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殿下にバレました。

 風のように森を駆け抜ける狼達。


 家畜だけでなく、時には人間さえ襲うことがあるという彼らを恐れる者は多いが、中にはその荘厳さから『森の王』と例える者もいる。


 特にシーザーとカロンは見た目は犬とさほど変わりはないが、幼いときから餌には困らない生活を送ってきたせいか普通の狼より一回り大きい。気品漂う豪華な毛並み、肉を引き裂く鋭い爪と牙、何よりその琥珀色の瞳は人間に畏怖の念すら抱かせる。


 城門を出る時に繋いであった馬を無断拝借し、狼達には矢に残っているだろう矢の主の匂いをかがせて捜索させている。


 森は暗く、静寂に包まれていて、自分たちの足音とを激しく呼吸する音だけが聞こえた。


 時折足を止めては世話しなく辺りの匂いを確認する狼達。国王を狙った輩がここからそれほど遠くない場所にいるだろう。


 ポルトも目をこらして茂みの隙間や木の陰に人間の気配を探す。


 ふいにカロンの瞳に光が走り、「ウウゥ……ッ」と小さいうなり声を上げた。


「いたか……!?」


 先に飛び出したのはシーザーの方だった。太い足から蹴り出されるスピードに乗って、まるで流星のように飛び出した。

 追いかけた先にいたのは馬に乗った人影。


「――――――!」


 大狼に突然飛びつかれ驚いた馬は、前足を大きく旋回させながらのけぞるように立ち上がる。

 その拍子に乗り手は転がり落ちた。シーザーは間をおかずその男に牙を剥く。


 男の身体はポルトより大きく、肩幅もしっかりとしている。しかしその左腕はシーザーに噛みつかれ、鋭い牙がミシミシと音を立てながら骨を砕こうとしていた。


 影はたまらず狼の腹に向かって一蹴り食らわすと森の更に奥へと走り出す。


「待て!!」


 ポルトが馬で回り込み、その退路を断つ。

 脇をすり抜けられないように、白狼がうなり声を上げながら男を睨み付けた。


「私はファールン第五城兵隊のポルト=ツイックラーだ!ここはウルリヒ王の森。お前は何をしている……!!その布を取り、名を名乗れ! 」


 男の顔には黒い布が巻かれ、戦場でしか見たことのないロングボウが背負われている。飛距離は出るものの、その扱いの難しさから手に取る者は決して多くはない。

 狼達を制止し、馬から飛び降りたポルトが剣を構える。


(こんなもので獲物を狙うなんて……。何者なんだ、こいつ……!)


 黒布で顔を隠してうろついている時点で不審者以外の何者でもないわけなのだが。

 ここに勝手に入ってきた時点で連行確定である。


「何もやましいことがないなら、顔を見せて名を名乗れ……!」

「………」


 姿を現し始めた月、その淡い光をまといながら、男の瞳がかすかに微笑んだような気がした。

 観念したのか、シーザーの牙から逃れていた片方の手でゆっくりと布を外していく。


 最後の一巻きがするりと落ちて、風になびいた。


 現れたのは闇に溶け込むような黒髪の青年。異国を思わせる濃い肌の色をしていて、齢はフォルカーとあまり変わらないようにも見える。


「……よ・よし、そのまま座って、両手を地面につけろ。怪しい動きをしたら命の保証はないぞ」


 男が素直に従うのを見守りながら剣先をゆっくり近づける。そして彼の背にあった矢の残りを取り外した。


「聖堂に打ち込まれたものと同じものだな。……お前が陛下に矢を放ったのか?」


 ファールン軍が使う物よりも簡素な銅製の矢尻。

 もう一度聞いてみたが、男は無言のまま、ただ地面を見つめている。


 一国の王を狙う……それも警備がいつもより強固になっている式典中を狙うなんて、たった一人でできることだとは思えない。

 まさか他に仲間がいるのかと周囲を見渡したが、この近くには他に不審者はいないようだ。狼達も他に気配を感じている素振りはない。


「カロン、ここで見張ってろ」


 見慣れない男を前にうなり声の収まらない白狼を座らせ、黒狼シーザーを呼んだ。

 矢を包んでいた布を更に裂き紐にする。男から回収した矢の束を狼の身体に縛り付けると近衛隊まで届けるように言い聞かせた。

 合図と共にシーザーは疾風のように駆けだす。


 これでしばらくすればシーザーが隊の皆を連れて戻って来るだろう。

 それまではこの状況を死守せねば…そう思った矢先………。


 何故か手に持っていた剣が手から滑り落ちた。


(――――――?)


 呼吸を整え、もう一度剣を拾い構え直すが、なんだか指先の感覚が鈍いように感じる。


「あまり動き回らない方が良いんじゃないか?」


 声の主は地面に手をついたままの男。こちらに表情のない顔を向けている。


「お前には見えないだけだろうが……その背中、貴族連中が見たら間違いなく悲鳴がでる」

「そんな品の良さそうな人がいなくて良かった。そっちの対応は慣れていないんだ」


 男に集中していて気がつかなかったが、確かに背には生暖かい液体が流れている感触がする。

 聖堂での矢尻は思っていたよりも深く背を裂いていたらしい。


「服装こそそれらしいが、柔綿に包まれ育った『お姫様』でないみたいだな。……まぁ、普通男だって射られた矢の前に飛び出すことはしないだろうが」


「そんなに流暢に話が出来るなら、さっきの質問にも答えてもらおうか」


 男の腕が少し動いた。

 じゃりっと砂がすれる音がして、カロンの低いうなり声が重なる。ポルトが制止していなければすでにあの白い毛は男の鮮血に染まっているだろう。


「この白狼は人見知りでね、慣れない人間には手加減ができないんだ。あまり刺激しないでくれるかな」


 男は言葉を発することを止め、森の静寂が辺りを包みこんだ。そのせいか、やけに自分の呼吸する音が耳の奥に響く。


 なんだか息苦しい……。


 鼓動が不自然に暴れ始めている。

 相手に気取られないようにしながらも、自分の身体に何が起こっているのかわからず不安に襲われる。

 ただ血が出ているだけで……こんな感覚になるのだろうか。戦時中にも怪我をしたことはあったが、こんな状態にはならなかった。


 ポルトの異変から目を背けるように森の奥を見つめるカロン。耳がピンと上を向いた。


(カロン?)


 まさかこの状況で集中力が途切れてしまったのだろうか?

 カロンの関心は目の前の男ではなく、どこか別の何かに向けられている。ポルトは目線を向けた。


(ちょ……カロン、今は駄目……!ちゃんとしてくれなきゃ……!)


 目がかすみ、指先は冷えて力が入らなくなってきた。

 悔しいが男が言ったとおり、背中の傷のせいで身体がおかしくなってきている。

 今取っ組み合いにでもなったら体格だけではないハンデもおわねばならない。……正直な所、勝てる気がしない。


「クン………」


 小さくカロンが鳴いた。それは先ほどのうなり声とは違う、どこか寂しげな声。

 次第にポルトの顔を伺うようになった。


「カロン、駄目だよ」


 しかしカロンはそわそわと落ち着きを無くしてくる。

 そして立ち上がったかと思うと、ポルトを置いて森の奥へと駆けだして行ってしまった。


「あ!!カ・カロン!?こら…!!」


 風になった白狼はあっという間に姿を消し、再び静寂が二人を包んだ。


(あ……)


 柄をぎゅうっと握りしめて、男を睨み付ける。

 落ち着け。有利な体勢は変わらない。

 よほどヘマをしなければ、増援が来るまでの時間稼ぎくらいは出来る。

 訓練で習ったとおりにすればいい。今までだってそれで問題が起きたことはないのだから。


「動くなよ」


 風で流れた雲がゆっくりと月を隠し始めた。

 徐々に闇が支配を強めていく。それに引かれたように男が口を開いた。


「……ネドナという植物を知っているか?葉は丸く噛むと甘いが、根を煎じると数滴で牛をも殺せるほどの毒になる。」

「何………?」


 ドクンッと鼓動が強く波打った。

 喉を掻きむしられるような感覚に襲われ、思わず一歩後ずさる。


「お…お前……まさか……っ」


 言い終える前に大きく咳き込む。視界が急速に狭まり、脳を捕まれるような頭痛に襲われた。

 刹那、男は手元にあった覆面用の布を持つと、ポルトの片足に思い切り引っかけた。


「――――――!!」


 体勢が大きく崩れ反転する世界。

 男は落ちていたポルトの剣を蹴飛ばし襲いかかる。


「っ!!」


 細腕が押さえつけられ、頬を強打されると口内には錆のような味が広がる。

 ポルトも男の腕を掴み応戦した。

 シーザーが牙を立てた場所に思い切り拳を叩き入れると、男の表情が険しくゆがむ。

 力がゆるんだ瞬間、男のみぞおちに蹴りを入れ、その場から逃れようと駆けだした。


「ッ!」


 男の前に向けられたポルトの背。縦に走った傷口に男の指先が届き、肉を捉えたかと思うと一気に下ろされた。


「アッ!! 」


 男の爪が肉を削り、雷が落ちたかのような痛みが全身に走る。

 勢い余って再び地面に転がるも、その反動を生かしたまま起きあがった。


 二人の荒い呼吸が競うかのように繰り返される。間合いを取りながら、ジリジリと睨み合う。

 相手も腕一本使えないが、毒に犯されてるこの身体では長引けば長引くほどこちらも不利だ。


「ワンワンワンッ!!」

(!!……帰ってきた……!!)


 森の奥から聞こえてきたのは狼の鳴き声。

 それは聞き間違えることはない、あの白狼のものだ。

 男は小さく舌打ちをすると一歩下がる。


「待……っ」


 男は片腕を押さえたまま、声のした真逆の方向へと消えていった。

 後を追いかけようとしたが、一歩駆けだすたび、痛みで身体が悲鳴を上げる。


(……せっかく追いつめたのに……!!)


 仕方なく重い身体を木により掛からせ、ぎゅっと奥歯をかんだ。

 視界は今もちらつき、身体の痺れは酷くなる一方だ。同時に胃の奥からこみ上げる熱。絶えきれず、その場に胃液を吐き戻す。


(あれ……?なんだかこれ……どこかで……)


 脳裏の片隅に残るかすかな気配を感じた時だった。


「ポルト――――――――――――ッッ!!」


 遠くで聞こえる声は兵隊ではなくフォルカーのものだ。


(なんで……!?なんで殿下がこんな所に……!?)


 本来なら一番安全な場所にいなくてはいけない人物のはず。

 まさか自分を追いかけて来てくれたのか?


(あ!)


 ふと自分の身体を見た。目の前には戦いの土汚れと血でドロドロになってしまったドレス。

 そして………


「ワンワンワンッッ!!」

「――――――!」


 気配を感じて慌てて茂みに身を隠す。

 先ほどとは違う緊張と戦いながら、体勢を小さく小さくし、なんとか彼らが通り過ぎるのを祈る。


(い…今見つかるわけには……!!)


 少し離れた場所でフォルカーが馬が降りた音がした。


「血か………」


 彼の瞳が向けられているのは先ほどまで男と戦っていた場所。

 明らかに軽傷ではない量の血痕が残されている。


「ポチはどこへ行った?……カロン、ポルトを探せ」


 持っていた剣は拾われることもなく転がったままだ。

 カロンは主の命令に従ってフンフンと地面をかぎ始めた。

 しかし血は広周囲に散らされていて、なかなか位置をつかめずにいる。


「全部アイツのでなけりゃいいがな……」


 石についていた赤い滴を指先で拭いた。まだ固まっていない。馬でも使っていなければ、まだこの血の主は近くにいる。


「ワンワンッ」

「!」


 カロンの白い尻尾が左右に大きく揺れた。

 鼻先を潜りこませているのは少し離れた茂みの中。人見知りするカロンがクンクンと甘えるような声を出している。


「ポチ!そこにいるんだな!?」

「だ…駄目です!こっちに…こ…来ないで下さい…っ!」

「大丈夫か!?」

「大丈夫です!何の問題も…ありませ……っ……!」


 彼女の声から察するにあまり問題がないとも思えない。

 近づくほど小さな血痕の量が増えていき、同時にフォルカーの不安も大きくなる。


「おい、ポチ…!!出てこい!!」


 腰程の高さの茂みをかき分けると、カロンにのしかかられながら口元を舐められているポルトがいた。


「………何じゃれあってんだ、お前達」

「――――――殿……」


 ポルトは朦朧としてきた視界の中で主の輪郭を捕らえる。

 自分の顔を見て、彼の顔色が一変したのがわかった。

 

 痺れる腕を突然引っ張られる。

 気道が詰まりそうになりながら、次の瞬間には彼の腕の中に収まっていた。


「お前、全然大丈夫じゃねえじゃねーか……ッ!!」


 ポルトの言葉とは裏腹にフォルカーの目に飛び込んできたのは血と土で汚れた背中。

 そこにあったはずのドレス生地は所々喪失、残っていた部分も赤く染まり、乾ききらないまま皮膚に貼り付いていた。

 聖堂から出る前、背中にはすでに深い一筋の傷があった。

 切り傷の血は始めこそそんなに出るものではないが、なんの処置もせず出て行けば後で赤いマントを羽織ったように出血してしまうのは当然のこと。


「だから戻れと言っただろうが……!俺の言うこと聞かねえからこういうことになるんだぞ!!


 しかも傷口は変色し不自然な程腫れてきている。ただの切り傷というわけではなさそうだ。一刻も早く医者に診せねばならない。

 腕から逃れようとするポルトを片腕で押さえ込み、空いたもう片方の手で着ていた上着を脱いだ。


「もう……傷は…ふさがってます…!問題…っ……ありません…っ!」

「んなワケあるかッッ問題大ありだ、馬鹿野郎!!とりあえずこれで止血しろ!その服、早く脱げ!」

「大丈夫です!自分で出来ます……っ」

「こら!暴れるな…!!傷口が広がる!これで背中を縛って、すぐ医者に診せるんだ!」

「絶対…ッ嫌ッ!!」

「あん!?」


 そういえば以前、ポルトの上司アントンに「ポルトは医者嫌いだった」と聞いたことがある。戦場で怪我をして帰ってきても、医者に診せることは滅多になかったという。

 貧しい家の出で医者にかかる機会がなく、身体をメスで切ったり傷にしみる薬を塗りつける恐い人だと思ってるんじゃないかと言っていた。


「離して……!」

「あのなぁ!!医者嫌いとか言ってる場合じゃねぇっつーの!」


 隙間から逃れようとしたポルト。それをフォルカーが背後からしがみつき……


「!?」


 大きな右手が想像もしていなかった柔和な感触を捕らえた。

 ふにゃふにゃとしたそれは覚えのあるもので、どちらかと言えばこんな寒々しい、しかも血生臭い場所では無縁にも思える。


 夢か現か確かめるかのように二三度指を動かしてみた。


「ひ……っ!」


 ポルトがいつになく高い声で悲鳴を上げる。


「おい、ポチ……作り物にしては出来が良すぎるんじゃねぇか? 」

「……っ……」


 身が固まってしまった従者、その肩を掴むと無理矢理正面を向かせる。


「っ!」


 両腕を抱いて必死に隠そうとしたが、その胸元には低いながらもやけにリアルな二つの柔丘……。

 汗で濡れた布がその姿をくっきりと陰影を浮かび上がらせている。

 もはや言い逃れようもなかった。

 いつもはサラシでもまいてごまかしていたのだろうが、今日は女装するからそのままでいたらしい。


「……お前……まさか……」


 ポルトは何も言わない。唇をぎゅっと噛みしめて下を向いている。


「嘘は許さねぇぞ。全裸でチェックされたくなきゃ、今ここで正直に言え」


「……っ……」

「言っておくが、俺は本ッ当に脱がすぞ。微塵の躊躇もなく、喜び勇んでやるぞ……!?」

「……ぅっ……」

「お前……本当は女だな……!?」


 鬼気迫るフォルカーの視線と声。

 それに気圧されるかのように…ポルトは小さく頷いた。


「お願いです……。誰にも……このことは誰にも……」


 深傷を負い、毒に犯された身体はすでに限界を迎えていた。

 意識は薄れていき、叫ばれている名すら遠く聞こえなくなっていく。


「お…おい!ポチ!!しっかりしろ…!ポチ!!」

「――――――……」



 説明をしようにも唇は動かず、瞼は海の底に落ちるようにゆっくりと閉じていった。






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