【前】王と王子、父と息子
長年連れ添った友が神の元に召された。こうして一人、また一人と昔の話ができる友が減っていくのは寂しいものだ。まるでそこだけすっぽりと穴が開いてしまったようで、一人静かに部屋で過ごしていた。
窓の外は真綿のような真っ白い雪に覆われた庭。寂しさを慰める花は見当たらなかったが、傷心を優しく包み込むような静けさを保っていた。
「……ヨハンは…もう君に会えたか?」
ウルリヒが視線を向けた先にあるのは獅子の壁画が描かれた壁、そこに飾られた肖像画だ。ひときわ目立つ金の太い額縁に飾られていたのは、亡き王妃シュテファーニア。最愛の妻が微笑みを口元に讃えている。
従者や友人には新しい妻を娶ってはどうかと何度も薦められたが、ウルリヒの心はこの肖像画の存在が示すとおり。
一番広い場所の真ん中に据えられたままだ。
「君が先に逝ったおかげで、ヨハンの葬儀は泣かずにすんだよ。こっちにいる間は随分と大変そうだったが、今はもう楽になったかい?」
ウルリヒ夫妻とダーナー公の妻だけが彼を名前で呼ぶ。
きっと今頃、気の強いシュテファーニアの尻に敷かれているに違いない。そう思うと楽しくもあり、羨ましくもあった。
ふける思いには限りがない。永遠に彷徨う霞の森にいるかのようだ。そんな彼を引き戻したのは従者フォンラントだった。
美しい装飾が施された重厚な扉が数度ノックされ、聞き慣れた声が恭しく廊下に響く。
「失礼致します、陛下。フォルカー殿下がお見えになっております」
その名にふっと視線が落ちる。少し間をおいて、「……通せ」と答えた。
しばらくするとその向こうから硬いブーツの踵が鳴らす足音が近づいてくる。大きな部屋を仕切る壁には白い柱のアーチで縁取られた出入り口がある。足音が止んだ所でウルリヒは窓から背後へゆっくりと視線を移すと、耳元のイヤリングが小さな音を立てた。
「どうした、フォルカー」
低い声に目の前に現れた青年が一礼をする。
妻の面影と若い頃の自分と同じルビーレッドの髪を持った息子フォルカーだ。美しい濃紺に染色された上着に真紅のローブを羽織った彼は唇を結んだまま静けさをまとっていたが、その胸に強い何かを秘めているかのはその瞳でわかった。
「失礼いたします、陛下。お休みの所、お邪魔をしてしまい申し訳ありません」
「かまわん。お前から声をかけてくるなんてここ最近無かったことだしな。どうした?」
それは何も知らない者が聞けば極普通の流れで出た言葉だと思うだろう。しかし、ウルリヒは何故彼がここへ来たのか……その話の内容を察しているかのようでもあり、それに気づいたフォルカーは空気をピンと張り詰めさせた。
二人を王妃の肖像が見守る。
「旧知だったダーナー公の式を終えまだ日が浅いうちにこんなことを申し上げるのは…大変心苦しいのですが……。しかし、無理を承知でお願いがあります」
「………」
「エルゼとの婚約のことです。私の未来の妻について…話を聞いて頂きたい」
フォルカーがエルゼに部屋の行き来を禁じたという話は従者から聞いている。すぐ撤回をしてやったが、エルゼはあれから城へ来てはいない。
「そんなにエルゼは嫌か。ならば他に相応しい相手を見つけてやる。今はまだ気に入る姫はいないかもしれないが、今方々に使いを出して……」
「私には、もう心に決めた者がいます」
「……指輪の心を乱すあの娘か」
「……」
父王の言葉にフォルカーは黙ってうなずいた。
「ある日から私の耳に季節外れの虫の音が聞こえるようになった。ひどく懐かしい音だ。昔同じ音を聞いたことがある。音の主はシュテファーニア…お前の母親だ。お前が指輪の間に入ったと聞いた時、何故そんな必要があったのか、一体何をしていたのかと思っていたが……この音でわかったぞ」
最近フォルカーの女遊びが無くなったのはあの金髪の従者のせいだった…というのも納得がいく。そして、その存在がこれから先ファールンにどんな影響を及ぼすことになるのかも……。
「ならば詳細を話す必要もないでしょう。指輪は彼女を次期ファールン王妃に認めました」
決意にも似た熱を語気に含ませたフォルカーにウルリヒの冷ややかな視線が対峙する。
「『王妃』ではない。正しくは『次代の王を産む女』としてだ。法の上では重婚を認められぬゆえ、王妃になる者が過去に多かっただけのこと」
「妻になるという点では何も違いはありません」
「古い記録によれば、一度に数名のリガルティアを選んだ王もいたという。お前に相応しい相手が見つかったら、また指輪に謁見させればよい。あの娘とのことは、この国の王として認めるわけにはいかん」
「クラウスに聞きました。複数のリガルティアを持つにはリスクを伴うと…。陛下は勿論ご存じですよね」
「―――……」
安易に神の力を使える人間を増やしては世界の理を崩す。
神は王族に血の制約を課した。ひとつは決められた場所でないと子を授かることが出来ないこと。稀に出来たとしてもその子は指輪を使うことが出来ないそうだ。それはリガルティアではない女から生まれた子でも同じなのだと…そう伝えられている。
万一神の認めぬ者が玉座に座れば寵愛を失い、国は衰退するそうだ。
そしてもうひとつは、リガルティアの数に比例するように子供の死亡率が上がるのだと言われている。
かつて五人のリガルティアを持った王がいた。十二人の子宝に恵まれたが、七歳を迎えられた子は一人もいなかった。
「もう一人位なら問題も大きくはならんだろう。何かあればあの娘には禁域の森にでも閉じ込めるか、それとも……」
「殺しますか?」
その心情はフォルカーの言葉だけでなく厳しい視線にも込められた。
子を失った王は、世継ぎを残すため一番身分の高いリガルティア一人を残し、他四人の処刑を命じた。残されたリガルティアは正妃となりその後三人の子を産んだが、誰一人死ぬことはなく成人したと記録されている。
「……できれば取りたくない手段だがな。とにかくあの娘のことは諦めろ。それがお前にとっても、彼女にとっても、そしてこの国にとっても良策だ」
殺してしまうのが一番簡単だ。死人と結ばれることなど不可能。フォルカーもきっと諦めるだろう。
しかし以前あの娘を捉えた時、フォルカーは敵味方の見境なく剣を抜いた。この父にまで挑もうとしたのだ。無粋な方法は一番最後にした方が賢明というものだろう。
「クラウスにもそう言われました。私も…そう思います」
「ほう?ではお前は何をしにここに来たのだ?エルゼともその娘とも違う女性が他にいるとでもいうのか?」
「恐らく彼女が神に召されたとしても、新しい女性を迎えるかどうかすら危ういですね。なにせ父親が父親ですので……」
父の言葉に片方の口角を軽くあげたフォルカー。
壁に飾られた肖像画、妻の微笑みが意図的なものに見えてきてこめかみを押さえた。




