ポチの主は俺様です。
隙間なく敷き詰められた曇天は一筋の陽の光さえ許さない。
辺りには色を持った草一本生えてはいない。皆一様に焼けこげていて、特有の臭いが鼻を突いた。
ここでも戦があったのだろう。
無慈悲なほど公平な炎が在るもの全てを奪っていったのだ。
目の前にある屋敷はかろうじて過去の姿をとどめている。すすけてしまってはいるが、もしかして中に誰かいるかもしれない。
恐る恐る黒こげの扉をノックしてみると、中から小さな少年が姿を見せる。
「安心しろ、ファールンの兵だ。大丈夫か?家の人間は他にいるのか?」
近くに軍の駐屯地があるはずだ。非戦闘員の人間は避難させるように隊長から言われている。少年は軍人である自分に警戒することもなく、「こっちへこい」と言うように袖を引っぱった。
薄汚れた生成の服、髪は長く一本の三つ編み。前髪は顔半分を覆うほどで、隙間からはぎょろりとした黒い瞳が覗いている。
(……っ!)
生気が感じられない。まるで亡霊のようだ。
恐怖を感じながらも何故か手を振り払えず、導きかれるまま屋敷の中を抜けた。
行き着いたのは裏庭のような広い場所。少年と似たような背丈の子供達が二十人ほど集まって何かしている。奥では背の高い煙突が伸び、先からもくもくとした煙が上がっていて、庭と言うよりも作業所と言った方が良いかもしれない。
(レンガ…か?)
四角い木枠にぎゅうぎゅうと土を積め、すぐに型から外す。そして何度もひっくり返して十分に乾かした後、釜戸で焼いていた。
戦争が終われば壊れた町の復旧作業が始まる。レンガの需要は跳ね上がり町の中心部から離れた場所ではレンガ作りの光景はよく見られた。しかしここは……なんだか雰囲気がおかしい。
少年達はずっと地面にはいつくばるような姿勢を続けているらしく、時々身体を起こしては伸びをする。
皆、顔色が悪くうつろな表情……。身体は細く、そしてひどく汚れていた。
「ここは………」
目の前の光景にじわじわと心臓がきしむ。肺が潰されたみたいに呼吸は浅く、早くなった。
視界の中の子供の一人が急にふらつき、倒れ込んだ。
回りにいた子供達はそれに気がついていたが、誰一人声をかける者はおらず、無言で働き続けている。
そのうち男が一人現れて、小さな背中に鞭を入れた。子供は見るからに衰弱しているが、それでも男の罵声と鞭から解放される為、必死に起きあがろうとしている。何度も腕に力を入れては崩れた。
男は近くにいた別の子供に「連れて行け」と指示をする。消えそうな声で何かを訴えられていたが、男は聞く耳を持たない。
しばらくして指示を受けた子供達が戻ってきた。
服の裾にさっきまでは無かった土汚れを見つけて、ポルトは息を飲む。
(と…止めなくちゃ……)
しかしカタカタと身体が震え、足は凍り付いたように動かない。
男がこちらに視線を向けた。足下にいる子供を蹴り飛ばすようにどかしながら近づいてくると、自分の側にいた子供に何か言い始めた。その形相はタチの悪い盗賊のように醜い。
少年は袖を離し、男の言うままに広間へと歩を進める。
(――――――!)
ぐっと息を飲む。
鎖を振りほどくように一度声を上げると、少年を担ぎ上げる。
汚い言葉を羅列した怒号を背に、荒い呼吸を繰り返しながら屋内へ逃げ込む。埃立つ廊下を闇雲に走った。
(出口……!出口はどこだ……!?)
途中、黒い布を広げたような人影に襲われ剣を抜いた。それが何者かなどと考える余裕は無い。逃げたくて逃げたくて、ただその一心だった。黒い塊にも見える《それ》に剣を振り下ろし続ける。
少年を庇いながらの応戦は思った以上に負担が大きい。その上、敵はどんなに剣でなぎ払っても霞を相手にしているかのように感触が無く、効いている気がしない。
吸っても吸っても足りない酸素。それでも足が動く限り出口を探した。
(隊長……!みんな、何処にいるんだ……!?)
ここで少年を見捨ててしまえば、きっとさっきの子供のようになってしまう。
使われて使われて使われて、動かなくなるまで働かされて、いつか冷たい塊になってしまう。
そんな塊も、その周りで涙にくれる人間も散々見てきた。もう沢山だ……!
(そんなこと…させるか!)
刹那、影が少年の足を掴みポルトから引きずり下ろす。
少年は抗うこともせず、そのまま闇に連れ込まれていく。
「離せ!!」
地面を蹴り、影の中心に剣を貫かせる。
しかしこれも効かず、深々と刺さった剣ごと影はこの身体をも闇の中へ飲み込もうとする。
もがいても徐々に浸食されていく。
せめて少年だけは救おうとその身体を押し出そうとした。
「早く……ここから出て……!!」
しかし少年は出ようとはしない。
小さな両手でこの頬を掴むと、禍々しい光を帯びた眼でぎょろりとこちらをむいた。
赤い口を「にぃっ」と開く。
『――――――終わらせない。』
「ッッッ!!??」
暴れる鼓動。
心の悲鳴を吐き出すように全身から流れ落ちる汗。
ズブズブと砂に埋まるように地面に吸い込まれていくが、もはや止める術はなかった。
喉が熱くなり激しい吐き気に襲われながらも、残った力を振り絞る。
両腕を広げると、その胸に少年をきつく抱きしめた。
暗く、冷たい闇の中へ墜ちていく二人。
地上で見た最後の風景……、それはいつのまにか側で立っていた初老の男の姿。
霞んでいく視界の中、緑の瞳が優しそうに微笑んでいた。
(………いつだってそうだ……)
体中の感覚が闇に溶けていく。
(……ただ……そうやって笑っているだけ……)
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「おい……、ポチ、大丈夫か……!?」
目の前で汗を滲ませながら身体を横たえる少女は、時々苦しそうに低く唸る。爪の跡が残るほど強く手を握るので、フォルカーはマッサージをするように指を開かせ、時折そのまま手を握って話しかけた。
この部屋に運ばせてから二日。
ポルトは起きているような眠っているような状態が何度も続いて、なんとか目が開いている時でも意識は朧気。
彼女を傷つけた矢にはやはり毒が塗られていて、種類を調べ、解毒薬を作るのに時間がかかってしまった。しかし、発見が早かったせいか幸運にも死に至ることはなかった。
使われていたのは殺傷能力の高さから歴史上の暗殺事件にも頻繁に登場するネドナ草の毒。宮廷医師のガジンからは「類い希なる強運の持ち主」と言われた。
国王を守った褒美に国獣である一角獣が浄化の力を貸してくれたのかもしれない。
本来なら兵士専門の診療所に診せる所を、星の巡りが悪いだの方位が悪いだの靴ひもが切れただのよくわからない理由をつけて、フォルカーは自分の寝室で処置をさせた。
正直なところ、この状態では色々恐くて宿舎になど置いてはおけない。
その理由は色々あって……
「――――――………」
「ポチ……?」
薄く開いた瞼の隙間から見慣れた金色の瞳が見える。
「ポチ、俺だ。わかるか?」
「………」
瞳が左右に動く。
何処を見るというわけでもなく、まるで靄でも追いかけているようだ。
「……おい、今度は暴れるなよ?」
宿舎に預けられない理由のひとつ。
今ポルトはネドナによる幻覚症状が酷い。
明け方突然身体を起こしたかと思ったら石像を持ち上げて部屋の中を走り回り、暖炉から引き抜いた火かき棒振り回した。フラフラになりながら壁で嘔吐し、最後は花瓶抱えたままぶっ倒れた。
宿舎で養生させたとして、無人の時に症状が出たら、何処かを強打して死ぬんじゃないだろうか。
今回は事情が事情なだけに応援は呼べず、タガの外れた彼女を取り押さえるのに随分と苦労している。もし本当に男だったらどちらかが怪我をしていただろう。
「…………」
「なんだ?」
ポルトが何か言っている。耳を近づけると小さく聞こえた「……ごはん」の言葉。なんだか脱力してしまった。
宿舎に預けられない理由のもうひとつ。
今の彼女は無防備すぎて、隊内に欲求不満な奴がいたら多分襲われてしまう……。
元々人付き合いは苦手な奴だ。これ以上人間不信になられたら困る。
「それにしてもお前……飯のことばっかりだな……」
この二日はほぼ水と処方された薬しか口にしていないのだから、これも仕方がないのかもしれない。
サイドテーブルにはいつ彼女が起きても良いように薬や水、簡単な食べ物が置かれている。口に入れられそうな物を探し、葡萄を一粒つまみ上げた。
その隣でポルトがゆらりと身体を起こす。
「おい……、待てよ。待て待て待て。動くな。本気で頼むから」
「……ごは…ん……ごは……」
「今やるから大人しくし……」
「獲る……っ!」
「待てッッッッ!!」
突然声に鬼気が宿る。布団を跳ね上げベッドから飛び降りそうになった所を寸前の所でフォルカーが取り押さえた。
軍人として過ごしてきた彼女の体力は中々のもので、手足を掴むだけでは押さえきれない。抱きかかえるようにベッドに無理矢理座らせた。
「……獲れる……!あれなら……! イケるッ! 」
「阿呆!あれは剥製だからもう獲った後だ!! 」
壁に掛けてある鹿の頭を一生懸命追おうとするポルトを落ち着かせるのも一苦労だ。
しばらくして体力を使い切ったのだろうか、腕の中でぐったりと身体を預けるようになった。
(本当に動物みたいな奴だ……)
今まで見てきたどの女とも違う生き物で、どう扱っていいものか時々わからなくなってしまう。一番近いといえば、拾ってきたばかりのカロンとシーザーあたりだろう。
男として扱えればいいのだろうが、前と同じように…というのは無理じゃないかと思う。
特にゲンコツなんて……もう落とせない。
「お前、何なら食えそうだ?」
「………」
返事をするように彼女の手が背中に回った。黄色くて丸い頭が胸元にひっついた瞬間、フォルカーの喉にごくりと唾が流れ込む。
「ポ……ポポポルトさん……? 」
予期せぬ行動に鼓動が波打つ。 小さな手がぎゅっとシャツを掴んだ。
「……たいちょー……」
「コラ」
男のベッドの上で他の男の名前を言うなんて大した勇気の持ち主だ。
「……たい…ちょー……た……たい……」
「ちげーよ、ばーかっ。お前わざとやってるんじゃねぇだろうなっ? 」
飯だの獲物だの隊長だの、恐らく彼女は今昔の記憶の中にいるのだろう。
……それにしても面白くない。今面倒を見ているのは自分だというのに。
まるで飼い犬が自分ではなく他の人間に懐いてしまったようだ。
そもそも従者になる前、彼らはこんな体勢で何かをしていたのか?
今度アントンに会ったらとりあえず蹴り飛ばしてやる。
「あ、そうだ」
フォルカーはサイドテーブルに目をやる。小皿に入った蜂蜜にスプーンの先を軽く浸すと、ポルトの口元へと運んだ。
舌にあの独特な甘みが伝わり、ポルトは動きを止める。
「………」
フォルカーが見守る中、スプーンをくわえた口がはむはむと動いている。
「ポチ、《殿下》だ」
二さじ目を運び、今度は耳元で言い聞かせる。
「《フォルカー殿下》だ。アントンじゃねぇ、フォルカーだ。わかるか?言ってみろ」
戦時中に蜂蜜なんて食べられなかっただろう。これで酒場の記憶でも思い出せば、意識はもっとハッキリしてくるかもしれない。何よりこの状況で他の男の名前など呼ばせてなるものか。男のプライドにかけても『こっち』を向かせてやる。
「お前はフォルカーの従者だぞ。《ポチ》はお前の名前だ。わかるだろ?」
「…………」
六さじ目を運んだ時、ポルトが顔を上げる。
久しぶりに視線があった。金の瞳は確かに自分の姿を捕らえている。糖分が脳みそに回ったのかもしれない。
「ポチ……?」
小さい肩を抱いていた手に力が入る。
ポルトはフォルカーをじっと見つめたまま、ゆっくりと瞬きを二三度繰り返した。
そして、力の抜けたままの表情で口を開き……
「……とーさま………」
「この野郎」
ぶつけ所のない苛立ちで口角がヒクヒクとする。
間違うにしてもせめて齢は近づけろとゲンコツを落としたい。
今年一番の早さで後悔させてやると誓った。
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