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お題『さざなみ』


「さざ波が、立っているね」


 落ち葉の浮かぶプールを見下ろしながら、私の向かいに座る図書館の主は呟いた。

 すっかり最近冷え込むようになった北風が、濁った水面を揺らしている。

 兵どもが夢の跡。

 かつて元気な若人の歓声と一部私のような運動音痴の怨嗟の声で満ちていたその空間も、今はすっかりみずぼらしい姿でゆらゆらと情けない姿を見せていた。


「そういえば、さざ波って、普通の波とは何が違うんでしょうね」


 適当に話を繋ぐつもりで、質問を投げかける。

 先輩はその水面を凝視したまま、律儀にこちらへ答えを返してくれた。


「僕も理系のことには明るくないのだけど。一般に、波長が一定以下の表面張力波……水面における波を、さざ波と呼ぶことが多いようだね」

「なるほど。大波ではなくて、小波のことなんですね。まあ、確かにそういうイメージはあるかもしれないです。あまり、ざぶーん! ってさざ波は変な気がする」

「うん、そうだね。小さく、緩く、すぐに消えてしまうような波。それがさざ波の正しい形なのかもしれない」


 歯切れの悪い口調に、私は引っかかりを覚えた。

 先輩がこういう話し方をするときは大抵が、「明快ではないければ口にしたい思いつき」があるときだ。

 益体のないことを他人に言うべきではないという理性と、思いついたことを出力したいという感情がせめぎ合っている証拠。

 多分、この人は幼い頃に、自分の連想を躊躇なく口にして、大人や友人から厭われた経験があるのだろう。

 確かに、持って回った口調で話す癖に、先輩の連想はときとして飛躍して不合理で、それでいて妙にセンチメンタルだったり幼稚だったりする。

 けれど少なくとも、私はこの人のそんな「若い」言葉を聞くことが嫌いではなかった。

 だから、


「波、ですかあ」


 先輩がこだわっている単語を、繰り返す。

 何も理解していないし、何か意味のある言葉でもない。

 それでも、相手にとって意味がありそうな単語を繰り返すことで、相手からさらなる言葉を引き出すことができることも多い。

 先輩からいろんな言葉を聞きたくて、私が身に着けたチープなテクニックだった。

 今回もそれは、成功したらしい。先輩は訥々と、自分に対して思考を整理するように中空で細い指を動かしながら、答えを紡ぎだしていく。


「波っていうのは、復元力と、そこにかかる外からの力があるから発生するものだ。元に戻ろうとする動きがあるから、波の山と谷ができる。復元力がなければ、変形してそれで終わりだからね」


 正直に言えば、先輩が口にすることの大半は私の理解の外だ。

 けれど、先輩が一生懸命に何かを考えて、それを伝えようとしてくれているその姿を見るのが、私は好きだった。


「……心にさざ波が立つという、陳腐だけれどよく使われる表現があるよね。陳腐ということはそれが人口に膾炙するだけの意味があり、有体に言えば説得力を持っているということだ。つまり、物理的な意味ではなく、感覚的に心にはやはり波立つような何かがあって、それは心に復元力があり、そこに外からの何らかの力があるから発生するものなわけだ」


 丁寧に、正確に伝えようとして、言葉の袋小路にはまっていく様子。

 それを、微笑ましく思ってしまう私は、もしかしたら随分いじわるな性格をしているのかもしれない。


「何を言いたいかというと、つまり今私が心に波を感じているのは、心の復元力と外の力の輻輳によるもので、まあ、その外力にあたるのが今、僕の背後にいる輩であるわけなのだが」


 手元の本に栞を挟むと、先輩は窓に向けていた視線をこちらへと戻した。 


「……君の方には、さざ波が立っているかな? 僕は君の心を揺らす外力たりえているだろうか」

「生憎、そんな感じはありませんね」

「そうか。少し残念だ。つまらない話をした」

「だって、復元力と外の力があるからさざ波が生まれるんでしょう? 私の方は、元に戻ろうとする気なんてないですし。外の力のまんま、形を変えるだけですよ」


 先輩の目が、わずかに見開かれる。

 

「……君は、こちらの話を聞き流してるようで、妙なところをきちんと聞いているな」

「えへへ。お褒めに預かり恐縮です」


 さざ波など起こるはずがない。

 だって、この変人が私に引きおこすのは、いつだってざぶーんと恥や外聞なんて押し流す、容赦のない大波なのだから。


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