三者三様✿恋模様:後
「殿下をかくまったんですよ?もう少しねぎらって頂いても罰はあたらないと思いますけどね」
フォルカーは朝行われる公式行事にはかろうじて顔を出したものの、エルゼから逃れるために式が終わるやいなやここに逃げ込むと、すやすやと夢の旅路を楽しんでいたのだ。
「俺のカンが大当たりだな。あのままダラダラと式場にいたらとっくの昔にエルゼに捕まってたぜ……って、あれ?」
ペタリと座り込んだままの姿を見てフォルカーの動きが止まる。
「ポチ、なんでお前……」
「?」
ポルトは思わず立ち上がると身体についた枯れ草を手で払い、身なりを整えた。彼は黙ったままで何かを考えている。
(なんだろう……?)
今日も朝からいつも通り仕事についているし、何かトラブルを起こした記憶もない…先ほどのエルゼの一件以外は。
「あー…、殿下」
「おう、何だ?」
「……私は別に姫に対して邪な感情で抱き留めたのではなくですね、あくまでも固い地面に身体をぶつけないようにしただけで……」
「誰もそんなこと疑っちゃいねーよ。っつーか、俺ずっと見てたし」
「それでは何の……」
恐る恐る理由を聞いてみた。
「……お前、何か俺に言うことない?」
「は……?」
「無いのか?」
その問いかけに、記憶の引き出しを端から引っ張り出してみる。
(何か物壊したりしたっけ…?それともこっそり隠してたパンの欠片でネズミが出たとか!?)
あながち無いわけでも無い分、動揺が隠せない。
「あ…あの……、正直に言いますと……、ちょっとエルゼ様に触ってみたかったです……」
「は?」
「だ・だって!凄くいい匂いするし……!髪の毛も柔らかいし!!肌なんて真っ白じゃないですか……!でも命がけになるのはわかっているので、試してみようとは微塵も思ってませんでした!!これは本当です!!」
「テメーの欲情話なんか聞いてねぇっ!!他のことだ!!」
見据えるようなフォルカーの視線。
隠し事なんて……心当たりがありすぎて避けるようにシーザーとカロンを見つめる。
「と・特に…殿下にご報告を必要とすることは……」
「明らかに怪しいけどな。俺の知らないところで何かやってるのか?」
「……普通です。ご飯食べたり鎧磨いたり…」
「………」
遠くで聞こえる水音はニウエ山脈を水源に持つローデ川のもの。
フォルカーは目を閉じてすぅっと秋の風を吸い込んだ。夏とは違う草の匂いを感じて瞼をあげれば、そこには魚の鱗のような雲が空一杯に広がっている。
「な、これから勝負しねぇか?」
「勝負?」
「ポチ、今日ナイフ持ってる?」
頷くと、ベルトに備えていた掌ほどの大きさの細いナイフを三本取りだした。縄を切ったり仕留めた獲物の簡単な下処理をするときに使っているもので、ショートソード同様、いつも身につけているものだ。刃先はよく研がれていたが造りは簡素。柄飾りひとつない。
「こいつを的に向かって投げる。より中央に的中させた方の勝ちだ。お前が勝ったら何も言わなくて良い。俺が勝ったら俺に隠してること全部言え」
「な・なんですか、それっ」
先日行った酒場に遊技用の丸い的が置いてあった。恐らく彼は酒場でそれに興じたことがあるのだろう。
こちらの返事を待つことなく、少し離れた木の幹に『×』の印を刻むと軽く手首を回しながら帰ってきた。
「いいか?一人三投の挑戦ってことで。お前だって兵士の端くれなんだから、少しくらいはまともに投げられるだろ?」
「殿下の剣の腕前を思うと正直不安ですよ」
平静は装っているものの、心臓の動きは尋常じゃないほど激しくなっている。この人は確実に何かを疑っている。そして好奇心の赴くまま秘密の園をかき回そうとしている……。
もしかして、今日はサラシの巻き方が甘かった(注:甘いくらいでバレるサイズではない)のだろうか?彼にとっては一時の好奇心で終わるかも知れないが、此方にとっては職を失うかもしれない一大事。負けるわけにはいかない。
「謙遜したって手加減はしてやらねーぜ?」
にやにやと不敵な笑みを浮かべながら、フォルカーの第一投がはじまった。
的になった木から離れること数メートル。ナイフを構え静かに呼吸を整える。
風に押され柔く揺れる枝葉。木漏れ日の動きが収まってきたその時。
フォルカーの手が的に向かって振り下ろされる。
カンッという幹を叩く乾いた音が響き、ナイフは地面の上に転げ落ちた。
「くそ…外したか。おいシーザー、取ってこい」
「あと二投ですね」
忠犬はナイフを器用に拾い、主へと渡す。
よし、と気合いを入れて挑戦した二投目も失敗。狙いに狙った三投目は木に刺さったが、惜しくも印からは少し離れた場所だった。普通の人間ならば木に当てることすら難しい。それを特別な訓練を受けていない彼が的近くに当てたというのは、センスの良さ以外の何ものでもないだろう。
しかしフォルカーは悔しそうに顔をしかめた。
「やっぱ勝負する前に練習時間を取れば良かったな。思ったより難しいぞ、これ」
「練習も無しでこの結果でしたら、ある意味成功と言っても良いかもしれません。サボり癖さえなければ国内一のナイフ投げになれるかも」
「剣だろうがナイフだろうが、使わないに越したことはねえんだよ。やれやれ、軍人は物騒でいかんな」
「それが私の仕事です」
手元にあった二本のナイフを取りだしたポルトが的の正面に立つ。
すうっと息を吸い込んだ。目を閉じてナイフを持つ指先に神経を集中させる。
(――――昔を思い出すんだ。ここは戦場で……みんな動けなくなってる。何か腹に入れるものを……、みんなの命を繋ぐものを持って帰るんだ……)
「おい。的はあのままでいいのか?」
的の近くには先ほどフォルカーが投げたナイフが刺さったままだ。
「いきます……!」
視線をそらすことなく、狙いを定める。その姿をフォルカーがじっと見守った。
ポルトの手から離れたナイフが円を描くように回転する。そしてカキィンという音と共に刺さっていたナイフをはじき飛ばした。
「!」
フォルカーの目が大きく見開く。
間を開けず、ポルトが二投目を放った。今度は線を描くように真っ直ぐ宙を切り裂いたかと思うと、直後、印から数ミリずれた場所にその切っ先を沈めた。
「………………」
「……よかった……」
思いもよらない結果にフォルカーの口は開いたままだが、ポルトはほっと胸をなで下ろした。
「ど・どういうことだ…っ?お前、鍛錬の時だって、どちらかといえば鈍くさいっていうか苦手だって言ってたじゃねぇかっ」
「剣は苦手です。……筋力が少ないので、鉄の塊を振り回すにも限界が早いんです。でもこういった軽いものならそれなりに。弓や投石器も人並みにはできます」
「まさか今のナイフ投げより出来るとか言う気か?」
フォルカーの問いに思案顔になるポルト。
「う~ん……。山でちょっとした獲物を狩るのに困らない程度に……といった所でしょうか。多分猟師の子供ならもっと器用なことができると思います。スリングは簡単に作れるし、重宝しますよ?」
騎士達は弓や弩を嫌う。正々堂々とした戦いには剣と盾、もしくは槍という考えがあるらしい。
これらが得意というのは歩兵ならではということだろうか…。フォルカーは信じられないと言った表情を浮かべたままだ。
「焼きたては美味しいですよ。余ったら燻して薫製に……」
「……やっぱ喰うのか。野良犬みたいな奴だな」
「革と毛は道具に使います。角は窓を作る材料になりますし、持って帰ると近所のおばさんが喜びます」
「顔に似合わねぇことするなぁ、お前………」
「顔??」
ぴたぴたと自分の頬に触れるポルト。確かに顔には猛者にありがちな傷はない。
「戦時中、隊長は私の年齢や体格を見て、なるべく厳しい戦場からは外すように計らってくれたんです。その分、私が皆にできることをしないと……、そう思っている内にいつの間にか上達してしまいました」
仲間達に比べてナイフの腕が立つ、それはつまりその分戦いの場では役に立てず、獲物を追いかけてばかりいたということだ。出来る限りのことはしようと思っていたことを昨日のように覚えている。
ナイフを回収し、ポルトはフォルカーの隣に腰を下ろした。
黒煙の上がる戦地とは違う、穏やかな空気。
今一番大変なのは剣や弓とは無縁のエルゼ姫の件かもしれない。フォルカーが言うほど悪い女性には思えず、考え込むように頬杖をつく。
「……殿下は女性好きなのに、どうしてエルゼ様のことは苦手なのでしょうか?私には殿下が仰るほど残念な姫君には見えません。確かに少々感情に波があるようですが……でもそれはきっと殿下を想えばこそのことかと。私は姫のことはよく存じませんが、そのお気持ちに純粋さを感じました」
口を開かずとも漂う品は、きっと彼女が培ってきた教養の成せるものだろう。
それに大の男だって怖がる狼達に手を伸ばした。
「殿下がもう少し…いつも他の姫君達に接するようにすれば、エルゼ様も落ち着かれるんじゃないでしょうか?行く行くは殿下好みのしとやかな姫になられるかもしれません」
従者の言葉にフォルカーは黙ったままだ。
「殿下?」
「……あいつとのつきあいは長い。気持ちがわからん俺でもないさ。だからこそ距離をおかなきゃマズイだろ。嫌いじゃないが、遊ぶ相手には不向きだ。誰か良い相手を見つけて幸せになって欲しいと思ってるよ。でも、それは少なくとも俺じゃない。あいつを心から想ってやれる、そんな男こそ相応しい」
「殿下……」
『国一番の女好き』、そんな名前を付けられた男とは思えない言葉だった。
「でも安心しろ。俺は時に『量より質』を選ぶが、基本的には愛は平等。この世の女全ては俺に愛される資格がある!お前が思っているとおりの男だ!」
(聞きたくなかった……)
ただの女好きというか節操のない女好きだ。
「まぁ、ただエルゼに関しては……、付き合った後のことを考えると惨劇しか浮かばない……」
「………」
そういえば以前、フォルカーが部屋に忍び込んだテレーズ姫には婚約者がいた。彼女は少ない独身生活を楽しもうと彼を誘ったということだろうか?そしてフォルカーも「夜の情事はその夜だけと割り切れる相手だけ」という彼なりのルールの上で遊んでいたとか?
……なんだか純粋なのか不純なのか、よくわからない。
「まぁ、『遊び』ができるなら相手をしないこともないけどな……って、ポチ、眉間にしわが寄ってるぞ」
「恋愛の形って色々あるんだなって。私は詳しく知りませんが、自分が誰かとおつきあいをする時は一途にいこうと思います」
「そもそも、お前が遊びで誰かと付き合うなんて無理無理。そんな器用なこと出来るわけ無い。俺の全財産賭けても良い。っつーか王位継承権を賭けても良い。お前はとりあえず女友達から探せ」
「な……っ」
「声すらかけられねぇかもなぁ?さっきも、エルゼが近くに来た時、真っ赤になって固まっていたじゃねえか」
フォルカーがにやにやと笑っている。
確かに今まで一度も異性となんて付き合ったことがないし、それ以前に友達作りもままない。多少の憤りを感じながらも反論することは出来なかった。
「い・いつか誰か見つけますっ。側で一緒に時間を過ごしてくれる人を、一緒にご飯食べたり、空で流れていく雲や咲いてる花を見たり…っ」
「ピクニックかよ。やれやれ、お子様はそんなもんかねぇ」
「お子様じゃな……お子様でもかまいませんっ。いいじゃないですかっ」
ぷいっとそっぽを向く。
確かに子供じみた考えかもしれない。でも彼の好きそうな「大人のお付き合い」には、まだ手を出したくない気がする。敷居が高そうだし、ちょっと恐い。何よりそこに魅力を感じないのだ。
「なんか必死だな。やっぱりいい歳して独り身は寂しいか?」
「……戦から帰ってきた時……、町の入り口に兵の家族達が待っていたんです。隣でフラフラになって死にそうな奴がいたんですが、急に目に光が宿って……。折れてる足を引きずりながら、それでも走って…両手を広げて奥さんを抱きしめました。どこにそんな力残ってたんだって思いましたよ」
「………」
「祈るような顔をして帰還兵達を見つめる家族が、驚いた顔をして口を覆う。そして、目にいっぱい涙を溜めたかと思うと、次の瞬間には例えようのない笑顔になるんです。……あれ、すごく良いですね」
「………そうだな」
「そんな風景の中で、私は半分折れた槍だけ持って突っ立ってました。みんなが家族の元に戻った姿を見てとても嬉しかった。でも、同時に自分にはそれがないことを痛感しました。……こんなこと、帰ってくるまで考えたことも無かったのに……」
芝生が狼達の毛並みのようにさわさわと揺れている。
枯れた葉が多く混じるようになった。もう少ししたら白い雪が舞ってくることだろう。
三角座りをした足を抱きながら、いつかこの温もりが別の誰かのものになる日が来るのだろうかと、そんなことを考えた。
「……この世界にはいっぱいいっぱい人間がいます。いつかきっと……私の全部を好きになってくれる人がみつかりますよね」
きっと、きっときっと見つかる。そう信じている。
柔らかくなった陽の光で透き通った髪がふわりと風に乗り、時を知らせる大聖堂の鐘の音が鳴った。
「殿下、そろそろ戻った方が………って……なんて顔してるんですか……」
隣を見れば、怒ったようなむくれたような、なんとも形容しがたい顔で睨まれている。
「おもしろくねぇ」
「は?」
「なんか色々おもしろくねぇっ!お前だぞ!全部お前のせいだ!」
「え!?ちょ……っ、なんで私のせいになるんですか……っ?っていうか何を怒っていらっしゃるんですかっ?」
「その薄幸自慢!ぼっちなのは今まで友達一人作らなかったお前の努力不足のせいだろうがっ」
「べ・べつにそんなつもりは……っ」
「それ以前に勝負事っつーのは、主人に華を持たせるべきなんじゃねーの?しかも何!?わざと負けて適当な嘘で濁すとかそういうこと出来ないの?何なの、お前?馬鹿なの!?死ぬの!?」
「死ぬ!?私、死んじゃうんですか!?なんか悪い病気みたいになってませんか!?」
訳のわからない言いがかりに頭痛がしてくる。
わしゃわしゃと髪をかき混ぜながら「じゃぁ、どうすればご満足頂けるんですか!?」と言うとフォルカーの口角がにぃいっと上がった。
「俺、新しいドレスを用意したんだ」
「――――――――――――ッッッッ!?!?」
顔が引きつったのが自分でもわかる。
悪い病気はアンタだ。間違いない。
次回は25日前後に投稿予定です。
よろしくお願い致します。




