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走り出したのは良いが、すでに見失っていたので、どこに行ったか分からない。いきなり出鼻を挫かれてとぼとぼと歩く。
「怖かったわねぇ」
「うん」
「危ないから絶対に近づくんじゃないわよ」
そんな話声が聞こえたので、ずかずかとその親子の方に向かって行った。
「あの!」
「はい?おや、お嬢ちゃんはネリアスさんとこの……」
「はい!ネリアス雑貨店をいつもご利用いただきありが……って違います。ハーヴィ……じゃなくて、セキレイ殺しの人ってどっちに向かったか分かります?」
「なっ……!?お嬢ちゃん、まさかあのセキレイ殺しを追っているのかい?やめておきな、命がいくつあってもたりない。街を消す炭にするつもりかい?」
そんな風にハーヴィスさんのことを言われて酷くショックをうける。街の人間全員がハーヴィスさんを誤解しているのだ。私よりも何よりも、ハーヴィスさん自身がもっとも傷ついているはずだ。
「そんなことっ!ハーヴィスさんはしませんよ!」
「いやでもねぇ……」
おばさんの視線が、この先の道を見たような気がする。
「あっちですね?行ってきます!」
「あ!ちょっとお嬢ちゃん!」
走っていると、皆「セキレイ殺し」に怯えていた。なぜこの街に……とか、死にたくない、など悲嘆にくれている者もいる。ハーヴィスさんの通った道は、とても冷たくて悲しかった。
この道の先にはメイルトさんの店がある。おそらくそこに入っているのだろうと思い、足を速める。
この街ではたぶん、メイルトさんだけが彼を恐れていない。ヘラヘラ笑って、馬鹿にすることもあったから、メイルトさんはちゃんとハーヴィスさんの事を分かっているのだろう。
そして彼はハーヴィスさんが街で住めない理由を知っていた。ハーヴィスさんは私に知られるのが嫌だから黙っていた。だからメイルトさんも言ってくれなかったのも分かる。でも、そんなのは悲し過ぎる。
メイルトさんは言ってた。ハーヴィスさんは国に雇われて、強い魔物を狩っているのだと。それは街を守ってるって事じゃないの?人の為に動いてくれているって事じゃないの?確かに簡単に魔物を倒す事が出来る程に彼は強い。でも、その強さは人々に向けられた事なんてないのに。
走っていると、メイルトさんの店に到着した。
ドアを開けようとした瞬間扉が開いて、顔面でもろで受けてしまった。
「はうっ!」
「なっ……カナ、デっ……!」
頭上からのハーヴィスさんの声にハッとして顔を上げる。
驚いていたハーヴィスさんは、ぎゅっと下唇を噛んで、ゆっくりと私の肩を押してきた。私にドアの前からどいて欲しいのだろうが、かといって強く押す事も出来ない。そんな苦悩が見える様な仕草に、場違いにもきゅうっと胸が締め付けられた。
微妙な力加減で押してくる手を掴むと、ビクッと震えられた。慌てて引っ込めようとしているのをぎゅっと握って遮る。
「メイルト!」
「はいはいーってあれ?カナデちゃんじゃん。丁度良いタイミングできたね」
「なんとか、してくれ!俺じゃ、手におえない……!」
「べっつにそんな避ける事ないじゃんかーねぇ?カナデちゃん?」
「はい!」
メイルトさんの言葉に大きく頷く。
「私、もう1人でも生活できるようになりました!お家賃は高くて払えませんけど、でも、1人でご飯も用意できるし、掃除も出来ます!もう迷惑かけません!それに……私はハーヴィスさんが「セキレイ殺し」と呼ばれてても気にしません!だって、ハーヴィスさんが優しい事、知ってますから!」
「……っ!!」
目を見開いたハーヴィスさんの顔が朱色に染まってきた。これはかなり照れている時の顔だ。大きな手で赤くなった顔を覆って上を向く。
「それだけ、じゃ、ない……種族も違うんだ。人間と獣族は慣れあわない」
「そんなの関係あるんですか?」
「……種族が違えば、意見も食い違うし、生活だって違ってくる」
「だから、そんなの関係ないですよ!あ、でも本当にハーヴィスさんが迷惑だって言うなら諦めますけど……でも、私はハーヴィスさんと、いたいんです」
「…………」
必死な想いを込めて、ぎゅっとハーヴィスさんの手を握りしめてハーヴィスさんの目を見つめる。あの時みたいに冷たい声で「迷惑」と言われたら、もうこれ以上私は立ち直れる気がしない。
お願いだから、手を払わないでほしい。迷惑はなるべくかけないようにするから。ちゃんと家賃だって払えるようになるから。私と同じ気持ちにならなくてもいい。ただ、傍にいさせてくれたら。
ハーヴィスさんは何も言わずに、助けを求めるようにメイルトさんの顔を見る。メイルトさんは意地悪そうな、いかにもマッドサイエンティストな黒い笑みを浮かべた。
「そんな風にするなら、俺が貰っちゃうよ?」
「……なっ!」
メイルトさんの発言にぎょっとしたハーヴィスさんは、物凄い形相で睨みつけた。
「おいおい、そんな殺意を振りまくなよ。よくそんな気持ちでカナデちゃんから離れようと思うよな……」
メイルトさんが誰を貰うのだろう。
まさか私の事か?というか、話の流れ的にそうなんだけど……メイルトさんはわざとそう思わせるような事を言っているのだろう。でも、それって逆効果なんじゃ……ハーヴィスさんなら簡単に私を捨てると思う。
ハラハラしながらハーヴィスさんとメイルトさんの様子を見守る。
「だいたい、俺じゃなくても、カナデちゃんはモテモテだし。人間同士だからきっと想いも通じあっちゃうんだろうなーお前と違って」
「……あの、別にモテてませんけど」
「カナデちゃんはすっこんでてよ」
「あ、はい」
怒られた。私モテないのに……いや、きっとメイルトさんにはメイルトさんの考えがあるのだろう。私よりも長くハーヴィスさんといるはずだし、ハーヴィスさんの事も良く知っているのだと思う。
「で?ハーヴィスはいいのか?このままで。いつか……カナデちゃんにさえも嫌われても知らないぞ」
「……っ!」
そんな日は来ない!と言おうと思ったが、声が出なかった。ニッコリとマッドサイエンティストな黒い笑みを浮かべられて、何かされたのだと気付く。メイルトさんめ!良い人と思ってたのに!
ハーヴィスさんを見ると、顔が青白くなってショックを受けていた。違うよハーヴィスさん、私は嫌ったりしない。けれど、言葉が出てこないので伝えられない。いっそメイルトさんをぶん殴ってやろうか。
「それでいいのか?諦めるのか?やっとお前の事を分かってくれるヤツに会えたのに?こんなにお前を必要としてくれているのに!知ってんのか?お前に迷惑だからって家に備え付けられた道具もロクにつかってないんだぞ?そのままでいいと本気で思ってんなら、俺もいい加減怒るぞ!」
「……メイ、ルト、お前……」
「……あー言いすぎた?店焼くのだけは勘弁してくれ」
苦笑いを浮かべて、ヒラヒラと手を振る。そして溜息をついて項垂れた。
「分かったんなら、さっさとカナデちゃんと出て行ってくれる?俺ちょっと泣きそうだし」
「……分かった」
ハーヴィスさんが私の手を取って、メイルトさんの家から連れ出された。ところで、なんでメイルトさんは泣きそうになっていたのだろう。そんなにハーヴィスさんのことを想って……!?え!?
若干混乱していると、ハーヴィスさんがこちらに向き直る。
「……カナデ」
「ひゃいっ!」
変な返事をして、クッとハーヴィスさんが口角をあげた。少し笑いを堪えている事が分かり、こちらも笑みが零れる。ハーヴィスさんに笑って貰えると、こちらも幸せになれるって相当好きになってしまっている。
一緒に住みたいって気持ちは変わらないけど、もっともっとと求めてしまうようになったら怖い。そうなってしまったら、例え今は拾ってくれても、また捨てられるようになるかも……。
「カナデとは、種族が、違う」
「……はい」
「それでも、俺と一緒にいたいか?」
「迷惑じゃなければ」
「そう、か……」
僅かに瞳が揺れて、目元が赤くなる。
その顔をずっと見ていたくて。だから、一緒にいたい。
「なら、覚悟しておいてくれ」
「……?」
何のことかわからずに、首を傾げる。
ああ、あれか、私も同じようになじられたりする覚悟か。悲しいけれど、いつか誤解だと分かってくれるはずだ。なんだったら私が積極的に……。
「俺は、カナデが欲しくなるんだ」
「……えっ」
「もう、手放せなくなっても、いいんだな?」
「……へ、え、あ、あの」
ハーヴィスさんの熱の篭った視線に頬が熱くなるのが分かった。それって、あの、そういう言い方をされると勘違いするんですけど。
赤くなってオロオロしていると、僅かに喉を鳴らす音が聞こえた。獣の唸り声のような、そんな音で。
ハーヴィスさんは私を真っ直ぐに見ていた。熱でうなされたような瞳で見つめられて、頭が上手く働かない。
「好きだ、カナデ……俺とずっと一緒にいてくれ」
「……ふぁっ!あっ、わ、私……」
すき?……好き?ハーヴィスさんが?だ、だって迷惑って言ってたのに、い、いつ?なんで?どこで?う、嘘、そんな夢見たいなはなし……。
「種族が違えば、交わっても子が出来ない。そうと分かってて、手元に置くことなんて、出来なかった。それに、俺は住人から嫌われているんだ……。カナデには、普通の人間と……なのに、離れてから俺は、どうしようもなくカナデが好きになってしまっていたと気付かされた」
そっか、子供、出来ないんだ……。
ハーヴィスさんが、色々考えて私を突き放そうとしてくれていたのが分かった。それを聞かされて、胸が熱くなる。子供なんて出来なくてもいい、ただ、ハーヴィスさんと一緒にいてもいいなら。
「私……ハーヴィスさんが、ずっと、離れてからもずっと考えてて、その、だから、私……」
言葉が上手くまとまってくれなくて、何を話しているか分からなくなってきた。ああ、こんな事なら告白の練習をしておけばよかった!
でも、ハーヴィスさんに好きといわれる想定が出来たとは思えない。今まで嫌われている、迷惑ばかりかけていると思っていたのだ、好かれているなんて考えもつかないだろう。
私が真っ赤になってあわあわしているのを見て、ハーヴィスさんが柔らかく笑った。眉間に寄っていた皺が消えて、人形のように綺麗な顔が微笑んできているのだ。もう私の心臓はこれ以上ない程に速くなっている。
どうしよう、私も好きだって、言わないと、言わないと。
「は、ぁ、あの……んっ」
気付いたら、ハーヴィスさんの顔が目の前に来ていた。口が何か柔らかいものに覆われて、動かせない。すぐにハーヴィスさんの唇だと気付いて、ボッと顔が燃える様に熱くなった。
柔らかい感触が少し離れ、目を瞑っていたハーヴィスさんの目が僅かに開く。クス、と息を漏らして笑っているのが分かった。そのまま、ペロリと私の唇をひとなめしてからハーヴィスさんの顔が離れる。
「すまん、もう我慢できなかった」
「あ、は、はい、だいじょ、だいじょばです」
だ、誰!このプレイボーイ!この色気の化身は誰なの!?
口元を手で覆って、先程の行動を反芻してみる。
う、うわああああああ!?ああああああっ!!
「覚悟、しておいてくれよ」
すみません、なんだか早まったかもしれません。
終わり。
次回おまけ。
補足説明。
毎年冬の装いや櫛はメイルトさんが森に貸してあげに行ってあげてました。
仕事の依頼なども持っていってあげてたメイルトさんの親切。
でも今年だけはシカトして、ハーヴィスさんを街に引きずり出してます。
買い物リストの中にカナデが働いている雑貨店の名前を添えて。