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【前】酒は万病の薬

 その老人は、かつて四大国の一つ東のファールンの王城に召し抱えられる程優秀な医師だった。それは一般的な医者なら首を振るような患者を再び歩けるようにしたとか、新薬の研究で功績を上げたという類の実務的な成果は、表面的なものでしか無い。


 代々医者を生業にしてきた一族の出身で、血と同じく受け継いで来た医術を、金の指輪をはめた貴族も鉄のクワを振る農民にも等しく施す人格者であった。

人々の尊敬を集め弟子に志願する者も国中から現れた。勿論その全員の要求を叶えることはできなかったが、面接も他人に任せることはなく本人が直接行い、若者たちの言葉にじっくりと耳を傾けるのであった。


 ある日「貧しい人々が道で惨めに死んでいくのは嫌だ。医者になって皆を救いたい」という強い熱意に溢れた若者が現れ、弟子に迎え入れる。

師となった男は人一倍勉学と実習に勤しむ彼を見守り、教え、城にある図書室や薬品室にも自由に通えるように工面し、貴族達の診療にも彼を同行させるようになった。これは診療の技術を見せる為だけではない。ある程度高い地位にいる人間に顔を覚えていてもらえれば、万が一、貧しい者が集まる場所で医療活動を行い、途中で資金難に陥ってしまったとしても援助を頼める確率が上がるからだ。

 貧困層の医師不足、資金不足はいつの時代も深刻であり、一人の力で継続していくことは不可能だ。

 男は若い弟子の為、そして未来で彼と出会う患者達の為に尽力した。

 その青年が後に身分詐称で逮捕されることも知らずに……。


 弟子逮捕の知らせはすぐ男にも知らされた。それだけではない。騙されていたとはいえ、男は青年を雇った責任を問われて謹慎処分となった。

 誰も訪れることのない家に一人きりで過ごす日々。それでも「人を助ける手に身分など関係ない」と考えている彼が、青年に費やした時間と労力を後悔することは無かった。むしろ謹慎中は職務から開放され、中断していた薬草の研究や新薬の開発に没頭できることを喜んでいた。


 結局、謹慎が明けた後も彼は王宮医師長の椅子に戻ることはなく、元弟子のパウルに任せたまま城からさほど遠くない距離にある小さな屋敷で隠居生活を送っている。


 近くも遠くもない丁度良い距離にあるその家には、時折客人が訪れていた。


「……それでここにいらしたのですか?」

「うん、そう」


 今日顔を見せたのは旧知の若い青年だ。麻の布地に幾何学的な刺繍が施されたクッションを長椅子に敷き詰め、長い脚の先にある踵を肘掛けに乗せてゴロリと横になっている。

 トレイにティーセットを乗せたガジンはやや呆れた顔を見せながらも、この若い来客をもてなした。


「寒くはないですか?ブランケットをお持ちしましょうか?」

「そこまですると本格的に寝ちまうからな、このままで良い」


 遠慮なく甘えに来ていたのは王太子フォルカー。ここ最近、昼寝の邪魔ばかりされている彼は、休息の場をここに求めたらしい。


 ガジンは目立った爵位を持たない者にしては比較的大きな家を構えている。しかし部屋の殆どを薬となる植物の栽培や調合、また医療器具を造る為の作業室にしていて、実際に生活できるスペースは二部屋程。家族は生活しやすい町の方に建てた別宅に住んでいるのだという。

 フォルカーからすれば城の自室に比べると随分と手狭だし、ガジンが調合している薬草の独特な臭いが部屋の隅々に染み付いているこの空間は、昼寝に最適!というには無理がある。

 それでも(あそこ)にいるよりは、ゆっくりと瞼を閉じていられる。今はそれだけで良かった。


「……クラウスに匿ってもらおうにも大聖堂って無駄に空間広くて隙間風多いだろ?単純に寒いんだよな、あそこ。それにあいつ自身、まだ復活まで時間かかりそうだしな。狼小屋に行っても良いがシーザーとカロンもイマイチ元気ないし獣臭さも増してるし、かといってこんな寒い季節に洗うわけにもいかねぇし……。適度に見張りがいて、且つ居心地の良い寝床のある場所を探してたんだよ」

「やれやれ……。きっと今頃、殿下(あなた)を見失って家臣達は慌てふためいておりますな」

「健康的でいいじゃねーか。室内に閉じこもりがちの季節には持ってこいだ」

「おやまぁ」


 まるで突然転がり込んできた孫と祖父のような空気が二人の間に流れている。寒い雪道を馬で走ってきた子の為に老人は薪を足した。薬草を煮出す為に沸かしていた湯を使ってハーブティーを作ると、飲みやすいように蜂蜜もひと垂らし。


「どうぞ、殿下」

「ん」


 勧められるままお茶を口にしたフォルカーの瞳がふっと細くなる。蜂蜜の甘さが余計な記憶を連れてきた。


「これは根の成分が滋養強壮に効いてですね、小さな黄色い花を咲かせるんですよ。この時期に庭で綺麗な花びらをみせるんですけど……殿下??」

「……っ?」

「ぼーっとされてますね」

「まぁな」


 あの娘を手放してからしばらくたつというのに、ふとした瞬間に浮かぶ面影に懐かしさと苛立ちが入れ代わり立ち代わり胸をざわつかせる。

 女性との付き合いは星の数ほどしてきたが、指輪へ謁見させる程事を進めた相手は初めてだった。婚約の話がなければあんな行動(こと)していなかったに違いない。

 結婚はタイミングだという話も聞いたことがある。今回もたまたまそのタイミングというやつが合っただけだったのかもしれない。それでも日に何度も思い出してむしゃくしゃとした気分になるのは……


――『珍しく女の子にフラれて機嫌が悪くなっているのさ』


 クラウスのあのセリフから生まれた『失恋』とかいう言葉。

 慌てて理性が首を振る。ガジンが不思議そうにその様を眺めている。


(いや、別に恋とかじゃねーし!?飼い主だっただけだし!?保護してた犬が脱走しただけだし!)

「殿下?どうされました?そんな険しい顔をして……」

「これ苦いっ!」

「はいはい、じゃあ、蜂蜜を足しましょうかね」


 ポルトと最初に出会った時の記憶はあまり覚えていない。

 しっかりと認識したのはカロンとシーザーの世話係を新しく決めた時だ。中庭で足の早そうな連中を集め、犬との相性を見た。牙と爪に追いかけられボロボロになっていく男達の中で唯一襲われなかったのがポルトだ。今思えば女であり、子供とも見間違うほど小柄な体型をしていたのだから当然の結果である。


(……あれも俺に近づく為の仕込みだっかもしれないって話だろ)


 カロンとシーザーが女子供を襲わないという情報は特に隠すことも広げることもしていない。猟犬に関心のある者の中で、あの二匹と世話係に接触する機会がある部分的な人間が知る程度。その他の人間は知ろうとすらしないだろう。ダーナー公なら当然知っている情報でもあるし、それを利用しても不思議ではない。

 つまり、カールトン(実行犯)の前に送り込まれた先遣隊員だった可能性もある。……が、カールトンと消えた日、尋問の直前に実行犯や首謀者について耳打ちをしてきた。その内容は事実とかけ離れたものではなく、むしろ事件をずっと捜索していたようでもある。

 そんなことを言った後で、何故彼女は主人に暴言を吐き剣を向けるようなことをしたのか。

 立場がコロコロと入れ替わり、彼女の真意が全く見えない。


(俺が今まで見てきたポルトを見ると白、そうでないところでは黒……ってところか)


 大臣達も疑っていたが…彼女にああ言われた後でも、やっぱりスパイという言葉はしっくりこない。


(だってあいつ…すげー阿呆じゃん……)


 どこか脳天気と言うかやることがズレてるというか……。後先考えずに当たって砕けて、今まで何度フォローに入ってやったことだろう。そんな奴にスパイだなんて……。いやいや、やっぱり無理だ。仮にスパイだったとして、あんな奴を使うような首謀者は多分阿呆なので放っておいて大丈夫だ。勝手に自滅する。

 そもそも、これだけ一緒にいても彼女に命を狙われた事がない(病床で無理やりゲロまずの薬を飲まされたことはあるが)。国王だってそうだ。


(ポチはダーナー公の計画には加わっていない…ということか?そういや、カールトンから矢の他にひっかき傷くらってたしな。……ん?カールトンとは風呂場でも……)


 ガジンの世話になるほどの怪我をし、浴場まで壊した。ポチから話を聞いた時は大人の階段を二人で登ったのかと疑ったりもしたが、あそこで盛大な喧嘩をしたと考えるのが自然だろう。

 カールトンとは北塔での戦いで一度剣を交えただけだ。しかし、互いに相手を殺すつもりでの一戦だった。力量の推測はできる。

 城で習う技とは違った野性味溢れる剣筋は、野盗上がりの傭兵が使うそれに極近い。そんな彼が気を失う程の内容なら『喧嘩』という枠を超えていたかもしれない。ポルトの方が重症だったというのも頷ける。


 その後、何故かポルトはあの男にせっせと蜂蜜ミルクを運んでいた。仲直りの印?まさか男と男は拳で語り合う的な展開で仲良くなったとか?……あの二人の関係は謎すぎる。


 ――『全てが良くなるように…頑張ってる途中です。信じて貰えるかどうかはわからないけど……。みんなが幸せになれるように頑張ってる。でもまだ言えない。全部終わったらちゃんと言うから……。全部…話すから……。待っててくれますか?』


 そういえばポルトはそんなことを言っていた。強い瞳でこちらをじっと見つめていた。嘘なんて微塵も感じないほどで、思わず承諾した。


(『全部終わったら話す』ってカールトンとのことなのか?……いや、北塔で話してた『本当は大っ嫌い』の可能性もあるし……)


 あの言葉も目をそらすこと無く言われた。結構ショックだった。

 肩を揺らすように叩かれてふと我に返る。見上げるとガジンが心配そうに見つめていた。


「……殿下?最近ちゃんと眠っていらっしゃいますか?随分とお疲れ様に見えます。女性と戯れるのも良いですが……、いや、むしろ夜を一人で過ごせぬ程の悩みがおありかな?」

「――……」


 その問いに何故か一瞬押し黙るフォルカー。


「はっはっは、そうですな。今の貴方は悩み事だらけだ。クラウス殿も今は貴方の話を聞ける状態ではないでしょう?……そうだ、今必要なのはきっとコレですなっ」

「?」


 ガジンは近くの戸棚を開けると奥に腕を突っ込んで何かを探し始めた。薬品が入っているであろう瓶をガチャガチャと鳴らしながら、一本の陶器の瓶を手にすると軽く振る。


「うんうん、まだ十分残っておる」

「なんだ?変な薬でも盛る気か?俺はまだ現実逃避するほど落ちぶれちゃいねーぞ」

「まぁまぁ、そう仰らずに。いつの世も、人はこうして失恋を乗り切るものです」

「はっ?待てよ。俺失恋なんてしねーし」

 

 小さいカップを二つテーブルに置き、真っ赤なワインを注ぐ。香草香るそれはレフリガルト王時代の逸品なのだと教えてくれた。以前ダーナー公を診た時に貰ったもので、今では手に入らないそうだ。


「いいのかよ、こんな上等なもん出しちまって。すぐ無くなっちまうぞ」

「一度開けてしまうと味はどんどん落ちてしまいますからね。良い機会です」

「……そうか。なら遠慮なく」


 カップをカツンとぶつけると、二人のカップはまたたく間に空になった。

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