【小話】お前が悪い。
ポルトが腹を壊した。
慌てて駆けつけた医師に昨日食べさせたものを説明すると「ネドナの療養中にそんなもの食べさせて!この子を殺す気ですか!」と怒られた。なんとなくいけそうな気がしたんだが、どうやら本当に気のせいだったらしい。
みの虫のように毛布にくるまり、真っ青な顔をしたポルトが顔を上げ、「ホントあのミートパイは死ぬほど美味しくて……」とフォローにならないフォローを投入。医者の怒りが飛び火した。
結局、最低限自分のことは出来ることを確認し、ポルトは医者が常駐している診療部屋で過ごすことになった。
姿を見られないように毛布を頭から被せ、自分が横抱きにして連れて行く。その時、「……幸せです……幸せです……。彼の名はミートパイ……うぅぅ……」という謎のうめき声が聞こえ、医者との間に氷った空気が流れたことはきっと十年後も忘れないだろう。とりあえずミートパイの代名詞に『彼』とは使わない。
諸々含め、従者の調教方法を間違えたのだと深く反省した。
久しぶりにひとりきりになった自分の寝室に戻る。ここを覗けばいつも彼女がいたせいか、数日ぶりに空になったベッドを見て少しだけ物足りなさを感じた。
「元々は俺の物のはずなんだがなぁ」
考えてみれば美姫達と一夜を過ごすのに、このベッドを使ったことはない。自分が彼女達の部屋へ赴くからだ。初めての相手がポルトという事実にやや不満はあるが、今回は事情が事情だから仕方がないだろう。
ひとつ欠伸をしてベッドに身体を横たえる。一人のベッドは冷たくて、寝返りを打つとかすかに残っていた彼女の香りを見つけた。
(変な気、起こさなくて良かったぜ……)
傷と毒に苦しむ怪我人を襲う気は流石に起きなかったが、元気になった姿を見るとちょっとくらい何かあっても良かったんじゃないか…?なんて考えたりもする。健康な成年男子なのだから、ある意味これは生理現象と言ってもいいだろう。
……例えば一時の情に流されてポルトに手を出したとする。
未来の無い安易な関係に「この節操なしのゲス王子」となじられるだけならまだ良い。下手をしたら背中のものより深い傷を心につけかねない。
昨夜のポルトを思えば、今までどんな人生を送ってきたのかはおおよそ見当はつく。この期に及んで更なる黒歴史を背負わせる気は無い。きっと世間一般的に考えてもこの判断に異を唱える者はいないだろう。
弟のように思っていた時もあった。しかし事実を知った今、それを続けていくことは彼女のためにもならない。
元々天と地ほど離れた身分。遅かれ早かれ別れの時は来る。
早々に新しい職を見つけて彼女がここを去るかもしれないし、職ではなく恋人が現れるかもしれない。そう言ってる自分に妻が出来ることだって……。
何がきっかけになるかはわからないが、『その時』が訪れたら、笑いあって互いの良い未来を願えるようにしたい。
ふと彼女の姿が脳裏に浮かんだ。
――――『貴方を背に撤退などありえない……!』
兵士として当たり前のことを言っただけ。そう、それだけのことなのに……。
フォルカーはガシガシと頭をかく。
「ちゃんとした飼い主……見つけてやらねぇとな……」
毎日充分な餌を与え、あの蜂蜜色の髪に櫛を入れ、散歩にも連れ出し、何より剣が無くとも安心して暮らせる場所を与えてやれる相手……。必ず見つけ出す。
瞼は徐々に重くなる。
綿毛のようにふわふわと訪れた睡魔を素直に受け入れることにした。
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「――――殿下、ご覧下さい!」
「?」
パステル色の雲が周囲を囲んでいる。これはきっと夢の中だ。
いつものサーコート姿のポルトがきりりと声を張る。何事かと目を向ければ、大きな木ほどの高さに一本のロープが張られていて、その上に何故か彼女がバランスを取りながら立っていた。
どこから伸びているかもわからない長い長いロープは端が見えない。どうやってあの場所にたどり着いたのだろう。
「馬鹿!何やってんだ、お前は!降りろ!あぶねーだろ! 」
「大丈夫です!問題ありません!」
両手を広げ、ゆっくりと歩を進めるポルト。ゆらゆらと揺れるロープに、いつ地面に落下するかと気が気ではない。
真下には謎の立て看板が二つ、ロープを挟むように並べられていた。
右側に 〈弟のような従者〉、そして左側には〈一夜の恋人〉と書かれている。
「…………ん?」
その二つの上を、右に左にフラフラしながらポルトが渡っている。
「――――え!?何!?何!?そういうことなのか!?待って!?ちょっと待ってこの感じっ!」
何かを察した。これはきっとそういうことだ。
「おい!!落ちるなら右にしろ!!左は絶対ダメだ!!」
「こっちですか?」
と、ポルトは左側を指さす。
「違う違う違う違うっっっ!ああ、悪かった!お前から見たら逆だったな!左だ!左に落ちろ!剣握ってない方だぞ!?」
「駄目ですよ、ちゃんと渡らないと。今日の任務はここを渡ることで……」
「誰だ、そんな任務出した奴はッッ!!」
クソ真面目な顔して綱渡りをする姿は見ていて滑稽だが、きっとその下で狼狽している自分もかなり滑稽な姿になっているだろう。
「ポチ!この先にちゃんとロープから降りられる場所があるんだよな!?とにかく頑張れ!!出来れば落ちるな!頼むッッ!心底頼むッッッ!」
「お任せ下さい!このポルト、殿下の従者として見事渡りきって…… あっ」
威勢良くドンと胸を叩いた拍子にポルトの足下がぐらついた。体勢は大きく傾き……望んでいたとおり彼女から見て左、〈弟のような従者〉側に身体が落ちる。
(よし……!これで今まで通りだ……!)
落下していく姿はまるでスローモーションのように見えた。刹那、地面になんのクッションも無いことに気がつく。
「――――――――!!!!! 」
全身に走る驚きと恐怖。足はすでに地面を蹴り、両腕は彼女に向かって広げられていた。
地面に叩きつけられる寸前、自分の身体でそれを阻止する。
「くっ!! 」
両腕に走る経験したことのない重さと衝撃。
息も思考も一瞬止まったが、次の瞬間、腕の中にいた少女の姿に力が抜けるような安堵感が訪れた。
「ポチ……、大丈夫か……?」
「はい……!あ…ありがとうございます……っ」
抱きかかえられたのが恥ずかしかったのだろうか、何故か頬を染めて視線を外す。
「あの……まさか…その……なんと言ったらいいのか…」
「阿呆!お前こんな時に何考えて……」
「ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願い致します……」
「は?」
「これ……」
ポルトが自分の胸元を指さす。
着ていたシャツには大きく〈いっそ嫁〉と書かれていた。
「えぇえぇぇええ―――――っっ!?!?」
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「――――――っっ!! 」
声にならない声で目が覚めた。
念のため周囲を見回してみたが、確かに自分の寝室だ。時間もそんなにたってはいないだろう。
……それにしても、うたた寝でこんなに全身汗だくになるのは初めてだ。
「………っっ……」
勢いよく起きあがり、大股で部屋を去る。向かったのは診療室、関係者以外絶対面接禁止になっているポルトの部屋だ。
まだ顔色は悪いが、突然の主人の訪問に重い身体を起こす。彼は見るからに不機嫌で、金色の瞳が驚きでまん丸になった。
「で・殿下、一体どうしたんですか……っ? 」
「……」
困惑気味なポルトを見て余計にイライラするし、なんだか変な動悸が収まらない。理由はわかっている。あの夢のせいだ。ドカリとベッドに腰をかけ、不満一杯の声を漏らした。
「くそ!ふざけんな……!!」
「い…一体何が…痛っ」
白くて丸い額にペチンと指を弾く。
「この野郎!この!この!この!この!」
「なっ!?え!?い!ぃた!い!」
突然始まった謎のデコはじきの刑は、理由すらわからないポルトが謝罪の言葉を連呼するまで延々と続けられたのだった。
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