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【小話】もうひとつの目覚めの朝

 窓から見える中庭は熟練の庭師達の手によっていつでも整えられていた。今はまだ雪の交じる季節。花の数は一番少なく、葉の無い枝も目立つ。それでも、直に訪れる春になれば、思わず目を細めてしまうような美しい庭になるだろう。

 そんな庭の中心で、目覚めを待つ小さな小さな蕾の赤ちゃんにどこか自分を重ねていたのはポルト。剪定されているとはいえ、自分より背の高い枝々にふと疑問が湧く。


(木…おっきぃ……)


 普段なら胸元位の高さにあるバラの木ですら、今は頭よりずっと高い場所で枝を伸ばしている。それも一本でなく、目に見える全ての木が大きいのだ。ここまでくるとむしろ……


(私が小さくなったような……)


 そう思い足元を見る。いつもと変わらない支給品のブーツがそこにある…はずなのに、何故か小さな犬の足が見えた。自分の髪と同じ色をした毛に覆われていて、黒い豆のような爪が五つ、外側に向かって生えている。


「むむ???????」


 犬と向かい合っているのなら、爪はこちら側に向いているはず……。よく見ようと顔を近づけると何故か匂いを嗅いでしまった。自分と土の匂い、それに大人の男の匂いに鉄の匂い…色んな匂いがする。あれ?こんなにたくさんの匂い…一度に嗅いだのは初めてなのでは?何故急にこんなことが出来るようになったのか。これは一体……??

 水撒きで出来た小さな水溜まりを見つけて何気なく覗き込む。するとそこには一匹の小さな犬が映っていた。


「――……」


 頭がもやっと白くなる感覚がして空を見る。そしてもう一度水溜りを見てもやっとし、また空を見る。そんな行動を何度か繰り返し、


「私…、犬だわ」


 と、つぶやいた。

 実際人間の言葉で話せたのかどうかはわからないが、自分ではそう言ったつもりである。

 犬になってしまう心当たりなどあるはずが無い。

 もう、ここ最近色々な事が起きすぎて、何処までが自然現象で何処からが異常現象なのかがわからなくなってきた。


 現実を受け止めるためか、「犬、かぁ……」と溜息のようにこぼしていると、誰かが庭石を踏む音が聞こえた。そして、昔嗅いだことのある懐かしい匂いも……。

 三角の耳がピンと立ち、思わず揺れる尻尾の振動が腰にまで伝わってくる。

 考えるよりも前に思わず駆け出した足。本数が増えた分、速度が上がっているようにも感じる。風のように横切っていく風景を気にすることもなく、ポルト犬は懸命に走った。

 しばらく駆けると一人の人間を見つけた。若い男性だ。長いローブを揺らして歩いてくる彼は……


(殿下っ!!)


 主人、フォルカーだ。

 頭の中が一気に春色に変わる。口を大きく開けて名を叫んだら「ワン!」という声がした。やっぱ今、犬だ。いや、そんなことはどうでも良い。

 彼の足元まで走っていくと「ワンワン!」と鳴く。そして見覚えのあるブーツに頭をこすりつけた。時折ひねりを加え、そういう機能がある道具のようにぐりぐりと押し付けた。


『殿下っ!殿下っ!』


 嬉しくて嬉しくて、彼の周りをぐるぐると走った。千切れんばかりに尻尾を振って、勢いよく倒れこんで腹を見せるとぐねぐねと身体を揺らす。それでも湧き上がる喜びの感情が抑えきれなくて、すぐに起き上がり、ぶるるっと身震いをして身体についた砂を落とすと長い脚の周りをまた走り回った。

 しかし彼は真っ直ぐ前を向いたまま。


『殿下っ殿下っ!私、犬になったんですっ!何があったのかはわかりませんが、犬になったんですっ!ねぇ、見てっ!尻尾!尻尾も生えてるっ!』


 相変わらず彼の周りを何周も走る。時折立ち上がって彼の足に寄り掛かるも、全く気がついてもらえない。もしかして、自分は思っているよりも小さいサイズの犬になってしまったのだろうか?体重をかけても軽すぎるとか……?


『殿下……?』


 思わずキュンと高い声が出る。きっと耳はぺたんと下がっていることだろう。できれば軍人らしくカッコ良く、ピンと立ていたいところだが、己の意志でどうにか出来るものでもないらしい。


 彼の顔を見上げつつ、その歩幅にしばらくついていくと新しい人間が眼の前に現れた。今度は女性だ。見たことがない人で、年齢は王子と然程離れていないようにも感じる。美しくまとめられた長い髪に、上質なドレス……。何処かの貴族の娘だろう。……あれ?もしかして殿下のお遊び(・・・)の現場に来てしまったとか?

 思わず従者魂に火が灯る。


『殿下っ、私がいなくなったからって、またこんな遊び始めてっ。誰ですか!?この美人さんはっ』


 ワンワン!と鳴いてはみるが、美女を前にして獣の存在など目に入らないようだ。相変わらずの人である。そこで、ポルトなりの譲渡案を出してみることにした。

 

『殿下っ、若い女性は動物が好きですよっ。ここはひとつ、私を抱き上げてみては如何ですかっ?「きゃー、カワイー」って近づいて来てくれるかもしれませんよっ。この頭を撫で撫でしたら、「動物に優しい人ステキー」ってなって、二人の距離がぐっと近づくかもっ』


 女性を釣る餌として利用されることには慣れている。その経験を活かし、ポルトは犬語で必死にワンワンとアピールしてみた。しかし、その計画は立てる必要すら無かった事が判明する。

 笑顔で近づく二人。フォルカーは右手を差し出すと彼女の手を取り、すぐに唇を彼女のそれに寄せたのだ。バラのようなそれっぽい雰囲気が漂っていたわけでもなく、会話すら大して交わしてもいない。強いて言うなら挨拶程度のように……


『殿下…??』


 もしかして、二人は以前からそういう(・・・・)関係だったとか??女性関係の多い王子のことだから、そんな相手が二人や三人、いやもっといても誰も不思議に思わないだろう。

 正解はショールを持つ彼女の手を見てわかった。

 爪が綺麗に整えられた白く細い指、そこには高級そうなカメオリングがはめられていて、装飾に向かい合う一角獣の紋章があったのだ。それはファールン王国の紋章。そんなものを指にはめて、隠れることもなく王太子の口づけを受けることが出来る女性は…一人しかいない。


『――……っ……』


 急に喉の奥が熱くなる。胸中を整理する為か視線が一度落ちるも、すぐに持ち上げて、黒い鼻を真っ直ぐ王子の方へ向けた。


『も・問題ありません…っ!私は犬です……っ!だから…私が一番じゃなくても良いんです……っ。その女性こそ、一番大切にしなくてはいけない方なのですから……!私は後で良いのですっ』


 そう、犬には優先順位というものがある。自分は獣で人間の彼女より格下なのだ。だから、これは仕方のないことなのだ。頭の中で何度もそう繰り返し、王子の足元に座ってその時(・・・)を待つ。ソワソワが収まらず、なんとなく前足を舐めて気を紛らわしてみた。その間も頭上では他愛もない話に笑顔を浮かべ、二人は時折軽い口づけを交わしている。犬から見てもとても仲睦まじい。


「――……」


 麗しき殿下と妃殿下、この若い二人の姿は国民の心を幸福で満たすであろう。

 ……の、はずなのに、鉛でも飲んだかのように息苦しくて胸元が重い。胸なんて大して肉もついてないくせに。幸せそうな二人を見てこんな気持ちになるなんて……。なんとなく気だるくなって地面に伏せた。視線だけを彼らに向ける。

 こういう時に「リア充爆発しろ」とか言うんだろうか?いや、そんなことを考えているから、王子が見向きもしてくれないのかもしれない。


『あの…殿下……』


 耐えきれず鼻をクゥン鳴らし、前足で彼のブーツを軽く引っ掻いてみた。従者時代から磨き慣れているブーツだ。どれくらいで傷がつくかはわかる。気を使いながら前足を動かすが、自分の存在は空気のままだ。


『監獄でのこと怒ってるんですか……?ごめんなさい。あ・謝りますから……』


 耳に入るのは二人の楽しそうな声と、高い声で鳴く(じぶん)の声。にわかに早まる鼓動と不安で次第に落ち着きがなくなる。


『殿下…っ?聞こえてますか…??酷いこと言ったこと…ごめんなさい……っ!あの時はしょうがなくて…出来ることはあれ以外無かったんです…!でももう私に人の法は当てはまりません。誰にも文句言われません。心配ないですから……!もう迷惑かけませんから……!』


 自分でも見苦しいと思う言葉を並べた。下卑た行為だ。

 それを見透かしているのか、フォルカーは彼女の腕を自分のそれに絡ませ庭の外へと歩き出す。その歩幅はさっきまでとは違い、彼女に合わせてゆっくりとしたものだ。ポルトも二人を短い足を動かして追いかける。


『ご・ご飯もいりません、自分で獲ってこれますっ。首輪もいらないし、自分で毛づくろいしますっ。このままで良いです…!お手を煩わせたりは一切しません……!ごめんなさい…!ごめんなさい殿下……!』


 悲鳴にも似たキャンキャンという声が白い城壁に反響する。小さな口がローブに噛み付いた。しかし、片手で邪魔そうに一度振り払われただけで外れてしまう。

 力では止められない。声も届かない。


『――良い子になりますから!』


 飛びつきたい気持ちが前足を踏ん張らせ、ワン!と叫ばせた。その瞬間、昔の記憶が脳内を駆けて行く。

 幼き日に求めてていた、ただ一つの温もり。どれだけ叫んでも、必死に手を伸ばしても、あの人(・・・)と視線が交わることは一度も無かった。彼と同じ美しい宝石のようなエメラルドの瞳……。


『良い子に…なりますから……』


 懐かしい喪失感に押しつぶされるように、冷たい床板の上でうずくまってしまう。


『――………』


 濃い土の匂いが、お前の居場所はここ(・・)なのだと言っているかのようだ。

 やっぱりこんな結末になってしまうのか。

 二人の足音は一度も止まることはない。楽しそうな笑い声と共に白い霞の中に消えていった。


『……っ……』


 こうしていても…仕方ないことはわかっている。あの人は迎えには来てくれないのだから。でも心の骨がバラバラになってしまって、どうやって立ち上がっていたのかもわからない。

 もう何度この後悔を繰り返しただろう。その度に二度と同じ鉄は踏まないと出来ない決意をした。学習能力のない頭だ。

 萎縮したように縮こまり丸くなる身体。手に、腕に流れる涙は温かく、今流れ落ちたばかりの血のようだ。全ては自業自得だとわかっていても止められなかった。


 心も身体も、全てが軋む。それが神経にまで届いたのだろうか、激しい頭痛が起き始めた。望まれぬ肉体はこの期に及んでも不自由ばかりを強いる。

 奥歯を食いしばるように、同じ言葉を繰り返した。父親を見上げていたあの時のように。


 ――いた…い…いたいよ……


 全てから逃げ出したい、そんな気持ちが瞼をきつく閉じさせた。


 









「――い・た……っ」

「……」


 思わず頭部の辺りを手で払う。指先に硬いものが当たり、同時に頭の痛みが和らいだ。ゆっくりと押し開く瞼。ぼんやりとする視界でゆっくりと周囲を見渡すと……そこは見知らぬ路地だった。左右には年季の入ったレンガ壁が湿っぽく建っていて、日が入らず薄暗い。窓が付いているところを見ると民家のようだ。一体何処の裏路地なのだろう。

 重い身体をなんとか起こすと、隣に無表情を絵にしたような男がしゃがんでいた。


「あ……。かーるとん…さ…」

「寝過ぎだ」

「……??」


 カールトンは少し呆れているようにも見える。その手から硬い地面に転がしたのは木の棒。カラカラと音をたてるそれを見てポルトは察する。


「頭痛ぁって思ったら…起こす為にこれで叩いていたわけですね……。ひどい……。悪夢を見ました……」

「いつまでも起きないほうが悪い。それに、最初はもっと普通に起こしていた」

「普通?」


 カールトンの視線がすっとポルトの胴体へ。つられて見ると生成りのシャツの上に靴跡がいくつもついていた。いや、オイ、靴かよ。


「せめて一度くらい手で起こしてくださいよ……っ」


 息苦しさも身体の痛さも全部この人のせいではないか。悪夢に濡れ衣を着せてしまった。この人は悪夢に謝罪して欲しい。


 やや乱暴に促され、ゆっくりと立ち上がると身体についた泥汚れを払う。そして朧気な記憶をつなぎ合わせた。

 カールトンに連れられ、城を抜け出したまでは良かった。しかし、数日に渡る長時間の尋問とフォルカーとの戦いのせいで体力も精神力も限界を突破。町に入った瞬間、緊張の糸が緩みが過ぎしまったのか気を失ってしまったらしい。

 カールトンも牢の前の戦闘で腹を切られたばかり。小柄の女とは言え人間一人を担いで歩くことが煩わしくなったのだろう。ポルトを人目のつかない路地裏に転がし、自分も体力を回復させつつ意識が戻るのを待っていたようだ。……正確に言うと待ちきれ無かったので、蹴って、棒でポカポカ殴った、と。

 なんていうか……


「……雑……!他人(ひと)の扱いが雑…っ!」


 一応共に王子と戦った仲じゃないか。宿を取ってベッドで寝かせてくれとまでは言わないが、せめて草の上に寝かせるとか、棒や足でなく起こすとか…何かあるだろう、何かっ。ポルトはなんとも苦々しく顔をしかめる。


「そっちこそ、お腹の傷…もう血は止まってるんですか?貴方の方が休憩が必要なのでは?」

「お前と違って軟弱な作りにはなっていない」


 ポルトのジト目を全く気にすることもなく、カールトンは立ち上がる。見れば顔色もずいぶん良くなったようだ。その点についてはポルトも素直に良しとした。

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