裏切りは常
「………ごめんなさい………」
全く動かなくなった二頭の馬、その隣で神妙な顔をしているポルトが肩を小さく丸めた。
聞いているだけでむず痒さと悪寒を併発するような名前から全力で逃げた兄と、その名前がカッコ良すぎて気分が高揚し、馬を爆走させてるからもっと連呼しようと追いかけ続けた妹は…………せっかくの馬を一日で走り潰してしまった。歩かせるにしてもせめて明日の昼までは馬を休ませねばならず、二人はこの辺りで一晩を明かすことになったのだ。
雪がちらつく中、無言の圧をかけながら野宿の準備を続けるカールトン。ポルトは気まずそうに薪を集め、彼の手伝いをする。
価格重視で購入されたらしい服は、新しいが男性用でサイズが大きい。何度か袖を折り返してまくった。
「……宿のご主人が、男は皆一度は憧れるものだって仰ったんです。紙に自分だけの剣をデザインしたり、誰もいない所を見ながら『またお前か…!』って言ってみたり。顔半分を手で隠しながら暗黒とか世界の終焉がどうとか言うものだって……。ついでにほどけかけた包帯が風で揺れてると尚良しって……」
「――……」
「あと自分の属性がっていう……」
「黙れ」
「あ、すみません。今更ですよね、炎とか氷とか光とか闇とかいう説明なんて今更っていうかスミマセン燃え盛る枝をこちらに向けるのやめて下さいもう言いませんゴメンナサイ」
思わず焚き火の反対側へ身を寄せる。この男、色々本気でやりかねない。
あの宿の店主から「男というものはそういう経験を経て大人になるのだ!」と聞いた。しかし目の前の彼の様子を見る限り店主が言っていたことは、男子全員に当てはまる…というものではないらしい。乙女心は複雑だとか言われるが、男心もなかなか難しいものだ。
他にも「俺の前世は○○(神or悪魔or幻獣etc)で…」みたいなことや「俺の額には第三の目が(個人設定)……」みたいなことをやってるという話も聞いたのだけど……もう聞くのはやめておこう。自分がこの世の住人ではなくなってしまいそうだ。いつ死んでも後悔は無いが、せめて死因は恥ずかしくないものが良い。
「名前…かぁ……」
オレンジの光を揺らす焚き火を見ながらポルトはぽつりとつぶやいた。
名前はあれば便利だ。特に自分以外の誰かが側にいる時は、遠くから呼び寄せる手段の一つになる。
ただ、場所や立場によって変化するそれを、無理に付ける必要はあるのだろうか?ポルトはそう考えている。こんな生まれや生活をしていれば、どんなに立派な名があっても変にイジられたり中傷に使われることもあるだろう。そもそも、近くに誰もいなければ呼ばれることすら無くなる。名はその存在意義を失うのだ。
物思いに耽るポルトを見てまた変な名をつけられると思ったのだろう、カールトンが口を開く。
「必要な時に必要な名を使えば良いだけだ。お前の『ポルト』と同じようにな」
「――……はい……」
焚き火に細い枝を投げ入れた。
今まで様々な人間が好きなように自分を呼んできた。その殆どがまともなものでは無いし、忘れてしまったものも多いが……
(『ポチ』は…結構良かったかな……)
『ポルト=ツィックラー』は今まで生きてきた人生の中でも一番良い経験だった。ポルトで…いや、『ポチ』の思い出はきっと死ぬまでこの胸に残ることだろう。ふと脳裏をよぎった面影に首を振る。
気を紛らわすように、雪の粒が大きくなってきた空に目をやった。風よけのために深い茂みのある場所を選んで火を起こしているが、これだけで十分な暖がとれるわけもない。心なしか城に居た時よりも風が冷たいような気がする。
「あれ?もしかして本当に北に向かっているのですか?」
鼻先に感じるのは強くなった氷の匂い。
「お前の要望など聞かん」
「いえ、要望ってことではないんですけど……。今あの辺りは盗賊が出るって店のご主人が注意していましたよ。そんな危険な場所にわざわざ向かうのですか?」
確かに彼にはダーナー公が認めるほどの体術、剣技がある。作戦さえ間違わなければ数人の野盗相手でも難なく戦えるとは思うが……
「訓練が必要だ」
「訓練?何のですか?」
「お前はこれから俺と仕事をするんだ。まさかただ黙って後ろからついて来させる為に連れ出して来ただなんて思っていないだろうな?」
「仕事……?」
そう言えば市場で見た毛皮に「獲物にならない」と言っていた。もっと大きな獲物?いや、彼が言っていたのはそういうことではない。
「ま…まさか私に城で貴方がやっていたようなことをやれと?見たこともないような人を傷つけてお金を稼ぐ気ですか……?」
「いくら出兵経験があっても、今のお前に敵意のない人間は殺れないだろう。……ま、適当に襲って奪う方が楽だがな。あれは当たり外れがある」
「……っ」
その口ぶりから彼がすでにその罪を犯しているのだと知る。しかし彼がここまで歩んできた道は想像に難くなく、今更それを咎めて役所に突き出そうなんて気はない。大切なのはこれから先のことだ。
「私は絶対にそんな仕事しませんっ。貴方だってもうそんなことしなくても――……っ」
「選ぶのは俺だ」
「もし牢から連れ出したことを恩に思えというのなら見当違いです。私はあそこで死ぬものだと…あそこでなくとも下された刑で死ぬのだと覚悟していました。そんな私を連れ出したのはあくまで貴方個人のこと。そして私が貴方についてきたのは貴方の言う『仕事』に加担するためではありません……っ」
その理由を伺うようにカールトンが視線を向ける。
「別に、後で貴方を捉えようとか寝首をかこうとか…そんなことは考えていません。はっきりと説明するのは難しいですけれど……。貴方についていこうと決めたのは私自身です。協力出来そうなことはするつもりです」
「――……。娼館でも使えないようなお前が、剣や弓以外で何の役に立つというのだ」
「少なくとも旅をする時の荷物持ちは出来ますっ!猟にも出られますっ!それに――……」
二人の耳が飛び立つ鳥の声を聞いた。その声は夜に動くフクロウのものでない。押し黙る二人の手は自然と剣の柄に伸びている。
「備えろ」
「はい、兄様」
カールトンの瞳が見つめるのは一箇所だけではない。ポルトはショートソードを引き抜くと、兄の背を守るように周囲を見回す。糸をピンと張り詰めたような空気。
これ以上隠れていても無駄だと悟った気配の主は、おもむろに姿を表した。
「――くそ!テメェがドジ踏んだからバレちまったじゃねぇか!」
「いてぇ!す…すみません、親分……!!」
それは擦り切れ汚れた衣類に身を包んだ男達。ざっと見回しただけでも六、七人はいる。鹿革で出来たボレロを着た太った中年の方が『親分』なのだろう。隣りにいた青年の頭に無骨な拳を振り下ろす。
「まぁいい!おい、そこのお前ら、運が悪かったな!この辺りは俺達の『モリフクロウ党』の縄張りよ!命が欲しけりゃ荷物を置いて…と言いてぇ所だが……、その様子じゃ俺の言うことなんざ聞きそうにねぇな」
剣を構えるポルト達二人に男が片手を上げる。すると少し離れた場所から数人の男達が現れ、ゆっくりと間隔を詰めて来る。剣を抜く軽い金属音は人影の無い場所からも聞こえた。
「――……っ!」
ポルトの心音が次第に早く強くなる。対多数の戦いは久しぶりだ。しかも囲まれている。状況は明らかに不利だ。そう感じたポルトの首元がゴクリと動く。
そんな中、カールトンは体勢を戻し、何故か敵の中心で剣を収めた。
「兄…様……?」
野盗の男は片眉を上げて笑う。
「おお、多勢に無勢ってことに気がついたようだな!何処の移民か知らんがにいちゃんは馬鹿じゃねぇようだな。しかしここに来ちまった不運は変えられねぇぜ!あの世で嘆きな!お前達、かか――……」
「交渉だ」
カールトンが表情一つ変えず提案する。
「「は?」」
その言葉に驚いたのは男だけではない。ポルトもだ。
北塔で見たカールトンの剣技は見事だった。フォルカーすら抑え込む力を持っているのなら、こんな連中相手になど十二分に渡り合えると思うが……。
カールトンは親指を軽く立てると後ろにいるポルトを指す。
「こいつは女だ。コレと荷物はお前達の好きにしろ。その代わり俺は自由にしてもらう」
「は!?!?」
ポルトの表情がわかりやすく歪む。一瞬自分の耳が信じられなかった。彼が言っているのはつまり…所謂『尊い犠牲』というやつに仕立てようということなのか?
「そこで聞いていたなら知っているだろう。俺は今こいつが穀潰し以外、何の役にも立たんことがわかった。もういらん。お前達にくれてやる。荷物も前日に買い込んだばかりだ。お前の部下が何人いるかは知らんが、まぁ、多少の足しにはなるだろう」
「へっへっへ、おい、あんちゃん。お前は交渉と言ったよな?別に俺らにゃお前を逃がすメリットなんざ何もないんだぜ?今更殺した男が一人増えてもどおってこたぁねぇ…!」
カールトンは軽く周囲を見回した。
「俺は依頼があれば護衛や殺しの仕事も引き受ける。だが……確かに、この人数を一度に相手にするのは面倒だ。しかし、その辺の農民でも本気になれば一人、二人位は殺れるもの。……お前と、なんならその隣の男程度なら俺でも確実に殺れる」
「っ!」
「試してみるか?」
真っ直ぐな青い瞳。乱れのない声音に、男が一瞬身をこわばらせる。場慣れしている者の目は、同じ世界にいる野盗達にもわかったようだ。
側で見ていた男の一人が声を上げた。
「親分がそんな奴に負けるわけねぇ!!気にするな!!やっちまえ!!」
「今叫んだ奴はお前が死んでも構わないらしい。……ほう?他の連中とは違って、良いベストを着ているじゃないか。ここのナンバー2、3って所か?口うるさい上の連中を消したくて仕方ないだろうな」
部下を方をギリッと睨むと男は慌てて首を振り「イヤイヤイヤイヤ!そんな訳ないっス!!」と顔色を変えた。
「……まぁ、男なんて殺る以外に使い道がねぇ。いいだろう、その代わりお前だけだ!荷物とそこの小っけぇのは置いていけ!」
「交渉成立だな」
「よぉし!!お前ェら!!荷物とこの娘をアジトまで持っていけーー!!」
頭領の言葉に野太い歓声が上がる。
「兄様!!??」
勝手に進められた交渉にポルトは思わず声を上げる。話が付くやいなや、野盗に腕を掴まれそうになり乱暴に振り払う。構えていた剣を向けたが、すぐに後ろから押さえられてしまった。ぐっと身体を引き寄せられ首元をきつく締め上げられた。頭上を見る。その相手は……
「そういえば、お前に同じことをされたことがあったな」
「にぃ…さま……っっ!?」
「言っただろう。借りには思わん、と」
敵に協力的なカールトンに、男達は欠けた歯を見せながらニヤけ笑った。
「信じていた男に裏切られるなんて、可愛そうなお嬢ちゃんだ」
「へっへっへ!大丈夫さ、俺達がこれからたっぷり可愛がってやるからなぁ……っ」
渡された縄でポルトを後ろ手に縛ると、カールトンは野盗の一人にポルトを突き飛ばすように渡す。
「俺は行く。じゃぁな」
「へっ!女を差し出して生き残ろうなんてな!お前ェみたいな汚ねぇ弱虫野郎、切るだけでも剣が汚れちまう!さっさと行っちまいな!」
男はそう蔑んだがカールトンは気に留める様子もなく、近くに繋がれていた馬の手綱を取った。
「あ、それ俺の馬!返せ!」
少し離れていた場所にいた手下の一人がカールトンに殴りかかる。それを半身で交わし、勢いで躓きそうになった男の後頭部めがけて拳を振り下ろした。鈍い音と共に男が地面に突っ伏し、そのまま動かなくなる。
「ここまで乗ってきた俺の馬がある。それを使え」
すでに気を失っている男に声が届いているかどうかは不明である。
「兄様!!嘘でしょ!?!?ねぇ……!!」
「……この状況で嘘か本当かすらわからないとはな、愚かな妹よ」
「あ!!待って!!!兄様!!!兄様ぁあああーーーー!!!」
軽い一声が上がり、カールトンを乗せた馬が蹄を上げる。ポルトの叫び声など全く聞こえないかのように鬣をなびかせると、夜の森の中へと消えていった。




