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願い-1

 少女の消失と同時に周囲にあったものは消えてしまった。

緑の雑草に覆われた丘も、黒炭に燃えた教会も、白い花びらが舞っていた青い空も……。


 あるのは自分の影すら朧げな真っ白な世界、厳然たる静寂の世界だった。

 向いている方向もわからないようなこの場所には白い装束に身を包んだ母、シュテファーニアが残った。

 

「……ずっと見ておられたのですか。お人が悪い」


 フォルカーは母の顔を見ることもなく、そう言葉を落とした。


『寝顔を見られることすら嫌がる者は多いというのに、お前ときたら女の過去を根掘り葉掘りと……。人が悪いだなんて、どの口が言う』

 

 母はふっと口角を上げた。

 その視線の先にいるフォルカーは、最後に少女に触れた自分の手を見つめている。

 国で最も高い身分に生まれ、溢れる程の金も食べきれないほどの食料も酒も、有り余るほどの領土も持っているのに…その掌には今、何ひとつ残ってはいなかった。


『指輪に願ったこと……後悔しているか?』


 静かな空気に交わらせるような声。その問いにはフォルカーもしばらく思案顔のまま思いを馳せる。


「本来なら時間をかけて彼女が心を開くのを待つべきだった…それは自覚しています」

『本来なら、か』

「ダーナー公の一件で状況が変わってしまった。俺も、父上も、そして城の連中も。そしてポルト自身も。悠長に待っていることなど出来なかった……。だから、後悔はしていません」

『確かに愚かなほど頑なな娘だな。彼女が他人(ひと)を思う程、他人(ひと)は彼女を思ってはくれない。見返りなど無いと言うのにな。……いや、そもそも見返りを求めることなど、とうの昔に止めてしまったのだろうけれど』

「――………」


 『誰も自分のようにならなくていい』、それが彼女の願いであり行動の原動力。

 もしかしたら彼女は他人の姿に昔の自分を投影し、行動することで心の傷を癒やしていたのかもしれない。

 

『それでも、あの娘はお前やウルリヒにとって幸運だっただろう』

「父上にも…ですか?それは一体……」


 自分にとってはそうだったと言えるが、父親にとっては悩みの種になった部分の方が大きい気がする。


『あの娘がダーナー公(ヨハン)の計画を遅らせた一因でもあるんだからな』

「は……?ダーナー公が計画していたのは大聖堂での毒矢以外にもあるということですか?」

『ヨハンの計画では黒肌の男を使って城内でも決行されるはずだった。しかし城にはあの娘。仕事から離れたと思えば寄ってきたのは自分の方。慕いつきまとわれ、城の住民からは想定以上に注目されることになった。それで奴は何度チャンスを潰したことか』


 母の言葉には覚えがあった。

 特に城の隅々にいるメイド達は城へ出入りする男達を品定めし、ファンクラブを作っているとかいないとか……。異国情緒漂うミステリアスな若き独身青年のカールトンにそれが出来ていてもおかしくはない。

 ポルトがそこに所属していた可能性を考えたが、すぐに思い直す。そんなことができるならもっと友達が出来ただろう。


「――カールトン……。ポチは最初に森で対峙した時にアイツの顔を見ていたはずだ。なのに、何故最後まで犯人の名を誰にも言わなかったのか…理由がわかりましたよ」


 城の人間を人質に口止めをされていたから……というのは、最初だけの話だろう。

 カールトンが城に来たのはあくまで仕事上のことだと知ったポルトは、無謀にも説得を試みたのだろう。

 幼少期から人間の裏切りを嫌という程味わった彼女は、やっと見つけた家族を突き放すことなど出来なかった。まだ後戻りが出来るうちになんとか手を打とうとした……。

 彼女はずっと孤独を恐れ家族を求めていた。

 だからこそ、(カールトン)を一人きりにすることなど出来なかったのだ。


『あの青年が城から娘を攫ったこともヨハンには計算外だった。それをするのはお前だと思っていたからな。お前が全てを捨てて出奔でもすれば万々歳。しかし娘が決別を決め、お前をこの地へ繋ぎ止めた』

「――……」

『結果は見ての通り。ヨハンも望んだ冠には手が届かなかった』

「……!ダ…ダーナー公の願いは王位だと……!?し・しかし、王位に就いたとしても彼には時間が……」


 フォルカーは父の言葉を思い出した。


 ――『願いは恐らくクラウスのことだ。愛する女が産んだ一人息子だぞ。愛おしいに決まっている』


 ダーナー公の葬式の日、親友の無念を噛み締めた父ウルリヒはそう言って息子(自分)を抱きしめた。


「ダーナー公は…息子クラウスに王位を就かせる方法を指輪に……?」

『ヨハンは間近に迫った死を恐れることはなかった。死は遅かれ早かれ必ず訪れるものだとわかっていたからだ。彼が恐れたのは自身が消えた後のこと……残された家族のことだ』

「クラウスが王位を望んでいたのですか?」

『関係ないさ。もしクラウスが拒否すれば、王位は先王がリガルティアではない女に産ませた子の元へ行くか、過去に枝分かれした分家へ移ることになる。聖神具をより正当な血統に継がせたいと願っているクラウスは、そのどちらも望んではいない。ならば取る道は決まる』

「……」

『もし息子(クラウス)が途中で国王の座を退いたとしても、先王の一族として身分の保証はされる。自分亡き後に何かあっても、地位が家族を守ってくれるだろう。ヨハンはそう考えた』

「そんな……!何かあったとしても、ダーナー家を父上が見捨てるはずがない……!」

『お前はウルリヒの息子だからそう思うのさ』

「――……っ……」

『ヨハンとて、何の障害もなくここまで来られたわけじゃない。結局あいつが最後に頼れるのは他人じゃ無かったってことだ。お前だって心当たりがあるだろ?』

「それは……」


 確かに、ダーナー公や自分のいる世界は私利私欲が蔓延している。

 笑顔で毒を勧め、賛美した口は柱の後ろで悪態をつき、誰かの死は誰かの笑顔になる。剣よりも恐ろしい悪意が渦巻いている場所だ。

 フォルカー自身、ポルトが来るまで親しい人間を作ろうだなんて思わなかったのだから。


「ダーナー公は裏切られる前に裏切ることを選んだ、と」

『……まぁ、大事なところでメンタルが日和ったのは笑えたがな』

「?」

『以前、ウルリヒの紅茶に細工がしてあっただろう?詳しく知りたければ後でウルリヒに聞け』

「父上が……?」


 あれも国王の命が狙われた大事件のはずだが、くすくすと楽しそうに笑う母は井戸端会議でもしているかのように軽く話題を扱っている。


『ったく……。本当にヨハンは昔からそうなんだ。絶妙なタイミングで腹を壊したり腰が抜けたり寝込んだりする。よく財務大臣なんて職についてたもんだ』


 白銀の髪の一房を軽く指に遊ぶように絡ませるシュテファーニア。

 手を下ろせばスカートの裾を広げて踊る少女のように髪はあっという間に滑り落ちた。

 蒼海の瞳はどこか懐かしい思い出に浸っているようだ。


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