……)

「でもわたくしにはとっても優しいお方だったわ。ずっとわたくしのような娘が欲しいって仰ってたし、みんなが見ていない所でこっそり熊の爪をくださったの。幸運のお守りだとおっしゃってたわ。気分転換にと一人で山に入られてた方だから、その時狩っていらっしゃったのね」

「ぇ……」


 狩りは貴族のメジャーな趣味のひとつ。森をよく知る狩猟アドバイザーのような人間が必ず付き添い、猟犬を使って主人の前まで獲物を追い立てる。そこを弓やクロスボウで主が仕留めるのが一般的だ。女性なら尚更補助が必要になるし、獲物も狐あたりが精一杯だろう。


 鹿や猪は獲物の中でもランクが高いとされているが、熊はその最高位に値すると言っても良い。…というか、ランクどうこうの前に生身の人間が一人で相手にする獲物ではない。ウルリヒ王も強烈な花嫁を持ったものである。


 唖然としているポルトに目もくれず、エルゼはその後ろにあったもう一枚の絵を見ている。

 椅子に腰掛けるひとりの男性で、軽くウェーブがかかった髪は白髪が交じっている。立派な身なりから、高貴な生まれであることは容易に想像できた。


「あら?これは…誰かしら…?」


 彼が身につけているネックレスの金細工、その中に身分を示すものが描かれていた。

 向かい合う二頭の一角獣。ファールンの国旗に描かれている神獣だ。

 彼を見た瞬間、ポルトが息を飲んだ。


「…父…様…?」

「え?」


 震える言葉を聞き返すようにエルゼが振り返る。


「どうして…どうして父様がここに……?」

「な…何を馬鹿なことを。ほら、ここをご覧なさい。端に『レフリガルト王』って書いてあるじゃない。フォルカー様の曾祖父にあたるお方だわ。貴方のような方とは全くご縁のないお方よっ」

「で…でも、確かに……っ!」

「んまっ!白々しい嘘をっ!!貴方…まさかそうやって嘘を吹聴してフォルカー様に近づいたんじゃ……!?」

「嘘じゃありません!本当にこの方は私の……!」

「フォルカー様がお生まれになった時にはすでにご崩御された後。貴方のような御子がいるわけないじゃない!フォルカー様の従者でなければ衛兵を呼んで捕まえて貰うところだわっ。金輪際、そんな馬鹿な話は口にしては駄目よ!!身の程を知りなさい!!」

「――――――っ!!」

 気迫に押されるように口をつぐんだ。

 「この絵にも触ってはいけないわ!」という声と共に絵には布が被せられる。

 感情を隠そうとしない彼女は、大きな音を立てて扉を閉じると部屋を後にした。


「――――――……っ……」


 言葉にならない声が喉を熱くする。

 最後に父を見たのは家を出てきた日、燃え上がる炎に包まれた屋敷の中だった。


 かがんで額縁から垂れる白布の端に触れる。


「…と……さ……」


――――――『金輪際、そんな馬鹿な話は口にしては駄目よ!!』


 令嬢の言葉を思い出して、奥歯を噛みしめる。

 思いを伝えるかのように首を垂れ、布端に唇を静かに押し当てた。



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