後日談:ローガンの場合【後】
失恋の痛みに首を垂れたままの部下。モリトール卿は上司として、年長者として的確なアドバイスをすべき所なのだろうが、今回は明らかに畑違い。
だからといって、今にも高所から身を投げてしまいそうな顔をしているローガンを放っておくことも出来ず、表情を変えないまま思案を巡らせる。
「……結果は言うまでもないが、相手に言うだけ言ってみるか?少しは気が晴れるかもしれんぞ」
「いや……。それは……駄目です」
「ほう?」
「俺から見ても本当に…羨ましいくらい想い合っている…お似合いの二人です。きっと俺の気持ちは彼女にとって迷惑になる。そうわかっていながら告白なんて、自己満足でしか無い」
「俺からすれば、殿下の行動こそ自己満足の極みだと思うがな。周りの人間のことなど微塵も考えていない愚行と言ってもいい。それに比べればお前など鳥の糞みたいなものだ」
「糞……」
「なんなら俺の姉上に便りを出して、故郷に伝わる『恋人を別れさせるおまじない』とやらを頼んでやろうか?」
「ダ・ダメです!!そこまでしなくていいです!気持ちだけで十分ですから!」
「姉上は過去に六回試して八回成功させた実績の持ち主だぞ」
「え?回数が合ってないんですが」
「呪った二人も別れたのだが、その二人の兄妹、両親も同時期に別れたことがあってな……。姉の気の強さが呪いの力も強めたのだろう」
「本っ当に何もしないでください……!」
しっかりとしたローガンの念押しに「そうか?」と返すモリトール卿。
「俺はお前が横からかっ浚ってくれれば良いと今でも思っている。どうせ状況が落ち着いているのも今だけだ。すぐに騒動が起きる。もしかしたら、あの二人が別れることもあるかもな」
「俺はそんなこと望んでは……!」
「お前が望んでも望んでいなくても関係ない。時が来れば勝手になるようになる。確率を考えれば、別れない方が不思議な位だろう」
複雑な表情に眉根を寄せたとき、クロエが再び扉をノックした。さっきとは違う、一抱えほどの木箱を持って。
「ああ、そこに置いておいてくれ」
「失礼いたします、お二人とも。……あら?坊ちゃんの顔色が優れないご様子。ご気分でも悪いので??」
「な…なんでもないよ、クロエ!」
「なんだ?お前言ってないのか?この使用人は長くお前に仕えているのだろう?」
「坊ちゃんがお生まれになる前からお仕えしておりますわ、ホホホホホ」
紅潮するローガンの頬。幼い頃からずっと世話をしてきた青年の初めて見せる表情に、クロエの女の感が働いた。
「もしかして…恋煩い…しかもそのご様子ではあまり良い方向には進まなかったのでしょうか……?」
「!!」
的確に的を射抜いた老婆の勧にローガンは最早言葉を失う。女性はもともと第六感と呼ばれるものがあると聞くが、老いてもそれは…いや、老いて人生経験を重ねているからこそのものだろう。
一方、「いつの間にかそんな話が出来る程大人になられて……」と、クロエは寂しくも微笑ましく目を細める。
「あらあら、まぁまぁ。だから最近元気を無くされていたのですね。婆はどこかお身体の調子が悪いのかと心配していたのですよ?今はきっと…無理をせず、胸の痛みが収まるのを待つ時期なのでしょう。婆にも経験があります」
「え?そうなの?」
「ええ。婆だって昔は坊ちゃまのように若かりし時間があったのですよ。何度も恋の花を咲かせたものです。小さい花、大きい花、長く咲いた花、すぐ枯れてしまった花……色々ありましたわ。結局選べる花…お相手は一人だけですから、散る花の方が多いのは仕方のないことなのでしょうけれど」
老婆の話をローガンは静かに聞いていた。散る花は少ないほうが良いに決まっている。
出来るなら選んだひとつの花をずっとずっと大切にしたい。
(つまり、初恋同士で生涯結ばれれば最高ってことか。そりゃ…難しいだろうな……)
クロエがローガンの背を優しくなでた。
「たとえ今回は上手く行かなくても、その経験は人生の学びになるでしょう。次に出会う大切な方の為のお勉強なんじゃないでしょうかね?婆はそう思いますよ」
二人の様子を見ていたモリトール卿がワインを口に含む。
「出会いがあれば別れがある。お前のその悲しみを癒やすのにピッタリのものがあるぞ」
「まさか見合い話でも持ってきたのですか?あ……!小箱ってもしかして…お相手の肖像画……!?やめてください、今はとてもそんな気分じゃ……」
モリトール卿の視線に指示され、クロエは箱へと向かう。
「古い記憶は、新しい記憶を重ねれば薄くなるものだ。良くも悪くもな。今は一人だが…今日のこの時間がいつか良い思い出になる日も来るだろう」
恐る恐る箱の中を覗いたクロエの目元に優しいシワがいくつも入る。
その表情に吊られるようにローガンも覗き込むと、二人を見上げる小さな小さな子犬がいた。真っ白で子犬特有のふわふわな毛に真っ黒い目と鼻先をまっすぐ向けている。
「……!」
一気に上昇するローガンの体温。さっきとは比べ物にならないほどの顔が熱い。
天使は天上から降りてくるものではないのか?と真剣に思った。
「知り合いの家から貰い受けてきた。我らが騎士団の獅子と同じ白い毛色だ」
「団長、これは一体どういう……」
「走れ。お前はそいつの散歩ついでに毎日二時間ランニングをしろ」
「え?」
「筋肉があれば幸福度をより強く感じられるのだと本で読んだ。つまり、哀愁が勝っている今のお前は鍛え方が足りないということだ」
「は……??」
「筋肉をつけろ」
「???」
「筋肉が全てを解決する。新しい肉体、新しい精神を身に着ければ、新しい女などすぐに見つかる」
「それはマッチョ好みのご婦人ではないですか?」とか「俺はマッチョ好みの女性が好きというわけでは……」とか色々と言葉が脳裏を巡ったが、勿論ローガンがそれを口にすることは出来なかった。




