2.王子様と再会したよ! 03
汗と土にまみれ、日が暮れてきた頃、再び協会内に足を踏み入れた。目的はもちろん、今回の報奨金である。
だが……
「いないのかよ……」
『室長室』と掲げられた部屋には、鍵がかかっていた。
「あら、クラウ君」
どうしようかと立ち往生していると、後ろから声をかけられた。
後ろに立っていたのは、長い金髪を後ろに流した女性だった。部屋の主とは打って変わった好人物。彫の深い顔立ちに、形のいい長い脚。血色のいい頬の色は、アメジストの瞳とよく似合う。薄い唇は濡れた花弁のように艶めいていている。どの角度から見ても文句のつけようのない美女だ。
美女の名前はキーラ。ヴァシリーの秘書を務めるこの女性は、かつては直属の上司とともに遺跡に潜り込んでいた。だが、隙のない薄化粧やマニキュアが塗られた爪などを見ると、遺跡よりも舞踏会の方が似合っている。それが事実だと物語っているものといえば、指にはタコと節くれが目立つことぐらいだろうか。
「キーラさん。ヴァシリー……じゃなくて、室長殿がどうやらいらっしゃらないようなので」
室長殿、と言いなおしたクラウに、キーラはくすりと笑う。慣れ親しんだ人間に対する敬語は、恐ろしいほど使いづらい。特に、慣れ親しむ、を超えてほとんど身内のような人間に対しては。キーラはその事をよく知っているのだ。
「残念だけど、室長は午後ずっと外に出ているの。話は聞いているわ。ちょっと待っててね」
キーラは鍵を回して部屋を空ける。
「そういえば室長が言っていたわ。『聖ガブリエラの涙』を発掘してきたんですってね」
「……損害のほうが多いですけれどね」
「でも凄いじゃない。今まで誰も見つけられなかったのよ?」
あのブタ野郎、また他人に言いやがったのか。
だが、キーラの一言には救われる気分になった。破壊活動の方が先行して出歩いているので、結構な発掘をしてきたのを自分が忘れてしまっていたのだ。
「何でこの人があの野郎の婚約者なんだろうなぁ……」
世の中はよくわからない。クラウはキーラに聞こえない程度の大きさで呟いた。
「はい、これが今日の分。お疲れ様」
渡された皮袋は、午前にもらったものの数倍の重量はあった。契約以上の料金を越していることはないだろう。まさかキーラからふんだくる訳にもいかない。タイミング悪ぃなと内心つぶやいた。
それでも久しぶりの収入なので、嬉しくないといったら嘘になる。滞納していた家賃もろもろを払っても、十分過ぎるおつりが来る。
「あと、室長から伝言があるの」
伝言と聞き、にやついていた顔が引きつっていくのを感じた。
まさかではないが、また害獣退治でも頼まれるのではないか、という喜ばしくもない予感があった。クラウの危惧を読み取ったキーラは、違うみたいよ、と一言添えてから、
「さっき少しだけ帰ってきたときに聞いたから、私にもよく分からないんだけれど。もしかすると、今わからないだけで、これからわかるかも知れないし。」
曖昧に笑う。秘書のキーラにも明らかにしていないのは珍しい。
一体奴は何をやっているのやら。
「で、何ですか?」
「それはね……」
*
クラウの現在のねぐらは、ダラス市内に幾つも存在する月金貨五枚のワンルームアパートである。安い原因はもちろんある。要するに古いのだ。保護協会が探索者のために格安で貸しているアパートもあるのだが、一年前ダラスにやってきたとき、その存在を知らずに安いという理由だけで現在の部屋を借りた。以来、ヴァシリーから幾度か移り住むことを提案されたが、最初に住み着いた部屋から何となく出る気にならず、現在に至っている。引っ越し手配料がもったいないのと、家賃が現在の部屋よりもナンボか高いのと、荷造りが面倒くさいという理由も含まれる。
そんなボロアパートの鍵を指先で弄びながら、アパートの裏の管理人宅に向かい、滞納していた家賃を払う。今日は金を貰って払っての繰り返しだ。
「珍しい。一気に払えるなんて」
アパートの管理人の眉毛が跳ねる。二十代半ばと思しきその女性は、癖のある亜麻色の髪を払いのけ、渡された金貨を、ひい、ふう、みいと数えていった。妙に音を立てて数えるので、午前中に会った誰かさんやらを連想させるが、むしろ彼ら――金を貸したり取り立てたりする側――から、金銭面に関してよっぽど信頼がないのか。
今までの自分の行動を顧み、仕方ないと思いつつ悲しい気分になった。
「今日は金が出来たんだ。それなりにね」
汗と埃まみれになったクラウの姿を、管理人は一通り眺めまわす。それが「それなり」の対価であると確認した彼女は、「それなりの結果の一部」を素早く金庫の中に入れた。
「ふぅん……。何があったか知らないけど、私は金さえ払ってくれりゃいいから。あと、家賃滞納したりとか、部屋を勝手に改造したりとか、アパート壊さなけりゃね。今度から滞納したら倍増しして払ってもらうよ」
管理人の目は冗談ではなかった。後者二つはさすがに起こしたことはないが、家賃滞納は常習犯だ。それは困る。金貨三枚の格安でそれすらも満足に払えなかったのだから、月々それの倍になんて払えない。
「……以後気を付けるよ」
苦々しげに答えるクラウに、管理人は抱き上げた猫ののどに指を這わせる。
「だから言ってるじゃない。ひと月夜に一回、私の相手してくれれば家賃チャラにするって」
確かに前から提案されていた事だが、何の相手だ、とも思う。専門学校時代は男子寮にいたし、今の環境でも女性とかかわる機会はけして多くない。現在は金欠病でうだつの上がらない二流遺跡探索者で、そんな人間が女性と二人っきりになって、一晩一体何をするというのだ。話し相手か、遊び相手か。正直一緒にいても何をしたらいいかわからない。
……思い違いであって欲しいが、何か一線を越えるような出来事は、想像したくない。
「……互いに気まずい思いをするだけだと思うぜ」
率直な意見だった。血統書付きのアビシニアンレッドを抱いた管理人としばし目が合い――先に逸らしたのは、管理人の方だった。僅かに、気づく人間の方が少ないであろう角度で。
「まぁ、いいわ。それが君のいいところでもあるかもしんないしね」
そんな会話を一通りしてから部屋についた。アパートは三階建てで、クラウの部屋は二階だ。古いアパートは、足の動きに合わせてぎしぎしと軋んだ。無理からぬ話だが、自分と、その友人以外での他の住人の姿を見たことがない。
「ん?」
鍵を回したら、開くのではなく逆のことが起こった。つまり、閉めてしまったのだ。
「俺、鍵閉めてったよな?」
憶に一つか、強盗でも入ったのだろうか。気味の悪さを覚えて再び開錠。警戒しながら扉を開いた。
いつも通りの部屋。作業用の机とベッド。流し台とガス台と引き出しは借りる前から存在していた。本棚に詰まった本はどれも古本屋で買ったものだ。収納しきれずに床に散乱している。床を埋め尽くしているのは本だけではない。膨大な資料と遺跡に入るために必要なもろもろの機材――軍手、ロープ、暗視用ゴーグル、簡易的な救急セット、測定器等が投げ出されていた。部屋の隅には継ぎはぎだらけのサンドバックが放置されている。ぱっと見てなくなった物は見当たらない。
つまるところ、見慣れた、小汚く散らかった部屋が広がっている。
しかし、その中でイレギュラーな存在が二つ。否、二人というべきか。
一人は銀髪の男。よく知っている顔が、長い足を組んで、火のついていない煙草――その人物の癖である――をくわえている。
つまり、同業者であり串焼き屋であり、隣の部屋の住人であるアザエル・イズリースが、机に付属した椅子に悠然と座っている。
もう一人は――
「王子様!」
へ? と目を点にする。
イレギュラーのもう一人。それはつい数時間前に、ちんぴらに絡まれていた少女だった。