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花神と守り人  作者: 神山雪
背徳の聖女の遺産
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2.王子様と再会したよ! 02

 差し出された紅茶の温度が、そのまま待たされた時間を表している。まず、香りがいけないと思ったため、彼は手を付けずにいた。

 暫くお待ちくださいと言われて、既に三十分以上の時間が経過していた。やることがなくなったヴァシリー・アトウェルは、通された部屋の観察と、思考をめぐらせることに時間を当てていた。

世界に主に広がる四つの宗教の一角であるアレイス教の概要はざっと話すとこんな感じだ。神の右手が一人の子供をこの世に遣わした。その子供は神の子であり、彼は世界各地を旅しながら、四つの事項を説いた。完全なる世界平和。神の愛と隣人への愛。神から与えられる罪のゆるしによる心の平安。死後の安寧の約束。神の子は約四十年間各地を回ったが、第一大陸の西の果てで病死したという。彼の活動と言葉は、弟子たちによってまとめられ、今ではそれが聖典になっている。

 愛に満ちた宗教。一言ではこのように表せるのではないか。自らを神の子というのが超次元的で宇宙の何かと交信しているとしか思えなく、理解しがたいのだが、宗教の開祖者にはある意味で必要不可欠なものだろう。

 その、アレイス教最大の教会、聖アントニオ教会の一室は、まず、無駄に広い。座り心地の良すぎるソファに、やたらと高そうな調度品の数々。ティーカップは有名なブランドのものだ。この部屋の家具全体は、一体自分の月収かける幾つだろう。寄付やら献金は実はこういったものに消化していくのではないだろうかと邪推してしまう。街の統治者でアレイス教のトップである法王ルカ二世は、生活は質素倹約を旨にしている噂を聞いたことがあるのだが、このギャップは何なのだろうか。

 ルカ二世の噂はおおむね良いものだ。叩いて飛び散ってくる埃のような黒い噂は皆無といっていい。齢七十五歳を超えているが、世界平和への訴え、演説や布教活動、多宗教との対話などでめまぐるしく各地を回っている。これで死後、彼に祈った人間の願いなりなんなりが成就されれば、間違いなく彼に列聖されるだろう。

 列聖された聖人は、神と、神の子の次に畏敬される。

 例えば人気の聖人といえば、ダラスでは聖ガブリエラ。先日ひと騒動あった聖像の人物は、七百年前に存命した修道女だ。数多い逸話を残す彼女の伝説は、大きいもので三つある。一つは、その右手に癒しの力があり、どんな傷でも彼女が触ると完治する、というもの。次が彼女に祈った人間の病気が治った、というもの。もう一つは、彼女が流した涙が石に変化した、ということ。それが『聖ガブリエラの涙』だ。

 前二つは様々な史書に書かれている出来事だが、現代では確かめようのない、かつて存在した人物に関係がある、過去の事象である。それでも記され当然のように伝聞していったということは、一概に嘘とは言えないのかもしれない。

 では『聖ガブリエラの涙』はどうなのか。聖人たちの偉業を記した伝記の中に、石の外的特徴と概要が数行だけ記されている。幻の一品、とも言え、存在すら危ういものだとされていたのだ。

 今回、その『聖ガブリエラの涙』と言われるものを、発掘してきたのがあの問題児だった。

 本来ならば、とヴァシリーは考える。あの黒褐色の髪の青年は、数多い遺跡探究者が発掘に失敗してきた事実も鑑みて、かなり大きな発見をしてきたのだ。その功績をほぼ無に帰すようなこともしでかしたのだが。月末の祭りを考えると、聖像の修復を担当するであろう石工職人に対して申し訳ない気分でいっぱいになる。

 だが、一応は最大の目的は果たされていた。『聖ガブリエラの涙』の存在の確認に、それの発掘。依頼側である教会が最も望んだことだ。仲介者として、損害を開き直るつもりはないが、恐らくあの問題児が聖像を破壊してこない限り、見つからなかったものだろう。

 この遺物探しに、ルカ二世は全く絡んではこなかった。多忙なことも関係してはいるだろうが、一番は思想の問題なのではないかと思う。聖人畏敬はよろしいことだが、行き過ぎると神と神の子に対する冒涜にもつながる。聖人は我々の先達であり、尊敬すべき偉人ではあるが、神と神の子ほどに敬う存在ではない。裏を返せば彼らはあくまで唯の修行者であり、我々と同じく信仰者である。神の言葉なる聖典のみに従い、純粋なる信仰によって神に祈りが届き、初めて心に平安と光が訪れる。これが、ルカ二世が主に説いていたことだ。

 依頼者は大司教の一人だ。大司教の中でも、黒い噂はなくともルカ二世をよく思っていない人物は存在するらしい。表面上は穏やかだが、意外に内面に問題は多いと聞く。細かい思想や解釈の議論はともかくとして、誰々がどの修道院長の地位を狙っているだとか、誰々が大司教の地位に就くまでには実は聖職売買が行われていただとか、法王ルカ二世の暗殺事件が実は内部で行われていたとか、そんな噂が絶えない。どんな組織でも、内部の問題は避けられないのだろう。それが一つ大きな宗教であっても。

 大司教同士も次の法王が誰かと争ってもいるらしい。これは、先ほどヴァシリーを案内した牧僧が口さみしさに話していたことだった。

先ほどヴァシリーを通した人物は、茶色の修道着を着ていた。一定の地位の牧僧でないと法衣着用は許されない。叙階はしたが礼拝司式は行えない下級の牧僧だろう。少なくとも四十は超えていた。痩せ型で、血色が悪く、ひょろひょろとした外見はカマキリを連想させた。落ち窪んだ眼が印象的な男だった。話を聞くと、二週間ほど前にアントニオ聖教会に配属されたのだという。元々居た修道院は確か――

 ――と、海の底に潜り込んでいたヴァシリーの思考が止まった。

扉が開く音がしたからだ。

「お待たせしました」

 ヴァシリーに仕事を依頼してきた、アレイス教の聖職者だ。アントニオ聖教会

の大司教であり、全ての司教のまとめ役。この宗教で実質的に二番目に偉い人だ。叙階名は確か、フランシスコだったと記憶している。

 だが特に信奉心を持ち合わせていないヴァシリーにとって、目の前の人物は依頼人以外の何者でもない。さらに彼は、長時間人を待たせるという行為が嫌いだった。それを強要する人間もしかりである。

そんな人物に、三十分以上待たされたのだ。

「書類一つ用意するのにそれほど時間がかかるのですか」

 文句の一つでも言いたくなる。

「告解が長引いたのですよ。最近、神に懺悔するのが若者の流行りらしいですよ」

「それはそれは」

 自分の行動に自覚と責任を持てない人間がする行為だ、とヴァシリーは思う。わざわざ懺悔しないといけない意味が分からない。万か一自分が神に許しを請う時は、死ぬときの一回だけだと思っている。それでも縋る気はさらさらない。

 だから、わざわざ告解に来る人間の気持ちなど、わかるはずもなかった。適当な相槌をフランシスコ大司教に返した。

「さて、聖ガブリエラの聖像破壊の件なのですが」

 居住まいを正して福司教が切り出す。同時に、書類――これのために三十分待たされた――をテーブルの上に置いた。

「修復費と罰金なら持ってきましたよ」

 懐から金貨の詰まった布袋を取り出す。幾ら払うかなど考えたくもない。ヴァシリーの年収以上の金がその中にあるはずだ。問題児の顔を頭に浮かべ、あの子は本当にもったいないことをしたと思わずにはいられない。ヴァシリーだって罰金という面目で金を払いたくはないのだ。

「……『聖ガブリエラの涙』は一緒ではないのですか?」

「まだこちらのものです。祭日までには持っていきますので、ご安心を」

 規則として。発掘品はいかなる事情があれ、一定期間は協会が保管する。その間、協会が抱えている専門家が、発掘品が本物であるかの真偽を確かめ、傷の有無や修復を担当する。

 司教の小言はまだ続く。

「聖像破壊の張本人はいないのですか」

「彼は忙しいのですよ。今は奉仕活動に精を出しておりますよ」

 嘘は言っていない。聖像を破壊した人物は、報酬が支払われるため「奉仕」ではないが、現在ダラス郊外の森で文字通り死闘を繰り広げている。連れてくるとややこしい上に面倒なことになりそうなので害獣退治に放り込んだ、といったほうが正しいのかもしれない。勿論、本人が嫌がっていることも重々承知したうえで、本来下げる必要もなかったはずの頭を下げさせたことに対するイヤガラセも込められている。

「十分反省しているようなので、これ以上は不問にしていただけないでしょうかね。罰金も払いますし。こちらでそれなりの処分はしますので」

「……分かりました。以後注意して下されば結構です」

 注意しますよ、本人の破壊癖が直るかどうかわからないけれど。と、声に出さずに、心の中でつぶやいた。

 用事はこれだけだ。三十分待たされたが、これでこの件に関しては一通り終りになる。後は、祭りまでに遺物を渡せばいい。

 書類を手に取り、口を付けない紅茶をそのまま置いて、一礼して部屋から去ろうとした。

「それからもう一つだけよろしいですか?」

 大司教の一言が、扉を開くという行動に静止をかけた。

 まだ何かあるのか。振り向くことさえ億劫になりながら、大司教に向き合う。鏡を見れば、仮面をはり付かせたような顔をした男の顔が確認できるだろう。

「一ヵ月ほど前、ポールドールで修道院長が死体で発見された事件を知っていますかね」

 それは新聞で読んだ。ポールドールのヘリバート修道院長は、今度大司教への昇進とアントニオ聖教会への異動が決まっていた。ほかの大司教や目の前にいるフランシスコ大司教に次いで、ルカ二世の後継者と目されている人物の一人だった。寧ろ、他の大司教を差し置いて彼を次期法王へと押す声も多かった。

 ポールドールはダラスから北に位置する町だ。ゆったりとした丘に面しており、ヴァシリーは一度しか訪れたことはなかったが、昔ながらの伝統をそのまま受け継いだかのような雰囲気と落ち着いた町並みが印象に残っている。

「どうやらその事件の重要参考人が、最近この街に現れたらしいのです」

 そりゃ大変だ。しかし、一ヵ月前の事件の犯人が未だに逮捕されていないというのも変な話だ。警察が間抜けなのか、その犯人がよっぽど周到に逃げているのか。どんな理由があれ、殺人犯が捕まらずにその辺を闊歩しているのは、治安上よくはない。

 だが……。

「そういう話は私ではなく、警察に言うべきなのではないですか」

 ヴァシリーの主な仕事は、遺物の保護のほかに、遺跡探索者と依頼者である博物館やら宗教法人を繋ぐ橋渡しだ。仕事柄、大学やら宗教法人やら、色んな場所に足を運んでいることもあり、顔だけは確かに広い。

 だが殺人犯の捜索、なんて頼まれても困るのだ。言った通りそれは警察の仕事だ。それはフランシスコ大司教もわかっているのではないか。

 大司教は笑みを崩さずに言葉を重ねる。

「依頼ではありません。善良なる市民に言っているのですよ、アトウェルさん。勿論警察にも話は通しております。ただ、あなたも十分に気を付けてくださいと言っているのです。相手は殺人犯です。早く罪を悔い改めなければなりません。そのためには、あなた方市民の皆さんの協力も必要なのです」

 犯人の人相書きなどの外見的特徴は、不自然なほど出回っていない。となると、フランシスコ大司教は何かを掴んでいるのだろう。

 そしてここまで言い募ってくるということは、何かの関係があってのことなのだろう。ヴァシリーというか、協会や遺跡探求者に。

ついでに言えばポールドールには保護協会がないので、ヴァシリーの管轄になる。

「……有力な情報か何かありますかね」

 あなた方市民、というが、大した狸だ。大司教は懐の中から、白い包みを取り出した。

「これです」

これが一体、どう関係があることやら。苦いものを感じながら、ヴァシリーは包みを開いた。



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