指輪の見せた世界-7
「で…んか……」
深く静かな呼吸を繰り返し、ポルトはエメラルドの瞳にぼんやりと自分の輪郭を映す。
「殿下……覚えて…いますか……?」
「――……?」
「貴方は…私に感情は必要なものだと言った……。感じたものに不要なものは無いと。……それはこれからも苦しんで悲しんで、胸をかきむしるようなやるせ無さに溺れろと…そういうことなのでしょう……?」
「お・俺は…そんなつもりは……っ!」
「でも鈴は壊れた」
「……っ!」
城で聞いた最後の鈴の音。
それはどこかへぶつけられたように無骨に鳴るものだった。
最後に破裂して…消えてしまった。
「……結局最後はいつも同じ。望んだものは手に入らない。希望を持つことが光だと言うのなら……絶望を呼ぶそれを『私』は望まない」
吐露する言葉は今まで見てきた全てを物語る。
「……そうか。あの教会でポチが見つからなかったのは、お前が影だったせいか」
「私の望みは全ての終わり……。時を止めるほどの静寂…この目から全てを覆い隠す闇。もう笑い声も泣き声も聞こえない場所。そこでやっと休息を得ることが出来る。……殿下、もう貴方の世界へお戻り下さい。……そして、もう二度と…ここには来ないで」
ポルトの作る影がぐらぐらと揺らめき奇形な形を取り始めた。輪郭がバラバラと崩れ、黒曜石のような小さな虫が這い出て四方に散り散りに走っていく。それは滝の水が勢いよく流れていくようでもあった。
「っ!?」
羽をしまい込む硬い甲殻がぶつかりあう音がザザ…と鳴り、地面は黒く黒く侵されていく。
ふとどこからともなく濃霧が訪れ周囲を包む。
視界の届く空間のずっとずっと奥から重く硬質な足音がした。それは革のブーツを履いている自分のものでも、体重の軽いポルトのものでもない。
「――……!?」
次第にはっきりとしていく重厚な鉄を擦り合わせた音。
それと共に、暗闇の中から黒い騎士が無骨な輪郭を現した。
自分よりも頭三つ分程も大きな身の丈をしていて、厚い鉄で造られた鎧に鎖帷子を着ている。
輪郭を型どりきれないマントの裾が靄のように揺らめいていた。
何処の国のものかすら分からない兜の形は、未知の世界の畏怖を物言わず語った。
その正体など想像もできない。
乾いた口で生唾を飲むフォルカーの喉元がゴクリと動く。
(これは指輪の世界の産物なのか……!?それとも別の何かが現れたってことなのかよ……!?)
王子を見据え、黒騎士が身の丈にあった大きな剣を構えた。咄嗟にフォルカーも剣を抜く。
「何者だ?」と聞く口は開かず、ガチガチと震えないように力を込めるのが精一杯だ。
鉄に覆われ表情は見えずとも敵意を向けられているのは明らかだった。
こんな相手と…しかも甲冑を着ずに戦うのは初めてだ。
たとえ一度でも剣を受ければ、刃は砕け、この身は骨ごと命も絶たれるだろう。
ポルトは黒騎士の隣に佇んだまま動こうとはしない。
この騎士が彼女の影から生まれたことを思えば、まさか彼女もあちら側の人間になっている――……?
「くそ……!!」
思わず舌打ちが出る。
ここは本当に白き神の神聖具が見せている世界なのか?
味方もなく、視界は暗い闇が広がり続けている。
裏切りと死と絶望の香りしかしない。まるで逆の世界ではないか。
(まさか俺に与えられた試練とか…そんなもんじゃねぇよな……っ!?オカルトは専門違いだぜ……!!)
目の前の敵を倒したら、今度こそ真実が得られると?
もし目の前のポルトが教会にいた亡霊のようなものだとしたら、危険を犯して連れ帰る必要などあるのか?
むしろこんなマイナス思考しかないような奴を現実世界へ連れて行ったら、事態はさらに悪化してしまいそうだ。
じり…じり…と間合いを取る。
例えば彼女が影達にしていたように、この剣で消滅させることができれば……?
この騎士は彼女の影から生まれた。影を作る身体を倒せばこの不気味な騎士ごと全てが消えて、鈴の音がまた聞こえるようになるかもしれない。
音を頼りに、現実にいる彼女に会えるかもしれない。
剣の柄を握る手に力が入る。
初めてじゃない。北塔で対峙した時と同じだ。
大丈夫。もう一度…彼女に剣を――……。
――『気にくわないなら殺せばいい……!今更惜しいなんて思うもんか……!最初から兵なんて、使い捨てるつもりだったくせに!!!』
「っ……!」
対峙した時、ポルトはそう叫んだ。フォルカーは何かを払うように首を振る。
ファールン国、スキュラド国、そして数多くの傭兵や野盗達も加わった戦闘行為が、ここウィンスター近辺であったことは事実だ。
いつも自分に自信がない彼女の性格も、身体に残る無数の傷の理由も、カールトンに執着を見せた理由も……道理が通る。
指輪が見せているのは幻、しかし現実に起きたこと。
(……駄目だ。斬って、捨てて、終わり。それじゃ、あの男達と一緒になっちまう……!)
力ずくで無理やり消したとしても、どれだけ目を逸らしても、耳をふさいでも、無かったことには出来ないものがここにある。
守ることは出来なかった。過去をやり直す術はない。それを噛み締めろ。
ポルト自身、目の前の惨状に為す術もなく黙って見ていることしかできなかった。
もしそれが彼女の今に繋がっているのなら……、全てを拒絶した闇に身を置く要因のひとつになっているのならば……。
(俺は――……)
フォルカーは一度拳をぐっと握る。
「――昏き大地に沈む魂よ……!」
ポルトの足元でうごめく影達に向かって叫んだ。
「――ファールンの子らよ!私は白き神との誓約によりこの地を治める東の王の血脈、ウルリヒの子、汝らが父と呼ぶレフリガルト王の血継である……!汝らの目に映る恐怖を見た!汝らの身体に刻まれた傷に触れた!その無念と魂、私が全て預かる……!」
未来を信じ、待ち続け、朽ち果てた者達。
差し出されなかった救いの手に自分がなる。
「この地を統べる者、白き神の力を預かる者として、汝らの魂を在るべき場所へ導き還す……!さあ、東の同胞よ!私の元へ来たれ!汝らの望みを叶えよう!!」
俺は次代の王。
この地の全てを受け入れる。光も、闇も。全て。
『無能なる白き神の下僕よ!!汝に出来ることは皆無なり!!』
ガシャリ、と甲冑が鳴り、大きな一歩で距離を詰めた黒騎士。
その剣が頭上まで大きく上がった次の瞬間、ポルトの足元から勢いよく影達が飛び出し濃密な黒い霧となってフォルカーの身体を包んだ。
フォルカーの視界は完全に閉ざされる。
何かに躓き倒れ込むと、両膝をついた。
『後悔と罪を胸に……我等が黒き大地に鎮め!!』
大剣が霧の中心を叩き割るように振り落とされ、風を切った。




