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開かれた扉

 深い森に茂る木々の匂いが城まで届いている。狐の毛で出来たコートを羽織るように柔らかな雪をこんもりと被った中庭には、葉を整える庭師も人目を忍んで愛を語らう恋人達もいない。星々を背景に浮かぶ月が、その光を雪原に反射させ辺りは銀色に淡く輝いていた。ランタンがなくともぼんやりと道がわかるほどに。


 時折通り過ぎる衛兵たちの目を盗みながら、フォルカーのブーツが雪を踏み鳴らす。そのつま先は迷いもなくある場所へと向かっていた。


「ハァッハァッ……!くそ……ッ!!」

 

 普段なら除雪してある場所以外を歩くなど殆どない。慣れない雪道に消費されていく体力。耳の奥ではドクドクと脈打つ音が聞こえる。自分の息づかいすら煩わしい。

 時々雪に足を取られながら、それでもスピードを緩めることなく向かっているのはウルム大聖堂だ。いつもならほんの十数分でたどり着く場所が、果てしなく遠くに思える。北風が吹く中、シャツの下にじんわりと汗が滲んだ。

 最短ルートを選び雪原に新しい足跡を作り続けたが、大聖堂の影が現れた頃にはつま先がすっかり冷え感覚が鈍くなり、いつも以上に高く上げなければならなかった太ももの筋肉は張りはじめていた。


「フォルカー殿下……!!」


 名を呼ばれ顔を上げれば、堂々たる白石の大きな階段の上、大門を構えた大聖堂の入り口に何故か数人の僧侶達が慌てた様子で集まっていた。フォルカーの姿を見るなり、まるですがるように駆け寄ってくる。


「良かった…!今使いの者を出した所だったのです……!」

「こんな時間に、お前達ここで一体何をしている?」


 僧侶達は神の教えに従い、決まった季節、時間に儀式や修練を行うこともある。彼らは何かの儀式の途中だったのだろうか?…とも思ったが、着ている服は儀式用のそれとは異なる質素なものだし、中には「これ寝巻きじゃね?」みたいなヨレヨレのトゥニカを着ている者もいる。

 一人の僧侶がランタンを光に必死な形相を浮かばせながら声を詰まらせた。


「大変不可解なことが……。恐らくその…指輪に異変が…っ…」

「そうなんです、殿下!聖堂の中がおかしいのです……!いや、聖堂というより禁域の間で……!い・今まで見たことのないような恐ろしい何かを感じます……!立っているだけで鳥肌が立つほどの……!!」

「禁域の間……指輪か?」


 心当たりしかない。

 指輪の異変を感じたのは王族だけではないようだが…まさか部外者連中にも影響が出るだなんて。こんなこと今まで聞いたことがない。


「考え得る全ての儀式を行いました……!どんな供物を捧げても、香を焚いても、まるで収まる気配がなく……っ」

「ダーナー様がご存命であれば…何かご存知だったかもしれないのに……!」

「今、ご子息のダーナー司教がお一人で指輪の間に入っております……!!」


 ファールンの古き血脈を持つ男だ。自分と同じ様に異変を察知したらしい。


「クラウス……来たか。わかった、俺もすぐに行く。お前達はここで待っていろ。陛下がこちらへいらしても、良いと言うまでは決して近づけるな。もしものことがあったら一大事だからな」

「承知いたしました……っ」

 

 半開きになっていた大門から大聖堂に入る。最初の足音を響かせてすぐに、空気がいつもと違うことに気がついた。高い高い天井は開放感に溢れてたはずなのに、空気がよどみ胸にズシンと重力がかかったような息苦しさを感じる。


(なんて嫌な空気だ……。本当に指輪がどうにかなっちまったのか?)


 足早に主礼拝堂を抜けその奥にある通路へ、そして指輪の間へと向かうと、入り口を固く守る扉に解錠の言葉を唱える。扉を押す腕で感じたのは、以前は感じなかった程の重さ。表情がこわばる程だ。まるで…扉の素材その物が鉄の塊にでもなってしまったかのようだ。


「っ!」


 ぐっと力を入れ、開いていく扉に比例するように背筋に冷気が走る。踏み出すのも躊躇するほどの威圧感に思わず息を飲んだ。


「フォルカーか……!?」


 室内には見慣れた柱が何本も立っている。奥へと進めば、その気配に気がついた一人の青年が声を上げた。


「よぉ、クラウス…!生きてるじゃねぇか!」

「指輪が…リガルティンの機嫌が相当悪いみたいだぞ!」


 指輪の前にいたクラウスは白い法衣を乱れさせ、余裕のない微笑みを浮かべた。聖なる言葉を朗読していたのだろう、片手には後数ページしか残されていない聖典がある。


「指輪はどうなってる?何が起きているんだ?」

「言うより見た方が早い」


 指輪の置いてある中央の天蓋に目を向けると、そこには闇夜にも似た紺藍の闇が揺らめいていた。いや、揺らいでいたのはそれだけじゃない。外で吹いた風など届くはずがない…窓すらない密室だというのに、天蓋の布も、灯ったロウソクの明かりも、そして赤い髪がざわざわと揺れている。


「なんだ…これは……」

「フォルカー、俺よりも次期ファールン王のお前の方が酷いものが見えているんじゃないか?」

「……なんて言ったら良いかわからんが……。黒い煙…?いや、炎か…?とにかくそんなのようなもんが見える」

「黒…だと?ここは白き神の神殿だぞ……っ!?まさか黒き神がここを来るとでも?」


 クラウスはそう言って奥歯を噛む。


「とにかく原因を突き止めなくては……。万が一、聖神具を失うことになればこの国は……!」

「原因…か……」


 指輪は爆発する気持ちを無理矢理抑えている、そう感じたフォルカーの口元が淡く緩んだ。


「……そりゃ、誰かが指輪の意志にケチをつけたんだろよ」


 指輪に向かって手を伸ばしたが、気がついたクラウスが慌ててそれを遮る。


「バカ!やめろ!何考えてる……!今これに触るのは危険だ!」

「俺も丁度用があったんだ。ことの真相……こいつならわかるだろ」

「っ!?……お前、父上の亡骸を見なかったのか……!?二の舞になるぞ!」

「こいつは何か言いたがってる。俺にはわかる。誰かが聞いてやらなきゃな。ヒステリー起こした女は、とりあえずやりたい放題させた後、気が済むまで話を聞いてやるのが大人しくさせるコツだってもんだ」

「あのなぁっ、今そんな馬鹿な話をしてる場合じゃ……って、おい!待て!!」


 クラウスの制止を振り切り、フォルカーは指輪を手に取ると右手にはめる。と、黒い靄が吹き出すようにあふれ出し、風も強く吹き始めた。上着の襟は激しくたなびき前髪が宙に踊る。


「ウルリヒ王の血統を途絶えさせる気か!?いい加減目を覚ませ!もう森を走り回っていた子供じゃないんだぞ!」


 それは何度も聞いた言葉だ。もちろん自分の立場を忘れたことなど無い。

 にぃっと口角を上げるとクラウスに向かって叫んだ。


「ああ!そうだな!俺は……、俺は子供でも大人でもねぇ!ただの男だ!!」

「はぁ!?」

「俺に何かあったら、陛下の…父上のこと頼んだぞ……!後は全てお前に任せる!」

「フォルカー!!止めろ!!これ以上俺は親族が死ぬのを見たくない!!」

「お前が俺の従兄弟で…本当に良かったって思ってるぜ……!じゃぁ、ちょっくら行ってくるわ!!」


 右手を目の前に差し出す。


『――!!』


 神話時代に使われていたという言葉が室内に響く。それは聞き慣れぬ者が聞けば、音にも近い言葉だろう。

 代々王族のみに伝えられる目覚めの言葉。その一言一言を喉から発しながら、フォルカーは静かに瞳を閉じる。


(お前だって、あいつのこと気に入ったんだろ?惚れた女一人笑わせることもできねえのに…国なんてでけえ器、背負えねえしな。一緒に迎えに行こうぜ……!)


 フォルカーはぐっと腹に力を入れる。

 ここにはいない、一度も姿を見たこともない相手に向かい、衣一枚まとわぬ心を訴えた。


『白き神よ、汝を祝福する。

 三位一体であり、そして最も崇高で荘厳な賛歌よ、全てを見通す者を我に使わせ給え。

 最も強き力の主よ、最も長き記憶を持つ者よ、来たれ。

 聖なるリュトレーギンが#僕__しもべ__#、東の王ウルリヒ、その子フォルカーの名において、最も賢明なる精霊の御名において、ここに全てを明らかにし給え。

 父なる神の支配する世界において、我が目を通して隠された真を知らせ給え。母なる神の支配する世界において、 我が目を通して隠された偽りを知らせ給え。

 この血をもって儀式を成し遂げ給え』


 詠唱と共に指輪は光を放ち、瞬く間に辺りは真っ白に照らされてフォルカーは思わず目を閉じた。

 燃え盛る大きな彗星が大地に衝突でもしたような光量ではあったが…熱も痛みも感じはしない。

 光から顔を隠すように両腕が上がる。その耳にクラウスのものでない人の声が聞こえてきた。

 

――『お前―…―いる』

――『なっ、あ・当た…前……―……。あ…日の…とを忘れた―…―など……っ!』


 身体がすぐに反応した。これは従者ポルトの声。珍しく誰かに声を荒げているようだが……


――『いや、違う。お前……覚えていないのか?……その様子だと、まだお前のことを知る者はいないようだな』


 声は次第に輪郭をはっきりと浮かび上がらせ、すぐ近くで会話をしているかのように聞こえる。この男の声にも聞き覚えがある。低く、感情の薄い……そうだ、カールトンの声。


――『一体何を言って……っ』

――『ウィンスター…あそこには父親を待ち続け子供の家があった。お前もそうだろう?』

――『っ!?』

――『……同じ穢れだ。お前があそこで何を屠り、誰を手に掛け続けてきたのか…王子(主人)は知っているのか?』


 自分が過去にその場で見ていたような映像が陽炎のように浮かぶ。……これは城内だ。主が談話をしている間に従者達が控えている待合室。ポルトはいつものチェーンメイルに赤いサーコートを着ていて、カールトンは発色の良いコバルトブルーのジャケットに黒いローブを羽織っている。二人はそこで今にも剣を抜きそうな緊張感を漂わせていた。


――『「ポルト=ツィックラー」…。ひねりのない名だな。どこで見つけてきたのかは知らんが、それでもここでは必要なものなんだろう?その仮面をかぶり続けていたいのなら、あの日のことも俺のことも…他言無用だ』

――『……っ!』

――『そうすれば、誰も傷つけずにいてやる。まぁ、しばらくは……、な』


「!!」


 光がより一層強くなる。強風に思わず身体の力を入れる。

 風が収まるのを待ち、ゆっくりと瞳を開けると、目の前には見たことのない光景が広がっていた。

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