指輪の見せた世界-4
小さな痙攣を繰り返し、程なくして少女は動かなくなった。まだ幼い輪郭が波に攫われるように消えていく。ポルトが刃を宙で一振りすれば、その刃を伝っていた体液も塵になった。
ふっと息をついたポルトに思わず大股で近づいたフォルカー。
一切の躊躇もなく首元に掴みかかり、正面を向かせる。
「テメェ……!!なんで殺した……!!」
目の前で起きた光景が信じられなくて頭が一瞬混乱する。心臓が強く鼓動して、こめかみがドクンドクンと脈打っていた。
ポルトの身体はつま先で立つ程度に激しく持ち上げられた。
「生きてたじゃねぇか……!なんでこんなことをした!?今自分が何をしたのかわかってんのか!?」
まともな理性が働いているとは思えない。
「中途半端に希望を持たせても傷つくだけです」
「あぁっ!?」
「何をしているのか、十分わかっています。彼らの状況も。何を求めていたのかも。……私には全部、わかっています」
次に瞬いた時、殴られていても不思議じゃない――…そんな激昂を前にしてもポルトは感情を表に出すことはなく平静を保ったままだ。
胸ぐらをつかむフォルカーの手に少女の手が触れる。
「出口を塞ぎましょう。次がくるかもしれませんから」
少女はフォルカーの手をゆっくりを下ろさせ扉を元の位置に戻す。そして落ちていた石を使って戸板を打ち直した。釘はもろく、折れて本数が少ないものもあったが、傾いた扉を押さえ、今まで通り『開けられない扉』を演出させるには十分だった。
手についた土埃を払い、「危ないですから、少し離れましょう」とフォルカーを先導する。
「次が来るのか?」
そう口にしたフォルカーの鼻先が異変に気がついた。
「――――っ……?なんだ、この臭い……」
どこかで何かが焦げている臭いがする。ただでさえ淀んでいた空気が更に重苦しくなる。咄嗟に屋根を見た。来る時には無かった薄黒い煙が空へと伸びている。
「火事か!?」
「――……」
乾ききった木材で辛うじて建っていた教会は瞬く間に炎に包まれる。そして次第に悲鳴が上がり始めた。
中で何が起きているのかを察したフォルカーが動揺をにじませながらポルトの肩を掴む。
「おい…!悲鳴が聞こえるぞ……!さっきの影か?」
「はい」
「中のよくわかんねぇ影も、外に出りゃさっきみたいな人間に戻るのか!?」
「……それは…わかりません。どちらにせよ、私達はこのまま見ていることしかできない」
「おい、もし人に戻るならすぐあそこから連れ出して――……」
その言葉を遮るようにポルトは首を振る。
「もう何も出来ません。みんな…燃えてしまったんです。今見ているものは…全ては過去の出来事。もう誰にも変えられない」
「か…こ……?」
「全部終わったことです」
脳裏に少年の姿だったカールトンが過ぎり一瞬言葉を飲んだ。こんなにリアルな感触があるというのに……。
(全部…指輪が見せている幻想……ってことなのか?)
視界の先で教会から慌てて駆け出してきた人影を見つけた。中に居た子供が逃げ出したのかもしれない。ポルトの手を振り切り、走り出そうとして足が止まる。それはさっきまで見なかった二人の大人の男だ。子供とは違い仕立ての良い革の上着と羽帽子を身につけていて、赤く燃える松明を両手に持っている。
煙が上がっているのを発見した近隣の村人が助けに来たのだろう。
……と思ったが、何故か松明を建物へと投げ捨てる。
その違和感に思考が巡る。神父というには程遠いが、ここと無関係な人間とも思えない。関係者だとすれば……
「まさかあいつらが…『父様のお友達』か?」
「はい」
庭の木に繋いでおいた馬が炎に驚き激しくいななくと、前足をあげ宙を軽く駆ける。男達は馬をなだめ、その背にまたがると後ろを振り返ることもなく走り去っていった。
炎を巻き込んだ風がゴウゴウと音を立てる。激しくなっていく火と共に肌が熱くなり、フォルカーは袖で顔半分を覆う。
その隣で建物が燃えていく様を見ても、風に交じる悲鳴を聞いても、ポルトはその表情を変えることはなかった。
火が回りにくい風上へと主人を先導し、彼の安全を確保する。
少し歩けば崖側に近づき、次第に河の流れる音が大きく聞こえるようになってきた。
「木材が使われているとはいえ火の回りが早すぎる。……彼らは松脂を使ったのでしょうね」
「ポチ……」
子供達の言っていた言葉、置かれていた状況を見れば、この教会が何の目的で使用されていたのなど考えるまでも無い。
「ウィンスターは……この国境沿いは北国スキュラドとの間で何度も戦いが起こった地域だ」
「はい。この辺りもすぐに戦場のひとつとなりました。でもそれはここが燃えた後のことです」
淡々と答えるポルトに反して、フォルカーはその表情を歪ませた。
「……我が国は奴隷の所持、売買を認めていない。あの連中は…ファールン軍が到着する前に証人ごと全部燃やして逃げやがったのか」
「奴隷……。私達はそうとは思っていません。今もそうです」
「?」
「……家で父を待っていただけですから」
静かな声が炎と共に風の中に溶けていった。




