【後】一難去ってまた……
「あ…あなた……!!」
カールトンとポルトに連れられ、店主は自宅である宿屋に戻った。夫の肩に巻かれている布を見て半分悲鳴のような声で女は駆け寄るも、幸いにも傷は軽いものだと知ると腰が抜けるほど安堵した。
カールトンに殴られて気絶していた村人も、彼が宿を出ていった後で目を覚ましたそうだ。無傷というわけにはいかなかったが、幸い骨が折れたようなこともなく、顔の腫れも女が雪を詰めたタオルで冷やしつづけていてくれたおかげで思っていたより酷い状況にはならずに済んだらしい。
その後、よろめきながら野盗討伐の為にこの家を出ていったそうだが、今頃自分の家に戻っていることだろう。
ちなみに、「私がこの人達に間違って殴っちゃったこと謝っておくから、アナタは夫を助けに行って!」と言われ、カールトンは村人達の救助に向かうことになったそうだ。
三人が外の井戸で傷口と手についた血を洗い流し戻ってくると、女は倒れた家財道具を起こそうとしていた。それをポルトと夫が慌てて止める。
ポルトは店主夫婦に大人しく座っているようにと念を押し、テキパキと片付けを始めた。さっきまで弓と剣を持って燃える村を走っていたとは思えない、まるでメイドを生業としてきたような手慣れ感で満ちている。
その様子を見ていたカールトンが口を開いた。
「……陽が出たら出発する」
一瞬部屋の空気が重くなるのを感じたが、店主は顔色の悪い妻の顔を見て「心配ない」というように微笑んだ。
「……ああ、そうした方が良い。こんな村の有様じゃ、ゆっくり休むこともできないだろう」
「ま・待って下さい。ご主人は怪我をして奥様は身重です。せめて一日でも滞在を延ばして簡単な片付けくらいは手伝って行きませんか?奥様達もその方が良いんじゃないですか?」
家のこともあるが、外にある納屋や家畜小屋は火事の被害が出たままだ。燃えてしまった仲間の家だって村中でどうにかしてやらないといけない。
妻が動けない今、家のことを手伝ってくれる人間がいてくれるのは確かに心強い。店主は声を落とした。
「俺も腕がこれじゃ重いものはしばらく持てねぇ。そりゃ確かに…あんたらが残ってくれたら嬉しいが……。でも……」
「そもそも俺達には無関係なことだった。騒動に巻き込まれただけだ。この村には貸しこそあれ借りはない。俺達がここに残る理由もない」
妻は黙ってカールトンに歩み寄りその服の裾を掴むと、夫よりも長身な彼の瞳を懇願するようにじっと見つめた。
「泊まるのにお金はいらないわ。出来ればあと二、三日いてくれないかしら……?」
「俺達を無料で使う気か?」
「お金は……出せないけれど、ご飯なら。厨房にある食材は使ってくれて構わない…。だから、もし急ぎの用が無ければ、もう少しここにいて手伝ってもらえないかしら……?」
唇をくっと噛みしめる。
女は自分が動けないことをよくわかっていた。仮に腹の子を産んだとしても、それはそれで育児という新しい仕事が増える。客となる旅人が訪れられるように村を立て直し、怪我をした夫一人で宿を再開するまでは何日もかかるだろう。
余程不安に感じたに違いない。村の男達ですら近づくことを一瞬躊躇した男相手に、もう片方の手で胸元を掴んだ。
顔を上げた女の顔は息苦しそうに赤く、目にはうっすらと涙が滲む。喉の奥から念を込めるように口を開いた。
「お願い……!」
「断る」
「お願い……!力を貸して……!……………………………産まれるッ!!」
「「「?」」」
最後の言葉の意味が一瞬わからず、その場にいた皆が沈黙した。
しかし、みるみるうちに女の顔色が変わり、身体をくの字に曲げ始めた。息使いが激しくなり、獣のような唸り声が交じる。
「うぅう……!!痛……ッッ!!お腹がぁ……!!!」
「っ!?」
一瞬、引き止めるための演技かと思ったが、明らかに顔色がおかしい。迫真の度が過ぎる。
本人しかわからない激しい苦痛の中、女はカールトンの服が破れてしまうかと思うほど握りしめギリギリと奥歯を噛み締めた。
「お願いぃ…!!ここにいて頂戴ィ……!せめてこの子が出て落ち着くまででいいからぁぁああん……ッッ!」
「っっ!?」
今まで命がけの戦場を数多く渡り歩いてきたカールトン。しかしこのパターンは初めてだ。一段と荒くなる女の呼吸。陣痛が強く早くなっているのだろう。掴んだ胸元は身体のよじれとともに布もねじれていく。それでも女は手を離さない。
「お・お前!!床に水が……!!は・破水してるんじゃないのか!?!?」
「はスィっ?……って、何ですかっ?」
夫の様子から何か緊急的なことが起きている事は理解していたポルト。その意味を聞き、血の気が引く。思わず妻に向かって聞いた。
「出るの!?」
「出ちゃウ!!」
「「「!!!!!!」」」
こういった緊急時の対応方法はカールトンの知識の中には無い。わかりやすく固まっている。
波のように押し寄せる痛みは間隔が狭くなっていて、女は極限状態まで腹を空かせた蛇のような瞳で立ちすくむ若者を睨みつけた。
「どォうしても行くというなら…ここで産むわよ!!??」
「!?」
「いいの!?!?!?」
充血した目、その圧に半ばフリーズした状態のカールトン。
「だだだだだ駄目です奥様!!今お医者様を呼んで来ますから!!」
「そ・そうだぞ!早まるな!!せめてベッドで産んでくれ!!」
「ホホホホ……ッ!ここでアンタの顔見ながら…産んでやるんだからぁ……!!一ィ生忘れられない夜にしてやるぅッうぅうぅう……ッッ!痛いいぃい痛ァァいいぃいぃいいぃ……ッッ!」
「わかった……ッ!わかったから離れろ……ッ!」
「……」
ポルトはその日、力技以外で音を上げるカールトンの姿を初めて見た。
一方、女は今年一番のしたり顔で片方の口角を上げる。その額には脂汗がにじみ始めていて、傷ついた夫のためにも使える人手を決して逃がすものかという意地を見せつけた。
そんな彼女をポルトと夫が慌てて抱え、寝室まで運んで寝かせる。
「村がこんな状況じゃ、応援も呼べねぇ……!俺は急いで隣村にいる医者を呼んでくるから、アンタ達は出産の準備をしてくれねぇか……!?」
「待って下さい、ご主人は怪我をしています…!私が馬を走らせて――……」
「余所者のあんたらじゃ、隣町の場所もわからねぇだろ。肩の傷だって血はもう止まってる。馬くらいあつかえるさ!俺が行く!とりあえずアンタは湯を沸かして、家にあるありったけのタオルを準備してくれ…!あとよく切れるナイフとか…あぁ、厨房にあるやつを熱して消毒しておいてくれ!」
「わ・わかりました、ご主人!」
「お嬢ちゃん、兄ちゃん……!!妻をよろしく頼む……!!」
店主はそう言うと上着を羽織り、慌てて外へと飛び出していった。
「うぅぅうぅうう……!!!うぅぅぅううう……!!痛い……!!痛ぁい……!!うぅぅググウゥゥーーーーーーッッッ!!」
ポルトもこんな事態は初めてだ。軍で出産方法など習うわけもなく、藁をも掴みたい気分だったが今は自分達しかいない。
ただただ「なんとかしなくっちゃ!」という気持ちが胸の奥の奥から湧き出て、神様にさえ祈るのを忘れるほど。腹を決めた。
「兄様お湯ッッ!私はタオルを持ってきますからッ!!」
「………っっ!!」
「早くしてッッ!!!」
「っっ!?っっ!!!」
「出ちゃう!!!」
悪魔にでも取り憑かれたかのような声でうなる女と、血相の変わった少女、そして過去最高にどうしていいかわからない青年の長い夜は、朝日が顔を出し夫と医者を乗せた馬が宿に到着するまで続いた。




