君は何を思う。(★)
まだ開ききらない瞼を押し上げると、滲む視界の中にやけに白い石壁が見えた。
視線をずらした先には色鮮やかなタペストリーの壁掛け……。よくよく見れば、中には白い百合の花と一角獣らしき動物。どこかで見たような……。
頭の動きはまだ鈍いが、やけにふかふかとした場所で寝ていることは感触でわかった。
「気がついたか?」
「……?」
見覚えのある面影がゆらりと揺れた。 綺麗なエメラルドの瞳が心配そうに自分を見つめている。
「もう血は止まってる。今日の分の薬は塗ってあるから多少の痛みは我慢しろ。犯人はまだ捜索中だ。他、何か質問あるか? 」
「………ぁ…………」
焦点を合わせると朧気だった意識が一気に元に戻る。
ついでに自分の身に起きたことも。
「……で…ん………ッ!? 」
「ほーぉ?今度は『こっち側』にいるじゃねぇか。宿舎に置いておくのもアレだったから俺の部屋に連れてきてやったぞ。感謝しろよ」
見覚えがあるはずだ。タペストリーの一角獣はいつも着ているサーコートに描かれているものじゃないか。生涯で一番のふかふか度合を持つであろうベッドは、この国で二番目に偉い方のものだから。
「っっっっ!?」
冷や水を浴びせられたように飛び起きた。
「すっすっすみません!申し訳ありません……!!すぐ担当場所に戻ります!!……って、あれ?どこだっけ?担当ってどこだっけ?すぐ隊長に伺ってきます!問題ありません!!何の問題もありませんッ!! 」
「その格好で?」
「は?」
「いつまでも高級ドレスを着ていられると思うなよ、ド阿呆」
フォルカーがあきれ気味にため息をつく。ポルトは静かに視線を落とした。
「包帯を変えてたら段々面倒になってなぁ……」
「――――――――――――!!!???」
下半身はかろうじて下着のようなショートパンツを履いてはいるが、上半身は隠す為ではない包帯が巻かれているだけ。
こんな格好、一人の時にだってしない。
「安心しろ。俺は見慣れすぎてるタイプだから」
「×○□え◇□○×◎――――――ッッッ!?!?」
もう口から何語が出ているのかすらわからない。
先ほどまでかけられていた毛布をかき集めて本能的に身体を隠したが、勢い余ってベッドから転げ落ちた。背中に痛みが走り、小さな悲鳴が出る。指先の痺れはとれてはいるが身体はまだ重く、呼吸をする度に胃袋の周りが苦くうごめく。
「お・おい!大丈夫か!?」
慌てたフォルカーが裏側にまわると、床に転がったポルトが毛布を抱いたまま表情を歪めていた。
「いきなり暴れるからだ、阿呆!」
くの字に曲がる小さな身体を軽々と抱き上げると、先ほどまでいたベッドの上に転がせる。
「あのなぁ……、お前、ここに来てからのこと覚えてるか?放っておいたら勝手に綺麗になる魔法でもかかってるワケじゃあるまい。ドロドロだったお前の身体を誰が綺麗にしてやったと思ってんだ? 」
「……ま……まさか………そこまで全部………?」
もう泣きたい……。
胸に抱いていた毛布でぐるぐると身体に巻き始め、首から下を全て隠し入れた。
「酷い……。見ないって言ったのに……」
「チェックはしないって言っただけだ。言っておくが、俺はロリでも男色家でもねぇ。今更お前の貧弱ボディに興味なんぞわくかっ。女が見たけりゃ、酒場で集めてベッドに並べるわッ! 自惚れんなッ!!」
(やっぱりゲスい………)
助けて貰ったので口に出すのは止めた。
「…ったく、犯人は見つからねぇし、唯一接触したお前はこんなだし……。ああ、そういえばお前の傷な、俺の手には到底負えないものだったから、背中だけは医者に頼んだぞ。どうせお前、医者嫌いじゃないんだろ? 」
「ぁ……」
小さく頷いた。嫌いどころか、尊敬する職業のひとつだ。医者嫌いと思われているなんてちっとも気がつかなかった。
「親の代から世話になってる口の堅い男だ。安心しろ」
他にも、自分が朦朧としていた時に起こした騒ぎの内容を聞き、毒のせいではない目眩でグラグラする。もう頭を抱えるしかなく、「スミマセンスミマセンスミマセン」と繰り返した。
その姿を見て何故かフォルカーは満足げだ。
「いっそ鎖に繋いで狼部屋にでも放り込んで下されば良かったのに……」
チビの貧乳ゲロ吐き女なんて……きっと悪魔でも引き取ってくれない。
「正直、それも考えた。でも一応お前は父上の命の恩人だし、女を鎖で繋ぐ趣味は持ち合わせちゃいねえ。それに、それ以上その身体を傷つけるのもな……」
「!」
カーテンは締められていたが、すでに陽が落ちていることはわかる。フォルカーの服装も簡素だし、もう皆寝静まっているかもしれない。
暖炉では木の皮が弾け、パチパチと心地よい音がしていた。「……あの、殿下」と桜唇が動く。
「どうした?」
「お見苦しい物を…すみません……」
「何だ?」
「………」
「女だったってことか?」
「いえ…、それもなんですけど…その……」
脳裏に今までフォルカーの側にいた女性達の姿が浮かぶ。
彼に気に入られようと、容姿に気を遣う者が特に多い。エルゼなどその筆頭であろう。自分と同じで、まるで違う彼女たちを側で見つめて『女』というものを学んだ。
隊長から「勲章だ!」と言われ気にはしていなかったが、何故か今は肌に刻まれている幾筋もの痕に苦い思いを噛みしめる。
「殿下はいつも、姫君のお相手ばかりしているので、こういったものはあまりお目にかかる機会もないかと思いますが……。その、兵の間ではこれくらいは珍しいことではなく……。あ、アントン隊長の頬にも大きなのありますし……! 」
「おう、わかってる。なんだかよくわからんものもあったが……まぁ、言いたくなけりゃそれでいいさ。……正直なトコ、お前が女で安心したぜ。趣味が変わったんじゃねえかと一時期禿げそうな程悩ん…… 」
「趣味?」と聞き返され、フォルカーは急に咳き込み「なんでもない」と答える。
「と・とにかく、俺はお前が女だってわかって驚いてることは確かだ。でもそれで良かったって思ってる。今まで感じてた違和感…疑問みてーなモンが解決したからな」
「違和感?」
「そう!まず最初に会ったとき、何故狼達がこの少年兵だけ襲わなかったのか。『子供』と言うにはデカイしな。それにナイフ投げした日も、足が変に開いたまま座ってたり………」
「足……ですか?」
フォルカー曰く、正座していた足をそのまま開く格好で座るポーズ、これが出来る男性はあまりいないのだという。
ポルトはそれを知らず、骨格の動くままぺたりと地面に座り込んでいた。今まで隊の仲間達に気づかれなかったのは不幸中の幸いだろう。
「聞きたいことは山ほどあるが、とりあえずは名前だな」
「え?名前はポル…」
「男の名前じゃねぇか。お前の本当の名前はなんだって聞いてるんだ」
「あ…、えぇと…リ・リリア=チュリッヒ、です」
気まずそうにポルトはうつむいた。
「へぇ?犬みたいなお前にしては随分と可愛らしい名前だな。出身は?」
「……ファールンの国境の近くにある小さな村です。もう…燃えて無くなっていると思いますが……」
「じゃ……この話は終わりにして。一番気になってんだけど、どうやって入隊したんだ?入隊審査の時に身体検査があっただろ。場所によっては身分証明書だって必要になる。それはどう細工したんだ?」
アントン隊は戦力補強の為にマテック伯が招集した歩兵隊。怪しい人物が紛れ込まないようにある程度の審査はされる。
「あ……、えと……、その……、私が入隊したときは、もう戦火が広がりきった終戦間近で……。『役所が燃えた』と言えば身分書の提出は求められることはありませんでした。それに、当時は男であれば誰でも入隊出来るほど逼迫した状態だったようなので……」
「『男』ならな」
「それを聞いているんだ」というように、フォルカーが横目でちらりと見た。
「……身体検査は受けました。当時の私はまだ身体が未成熟で……。ああ、わかってますわかってます。そんな目で見ないで下さい。今も熟してなかったですね! 私、話盛りましたね!」
「なんだよ、お前。勝手に人の心を読むな」
「つまりですね!?そ……その、見ただけで性別を判断できるほどではなかったんです。下さえ脱がされなければなんとかなると思って……」
上半身は脱いで身体検査を受けねばならなかったが、それ以外は簡単な質問を二三しただけで終了したのだという。筋力や体力も入隊するのに十分だと判断されたらしい。
「焼け野原を彷徨ってるくらいなら軍に身を置いた方がいいかと思って……。そこにいれば、なんとか配給は受けられますから……」
もちろん民間にも配給物資は届けられるが、それにありつけるかどうかは運次第。兵には優先的に受けることが出来る。恐れはあったが、迷いはなかった。
「終戦間近か…、その頃は西のロクフールと疲弊戦に入っていた頃だな。確かに兵も食料も足りなかったが……まさか女が易々と紛れ込めるほどチェックが甘くなってたとは……。今度会議で言っておかないと……」
「会議…ですか…?」
ある程度覚悟はしていたが、やはりこのことを話してしまうのだろうか?
(殿下……)
身分を偽り軍に入った。しかもそのまま要人の従者になり居座っているなんて……。自分が聞いても怪しさ大爆発だ。
視線の先、彼は思案顔のまま暖炉を見つめている。端正な横顔は優しくも見えたが、彼の立場を考えればこのまま黙っていることの方が難しいのかもしれない。
(やっぱり…捕まっちゃうのかな……)
陽の光すら入らない冷たい場所で一人、一分一秒に耐える日々が始まるのだろうか。鼓動する胸がキリキリと痛む。いてもたってもいられず、身体が動いた。
「あ・あのっ殿下……っ!もし罰せられるなら……、投獄されて何年も出てこられないんだったら、いっそ極刑にして下さいっ」
「はぁ!?」
「だ・だってこれって身分詐称ですよ……!?捕まったら北棟にある真っ暗な牢獄に閉じこめられるんでしょ…!?知ってます?ああいう所って、城石が外気に冷やされて、ものすっごく寒くなるんですよ!?真冬になったら貯蔵してた野菜や干し肉がカチコチに凍っちゃったりするような所ですよっ?たいした防寒対策も出来ないまま閉じこめられたら…どうなるかなんて言わなくてもおわかりになるでしょ…!?も・もし除隊命令が出て外に放り出されたとしても、私にはもう帰る家はありません。このご時世、身分不詳のままじゃ雇ってくれる所なんて無いし、よ……よ・夜の商売に使えそうな身体だって持ってないです……っ!っていうか、娼館の面接落ちましたッ!!」
「ちょ…ちょっと待て、落ち着けっ。お前何言って……ってマジで受けたことあるのか!そして落ちたのか!!」
指を四本立ててフォルカーに見せる。
「四件!?一件じゃなくて四件!?!?」
「ファールンは選り好みしすぎです……っ」
そういえば、身分を偽っただけじゃなく王子の部屋で大暴れまでしてしまったんだっけ。どうしよう。真面目に仕事をこなしてきたつもりだったのに、クビになりそうなことしか浮かばない。
震え始めた身体をぎゅっと抱きしめた。
「まさか傷が痛むのか?だから暴れなっつってんだろっ 」
フォルカーの手が肩に触れた。
こんな温かい手をしていても……いつか小石を投げるように捨てられてしまうかもしれない。
まるで他人を見るような眼差しをだけを残して、姿を消してしまうかも知れない。
「わ・私は…今まで国のために尽くして参りました。い・色々ご迷惑をかけたこともありましたけれど……っ、それでも、懸命に職務を全うしてきたつもりです…!もしそれを認めて頂けるのなら…苦痛の余生より潔い最期をお与え下さい……!」
「――――――……」
いつもならくだらない冗談のひとつでも言いそうなのに、何を考えているのだろう。
先のない従者にかける慰めの言葉を探しているのだろうか。必死の願いにも彼は何も答えない。
周囲を取り巻く沈黙だけがやけにゆっくりと時を刻み、意を決したかのように唇を噛みしめる。
「………戻ります」
白く細い足をベッドから投げ出せば素足が石床独特の冷たさを受け止める。
「隣の部屋にある布をお借りします。絵にかけてあるものを一枚。いくら深夜で人通りが無いからと言って、こんな格好で城内を歩き回るわけにはいきませんから 」
「どこへ行く?」
「シーザー達の所へ。あそこには作業着が置いてありますから…。それに投獄されてしまえばあの子達にも二度と会えなくなるかもしれません。大丈夫です。逃げ出そうなんて…これ以上殿下のお手を煩わせようなんてしませんよ」
「…………」
「殿下もお休み下さい。犯人がまだ見つかっていないなら、まだまだ忙しくなるでしょうし、ちゃんと睡眠をとっておかないと」
物置部屋へ通じる扉の取っ手を握る。少し力を入れるとキィと軽い音を立てて開いた。人のいない真っ暗な部屋の中からは、外気と変わらないほどの冷えた空気が流れ込む。小さな身震いをすれば傷口が疼いた。
終焉の刻、この痛みも名残惜しくなるのだろうか。
この寒さも愛おしく思えるようになるのだろうか。
(……なんで私……こんなことしか……)
さっきから最期のことばかり考えている。
何度も危ない目にはあったが、なんとかここまで生きて来られた。楽しいことだってあったはずなのに。
生きたくても生きれらなかった人達だってたくさん見てきたはずなのに。
不安に潰されそうになるくらいなら、いっそ自分が身代わりになれば良かった。
「……っ!」
石壁に拳を叩きつける。乾いた音が空間に響き、その衝撃は骨まで響いた。
張りつめた気持ちが崩れるように、ずるずると身体の力が抜ける。
どこに閉じこめられても、どこへ放り出されても一人で生き抜いてやると、そう言えない自分が、その弱さが情けなかった。
「隊長……ブルノ……、みんな……ごめん………っ……」
引きずるように上げた手で扉を閉めた。……いや、閉めたつもりだったが最後まで閉めることが出来ない。何かが引っかかっているのかと振り返ると、そこにはさっきまでベッドに腰掛けていたフォルカーが扉を押さえて立っている。
「あのなぁ……」
彼の怪訝そうな表情に身体が強ばる。
「お前、さっきから何勝手に話し進めてるわけ?」
「……?」
「俺はまだ、何も言ってねぇ」
無理矢理扉を開き、手に持っていた毛織りの柔らかなガウンを被せると、「よいしょっ」と一声あげてポルトを担ぎ上げた。
「で・殿……っ!?」
「俺は昔っから、辛気くさい話は得意じゃねぇんだよ」
部屋に置いてある長椅子に座らせ、「命令だ。そこを絶対動くな」と告げるとしばらく部屋からいなくなる。そして、戻ってきたときには両手一杯に食料を抱えていた。腰には紐でつなげられた水やミルク、ワインボトルまでぶら下がっている。
「どぉだ!」
「な…なんですか…?」
フォルカーは得意げにしているが、驚きでポルトの目はまん丸になっている。
「そういやお前、起きてからまだ飯食ってなかっただろ?夜に腹減って身体冷やしてると、ロクなこと考えりゃしねぇ。調理場から適当に持ってきたが……そんだけ元気がありゃ食えるだろ?」
「へっ?」
テーブルの上に無造作に食料を並べる。ハムやローストした肉、他にも茹でた野菜を皿一杯に盛りつけたもの、それに彩りの良い果物。ポケットの中にはパンが無理矢理押し込められていて、取り出されたとき少し変形していた。
「ここに並んでいるもの、全部食え!そして寝ろ!犬小屋じゃなく、物置部屋でもなく、この部屋で寝ろ!」
テーブルの上はまるでちょっとしたパーティでも開かれるような様相だ。
「あんだけ飯飯言ってただろ!ほら、食え!」
「で・でもこれは……っ」
あきらかに兵士用のメニューではない。恐らく今日の晩餐の残りだろう。どれも貴族しか口にできない高級なものばかりだ。
「いいから食えっつってんだよ!お前が食わなきゃ……」
ぐっと身を乗り出してギリギリまで顔を近づける。
「愛情をたーっぷり込めた口移しで如何かな?お嬢さん?」
「っ!?」
意地悪そうな笑みにポルトの頬が一気に紅潮する。それを隠すように、目に入ったものから口に入れ始めた。片手にパン、片手に肉、口の中には茹でたジャガイモを詰め込んで、半ばやけくそのように胃袋の中へと押し込んでいく。
突然の固形物乱入に胃袋も飛び跳ねたが、これ以上床を汚してなるものかと意地で堪えた。
「わはひ……っ、わはひ…っ、ひふんでひひふとかひっへはのひ……っ。ひふんはははけはいでふ……っ!うぶふっ!」
「うんうん、なんかわからんが、よく噛んで食え。あ、あとワインには手ェつけんなよ。傷口が腫れるからな」
背中でフォークが食器に触れる音を聞きながら、暖炉に薪をくべて部屋の温度をあげた。
燭台の全てに火をともすと、柔らかな光で空間が満たされる。遠海を渡ってきた貿易商から買ったお気に入りのグラスに赤いワインを満たし、ポルトの隣に腰を下ろした。
彼女は今、噛んでも噛んでも噛みきれないチキンの筋と戦っている。
「………狩り以外にもナイフに仕事をさせてやれ」
「!」
その背中が小さく飛び上がり、丸まった。
誤字・脱字等ありましたらお気軽にご連絡下さいませ。
次回は13日前後、完全なネタ話で更新予定です(笑)
どうぞよろしくお願い致します。




