2.王子様と再会したよ! 05
藍色に染まった街中を、アザエルは足早に歩いていく。大通りから路地裏へ。路地裏から路地裏へ。宗教が最大権威の国であり街であるが、いわゆる裏町というものは存在する。合法でない娼婦宿や会員制のバーなどが並ぶ、人気のない薄暗い街の裏へと進んでいった。
『ファルセット』は地下一階に店を構える酒場だ。酒と音楽を静かに楽しむ場末の酒場で、狭いが酒の種類が豊富なのが強みだ。店内の照明は最小限に抑えられている。店員は全員男で、客も男性限定だ。ホストクラブとかゲイバーではないらしいが実際はどうだかわからない。数回足を踏み入れたが、アザエルはどういった趣向の店なのだかいまだに把握できなかった。
そしてこの店の常連なのが――。アザエルは目的の人物を探す。
すぐに見つかった。
「やぁアザエル」
目的の人物は、アザエルの姿を確認すると片手を軽く上げた。その人物は近くにいたギャルソンに、ウィスキーを二つ注文する。
「ここにくればいると思いました」
親友は老け顔と評しているが、目的の人物――ヴァシリー・アトウェルは客観的に見ても美男だとは思う。本人は適当にくくっていると言っているが、流れと艶のある黒髪に、知性を感じさせる切れ長の瞳。端正な顔立ちに、思考を読み取らせない雰囲気を持たせながらも、人を惹きつける華やかさも併せ持っていた。ミステリアスというよりも胡散臭さが勝っているのだろうが、それが一種のカリスマ性にもなっているのがなんとも不思議だとアザエルは思う。
グラスが二つ運ばれてきた。給仕をしていたのは金髪碧眼の美青年だった。やや童顔で、白と黒を基調とする給仕服がよく似合う。十八、十九歳ほどで、自分と同い年ぐらいだろう、とアザエルは推測する。ヴァシリーは「ありがとう」と青年の耳元で囁く。唇が、少し耳朶に触れていた。青年は顔を僅かに赤くして足早に去っていった。純情な子だ。
アザエルはウィスキーのグラスを傾けてその様子を傍観していた。ありきたりなようだが、シネマの一場面でも見ている気分になる。
「……お気に入りの子?」
「ただのサービスさ」
どういうサービスなのだか知らないが、深く考えないことにする。相手は自分より数枚上手だ。
「こんなとこ見られたら、キーラさんに怒られるんじゃないんですか」
「それは大丈夫。『そういうところも含めて貴方のことが好きよ』って言ってくれるから」
「奇特な人ですね」
奇特というより、どれだけ天使な人なのだろう。なんというか、世の中よくわからない。
灰皿は空いている。ヴァシリーは酒を好むが煙草には手をつけない。アザエルは空の灰皿を自分の手元へと動かし、持ち歩いているシガレットケースの中から、燐寸と一本だけ煙草を取り出す。タールが一本につき十四ミリグラム以上入っているものだ。へヴィな煙草を、度数の高い酒を飲みながら吸うのが好きだ。味覚が狂うので一日一本以上は吸わないが。
「それで? 君がわざわざここに来たってことは、何か報告でもあるんだろう?」
急に、ヴァシリーの眼がすっと細められ、冗談の要素が一切そぎ落とされる。いくら冗談を言っても仕事は真面目だ。
「例の少女、保護しましたよ。今のところ一番安全な所にいますんで」
明日引き取りに来てください、と付け足した。
深く息を吐き出す。アザエルは灰皿に、吸い始めたばかりの煙草を押し付けた。