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お題『枕』

 

 

「ねえ、知ってる? 枕ってのはさ、始まりの象徴なんだ」

「何かの神話?」

「落語の話。本題に入る前の雑談のこと、枕って言うんだって」

「ばからし」

「ひどいなあ」


 何ということもない会話。

 いつもどおりの日常。

 生暖かくて、不安定で、曖昧で。

 それでも、幸せで大切な時間。


「でも、枕ってのは人を夢に連れて行く象徴で……だから、非日常の笑いの世界への導入が枕っていうのも意味深な気がしない?」

「考えすぎ」

「むう。つれないなあ」


 枕から離れることが許されない友人。

 それを、案山子のように見守ることしかできない私。

 なんとなく知り合って、なんとなく立ち寄るようになった縁。

 それを、心地よいと感じだしたのは、いつからだったろう。


「あんた、暇じゃないの?」

「僕は枕から離れることができないけど。それでも夢の世界に旅はできる。その話を君が聴いてくれるなら、君をつれてそこにいける。だからまあ、多忙ではないけど、暇でもないよ」

「……そっか」

「僕の好きなバンドの歌で言ってたよ。現実ってェ名の物語ばかりが真実の答えじゃないぜべいべー、って」

「なにそれ」

「ごめんなさいちょっと改変しました」


 日々、細くなっていく腕。小さくなっていく声。

 大きな羽根枕に吸い込まれて消えてしまいそうなほどに、友人の存在感は薄くなっていった。

 それでも、友人は夢の物語や、くだらない雑学、あやしい哲学めいた言葉を、私にぶつけつづけた。


「……ねえ」

「なに」

「今日は、夢の向こうに行けそうな気がする。枕から、素敵な音楽が聴こえてくるんだ」

「なにそれ」

「聴こえない? 小さいし、消えそうだけど。ねえ」

「聴こえないよ。だから。そんな、向こうとか、いいから。もっと違う話をしてよ」

「聴こえるんだ。……ふさわしい音楽が。……ねえ。頷いてよ。君にも……聴いてほしいんだ」


 それが、最期の会話。

 風変りな友人は、そう言って、枕に連れられて、夢の向こう側へ行ってしまった。

 私を連れて行ってくれぬまま。一方通行の旅に出てしまった。

 


 ◇  ◇  ◇



 ただ一つ、友人の私物を受け取った。

 大きな枕。

 一晩それを使って眠ってみたけど、私には彼の言う「ふさわしい音楽」は聴こえなかった。

 ついでに言えば、アイツは夢にすら出てきてくれなかった。

 夜明け前。壁に叩き付けるように友人の形見を放り投げ、蹴りつけ、踏みつけて拾い上げ、私はベランダへ出た。

 枕を左手に。

 そして、右手には、机の中から取り出したカッターナイフ。


 かちり。かちり。かちり。

 カッターナイフの刃を伸ばす。

 かちり。かちり。かちり。

 それは、目覚まし時計の秒針のよう。

 かちり。かちり。かちり。

 プラスチックの奏でる音が、夜明けの部屋に響く。

 かちり。かちり。かちり。

 目覚めの鈴が鳴るまでの、秒読みの類だ。 


 いつまでも、まどろんではいられないから。

 いつまでも、過去の紡いだ夢にしがみついてはいられないから。


 最大まで伸ばした刃。

 枕へと突き立てたそれに、目いっぱいの力を込める。

 ぎちぎちと。鈍い音を立てて布が裂ける。


 血のように、羽根が噴き出した。

 大事な枕。私に幸せな夢を見せてくれたアイツのもの。

 安らぎの証。アイツが毎夜苦しみとともに抱きしめてきたもの。

 羽根が散る。風に舞う。一つ。一つ。一つ。

 空に溶けて、枕だったものは、その輪郭をどんどん小さくしていく。

 私は馬鹿だ。

 こんなことをしても、何も変わらないのに。

 だから、こんな幼稚な八つ当たりは最後にしよう。

 さよなら。かわいい私。ありがとう。かわいくないアイツ。


 明け行く空を見上げる。頬をあざけるように風が撫でる。

 一人の手は凍えてしまいそうで、それでも、手にしたカッターナイフは熱かった。

 最後までアイツにきちんと気持ちを伝えられなかった自分。これはそんな醒めた夢の証。

 一人だ。私はもう、一人になったのだ。

 私は一人で、アイツのことは、手がかりなんてなくても思い出せるくらい、記憶に刻んでいる。

 だからもう、枕なんていらない。

 陽にかき消されていく星。見慣れた街並み。

 朝日を避けるように目を細める。

 傍から見れば、私は笑っているように見えるのかもしれない。

 そう。私は笑うべきだ。寂しくなんてないし、悲しくもないのだから。

 まどろむ夢のような日々の中で、たくさんのものを、受け取ったから。

 ただ今は、それが重すぎて、動き出すのが辛いだけのこと。


 アイツは言った。枕というのは、始まりの象徴なのだと。


 だから今は、少したたずんでいよう。

 立ち尽くすことでしか、存在を主張することのできない、案山子のように。

 悲しくもないのに流れる、たかだか千粒程度の涙が零れきり。

 いつかこの空白が、これから続く物語の(はじまり)となるまで。

 

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