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目が覚めると、夜になっていた。周りは暗いけれど、火を焚いている所だけは明るい。ご飯を食べている最中に眠ってしまったらしい。まるで赤ん坊のようだ、と思ったけれど、疲れていたし仕方ないと思う。
焚き火のそばでは、男が火の番をしていた。と、言っても、ぼんやりとしているだけだったが。
ぼんやりしている時は、不機嫌顔ではないらしい。とても綺麗な無表情は、人形のようにも見える。
私は身じろぎもせずに、そのまままた眠りへと誘われた。
次に目が覚めると、男が肉を焼いている所だった。ジュウジュウと焼いてはいるのだが、外が焦げている。火力が強すぎる。そういえば、貰った肉は焦げまくっていたし、パサパサだった。なんというか、男っぽい大雑把な料理だな、という感想が沸く。
言ってはなんだが、ヘタクソだった。
まぁ、凄くお世話になってる身で、そんな事言えませんけど。通じないと思うけどね、言葉分かんないし。
「おはようございます」
そういうと、男が顔をこちらに向けた。とくに返事をする事もなく、肉を焼く作業に目を戻し、黙々と焼く。思ったが、男はそれほどおしゃべりではないのだろう。コミュニケーションをとる気が全くないらしい。そんなだとずっと言葉分からないままだよ!貴方も、私も!
地面に手をついて、体を起こす。痛いけれど、昨日程じゃなかった。プルプルしながらも、なんとか体を起こす事ができて、ホッとする。
胸を撫で下ろしていたら、男と目が合う。どうやら、起き上がりと格闘している所をじっとみていたらしい。見ていたとして、なにがどうなんだと思うが、まぁいい。そこで、トイレがしたい事に気づく。
そういえば、水飲んでからずっと寝てたから、トイレに行っていない。急に物凄くしたくなって、焦る。まさかここでするわけにもいくまい。
「あ、あのっ!と、トイレしたいんですけど!」
男は眉を顰めた後、肉に視線を戻す。
ど、どうしよう。洞穴みたいだし、適当なところでしていい……だろうか?そう思って、立ち上がろうとしたが、全然起き上がれない。
まずい。
「あ、あのぉっ!!」
さっきよりも大声で呼びかける。
「トイレ!トイレしたいんです!でも起き上がれないんです!どうかご慈悲を!」
男が反応してくれるまで、何度も呼ぶ。膀胱が限界突破しそうだった。こうなったらなりふり構っていられない。
外国人と話すなら身振り手振りで伝えるしかないだろう。
私は下腹部をさしたりして、出そうな事を動きを微妙に変えつつ、なんとかつたえようと必死で手を動かす。もれます!やばいです!
しばらくすると、男にも伝わったようで、じわり、じわりと頬が赤くなっていった。ぎゅ、と下唇を噛んだ後、私をお姫様抱っこして、走り出す。
振動で出そうだったが、意地でも耐える。
この男、1人人間を抱えているというのに、まるで重さを感じていないような素早い走りをする。華奢な見た目によらず、力があるらしい。そういえば、昨日も大きな化け物と戦って勝っていた。相当鍛えられているのだろう。
少し背の高い草むらの所までくると、私をそこに降ろして、さっさと離れていこうとする。しかし、私はガシッとその腕にしがみ付く。
「そのまま!そのままで!支えになってくれないと座れない!」
自分でもわけの分からない事をしていると思う。けれど、しゃがみ込まないとトイレができないでしょう!しかも今は起き上がれない。この人を支えにするなら、なんとか出来ると思う。もしくは支えてくれることが最善。
わなわなしながらなんとか腰を浮かせてズボンを下げようとする。
「fjv!!?lmyvcthrshct!!!???」
男は慌てたように私を振り払って、ささっと離れて行った。
あ。
結局人間としての尊厳を守り抜けなかったようです。
男に綺麗な湖に連れていかれて、体を清める。ついでにズボンも洗う。洗剤もないので水洗いだけだが、手でなんとか洗い落とす。まだ大きい方じゃなくて良かった……と半笑いで洗った。
顔を真っ赤にさせながら私を運んでくれた男が印象的だった。私が体を洗っている時も覗きにも来ない。
いつも不機嫌だけど、とても親切で優しくて紳士的だな、と思う。いきなり変な所に飛ばされたけれど、運がよかった。あんなに良い人の所に飛ばされて、本当に良かった。しみじみとしながら、頭も洗う。ああ、石鹸とか欲しいなぁ。そう思いながら、砂などを洗い落としていく。
湖はとても透明で綺麗だった。
元気になったら、ここで泳ぎたいなぁ、なんて思う。
「’$#&……ygfjc、trwsvtbyhtvhrrswvt。tydc、rhtvszgzvmbbt?」
男に呼びかけられる。
「まだです!」
私はのろのろと湖から這い出して、水分を落とす。うわぁ、また土付いちゃったよ……意味ねぇ……でもそうか、まともに動かないからどうせまたつくよね……。
土がついた事に若干ショックを受けている瞬間、男と目が合った。
這い出して来た私と、男と視線が絡まり……やがてその視線が下へと向いて……。
「あ」
「cycあああああああああ!?」
慌てて前を隠したが、バッチリ見られたと思う。
うっ……うっ……もうお嫁にいけない……。
恐らく、私の言葉が分からなかったせいだ。私の言葉が「もう大丈夫」か何かだと勘違いして出て来たのだろう。
現に、男はおお慌てて引っ込んでいったし。
……申し訳ない事をしました。色々。
上に寝間着、下にはボロ布を巻きつける。そして、焚き火でズボンやパンツ、キャミも乾かせる。パンツとキャミは靴代わりにしてボロボロだが、使えない訳ではない。
男は気まずいのか、私をこの洞窟に置いて行ってからどこかに行ってしまった。あの人に見捨てられたら、私はどうすればっ!
落ち込んでいると、男が戻ってきた。
バサリと顔面に布を投げつけられた。
「ん……服?」
それを広げると、シンプルな薄汚れたズボンっぽいなにかだった。
「hytcrh」
これを着ろ、という事だろうか。
私は頷いてボロ布の下にそのズボンをはいた。御蔭でボロ布が布団に戻る事ができた。
いそいそと布団を被って寝る。もうちょっと寝たら、起き上がれるかもしれない。火急的速やかに立ち上がれるようにしないと、同じ悲劇を繰り返す事になる。
結局、悲劇を2回繰り返し、私はなんとか立って歩けるようになった。長い戦いだった気がする。
さて、ずっといるのだから、彼の名前も分からないと不便だな。そう思って、彼を観察すると、狐色の耳の先はちょっとだけこげ茶に。狐色尻尾は先っぽだけ白っぽく。まぁ、そのまんま狐っぽい感じだったので「狐さん」と呼ぶ事にした。
「狐さん、狐さん」
「……trds」
狐さんという単語の音が、自分を呼んでいるものだと分かったのだろう。狐さんと呼ぶと返事をしてくれるようになった。
それがなんともうれしい事。
言葉って凄く大事だよね。まぁ今だに殆ど覚えてないけども。
あれだ「肉」という単語だけはしっかり覚えた。食べ物って大事よね。
「肉、肉!」
「ああ、drhrs」
言葉が伝わっている事が嬉しくて、何度も話しかける。うっとおしそうにしているが、何回か言葉を返してくれる。それを拾って、なんとか言葉を理解しようと頑張る。……が、あちらがあまり積極的でないので、それほど進展はしてない。
「狐さん、狐さん」
「……trds」
たぶん、なんだ?と言ったんだと思う。
「ふふふ、よんでみただけ」
意味は伝わっていないと思う。
けれど、ニコニコわらっていると、決まって彼は目を逸らす。最初は分かっていないせいだと思っていたが、どうやら照れているようだった。彼は笑顔を向けられるのが苦手みたいで、よく照れて目を逸らす。そこが可愛くて、何度も呼んではニヤニヤしてしまう。
殺されそうになったことなど、もうすっかり忘れ去っていた。
そんなある日、真夜中に狐さんが突然私を抱き上げ、夜の森に駆けだした。
「どこに行くの?……えっと、どこに、ってなんていうんだろう」
「……」
呼びかけても返事もせずに、黙々と森の中を進む。
しばらく走っていると、そっと私をそこにおろした。狐さんは何かを迷った後……。
「hdryvyt」
それだけ言って、私の前からいきなり消えた。
「えっ!?えっ、えっ……狐さん?狐さん!?」
暗い森では、彼を見つけることは出来ない。私が最初にここに飛ばされた日の事を思い出す。
何も見えない、何も分からない、どこなのか分からない、こわい、やだ。
「狐さぁん……!」
半泣きで呼んでも、彼が戻ってくることはない。
グルル……という唸り声が聞こえて来て、口を押えて、涙も堪える。どうしよう、なにか怒らせような事をしただろうか。そりゃ、何もしてなくて役立たずな事は認めるけど!何も、こ、こんな所に捨てなくても!もっとあるじゃん!捨てるとこ!いや、よくわからないけど!ここ以外のどこか!
最近すっかり忘れていたが、この世界の夜は危険なのだ。私なんて、5分と持たずに死んでしまう。
用もないのに呼んだのがイラついたのか、そうなのだろうか。ごめんなさい、もう2度としませんから!お願いだから帰ってきてほしい!
ガサリという音が近くでして、身を縮める。
足が竦んで動けない。けれど動いたところで、見つかればすぐに追いつかれるだろう。5秒くらいなら長生きできる程度だ。そんなの嫌だ。畳の上で死にたい。訳のわからない生き物に食い殺されるなんて嫌だ、やだよぉ。狐さん……狐さん。
「ヒッ……!」
おおよそ生き物とは思えない程の大きな瞳がキラリと光って見えた。その目確実にこちらを捉えていた。
もう涙を我慢する事が出来ない。
「えぐっ……うっ、うえっ……!」
恐怖でまるで身動きが取れない。後ろにさがろうともがくが、あんまり意味がない。大きな目玉はゆっくりとこちらに近づいてくる。まるで恐怖している私をもてあそんでいるみたいだった。
私を追い詰めた目玉は、にんまりと笑って瞼と思われる所からたくさんの触手を伸ばしてきた。ああ、もうだめなんだ……。
その瞬間。
「せhhtytssっ!」
私の目の前に黒い物体が飛び降りて来た。私はその声に安堵した。ああ、この声は狐さんだ。やっぱり見捨ててなかったんだ。よかった、よかったよぉ……!
狐さんは降りて来た瞬間に目の前の目玉を切り裂くいていた。ぼんやりとした青白い光がその裂け目を照らし出す。中から、何か意味の分からない生き物がうじゃうじゃ出て来た。
「にゃ、にゃぎゃああああっ!?」
「―――!?gtrsds!?」
私の悲鳴にぎょっとした狐さんの顔を最後に、私の意識は遠のいた。
「はっ!」
目が覚めると、いつも寝ている洞窟に来ていた。しかし、狐さんの姿がない。
昨日の出来事を思い出して、ゾワリと鳥肌が立った。夜の森で取り残された恐怖が蘇ってきた。
そして、最後に見た気持ち悪い生き物の事も思い出してしまう。沢山の人の手だった。手が蜘蛛の足のようについていて、カサカサとうごいていたのだ。胴体の部分は、目がびっしり……それがみっちりとあのでかい目玉に詰まっていて……。
「うっ……うっ……き、狐さぁん……!」
また泣きそうになって、狐さんを呼ぶ。最後は助けに戻ってきてくれたから、きっとまだいるはずなのだ。心寂しい。帰ってきてほしい。怖い。
「狐さん!……うううー、狐しゃん……」
「……tc、fddnj?」
泣きべそをかいていると、狐さんが帰ってきた!
慌てて狐さんに抱き付いて離さないようにする。腰に手を回すと、意外に細かった。あんなに強そうな化け物も倒すのに……細マッチョか。
「―――っ!?trhbgvfsfbhg!」
物凄く慌てている声だった。私の方がもっと慌てたんだよ!凄く怖かったんだから!
抵抗されてもしがみ付いていると、やがて諦めたのか、そっと私の背中に手を回して抱きしめて返してくれた。嬉しくなってその胸に擦り寄る。
「ん……狐さん……」
「……」
狐さんの腕の中はとても安心する。
そこでハッとした。あんまり用もないのに擦り寄っていたら、また捨てられるかもしれない!慌てて狐さんから離れると、狐さんが生肉を持っている事に気づいた。
「あ!狐さん!料理!私料理作るよ!?」
「……?……!rxvbdrf?」
役立たずだから捨てられかけたんだ!なら料理を手伝おうじゃないか。言ってはなんだが、狐さんよりは料理が上手い自信がある。
私が生肉の塊を取ろうとすると、首を傾げて何かを言った。たぶん、これ生だぞ?かな?ニュアンス的に。
狐さんの力は強いので、無理にとる事は出来ない。なので、身振り手振りで料理系の事を伝える。こう、火がぼわぁって感じを表現しつつ、「肉、肉!」と叫ぶ。こんなに珍妙な女など早々出会うまい。
私の動きがツボに入ったのか、狐さんが吹き出して笑った。
「~~っ!htcdf!?trfgっははっ、はっ!」
狐さんが笑った所など見た事がなくて、呆然とする。笑われて恥ずかしくて顔が熱くなったが、同時に笑顔の狐さんを見る事ができて嬉しくなってしまった。
ひとしきり笑った後、我に返ったのか、顔を真っ赤にさせて不機嫌な顔を作る。照れているのだとまる分かりで、思わずニヤニヤしてしまった。
「……hてsdvs、thjydzsbなんgfv?」
ぶっきらぼうに生肉を押し付けて、木に火をつけて洞窟の奥に歩いて行ってしまった。
あーすっごい可愛かった。普段が普段だから、笑顔が幼く見えて……だめだ、にやける。
そうだ生肉!生肉を渡してくれたって事はちゃんと伝わったって事だよね?火もつけてくれたし!じゃあ早速料理しよう!
結果。こげた。
うん、あれだ。私って料理できるほうだったけど、あれってコンロだったからなんだね……。火の調節とか、殆ど気にしなくて良いし、道具も揃ってたし、お母さんがさり気なく助けてくれてたり……だめだめじゃん。
狐さんごめん、人の事言えなかった……。
焦げた肉の前でしょんぼりしていると、ポンと頭に手を置いてなぐさめてくれた。気にするなって事らしい。うん、まぁ狐さんが焼いても同じだしね。
しかし肉を切ってみると、いつもより中に火が通っていた。お、ちょっと勝った。ふふふ。ま、相変わらず味なしですけども。
予想外に長くなった。
続きます。