3
ある日狐さんが私を抱っこしてどこかに走り出した。それはあの夜の日を彷彿とさせるもので、ぎゅうっと狐さんにしがみ付いてプルプル震えながらどこに連れていかれるのか恐怖した。あの夜と違って今は昼間だが、どこかもっと遠くの危ない所に捨てる気なのかもしれないと思うと気が気じゃない。
しかし連れてこられたのは予想外の所だった。
「ひ……人だっ!?」
沢山の人がいる街に連れてこられた。そこはあまり技術が発展していない所で、丁度中世ヨーロッパくらいか。いや、なんか奥のお城がヨーロッパっぽかったから。
抱っこされている私は、物凄い注目を浴びてしまっていた。
「き、狐さん、狐さん。すごく注目されてるよ?お、降ろして?」
「……」
クイクイと服を引っ張って主張してみるが、無視された。どうやら却下らしい。
仕方ないので、あまり気にしないようにして、周りを観察する。私が観察されてるんだ、観察を返すのは当たり前である。目には目をだ!ざまあみろ!……はずかしい!
恥ずかしいが、久しぶりの人の姿に安心するのも確かだ。でも、もふもふしたものを付けている人はいない。すれ違う人間の殆どが私の良く知った人間だ。顔は欧米系だけどね。
ときたまうさ耳だとか、もふもふした人もいるが、基本的に少ないのだろう。
しかし何故だろう。私への興味から目を向けた人間が、少し畏怖を含めた表情を浮かべるのだ。私が何かしたのだろうか?それとも狐さんの顔が険しいせいか。そっちだな、絶対。誘拐犯か何かだと思われているに違いない。違いますよーこの人良い人ですよー。
良く耳を澄ますと、現地の言葉が聞こえて来た。案の定、全然分からなかった。肉屋の前を通った時に「肉」という単語だけ拾えた。肉!肉!
肉屋をじっと見ていると、ふっ……と笑うような気配が上から聞こえた。上を見上げようとしたが、顎でガスッとされたのでやめた。どうやら照れているようである。
狐さんの照れ顔を妄想しつつ、ニヤニヤしながら街を見回す。
しばらく歩いていると、ボロくさい家に到着した。ボロくさいと言っても、洞窟暮らしよりはマシだけど。
「gfdうghss!」
ドアを叩いて誰かを呼んでいる。だが、返事はない。
「gfdうghss!」
再び同じ言葉を発してドアを叩く。だが、返事はない。
いないみたいだ。
そこで諦めるだろうな、と思ったら狐さんが予想外の行動をとった。ドアをぶち壊したのだ。壊されたドアは青い炎に焼かれて跡形もなくなる。
超アクティブ入室である。
なんて酷い。なるほどこういう人なら洞窟暮らしも納得である。
「gfdうghss!hytぇmてsh!」
「hyーーーーーーgytっ!?んhrshtmjyっ!」
中からぼろぼろに汚れた男が出て来て怒鳴っている。そりゃ怒るでしょうね。玄関壊しちゃってますし。
狐さんに怒鳴っていた男は、ハッとしたようにこちらを見た。
「mrd……sbyjtrcfr」
「rddb」
「htrsああああ!htrsn!htrsn!」
なんかぼろぼろの人が狐さんにシメられている!え、狐さん!強盗はいけないよ!しかし私などでは彼を救う事は出来ない。仕方ない、見捨てるか。
でも、狐さんはぼろぼろの人を解放した。そして、なにやら話し合っている。なんか親し気だし、知り合いなのかも……。言葉が分からないから、全然理解できないけど。
しばらくして話し合いが終わったのか、狐さんが家を出て行こうとするのでついていく。しかし、グイと突き放されてしまった。
「え?え?」
突き放されるのが嫌で、服の裾を掴んでなんとかしのぐ。それでもなお私から逃れようとしている。
え、え?なに?私をこのぼろぼろの人の所に置いていく気なの?捨てる気なの?確かに捨てるならもっと別の所が良いって思ったけど!いやだよ!こんな知らない人の所になんていたくない!なんかマッドサイエンティストっぽいオーラだしこの人!
やだやだやだ置いて行かないでお願いします!
がしりと腰にまとわりついて離さない。
「あーあー……jtrsbf、gtsbbfd」
「rddb」
「htrs!yjrsjてsthrんhーあはははー……はぁーーーーー!?へsbtcrrへj!?」
狐さんが青白い炎を家の中に何個も投げ込んでいる。あれ?私をこの家に置いていく気じゃないの?なんで攻撃してるんだろう……?ぼろぼろの人が必死で火を消していき、さらにぼろぼろ感が増した。
私がオロオロしながら狐さんを見上げると、わしっと顔に大きな手を置かれて何も見えなくなった。何も見えないので分からないが、顔は見るなという事らしい。
諦めて顔を戻すと、思いの外近くにマッドサイエンティストが来ていた。
「ううっ!」
「frんhせんhytj……」
ビクリとして怯えていると、すごくしょんぼりした顔をされた。あれ?もしかして良い人……?
と思ったが、いきなり触って来ようとしてきた!
「き、狐さん!狐さん助けて!」
「……」
慌てて狐さんに救援を求めてみるが、狐さんは助けてくれない。むしろ動けないようにがっしり捕まえられる。
「tgtfrんsgtgtd?」
ニッコリとサディスティックな笑顔を浮かべて私の頭掴んだ。
その瞬間、かあっと頭が熱くなって、視界がぼやける。ついでにガンガンと頭が痛くなって、涙が出て来た。
「い、いたあああああい!?何?何?た、助けて!」
殺される!なんかされた!このマッドサイエンティスト的サディストになにかされた!しぬ!いやだよぉっ!
怖くて、必死になって狐さんにしがみ付く。
「貴様、こいつに何しやがった!」
「待って待って待ってよ!言語変換の魔法だよ!君の依頼通りの事をしただけだよ!いやぁ!やめて!燃える!」
「こんなに苦しんでるのはおかしい!殺す!」
「ぎゃあっ!やめて!しんじゃう!シャレにならない!」
ん?あ、あれ……?今、言葉が……。
「狐さん、今、言葉……」
「……!あ、ああ……!わ、分かるぞ」
家を燃やし尽くそうとしていた狐さんが私の言葉にハッとして止まった。私を顔をペタペタ触って、心配そうにしている。
まだ頭がじんじんするが、何かされた御蔭で言葉が分かるようになったらしい。
「ぶふぅー!狐さんだって!超かわ、うわああああ!そろそろ店が崩れ落ちるからぁっ!?」
狐さんを馬鹿にしたぼろぼろの人が家を燃やされて慌てふためく。店とか言ってたけど、商品らしきものは見当たらない。
ぼろぼろの人をいじめて満足したのか、私に向き直る。
「俺は、ハーヴィス、だ。そう呼べ」
「ハーヴィス、さん」
「ああ」
「ハーヴィスさん」
「……ああ」
「ハーヴィスさん、ハーヴィスさんっ」
狐さん……いや、ハーヴィスさんの名前が分かって嬉しくなって何度も呼んでしまう。ニコニコしながら呼んでいると、わしっと顔を掴まれて止められた。呼び過ぎたらしい。
「お前はなんて呼べばいい」
「私は暁奏といいます。かなでって呼んでください」
「カナデ、か……」
「はい!」
自分の名前が呼ばれた事が嬉しくて、ニヤニヤする。ニヤニヤしすぎて、頬が痛くなってきた。けれどもニヤニヤするのはやめられないとまらない。言葉が通じるって本当に素晴らしい!自分の名前が呼ばれる日がくるなんて!
もっと名前を呼んで欲しくて、期待を込めた目でじっと見つめてみる。
すると、目元が薄らと色づいてきた。照れているらしい。
「……カナデ」
「はいっ!」
やばいめっちゃ嬉しい!
もっともっとたくさん呼んで欲しい。
「あのー2人の世界に浸らないでくれる?ここ俺の店だし」
「あ、すみません!なんか知りませんが、有難うございます!」
「なんか知りませんがって……うう、君変わってるねぇ」
「いえ、貴方ほどでは」
「いわれるよねー」
「えへへ……」
なんだ、意外と普通に喋れる人なんだね!
見た目をもうちょっとなんとかすればいいのに。
ぼろぼろの人と話していると、狐さ……ハーヴィスさんにグイと腕を引っ張られた。
「もうここに用はない。いくぞ……かなで」
「はいっ!ハーヴィスさん!」
「ひどいあまりにも……ハーヴィス、君って奴は……まあいいや、健闘を祈るよ」
ぼろぼろの人はやっぱりハーヴィスと知り合いっぽかった。ひらひらと手を振って送り出してくれたので、私も手を振っておいた。
帰りは腕を掴まれた状態で歩く事に。しかし注目度は減っていなかった。抱っこよりは減ると思ったのにな……。
「ハーヴィスさんハーヴィスさん」
「……なんだ」
「ずっと言いたかった事があるんです」
「……なんだ」
足を止めてじっとハーヴィスさんの顔を見つめる。
そして直角に頭を下げて礼を述べた。
「命を助けて頂き、本当に有難うございます。本当に本当に有難うございます。何もかもお世話して貰って本当に助かりました。嬉しかったです。何度お礼を言っても足りないかもしれませんが……」
途中でわしっと後頭部に手を置かれた感触がして言葉を止める。
そろそろと上を見上げようとするが、押さえられていて上がらない。お、お?土下座したほうがいいのかな……?若干恐ろしくなってドキドキしてみる。
「……知ってる」
「え?」
顔を上げようと思ったが、やはり上がらない。頭が高いってことっすね!
「お前……いや、カナデが何度も礼を言っている事は、なんとなく分かっていた。だから、改めてなんて、いらない」
「あ、良かった……伝わってたんですねぇ……ところで、なんで後頭部を掴まれているのでしょう」
「い、いや、それは……」
僅かに狼狽した声色にピンときた。これはあれだ、照れてるヤツだ。その顔を想像して、顔がだらしなく緩むのが分かった。
「ほらあれが……」
「例の噂の……」
「なんて恐ろしい……」
ひそひそと、誰かに囁かれている気がして、左の方を見ると、街の人間が目を逸らしてさっさと立ち去ってしまった。でも何か噂話的な事を話していた気がする。
なんの噂だろう……と、少し思っていると、ぐいっと手首を掴まれてハーヴィスさんが歩き出した。急だったので足が絡みそうになる。
もう、歩くならそう言ってくれればいいのに。相変わらずあまり喋らないなぁ。
「ハーヴィスさん、ハーヴィスさん」
「……なんだ?」
グッと少しだけハーヴィスさんの手に力が篭る。その事に僅かながら疑問に思ったが、気にせず話しかける。
「私も手を握りたいので、手首じゃなくて手の方を握ってもらえませんか?」
「……っ!」
ハーヴィスさんは僅かに目を見開いて、頬を赤らませている。可愛い……言葉がわかると気持ちをストレートに伝えられていいなぁ。
気持ち体温が上がった手を、手首から手の方に握り直してくれた。その事が嬉しくてまた頬が緩む。
「……奴隷なのかしら?」
「殺すんだろう」
「可哀相に」
なにやら不穏な空気に首を傾げる。ひそひそと話していた人達は決まって目を逸らす。
奴隷?殺す?何のことだろう。というか、この世界って奴隷とかあるのか。確かに技術とか遅れていそうだし、ありえそうだ。
でも、なんかこの街の人達、こそこそしてて感じ悪い。明らかにこちらの事を言っていそうなのに、直接話しかけてきたりはしない。友好的な視線じゃないのが分かるので、胸糞悪い。
「ハーヴィスさん……あの人達、なんの話をしてるの?」
「……」
ハーヴィスさんの表情が強張る。
そのまま私の質問には答えずに、黙々と歩く。それ以上聞く事はせずに、私も無言で歩く。前までは無言とか無視とか普通だったのに、妙に沈黙が重くて、気分が落ち込む。
いいや、ハーヴィスさんは前からこんなんだし、言葉が分かったとしても己を曲げたりしないのだろう。気にした方が負けなのだ。
うーん……そういえば、この世界魔法があるんだね。ぼろぼろの人が私に魔法的な何かを施してくれたらしいし。まぁ、察してた。ハーヴィスさんが何もない所から炎出すしね!なんという異世界、なんというファンタジー。いや、察してたけど!言葉が分かるとより分かるようになるよね。
ハーヴィスさんは、どこかの家的な所に歩いてきた。
こじんまりしたその家を見上げる。
「家」
「ああ」
「何かのお店?」
「違う、今日からカナデはここに住むんだ」
「え!?」
えっまっじで!?あの洞窟から卒業!?なんという至れり尽くせりなんだ!ハーヴィスさん凄く良い人だぁ!あの日ハーヴィスさんについて行って、本当に良かった。
嬉しかったが、何故かハーヴィスさんの表情が固くて、だんだんと喜びが減って来た。
「何かあったら、メイルトを訪ねるといい」
「……メイルト?」
「さっきカナデに魔法をかけたやつだ」
「あーあの人ですね、ふんふん」
そこまで聞いて、「ん?」と首を傾げる。まるでそこにハーヴィスさんが含まれていないような言い方だった。
「ハーヴィスさんも一緒に住むんですよね?」
「……いや」
「……え?」
「……俺は、ここには住めない」
「え、なんでですか?私、ハーヴィスさんと離れたくありません」
裾を掴んで、いやいやと首を振る。
ハーヴィスさんは私に向き直り、真剣な眼差しで私を見据える。
「カナデはここで、暮らしていけ。人間は、人間のいる所で暮らすのが普通だ」
「いや、それはそうですけど。なんでですか?なんでハーヴィスさんは住まないんですか?寂しいです!」
真剣な眼差しが、動揺で揺らぐのが分かった。
僅かに息を吐きだして、何かを覚悟したように睨みつけて来る。
「これ以上は迷惑だ」
予想以上に冷たい声色に固まる。
確かに足手纏いだった。何をするにしてもハーヴィスさんの助けが必要だし、ご飯だってハーヴィスさんが材料を持ってきてくれている。服だってハーヴィスさんに貰ったものだし、家まで用意してくれた。これ以上、どんな迷惑をけかればすむというのか。
何か言おうとしたが、何も言い返せなかった。私はハーヴィスさんに迷惑しかかけていない。すぐに泣きつくし、しがみ付くし、我儘いうし……。
私が何も言わないのを見て、ハーヴィスさんは私の手に鍵を乗せた。恐らくは家の鍵だろう。そして、目を合わせる事もなく、さっさと歩き去る。
追いかける事が出来なかった。声をかける事すら出来なかった。
本当は追いすがって、泣いてでも一緒にいて欲しかった。けれど、とても迷惑極まりない行為でしかない。それが寂しくて、悲しくて、悔しかった。
ぼんやりとする頭で、家の鍵を開けて中に入る。
家の中は薄暗い。
「電気……」
そういえば、魔法のある世界に電気などあるのだろうか。キョロキョロと家を見回すと、スイッチ的なモノがあった。ソレを押すと、明りがついた。これはどういう構造なのだろうか……?しかし、明かりもタダじゃないだろう。もう一度スイッチを押して明りを消す。外はまだ明るいので、差し込んでくる光で見えない事もない。電気代は節約しよう。それだって、ハーヴィスさんが払ったモノだろうし、迷惑かけられない。
「迷惑……」
何度も何度もハーヴィスさんの言葉が回って、気分が落ち込む。
のろのろと家を見て回ると、台所兼リビングと、寝室の2部屋である事が分かった。寝室には、きちんとベッドがあった。これだけあれば、普通に暮らせるだろう。
台所は薪で調理するものらしい。煤だらけのかまどがある。その近くに、冷蔵庫っぽい見た目の薄茶色の箱があった。そこを開けると、中には食べ物や飲み物がみっちりと詰まってあった。それがハーヴィスさんの最後の優しさなのだと思ったら、涙が出て来た。
「うう……ハーヴィスさん……うっ、うっ……」
やっと言葉が分かるようになったのに。やっと名前も呼べるようになったのに。迷惑としか思われていなかった。
私はその場で蹲って、泣き続けた。
長い、絶望した。
続きます。